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政財界倶楽部         (恩田将葉見聞録)

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シンガポールと華人パワー

シンガポールと華人パワー
2011年5月31日

 28日土曜日昼に日本を経ち、30日夕方に帰国という強行軍でシンガポールを訪問した。訪問の理由は、アメリカ時代のルームメートで以来30年以上兄弟のように親しくしている華人、中国系インドネシア人の一番上の兄の70歳の誕生パーティーに招待されたためである。パーティーは、シンガポールのリッツカールトン1階にあるグランド・バルーン・ルームで700人以上の招待客を招き催された。

 彼のファミリーが、インドネシアでは有名なファミリーで、インドネシア経済の要を握っていることは知っていた。18年前に、スラバヤにゴルフ場をオープンした際に行ったパーティーにも招待して頂き参加したが、その際には5000人以上の招待客が列席していて驚かされたものである。今回は、700人強であったが、彼のファミリーに極めて近い人々のみが招かれたようで、世界中から華人・華僑の仲間が集まっていたという印象であった。

 18年前のパーティーでは、当時シンガポール首相であった李光耀を紹介してもらった。だが、まだ青二才であった私は、その意味の大きさを理解していなかった。今回は、李光耀元首相、吴作栋(呉作棟)前首相、李显龙(李顯龍)現首相、セラパン・ラーマ・ナザン現大統領、在シンガポール中国大使、在シンガポールインドネシア大使など名立たる人々が列席していた。それも、顔だけ出すという参加ではなく、午後7時より開始されたパーティーの終わり午後11時半過ぎまで、全員中座せずに残っていた。彼のファイミリーとの親密さを感じた。私は、1テーブル10席ずつ70テーブル以上ある会場の中、左側二列目前列から二つ目の来賓席より二つ横の非常に良い席に座らせて頂いた。お陰で、彼らVIPの様子をよく観察することができた。だが、生憎日本で言うSPが私と同じ席に着いたので、彼らの写真を撮ることは制止され叶わなかった。

 私の隣に座った、ベトナムから来たビジネス新聞社と海産物関係会社を数社経営するという華人の女社長と色々と話しをさせてもらった。彼女曰く、世界中の華人仲間の中でも、このパーティーの主催者である私の友人のファミリーは、人望的にも、経済的にも指折りだということであった。私は、今まで友人として、兄弟のように学生時代と変わらず彼とはバカをやって30年間を過ごしてきたが、どうもその様子を見た彼女たちは驚いていたようだ。知らぬが仏とは、よくいったものだ。インドネシアでは、指折り企業であり、証券取引所の株までかなりの数を持っていることは知っていた。だが、そんなに凄いとは知らなかった。

 それには理由がある。彼も、彼の兄弟たちも、まったく鼻高ではなく、いつも笑顔でスノブなところがまったくないのだ。億万長者のいやらしさが30年お付き合いしているがまったくない。それは、やはり彼等の両親も、彼らの両親が亡くなった後は、このパーティーの主賓である長男も、どん底から這い上がり家族を支えてきた立派な人たちだからであると私は思っている。頭が低く、正直で、謙虚で、非常に家族想いで、誰に対しても差別なく非常に優しいからだ。インドネシアの社会環境は、少々複雑で、経済的に恵まれ経済を動かす彼等中国系インドネシア人は、ネイティブ・インドネシアより差別されることが多く、嫉妬心から危害を加えられることさえある。よって彼等華人にとって、シンガポールは非常に安全でリラックスできる地であるとのことだ。

 私の友人も、アメリカ時代、ネイティブ・インドネシアンよりナイフで太腿を刺されたことがあった。生憎、その際彼はロスで私はサンフランシスコにいたので彼を守ることができなかった。だが、一緒に住んでいた頃は、空手などの武道をやっていた私は、彼を守るような役目も自然な中で果たしていた。彼から言われた訳でも、私からそう言ったわけでもなかったが、大学内で少林寺拳法のデモンストレーションをやったりしたことがあり、皆私が武道をしていることを知っていたので、彼と一緒にいるだけで、多少の効果はあったのかもしれない。

 話しが少々横道に逸れた。元に戻す。彼の兄が、お礼のスピーチでこんな話をしていた。「私の人生哲学は一つ、人間は独りでは生きられない。だから、皆仲良く手を合わせて、今この時を一生懸命に生きる。血が繋がっていても、繋がっていなくとも、一度ファミリーになったら、ずっとファミリー。そして、いつも笑顔を忘れない」素敵な言葉だ。私が常々思っていることと同じことを仰っていたので、非常に感激した。娘のスピーチでは、「世界中で一番優しいお父さんは、何時でも、どんな時でも、どんなことがあっても、自分たち子供は勿論、ファミリー全体を大切に思い守り、誰よりも努力して私たち皆を支えてくれる、こんなに素敵で偉大な人はいない」と涙ながらに言っていた。それは社交辞令ではなく、彼を見ていれば良く理解できることなので、こちらまでもらい泣きしてしまった。私の友人にとって、このお兄さんは、22歳上で正に父親同然である。アメリカ大学卒業式にも、父親が既に他界していたのでこのお兄さん夫妻が参加していた。私も亡父のことを思いだしてしまい、涙が止まらなかった。

 彼らの特徴は、非常に家族を大切にするということだ。これは、もう並外れている。人目を憚ることなく家族を守る。傍から見ていても素敵なことだ。それが、とってつけたような様子ではなく、心からの言動なのでこちらの心にも響く。華人や華僑の強さは、ここのところにあるのかもしれない。親を大切にし、家族を大切にする。素敵なことだ。

