政財界倶楽部         (恩田将葉見聞録)

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中国は尖閣の領有権を放棄していた

中国は尖閣の領有権を放棄していた

「中国は尖閣の領有権を放棄していた」との西恭之氏(静岡県立大学特任助教)の国際法に基づく反論を、ニコラス・クリストフ氏(NYタイムズのコラムニスト)が掲載。以下、日本語訳:

中国は国際法的にも尖閣諸島を放棄している(静岡県立大学グローバル地域センター特任助教・西恭之)

 米国の著名なジャーナリスト、ニコラス・クリストフ氏は9月19日、自らのブログに台湾国立政治大学・邵漢儀氏の「釣魚・尖閣諸島の不都合な真実」と題する文章を掲載した。

 クリストフ氏は、ピュリッツアー賞を2回も受賞したニューヨーク・タイムズ紙のコラムニスト。「尖閣諸島は中国領」とするコラムを複数回、同紙に執筆した人物としても知られている。

 邵氏は、ブログに掲載された文章の中で、1895年以前、日本政府は尖閣諸島が中国領だと認識していた、と主張している。

 そのクリストフ氏がこのほど、邵氏の主張への国際法に基づく反論を公募したこともあり、筆者(西)は以下の趣旨で英文の反論を投稿した。



 邵氏は、ブログに掲載された文章の中で、1895年以前、日本政府は尖閣諸島が中国領だと認識していた、と主張している。

しかしながら、尖閣諸島を中国固有の領土だとする中国政府の主張は、1970年以前に行われた同政府の主張と矛盾している。

1970年以前、中国は米国統治下の琉球諸島の一部として尖閣諸島について、しかも『尖閣諸島』と表現する形で、琉球諸島住民による自己決定が行われるよう、米国に要求していた。要するに中国は、琉球諸島が日本に返還される場合には、尖閣諸島も日本に返還されるべきだとする、米国と日本の立場に同意していたことになる。

 禁反言の法理(エストッペルの法則とも呼ばれる)は、一方の自己の言動(または表示)により他方がその事実を信用し、その事実を前提として行動(地位、利害関係を変更)した他方に対し、それと矛盾した事実を主張することを禁ぜられる、という法である。すなわち、一方が事実であると主張したことについて、前言を翻すことによって利益を得ることを禁止しているのだ。

仮にこの先、中国の主張を国際司法裁判所に付託すると日中両国が合意した場合、同裁判所は「文明国が認めた法の一般原則」などの四つの基準を適用するか、または、両国の合意の下、例外的に「衡平及び善に基いて」裁判をすることになる(国際司法裁判所規程第38条)。

 これまで国際司法裁判所は、島をめぐる紛争などに関するいくつかの判例において、禁反言の一般原則を適用している。

 国際司法裁判所規程にある「文明国が認めた法の一般原則」は、過去に放棄した領土について「固有の領土」として回復を主張するという、今回の中国のような考え方を含まない。

 以上の前提に立つと、中国の主張を審理するうえで最も重要な証拠となるのは、中国が1970年以前の段階で、「尖閣諸島」を含む琉球諸島において、住民の自己決定は日本復帰も選択肢に含む形で行われるべきだと、主張していたことである。

 例えば琉球諸島の範囲だが、中国共産党中央委員会の機関紙『人民日報』は1953年1月8日、「米国の占領に反対する琉球群島人民の闘争」という記事の中で、「琉球群島はわが国の台湾東北部と日本の九州島西南部の間の海上にあり、尖閣諸島、先島諸島、大東諸島、沖縄諸島、大島諸島、トカラ諸島、大隅諸島、など七つの島嶼」と定義している。

そして、「自由、解放、平和を求める琉球人民の闘争は孤立したものではなく、独立、民主、平和を求める日本人民の闘争と切り離せない」などと、日本復帰を選択肢の一つとする住民の自己決定を要求している。

