今日の独り言
靖国参拝問題に寄せられるコメントに驚きと悲しみ
2005年10月4日
http://www.seizaikai.com/seizaikai_club/index.html
靖国参拝問題に関するコメントが書き込まれているサイトを徘徊してみて驚いた。なんと、悲しむべき内容の書き込みが多いことか。民主主義国家である。基本的には、どのような意見があろうとも、どのような考え方をしようとも、十人十色、多種多様で構わない。しかし、非常に酷い内容のものが目につくことに大きな悲しみを覚える。それも、冗談半分の書き込みではなく、そのような考え方が正しいと信じてコメントされていることに、恐ろしささえ覚える。
先人達は、なにも好き好んで死んでいったのではない。国のためと信じて、死んでいったのだ。確かに、当時の政治に問題があったのであろう。そして、そのような政治を反強制的に信じなければならない環境にもあったのかもしれない。しかし、共通することは、皆日本の国を愛し、日本の国を守り、家族を守るためであると信じ、尊い命を落としていったということだ。経過や結果はどうあれ、そのことは事実である。そのような彼らの無垢な思いを踏みにじる権利は、誰にもない。それが正しかったのか、間違っていたのか、死んでいった彼らにはわからないし、知る由もないのだ。
我々は、結果を知っている。しかし、当時に生きていたわけではなく、伝え聞いたり、ものの本で読んで知るのみである。にもかかわらず、当時の状況を目の当たりにしたり、まるで死んでいった人々の心の内まで覗き見てきたような物言いをしたりして、国のために命を落とした人々を愚弄するべきでは絶対にない。
このようなことを言うと、大体「英霊」だのと戦死者を美化するような考え方をすること自体に問題がある、というようなことを言われる方々もいる。確かに、「英霊」という言葉は、死者を敬い、特に戦死者を敬う言葉かもしれない。しかし、そういう言葉がどうのこうのという問題ではないのではないか。日本の国を信じ、国のため、家族のために、尊い命を落とした人々を、尊敬の念をもって敬称することの何が悪いのだろうか? 戦争を美化しているのでもなんでもない。国のために、純粋な気持で命を落とした人々を敬う気持のどこが悪いのか? 今の日本の平和は、彼らの尊い命の犠牲の上に成り立っていることは間違いない。そのことは、誰も否定できない。彼らの犠牲があったからこそ、日本人は自分達の過ちを繰り返さないという強い信念を心の中に刻み込むことだってできているのではないか。
このようなことを言うと、靖国だから問題なのだ。靖国でなくても良いではないか、靖国神社の姿勢は昔も今も変わっていないではないか等々、攻撃される。確かに、靖国でなければならない、という決まりはない。しかし、まったく関係のない場所で手を合わせても意味はない、とは言わないが何か滑稽だ。死んでいった先人達は、靖国で再会できる、と信じて死んでいったのだ。死んで靖国で物理的に再会できるとは、誰も思っていなかったであろう。それでも、彼らは、唯一そのことだけを拠り所とし、恐怖の中でも国と家族を思いつつ命を落としていったのだ。その彼らの気持を踏みにじり、亡くなってからまでも、まるで彼らの死自体を否定するような、存在自体を否定するような言動が、他国民からだけでなく、自国民、日本人からあるということこそ、非常に悲しむべきことである。純粋な気持で身を捧げられた先人達に申し訳ない気持で一杯であるのは、私だけではないはずだ。彼らを死なせたことだけでも、申し訳なく思うのに、彼らに手を合わせることまでをも否定されるとは、この国に「人が人として生きる道」、というものはなくなってしまったのか、と非常に大きな憤りと不安を覚える。
国のために命を落とした人々に手を合わせることは、特別なことではなく人として当たり前のことではないか? そこには、靖国だから、何処だから、どうのうこうのという如何なる理屈も必要ない。敬い感謝する気持だけで、充分ではないか。感謝などという言葉を使うと、また、戦争を美化している、などと揚げ足をとる、くだらぬ輩がいるかもしれない。しかし、そんな次元の低いことではない。
人の命とは、この世で一番重く尊いものなのだ。理屈ではない。無心で手を合わせる、そこに理屈はいらない。故人に礼をつくすということは、万国共通当たり前のことである。中国人も、韓国人も、アメリカ人も、他の国々の人々も当たり前で行っている。何故、日本人だけが、先人に手を合わせることも許されぬというのか? それなら、前出したような国々の元首達が、自国の先人を戦没慰霊する時にも、同じように政教分離と抗議して頂きたい。まったく宗教色のない戦没慰霊碑などは、あまり聞いたことがない。
