尖閣諸島領土紛争の発端 第三話
2010年9月17日
では、何故、それが一転し、台湾も中国も、尖閣諸島の領有権を主張しだしたのか? それは、利害に関わる非常にドロドロとした事柄が発端である。
1968年(昭和43年)10月12日より同年11月29日の間、国連の海洋調査団が、この海域の海底調査を行った。そして、1969年(昭和44年)5月に、その調査の結果が、国連アジア極東経済委員会(ECAFE)によって公表された。この時から、この海域が一躍脚光を浴びることになった。何故ならば、この海域に多くの海底資源が眠っていることが明らかにされたからである。勿論、台湾、中国だけでなく、日本もこの調査結果には、大きな関心をよせた。そして、1969年(昭和44年)と1970年(昭和45年)の二度にわたって、日本政府は東海大学に委託し、尖閣諸島周辺海域の海底地質調査を行わせた。その結果、海底には石油の根源石である海成新第三紀堆積層が、尖閣諸島を中心に約20万キロ広がり、その層厚も3,000メートル以上に及んでいることがわかった。これらの調査結果が、紛争発端なのである。
※この記事は、私自身の執筆により、2005年3月号「月刊政財界」に掲載されたものを、一部新たに加筆修正したものである。