 この時期、中国は米国との間で朝鮮戦争を熾烈に戦っていたが、それにも関わらず、米国統治下の「尖閣諸島」について「中国領土として認めるべきだ」「中国に返還すべきだ」とする主張をしていなかったのである。

 筆者は、邵漢儀氏が取り上げた19世紀の文書の解釈も、明清代の文書の選択も、ここでは評価の対象とはしない。それらの文書は、1949年の中華人民共和国成立から1970年までに中国政府によって承認された国境をめぐる禁反言とは関係ないからである。

 百歩譲って、「1895年以前、日本政府は尖閣諸島が中国領だと認識していた」とする邵氏の解釈が正しいと仮定した場合でも、中国が1949年から1970年にかけて尖閣諸島の領有権を放棄したという歴史的事実は、動かし難いものだ。日本政府が国際社会に発信すべきは、この一点に尽きるだろう。
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by seizaikai_club | 2012-10-16 12:33 | 領土問題

尖閣諸島問題が俄かに緊張感を帯びる

尖閣諸島問題が俄かに緊張感を帯びる
20011年7月4日

今日の産経新聞に、「日本よ」という文章を石原慎太郎都知事が寄稿している。是非ご一読頂きたい。政治結社日本青年社より、小泉総理時代魚釣島灯台の権利が日本政府に移譲された際、移譲委員会メンバーの1人として多少お手伝いをさせて頂き、いくつかの尖閣諸島に関しての文章を当時月刊誌に掲載させて頂いたことがある。この問題に対しては、私自身思い入れがある。

石原氏も寄稿文のなかで記しているが、尖閣の歴史、現在に至る経緯は非常に複雑だ。だが、1つだけ明確なことがある。それは、この島は間違いなく日本の領土であるということだ。そのことは、読者の皆様がご自分で古文書を見聞されれば、疑う余地は全くないことを理解頂けるはずだ。特に、中国や台湾に残っている古文書には、彼ら自身が尖閣諸島を日本の領土と記している。中国や台湾が、尖閣諸島の領有権を主張しだしたのは、1970年代の国連による海底資源調査の結果を受けてのことである。その目的は、海底資源、この一点であることも明白だ。

にも関わらず、日本政府は、尖閣諸島の問題に関して何故か弱腰だ。一民間政治結社が、日本政府に代わり、台湾や中国よりの武装漁船群と対峙し、銃撃までされながら命懸けで魚釣島を死守した。そして、以来、彼らは魚釣島に自費で灯台を設置し、27年間もの長きに渡り日本政府が放置して守ろうとしなかった日本の領土を守ってきた。ところが、その日本青年社が、右翼団体ということのみを殊更に取り上げ見向きもせず、日本の領土を放棄しようとしていた。やっと、小泉総理時代、小泉政権が正式に、灯台の移譲を丁重に青年社に打診し、日本青年社側からの条件はただ1つ、「日本の領土尖閣諸島を、政府が責任を持って死守し、27年間自費で守り抜いた自分たちの行為を無駄にしない」ということであった。この約束のもと、灯台は速やかに日本政府に移譲され現在に至っている。その27年間に投じられた自費は莫大であるが、それらを請求することはせず、日本青年社はその権利を政府に移譲した。

ところが、政権が変わり、その隙に乗じて、中国や台湾は、またぞろ嘗てのように尖閣諸島を狙い理不尽な行為を繰り返しだした。にも関わらず、民主党政権下では、仙谷のような日本の政治家とは思えない輩が、領土を守るべく日々命懸けで働いている自衛隊を、「暴力装置」などと揶揄し、我々国民を驚かせた。領土問題は、国益の第一義である。そこを等閑りにしようとする政治家にも政権にも、この国を司る資格はない。

