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政財界倶楽部         (恩田将葉見聞録)

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復興への足音が聞こえ出した三度目の被災地取材

復興への足音が聞こえ出した三度目の被災地取材
2011年4月15日

 昨日、三度目の被災地取材に赴いた。被災からどういう風に変化していくかを見たく、同間隔で10日ごとに被災地を訪問している。そして、昨日は愚息を同伴した。愚息は、この3月に高等科を卒業し同学内で進学した。だが、地震の影響で、卒業に当たっての予定が大幅に変更された。彼にとって、きっとこの大震災は記憶に残る出来事であったはずと私は思った。人生に於いて、この時期の体験は一生心に残り、その後の人生を左右するようなインパクトを持つ。特に、良いことばかりでなく、このような悲惨な状況を目の当たりにすることにより、人間は心を動かすことができるようになり、大きな学びを得ることになる。そんな期待感を抱きつつ、取材に愚息を同伴することを決めた。幸い仕事仲間が賛同してくれ、快く同伴を許可してくれた。感謝する。

 愚息は、赤ん坊の頃、大きな天災を経験している。彼自身は覚えていないだろうが、18年前鹿児島を襲った水害で、海に流され多くの犠牲者をだした電車の一本前の電車に、籠に愚息を入れて私は元妻と共に乗車していたのだ。一瞬の機転で、下車後側にあったホテルの三階に避難し九死に一生を得た。あと5分遅かったら、多分流されていただろう。ホテルの三階から襲い来る大量の水を眺め、背筋に寒い物を感じた記憶は、今でもハッキリと私の身体に刻み込まれている。申し訳ない。話が逸れてしまった。東日本大震災被災地の話に戻す。

 被災地は、間違いなく一歩一歩歩みを進めている。あんなに悲惨な状況にある地獄のような津波被災地が、復興できるのであろうかと当初は心配した。正直、私自身、シャッターを押すことにも躊躇い、ペンを走らせることもできなかった。涙と嗚咽が、止めようとしても止まらなかった。それほど、酷かった。地震の被災地というよりも、嘗てスリランカの内戦取材で見た、戦場のような光景であった。だが、10日前に訪問した二回目の取材では、震災被災地で復興が進み正直驚かされた。それでも、津波被災地はまだ行方不明者の捜索段階を脱しておらず、復興には程遠いという印象を受けて帰路についた。どんよりと曇った津波被災地は、別世界のように感じた。震災被災地と津波被災地では明暗を分け、天国と地獄のようであった。勿論震災被災地の被災者たちも、悲しみや苦しみを背負っていた。しかし、津波被災地はそういう域ではなかった。正に奈落の底に突き落とされたような感じであった。そんな厳しい状況下でも、人々は落胆の色を払拭しようと必死に前を向いていたことが非常に印象的であった。人間とは何と強い存在なのだ、と驚かされた。

 そして、今回の取材で、その思いをより強く感じた。震災被災地、特に仙台市内などは、ほとんど震災前と同じ状態に戻っていた。勿論、まだまだ不自由も多々あるのだろうが、表面的には平常に戻っていた。一番驚かされたことは、この10日間で、津波被災地も復興へ向かって、前を向き大きな一歩を確実に踏み出していたことだ。もう、行方不明者捜索段階ではない。復興へ向けての動きにかわりつつあった。勿論、まだまだ瓦礫の山はある。だが、不思議なことに、気候が移ろい温かくなったことで、溜まり水が大分引いた。その結果、重機が瓦礫の荒れ野に入れるようになり、瓦礫を撤去できるようになっている。至る所に散在していた被災車が撤去され、多くの瓦礫が運び出されていた。人々も、流されずに残った数少ない家々に何とか戻ろうと汗と泥にまみれながら、必死に希望の光を追いかけていた。彼らの姿には、最初の取材で流した涙とは違う涙が零れた。本当に人間の強さを実感させられた。人間とは、如何なる状況に突き落とされても、必ず這い上がってくる。絶対に負けない強靭な精神と肉体を持っているのだな、と強く実感させられた。このことは、大きな変化の1つだと思った。