こんなことを言うと、歴史がどうだからこうだからと言う人々がいる。しかし、歴史認識こそ、双方向から見聞して語らなければならぬことである。どこの国でも、自国を美化するのは当然。そんな歴史観を鵜呑みにして、まるで自分の目で見てきたことのように、歴史について偏った意見を述べる人々が日本には何と多いことか。タイムマシーンにでも乗って、歴史のそれぞれの場面を見聞してこられたというのなら分かる。しかし、自分の目で見てもいないのに見たようなことを言われることには、大きな疑問を感じる。もっと、冷静に、公平な目で、机上論ではなく、ご自分達で汗を流し検証してから、モノを言って頂きたい。
私の嘗ての上司は、騎馬兵として満州から中国方面へ出兵していた。最終的には、ロシアの捕虜になりシベリアに5年以上抑留されていた。その上司が、よく戦争中の話をしてくれた。彼は盃を傾けながら、「戦争は惨いものだよ。誰も、戦争なんかやりたくもないし、いきたくもないよ。(中略)人と人というのは、生まれ育ちが違っても、心が触れあうこともあるし、狂気と化す時もあるということを知ったのも戦争だよ」と涙を流しながら語っていた。彼から聞いた印象的な話をいくつか参考までに、ここに書き記しておくこととする。
日本人も随分と酷いことをしたよ。でもね、全部が全部じゃないんだよ。そういう日本人もいたということだ。そういう輩はね、別に相手が中国人だから、朝鮮人だからということではないんだよ。日本人である自分達に対してだって、酷い仕打ちをしやがった。結局は、どこの国の人間だからどうってことじゃなくて、その人間の性質(たち)なんだよ。ただ間違いないことは、戦争ってやつは人間を狂わすってことだね。最初の頃は、人を殺めても涙を流していた。ところが、その内に、無造作に殺めることができるようになってしまう。恐ろしいことだよ。
正直、慰安所みたいなところはあったよ。行列してね。悪いことだとわかっていても、寂しい思いが一杯で夢中で抱きつく。女の方も寂しく絶望的だから、案外優しかったよ。優しくすりゃ、優しくしてくれる。中には、酷いことをするやつもいたよ。可哀想な女も沢山見た。そういうのも全部戦争なんだよ。
でもね、日本人ばかりがそうじゃないんだよ。戦争ではね、両方ともが狂うのさ。日本人も狂ったけど、中国人だって随分酷いことを日本人にしたんだよ。最後に捕まった時なんかはね、素っ裸で猿ぐつわされて皆正座だよ、それを殴る蹴るはまだ我慢した。だけど耐えられなかったのはね、そんな俺達の前で、無力な日本人の女子供を犯しやがることだね。見てられなかったよ。それも一人や二人じゃなくて、寄ってたかって死んじまうまで犯し続けるんだよ。わざと旦那の前で奥さんを犯しまくり、娘を犯しまくる。まだ、十二や十三の子供をだよ。救けることも何もできなくて、舌でも噛んで死にたかったよ。でも、猿ぐつわされててそれもできない。あれは地獄だったね。今でも、泣叫ぶ声が耳の奥に残っているよ。
それに比べリゃ、抑留時代は良かった。大変は大変だったけど、俺にとってはまだましだったね。絶望感でどうしようもなくて、精神的にまいって死んじまうやつも沢山いたけど、俺は上手くやってたよ。ロスケ(彼の言葉のまま。ロシア人を侮蔑する呼称のよう。しかし、彼の響きには、親しみも感じられた)は、中国人に比べると、ずっと人道的で親しみやすかったよ。ロスケの野郎、クソしても紙でふかないんだよ。それでも汚れないんだからまいっちまうよな。ロスケのクソは、ウサギのウンコのでかいやつみたいで、コロコロなんだよ。正露丸のでかくて色の薄いやつって感じだよ。寒いとこで、肉ばっか食ってるからなんだな。
それと、ヤツラ元気なんだよ。こっちが一生懸命畑で労働してるってのによ、離れたところでロスケの真っ白な女と年がら年中乳繰りあってんだよ。どうしようもなく寒いんだぜ。いや、まいったよ本当に。でもね、時々な、密かに家に呼んでくれて、肉を一杯食わせてくれたんだよ。案外、心が通じ合ってた。気の持ちようで、悲観的になってダメだって言いながら死んでいった日本人も沢山いたけどね。俺は、案外ロスケとは気が合ったよ。
全ての捕虜がこうであったのではなかろう。しかし、気の持ちよう、それとやはり相手の「人となり」によって、辛い思いをした日本人捕虜も、上記したように良い想い出を作った日本人捕虜もいたのであろう。ただ、帰国したい気持を忘れたことは、一瞬たりともなかった、とも言っていたことを付け加えておく。
このように、過去の出来事、歴史には必ず裏表がる。表裏一体で、本当の意味での歴史なのである。歴史的出来事においても、歴史の本や教科書にでてくる表の綺麗事の裏側には、裏方としてその歴史的事象を実現するために根回しをしていた裏方の歴史だって必ずあったはずだ。歴史は、絶対に一面からだけ見て判断してはいけない。色々な側面があり、色々な出来事が重なりあって歴史は成り立っている。決めつけの歴史観ほど恐ろしいものはない。偏った決めつけの歴史観をもっともらしく吹聴することほど大きな罪はない、と私は強く思う。