石原氏の寄稿文の中で、現在の魚釣島所有者が、中国より数十億で魚釣島の売却を打診されているとの噂を聞いた旨が書かれている。この噂は、私も耳にした。嘘だとしても、こういう噂が出ること自体、由々しき問題だ。地権者は、過去の経緯より、信用ならない日本政府には売却しない旨を一貫して言っている。だが、だからと言って、中国政府に売却すると私は思わない。ただ、1つだけ言えることは、時代が流れ、それぞれの立場や状況が変わり、
今、地権者は魚釣島を条件によっては売っても良いという気持ちになっているのではないか。もし、そうであるのならば、嫌われた日本政府ではなく、南西諸島内の島に帰属する町であるとか、鹿児島県などが、地方自治体として買い取るという形は有り得る可能性ではないか。私はそう思う。

買い取って、そこに自衛隊を誘致したり、資源開発をしたりすることは可能だ。また、アメリカは、返還前より、この辺りの海底資源を日本と共同開発したい旨を、当時の佐藤栄作政権に打診していたのだから、アメリカを巻き込み開発すれば、取り分は50%になるが、それ以上の防衛面でのメリットを得ることができる。アメリカ人が関わっての開発となれば、100%アメリカ軍の直接防衛範囲内に含まれることになる。そうなれば、今のように、台湾や中国は、尖閣諸島に関して主張できなくなる。何故なら、どんなに中国の軍事力が増強されたとはいっても、まだアメリカとのレベルの差は歴然で、手出しをすれば、自ら墓穴を掘ることになる。そのことを一番知っているのは、中国や台湾、彼ら自身だ。尖閣諸島に関して、日本の選択肢はまだ複数残されている。ただ、選択肢があっても、それを活用するか否かは、政治家に掛かっている。この問題、等閑りにすることなく、与野党超党派で前向きに取り組んで頂きたい。それが、我々国民の望むところだ。
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by seizaikai_club | 2011-07-04 11:27 | 領土問題

魚釣島に天然ガス採取基地を!!

魚釣島に天然ガス採取基地を!!
2010年10月6日

 一連の尖閣諸島問題を巡り、魚釣島をはじめとする尖閣諸島を守るために、
自衛隊の監視基地、もしくは海上保安庁の監視基地を設けるべきという声が多きくなりつつある。もっともだ。このような事件が発生する前に、監視基地を設けておくべきであった。実効支配されてしまえば、竹島と同じような運命を辿ることは間違いないのだから。領土を死守するのは、時の政府、内閣の役目であり、何より最優先にしなければならないことである。

 監視基地などと言わず、我が国固有の領土であるのだから、他国に干渉されることなく、魚釣島に天然ガス開発基地を設け、その上でその基地を守る意味で、自衛隊基地を設け常駐してもらえばよいのだ。もちろん、近海警護という意味で、海上保安庁の監視施設も同時に必要だろう。もちろん、こちらも常駐だ。そして、自衛のために、対艦、対空ミサイルを配備すればよいのだ。当然、中国は抗議してくるであろうが、日本国領土内で日本が何をしようと干渉されることはない。無視して、実行すればよい。感情論的に、よろしくないという意見もでるであろう。だが、感情論で日本国民の感情を逆なでしたのは、中国だ。国際法上も、自国領土内に自衛施設を設置することはまったく問題ないはずだ。海上で、どちらの国境線をもとに、天然ガスを掘り出そうなどという、ごまかしのきくことをせず、我が国固有領土ないで、実行すればよいのだ。勇気ある天然資源開発会社はないのか?
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by seizaikai_club | 2010-10-06 15:13 | 領土問題

魚釣島のヤギについての誤解

魚釣島のヤギについての誤解
2010年9月28日

 魚釣島にヤギが繁殖し、生態系を崩した責任は日本青年社にあるような心無い記事がネット上を横行している。「なぜヤギを持ち込んだ?」等の悪意に満ちた質問が、一方通行で多々掲載されている。当事者ではないが、非常に憤りを覚える。

 なぜなら、彼らがヤギを持ち込んだ理由は、27年前に自費で日本固有の領土を死守するべく建てた灯台の保守管理のために、社員が島に滞在するにあたって、万が一に備えての食糧確保が目的でヤギを連れ込んだのだ。台風等が通過する位置にあり海が荒れることも多く、石垣島まで戻れない事態になった際、食いつなぐために肉も乳も食用になるヤギを持ち込んだのだ。ところが、予想外にヤギの繁殖力は旺盛で、瞬く間に番い2頭だったヤギは100頭以上に増えてしまったのだ。