 これは私の私感だが、華人や華僑の人々と日系人の人々には、多くの共通点を見いだせるように思う。皆、古き良き時代である意味時計が止まっている。それは勿論良い意味である。中国人の良い部分を大切にして、華人・華僑の人々は国境なく世界中を母国としながら一生懸命生きている。日系人の人々も、古き日本人の良い部分を大切に、母国日本を離れても、日本人としての誇りを忘れず一生懸命生きている。そして、どちらも、皆謙虚で正直であるということだ。

 アメリカ時代、私は、日系人の方々と日本から来た日本人とは違うという思いで見ていたし、お付き合いしていた。日系人は、真面目で同胞である我々日本人を守ってくれる。ところが、日本から来た日本人は、日本人同士で足の引っ張り合いをする。そのことは、帰国後戦争経験のある老人と話した際に、同じようなことが軍隊の中でもあったことを聞き納得した。だが、どうも華人や華僑の彼らの中にも、同じような感情がメインランドの中国の人々へ対してはあるように今回感じた。決して誹謗中傷や悪口は言わない。だが、こんな一言にそんなことを感じた。「メインランドの人々は、国のお金だと思い、湯水のようにお金を無駄遣いする」この一言に、彼らの思いが集約されているように思えた。彼等は、やはり外国で苦労し、努力して今の地位を手に入れている。よって、謙虚なのだ。そこに彼らの強さがあるように思う。

 そんな彼らが安心して滞在できる場所がシンガポールであるそうだ。差別なく、皆優しく、襲われることもない。そして、そんなシンガポールの変容ぶりは、目を見張るものがある。マーライオンは、今や大都市に埋もれ目立たない。小さな国だが大都会だ。市民の声に耳を傾けると、色々なことがわかってきた。昔は、工事などは日本企業が中心であった。ところが、現在は、中国の企業が占める比率が圧倒的に高くなったそうだ。その理由は、格段に費用が安いとのことだ。地下鉄工事現場を見て見たが、日本企業名は清水建設の名前があった。だが、その他は全て中国企業名であった。そういう現場での労働人口比率の80%以上が、外国人だということだ。シンガポール全体に占める中国系の比率は圧倒的だが、3Kと言われるような仕事現場では、インド系の人々が多いように感じた。マーライオン前の湾は海と遮断され、湾内の水を淡水化して、水不足解消策が施されているとのことであった。また、その周囲は埋め立てられ、新しい高層ビルが乱立しカジノには多くの人々が溢れていた。カジノには、メインランド・チャイナからとインドからの人々が圧倒的に多いように感じた。一言で言えば、開発ラッシュという感じである。また、街の様子も非常に恵まれている感じであり、日本と全く変わらない。ブランドショップが乱立し、伊勢丹、高島屋などの日本系デパートもあり、日本食は超人気料理らしい。街中には、なんと牛丼の吉野家まである。北朝鮮と変わらない独裁国であるのに、こちらは非常に明るい自由経済独裁国という印象である。

 最後に、今回の旅で一番驚かされたことは、お互いバカをやっていた友が、別人のように子供や家族に対して全てを傾注し優しく、思い遣りを持って接している姿であった。非常に嬉しく思った。同時に、子供や家族の意味の大きさを実感させられた。昔の彼からは、想像がつかぬ姿であった。彼も、私に対し、まったく同じことを感じていた。数年前、彼は息子と奥さんを伴い、アメリカで彼が学んだ場所を案内して歩いたといっていた。実は、私も6年前、まったく同じことをした。

 そして、その彼の息子は20歳。私の息子は18歳、お互いに彼らが私たち同様の仲になれることを思いつつ別れた。彼の息子は、非常に素直で、好奇心旺盛で、なかなか良い息子であった。「お父さんの兄弟は、自分にとって親同然」と言って、パーティー準備に忙しい私の友人に代わって、私の面倒をよくみてくれた。またよく懐いてくれ、私も自分の息子のように感じ、非常に親しみを感じた。同時に、人の歴史を感じ、感慨深い思いがした。私たちの想い出は、息子たちへ引き継がれていくのだなと思うと胸が熱くなった。シンガポール滞在時間は36時間程度であったが、非常に意味ある素敵な時間であった。感謝、感謝、感謝。
by seizaikai_club | 2011-05-31 10:00 | 中国関係
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「政治をもっと身近に」をスローガンにして、日本人にもっと「愛国心」を喚起すべく語る。
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政財界倶楽部代表  恩田将葉
 「政治をもっと身近に」をスローガンに、一人でも多くの日本国民が政治に関心を持ち、参加してくれるよう、執筆活動、出版活動等を通じ「愛国心」啓蒙活動をしている。国際化が進む世界の中で、日本の政治も若者の手で変革しなければならない!!

 政財界倶楽部代表恩田将葉は、 アメリカ合衆国カリフォルニア州で約9年間生活。その間、サン・フランシスコ州立大学(San Francisco State University, SFSU)国際関係学部で国際関係学と政治を学び、朝鮮半島問題専攻で卒業。その後、暫くアメリカで現地法人の会社(People Intertrade, Inc.)を経営した後帰国。帰国後は、記者と編集者を経て出版社である株式会社ぴいぷる社と株式会社政財界出版社、そして、夕刊紙「内外タイムス」を発行する株式会社内外タイムス社の社長に就任。活字業界一筋に生きてきた。現在は、経営から一歩引き、国際情勢ならびに政治を中心に、ジャンルを問わず執筆活動を継続中。プロの文士として、随筆、小説、脚本等あらゆる分野で執筆活動を展開し、文章を綴ることを天職としている。そのかたわら、日本に、嘗てのごとく「愛国人」を増やすべく、「政治をもっと身近に」をスローガンに、自ら「政財界倶楽部」を運営している。

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