今日の独り言
蒙古斑と月の中の餅搗き兎
2005年10月6日
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20年以上も前の大学在学中知った話だが、未だに強く印象に残っているのでお話する。ハンガリーから大戦末期に政治亡命し、アメリカの大学で美術の教授をしていた恩師から聞いた話である。この教授夫妻とは、非常に親しくさせて頂き、色々貴重な話をうかがった。奥様はオランダ人で、元スパイであった。旦那様は、ユダヤ系ハンガリー人であった。旦那様がスペインの美術大学に在学中、仕事でスペインに行った奥様と知り合い恋に落ちた。そして、奥様は、迫害を受け辛い経験をする旦那様をアメリカへ亡命させ、自分もスパイの仕事を止め亡命した、とも言っていた。この夫妻からは、非常に興味深い話を色々うかがったので、追々お話することにする。今日は、この旦那様が話してくれた、「蒙古斑と月の中の餅搗き兎」の話をさせて頂くことにする。
日本には、月の中で兎が餅を臼と杵で搗いているという伝説がある。私はてっきり、これは日本だけに伝わる伝説だと思っていた。確かに、私達日本人の目から見ると、満月の中で兎が餅を搗いているように見えないこともない。だが、その頃の私は、餅自体が日本のモノだし、まあ中国や韓国に餅があったとしても、臼と杵を使って餅を搗くなどという行為は、日本独特の行為であると思い込んでいた。ところが、この教授曰く、ハンガリーでも月の中で兎が餅を搗いているという伝説があるというのだ。それどころか、ハンガリー人にも生まれた直後蒙古斑がるとまで言い出した。蒙古斑に関しても、当時の私の認識では、日本人を含め日本周辺の韓国やモンゴルのごく一部の民族のみにあるものだと思っていた。よって、この話を聞いた時には、かなり大きな驚きを覚えた。
ところがどっこい、話はそれで終わらなかった。その教授は自慢げに続けた。私達は、同じ伝説を信じ、同じ蒙古斑を持つ兄弟のような民族なのだよ。フムフム、と驚きを隠せずに放心状態で頷く私に、もっと衝撃的なことを説明しだした。それは、こうであった。
兄弟はね、日本人とハンガリー人だけではないんだよ。もっと沢山いて、その兄弟達の道があるんだ、と何だか咄嗟には理解できない話をしだした。続けて耳を傾けてみると、その教授曰く、その道は、ハンガリーからアジアを通り抜け、アラスカを経てアメリカ大陸にまで続いていると言うのだ。要約して説明すると、ハンガリー人も、モンゴル人も、朝鮮人も、日本人も、アラスカの原住民も、カナディアン・インディアンも、アメリカン・インディアンも、そして、メキシコ人も、皆共通の宝物を持っているというのだ。それが、蒙古斑と月の中で兎が餅を搗いているという伝説だと。確かに、そう言われてみれば、兎が月の中で餅を搗いている杵は、日本風のトンカチ型の杵ではなく、韓国風の縦長の杵だ。日本でも、絵本などで月の中の餅搗き兎が描かれる時は、この杵で描かれていることが多い。そして、この杵と同じ形のものが、ハンガリー人、モンゴル人、カナディアン・インディアン、アメリカン・インディアン、メキシコ人などによって使われている。用途は、トウモロコシや小麦粉を潰したり、挽いたり、と地域によって多少違うが。形は同じで、使用法もほぼ同じである。
同時に、その教授は付け加えた。中国人は同じ東洋人で、私たち欧米人から見たら日本人も朝鮮人も中国人も非常に似ていて見分けがつきにくい。が、しかし、中国人には蒙古斑もなければ、兎が月の中で餅を搗くという伝説もない。同じことが、アイヌの人々にもいえる、というのだ。アイヌの人々のアートは、カナディアン・インディアンのアートと非常に酷似するし共通点も多くあるが、アイヌの人々にも蒙古斑はなく、月の中で兎が餅搗きをしているという伝説もないという。
この教授はアートの教授であったので、そういう観点から研究していく内、本来人類学の分野に入るのではと思うような事実を発見したのであろう。
確かに、これらの人々の顔つきを見ていると、他人とは思えぬ感じもしていた。特に、メキシコ人などは、遠く日本から離れているが日本人と似ているな、と昔から私は思っていた。また、ミャンマーの一部の部族にも、蒙古斑と月の中で兎が餅を搗くという伝説があるらしい。そして、それらの民族には、似たような食習慣や食物もあるというから驚きだ。
こういう観点で見ていくと、地球上での人間の歩みや歴史が見えるようで非常に面白い。我々の先祖は、どういう思いでハンガリーからメキシコまで歩んでいったのであろうか? 不思議な話だ。
ハンガリーに関しては、アジアの騎馬民族が移り住んだという流れもあるようだ。そう言われてみれば、ハンガリーの民族衣装とミャンマーの一部山岳民族の民族衣装は酷似している。そのような類似点は、伝説や食文化にとどまることはない。例えば、ハンガリー人は、昔から温泉好きな民族でも知られている。公衆浴場という、日本や韓国にある風呂文化が、形を変えて存在するのだ。他にも、言語にも似通ったところが多いのが特徴かもしれない。
兎に角、人類皆兄弟ではないが、こうやって歴史を紐解いていってみると、案外兄弟が多いことに気付く。と同時に、生まれ育ちが違って、価値観も考え方も違っても、遠い先祖を辿っていけば同じ血が流れているということもあり得るのだ。そうやって考えると、案外地球はスモール・ワールドなのである。なのに何故、こんなにも紛争が耐えないであろうか。人間の業の深さを感じざるを得ない。