 だが、考えてほしい。領土を守るためにやったことが、この時期にこんなことで批判される様をみていて、私はこの国の現状を非常に憂う。命がけで領土を守ろうとした人間が、英雄扱いされるのではなく非難されるのだ。今そんなことを吹聴すれば、中国の思うつぼではないか。そういう批判をネット上で繰り広げる輩こそ、売国奴と呼びたい。本当に、そういう人間の感性を疑う。信じられない。
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by seizaikai_club | 2010-09-28 16:36 | 領土問題

尖閣諸島の歴史  第五話

尖閣諸島の歴史   第五話
2010年9月17日

 このような状況を踏まえて上で、尖閣諸島問題をより深く理解するために、その歴史を少し紐解いてみよう。

 尖閣諸島は、古くから琉球民族に知られており、大正島(国有地)は久米島から近いことから、19世紀合半あたりから久米赤島と呼ばれるようになっていた。

 尖閣諸島の名称は、西欧諸国が通商の目的で来覇した軍艦が作成した海図や水路誌の中にも記述されている。が、しかし、我が国が1895年(明治28年)に領土編入措置の閣議決定を行うまで、いずれの国の領有にも属さない地域として、国際法上無主地であった。明治維新後の1872年(明治5年)に琉球王国は琉球藩となり、1874年(明治7年)に内務省の直轄となり、1879年(明治12年)に琉球藩が廃止となって沖縄県となった。同年3月に発刊された「大日本全図」(松井忠兵衛編)は私人が作成し、内務省の版権免許を得て観光されたものであるが、この地図には、「琉球諸島」の中で「尖閣列島」として記載されている。

 1884年(明治17年)には福岡県八女郡山田村出身の古賀辰四郎氏が絶海の無人島に調査団を派遣し、その後には、漁業、べっ甲の捕獲、貝類、アホウドリの羽毛の採取を行っていた事実がある。1884年(明治18年)9月22日、沖縄県知事は、出雲丸による実態調査を行うにあたって、尖閣諸島に国標を建立すべく内務省に上申書を提出したところ、内務省は「沖縄県が実態調査の上、国標を建立することは差し支えない」という見解を示した。つまり、尖閣諸島は、どこの国からも領土権を主張されておらず、いまだ無主地である内務卿も考えていたのであった。

 日本政府は、1885年(明治18年)以来、沖縄県当局を通じるなどして、尖閣諸島の実地調査を行い、「この諸島が清国に所属する証拠がない」と判断した後、1895年(明治28年)占有論によって日本の領土として閣議決定した。

 1884年(明治17年)に、尖閣諸島に調査団を派遣した古賀辰四郎氏は、翌1885年(明治18年)から二度にわたって、魚釣島など四島の「借用願」を政府に申請していた。10年間を経過した1895年(明治28年)に、政府が尖閣諸島の領土編入措置を決定したことから、翌1896年(明治29年)9月に、ようやく同諸島(国有地)のうち四島を、30年間無料貸与される許可を受けることが叶った。

 尖閣諸島の借用許可を受けた古賀氏は、翌1897年(明治30年)から、大規模な資金力により、大阪商船須磨丸を諸島に寄港させ、開拓に着手した。1902年(明治42年)には、これらの功により、古賀辰四郎氏に勲章「藍綬褒章」が授与された。その後、島の開拓は、古賀辰四郎氏の子息である古賀善次氏に継承され、全盛期には、200人を超す人たちが魚釣島に居住して産業開発に努めた。

 1926年(大正15年)、30年間の無料貸与期間が満了になったことにともない、以後1年契約の有料貸与に改め、1932年(昭和7年)3月31日、日本政府は、古賀氏に、尖閣諸島の中の四島を有料で払い下げた。しかし、古賀氏の事業も第二次世界大戦直前には、船舶燃料が配給制となったため、渡島ができなくなったことから廃止となり、今日を迎えた。