 変化という意味では、被災地の管理体制なども含め、雰囲気が大いに変わっていた。10日前の取材の際は、タクシーで乗り付ける見物人までいた。被災住民と心無い野次馬との間に、無言だが重たい空気が充満していた。だが、今回は、空気が晴々していた。それには二つの理由がある。1つは、津波被災地へ繋がる道の全てに警察の検問が置かれ、復興作業に携わるトラック、警察官、消防士、多くの自衛隊と米軍、許可されたボランティア、そして、身分証ならびに取材許可を受けている我々報道関係者以外の人間を津波被災地からシャットアウトしたことだ。そうすることで空気が大幅に変わった。もう1つは、被災者の方々の意識が、絶望から小さいながら希望に向かって動き出したことではないかと私は思った。その心の変化が非常に大きいのではと感じた。その結果、心の余裕が多少なりともできてきたのではないか。例えば、前二回の取材では見ることができなかった、献花が至る所で見られた。花を手向けるということは、小さなことに感じるが非常に大きなことであると私は思う。心の持ち様で、花を綺麗と感じられる余裕が心にできる。ということは、被災者の方々や被災地復興に携わる人々に、花を手向ける心のゆとりができてきたということである。そういう気持ちこそが、絶望感から前向きの心持ちに変わり復興の速度を速めると信じる。本当に人間とは素晴らしい力を持った生き物だ。今更ながら実感させられる。

 それにしても、水の力とは恐ろしい。津波という水の力によって、人も街も押し流され一瞬にして地獄と化した。震災後は、溜まってしまった津波による水溜りにより、瓦礫の処理を困難にし、人々を奈落の底に突き落とし涙まで枯らせてしまった。にもかかわらず、津波被災地の海岸線から眺める海は、嘘のように静かで、穏やかで、心を和ませてくれる。今回はもう、前回依然浮遊していた瓦礫など一つもない。同じ海なのに、今は美しく静かに輝いている。そんな状況下、津波によって全てを流され身内まで亡くしてしまった漁師の1人が、それでも「海は宝だ」と言った言葉が非常に印象的であった。自然は時として途轍もない大きな力で、人間を翻弄する。だが、そんな理不尽な力の犠牲になり翻弄されながらも、めげることなく前を向いて生きる人間の強さと素晴らしさを目の当たりにした三度目の取材であった。感謝。
by seizaikai_club | 2011-04-15 09:36
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「政治をもっと身近に」をスローガンにして、日本人にもっと「愛国心」を喚起すべく語る。
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政財界倶楽部代表  恩田将葉
 「政治をもっと身近に」をスローガンに、一人でも多くの日本国民が政治に関心を持ち、参加してくれるよう、執筆活動、出版活動等を通じ「愛国心」啓蒙活動をしている。国際化が進む世界の中で、日本の政治も若者の手で変革しなければならない!!

 政財界倶楽部代表恩田将葉は、 アメリカ合衆国カリフォルニア州で約9年間生活。その間、サン・フランシスコ州立大学(San Francisco State University, SFSU)国際関係学部で国際関係学と政治を学び、朝鮮半島問題専攻で卒業。その後、暫くアメリカで現地法人の会社(People Intertrade, Inc.)を経営した後帰国。帰国後は、記者と編集者を経て出版社である株式会社ぴいぷる社と株式会社政財界出版社、そして、夕刊紙「内外タイムス」を発行する株式会社内外タイムス社の社長に就任。活字業界一筋に生きてきた。現在は、経営から一歩引き、国際情勢ならびに政治を中心に、ジャンルを問わず執筆活動を継続中。プロの文士として、随筆、小説、脚本等あらゆる分野で執筆活動を展開し、文章を綴ることを天職としている。そのかたわら、日本に、嘗てのごとく「愛国人」を増やすべく、「政治をもっと身近に」をスローガンに、自ら「政財界倶楽部」を運営している。

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