 そのような状況下、1978年(昭和53年)に、武装した中国漁船団が、尖閣諸島の領海を侵犯し、海上保安庁の巡視船「やえやま」を威嚇するという事件が起こった。この事件を契機に、弱腰な姿勢を続ける日本政府に業を煮やした日本青年社という政治結社が、自費にて日本の領土を守るべく立ちあがった。そして、同年8月11日午後3時15分、5名の日本青年社勇士が、尖閣諸島魚釣島に上陸し灯台を建立した。翌8月13日、日中平和友好条約調印の日に、初めて灯台に「尖閣の灯」すなわち「日本の灯火」が点灯された。この時、建設した灯台の光達距離は、20キロメートルであった。以来27年間、一度も休むことなく、灯台の保守・点検を日本政府に代わって日本青年社が自費で続けた。そして、2005年(平成17年)、小泉政権下、魚釣島の灯台は、日本青年社から日本政府へと移譲された。その際、日本青年社から出された移譲の条件は唯一つ、日本政府が責任を持って日本の領土である尖閣諸島を死守するということであった。

※この記事は、私自身の執筆により、2005年3月号「月刊政財界」に掲載されたものを、一部新たに加筆修正したものである。
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by seizaikai_club | 2010-09-17 21:23 | 領土問題

台湾も中国も日本の領土と認めていた  第二話

台湾も中国も日本の領土と認めていた   第二話
2010年9月17日

 もともと、台湾も、中国も、尖閣諸島に興味はなかった。いや、興味がないというよりも、尖閣諸島を日本の領土として認めていた。1965年(昭和40年)10月に、中華民国国防研究所が発行した「中華民国地図集」や、中国地学研究所が出版した「世界地図集、第一冊、東亜地図」等にも、尖閣諸島は日本領土として記載されており、台湾や中国の領土とはなっていない。1970年(昭和45年)1月に発行された中国政府の「国民中学地理教科書」には、「尖閣諸島」と日本語で記載し、琉球列島の先島諸島、すなわち宮古、八重山群島の中に含めている。台湾も中国も、尖閣諸島は日本の領土である、と認めていた証拠だ。結局、彼らには、何もない無人島である尖閣諸島に、興味がなかったということだ。

※この記事は、私自身の執筆により、2005年3月号「月刊政財界」に掲載されたものを、一部新たに加筆修正したものである。
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by seizaikai_club | 2010-09-17 20:48 | 領土問題

領土問題は国の要  第一話

領土問題は国の要  第一話
2010年9月17日

 皆さんは、尖閣諸島や魚釣島という名称を耳にしたことがあるだろうか? 多分、政治に興味のある方なら、一度は耳にした名称であると思う。しかし、政治にも歴史にも、あまり興味のない方々にとっては、あまり耳慣れない地名なのかもしれない。

 日本は、現在、3つの国際的な領土紛争地域を抱えている。北方領土問題、竹島問題、そして、この尖閣諸島領有問題である。

 皆さんの誰もが知っているのは、北方領土問題であろう。北方領土問題とは、北海道の北の北方四島といわれる、元々は日本の領土であった択捉島、国後島、歯舞島、色丹島という四島の領有権を巡り、戦後かつてのソ連、現ロシアとの間で争っている問題である。ロシアに占領されているので「元々は」と言ったが、今でもまぎれもない日本の領土である。よく街角で、民族派の団体が街宣車で「北方四島を返還せよ」と訴えている、あの問題である。これらの問題は、日本の国にとって、実は非常に大切な領土問題なのである。

 例えば、当事者であるその島々の出身者たちにしてみれば、自分が生まれ育った島を、他国に占領されてしまい、自分の故郷に帰ることさえも、先祖の墓参りさえもままならないという、悲しい現実があるのだ。しかし、多くの日本人は、領土問題がそんなに深刻なことであるという認識がない。それは、多くの国民にとって、領土問題は、あまり身近な問題ではない他人事だと、間違った認識を持っているからである。そこに大きな問題がある。それは、アメリカ主導による戦後教育に大きな原因があった。本来、教育の場で、自国の領土に関して指導しなければならないのは当然である。しかし、実際には、そのような教育は戦後なされていない。というか、あえて領土問題は避けて通られてしまった。だが、漁業の問題にしても、防衛の問題にしても、全てはこの領土問題が基本であり、原点なのである。どこまでが、日本の領土であるかによって、国益に大いに関わる問題なのだ。

 尖閣諸島も、北方領土の問題と同じく、大切な領土問題である。やはり、その領有権を巡って、台湾、中国と、大きな摩擦が生じ続けている。

 尖閣諸島とは、東シナ海に浮かぶ5つの島すなわち、魚釣島、北小島、南小島、久場島、大正島と、3つの岩礁、飛瀬、沖の北岩、沖の南岩によって形成されている。ここで、まず明確にしておかなければならないことがある。それは、大正島は、国有地だが、他の四島は、日本人が地権者となっている民有地であるということだ。さらに、魚釣島から26キロ離れた久場島は、アメリカ軍の射撃場として地権者との間に賃貸契約が結ばれており、毎年賃貸料が地権者に支払われている。

 また、詳しいことは後述するが、1932年(昭和7年)5月20日に、内務大臣より正式に、尖閣諸島の最初の開拓者である古賀辰四郎氏の子供である善次氏に、久場島と北小島が払い下げられた。それ以降、法務局の土地台帳には、尖閣諸島の島々について、沖縄県石垣市登野城2390番地から2394番地と記載されており、その状態で今日に至っている。

 しかし、1970年(昭和45年)を境に、台湾も中国も、尖閣諸島は自分たちの領土であると主張しだした。それには、ある大きな利害が絡んだ理由がある。

 前述したような歴史的事実を検証してみれば、尖閣諸島が日本の領土であることは明白である。そのことに異論を唱える台湾や中国の主張自体が、利害に根ざしたご都合主義であるが、そのような欲に駆られた台湾や中国の主張を認めないまでも、黙認してきた日本政府の今までの姿勢にも、大きな疑問を感じざるを得ない。

※この記事は、私自身の執筆により、2005年3月号「月刊政財界」に掲載されたものを、一部新たに加筆修正したものである。
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by seizaikai_club | 2010-09-17 20:40 | 領土問題

「政治をもっと身近に」をスローガンにして、日本人にもっと「愛国心」を喚起すべく語る。
by seizaikai_club
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政財界倶楽部代表  恩田将葉
 「政治をもっと身近に」をスローガンに、一人でも多くの日本国民が政治に関心を持ち、参加してくれるよう、執筆活動、出版活動等を通じ「愛国心」啓蒙活動をしている。国際化が進む世界の中で、日本の政治も若者の手で変革しなければならない!!

 政財界倶楽部代表恩田将葉は、 アメリカ合衆国カリフォルニア州で約9年間生活。その間、サン・フランシスコ州立大学(San Francisco State University, SFSU)国際関係学部で国際関係学と政治を学び、朝鮮半島問題専攻で卒業。その後、暫くアメリカで現地法人の会社(People Intertrade, Inc.)を経営した後帰国。帰国後は、記者と編集者を経て出版社である株式会社ぴいぷる社と株式会社政財界出版社、そして、夕刊紙「内外タイムス」を発行する株式会社内外タイムス社の社長に就任。活字業界一筋に生きてきた。現在は、経営から一歩引き、国際情勢ならびに政治を中心に、ジャンルを問わず執筆活動を継続中。プロの文士として、随筆、小説、脚本等あらゆる分野で執筆活動を展開し、文章を綴ることを天職としている。そのかたわら、日本に、嘗てのごとく「愛国人」を増やすべく、「政治をもっと身近に」をスローガンに、自ら「政財界倶楽部」を運営している。

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