政財界倶楽部         (恩田将葉見聞録)

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出会いと別れ、そして、人間には愛

出会いと別れ、そして、人間には愛
2011年6月21日

思い起こしてみると、たった51年の人生だが、多くの出会いと別れがあった。どの出会いも、どの別れも、深く印象に残り、私の人生の彩となっている。中でも、最も大きな出会いは、両親との出会いであろう。そして、最も悲しむべき別離は、亡父との死別である。生前は、ぶつかり合うことも多かった。だが、亡くなってみると、その大きさに気付かされ、日に日に亡父への思いは募る。そうしながら、私自身、「男とは」ということを学んできたような気がする。

次に大きな出会いと別れは、アメリカ時代の日系二世Kiyoshi Mizuno(水野清)との出会いと死別だ。渡米して直ぐ、私たちは出会った。私が通った最初の大学の留学生担当者が、偶然ベシー・ホリタという日系二世であった。皆から怖がられている女性であった。両親のお陰で礼儀作法を厳格に育てられた私は、礼儀正くしくベシーにも接していた。そのお陰で、皆が怖がるベシーさんは、私のことを非常に気に入ってくれ、色々面倒うを見てくれた。キヨシを紹介してくれたのもこのベシーであった。彼女の口癖は、「日本からの留学生は、日本人の礼儀正しい良いところを忘れている」ということであった。確かに、納得できる言葉である。アメリカに憧れ、渡米している日本人留学生の多くが、ある意味勘違いしているところがあった。日本人でありながら、アメリカ人振っているとでも言うのか。そんなところが、ベシーさんたち日系二世の鼻についていたのかもしれない。だが、彼らは、そんな日本からの来た日本人のことも助けてくれた。日本人同士が足の引っ張りあいばかりしていたが、日系人たちは、そんな了見の狭いことは決してしない。どんな状況かでも、日本人を助けてくれた。ある意味、日系人の方々は、渡米された当時のままで時間が止まり、日本人が本来持っていたが忘却してしまっている仁義忠孝礼の精神を、大切に守り継承している。

キヨシのことは、「ビック・ブラザー」と呼んで、兄弟のようにしていた。彼は、加州住友バンクの最後はバイス・プレジデントまでになった。歳は、私の母と同い年だった。だが、気が合って兄弟のようにしていた。何故なら、彼は彼の死の二年前に亡くなられたお母様を守り、ずっと独身を続けていたからだ。元々はシアトルの出身で、兄弟はシアトルのボーイング社で飛行機のエンジニアをしていた。他の兄弟姉妹は、ロスにいたようだ。そんな訳で、歳は離れていたが、彼は未だ青春の真っ只中で、私と気が合ったというわけだ。しかし、思い返してみると、彼はそういう風に振る舞い、私に気を遣わせないようにして、私の面倒を見てくれていたのだなと今は思っている。

彼は、日系人二世。彼の親は、名古屋からシアトルに移民したそうだ。そんな訳で、名古屋に今でもお母様のご兄弟姉妹がおり、2~3年に一度、お母様を伴って里帰りされていた。勿論、彼は戦争中マンザナ・キャンプ(日系人収容所)にいた。そして、親兄弟を守るために、忠誠書にサインをし、志願して軍隊に入った。終戦と同時に、通訳として日本に赴任していたと言っていた。キャンプのことや、戦争中のことに関しては、口が重かったのだが、私にはポロポロと色々話してくれた。貧しく、辛く、ひもじい時を過ごしていたようで、一緒にメキシカン料理を食べに行くと、いつもその頃のことを話してくれた。白いご飯なんか食べられず、藁のようなタマリが主食だったという話から、キャンプでの話をよくしてくれた。

彼らの中には、日系人の信頼をアメリカ社会の中でも確立しなければという意識が強かったようで、その気持ちが日系人442部隊を最強で最も信頼できる部隊にまで押し上げたようだ。そんな彼らの強い思いと、背水の陣で、「Go for broke」を合言葉に、ヨーロッパ戦線で窮地に陥ったテキサス連隊救出作戦を成功させ、アメリカ社会での信用を勝ち取った。勝ち取ったとは言っても、全てのアメリカ人が彼ら日系人を認めていた訳ではなく、差別は続いていた。だが、彼らは、差別を差別として口にだすことはなく、兎に角、直向きに、一生懸命汗水を流し、信用を一つ一つ積み上げていた。本当に頭の下がる思いで一杯だ。私の人生の中で、亡父とMr. Mizunoは、最も尊敬に値する存在である。このことは、永遠に変わらないだろう。キヨシは、私に、特別なことをするのではなく、一生懸命、地に足を付け、一歩一歩歩みを進めることの大切さを身をもって教えてくれた。感謝しても、しきれない思いで一杯だ。そんなキヨシは、私の家族と一緒にクリスマスを過ごした直後、自宅でひっそりと息を引き取っていた。正月明けから、人工透析が始まることになっていた。ところが、間に合わなかったのだ。生牡蠣を勧めたのが、悪かったのではと今でも後悔している。

次に大きな別れは、やはり妻との離婚であろう。子供たちのことを考えると、この罪の重さからは、一緒に死ぬまで逃れることはできないと思っている。勿論、子供たちは素直に育ってくれており、そのことで私を責めるようなことはない。だが、私の中では、この罪は非常に大きいと思っている。子供たちへ対しても、別れた妻に対しても、理由はどうあれ、男の私が全てを受け止めるべきであったと、今は深く反省いしている。結局は、男として私自身が青かったということだ。

順序は付けられないが、三番目に今回別離した、10年付き合った韓国人ガールフレンドとの別れが上がる。今回の震災や儒教の問題などが複雑に絡まり、私の思いだけではどうにもならない。しかも、今は日本にいない。遠いオーストラリアでは、どうにもしようがない。昔なら、オーストラリアだろうがどこだろうが、飛んでいったであろうが、今そこまでの力も気力もない。結局は、双方の愛が足りなかったのであろう。まあ、このことは、まだ湯気がでている状態なので、この場で語ることは控える。

次は、母方の叔母との死別だ。この叔母は、キヨシと同じく祖母を最期まで結婚せず守ってくれた叔母だ。だが、何があったかは知らないが、母たち姉妹はこの叔母が亡くなるまで縁を切っていた。最期は餓死のような状態で亡くなったらしい。心が痛む。何もできなかった私の罪は、これまた一生拭えないであろう。子供の頃、一番仲良くしていた叔母だけに、心が非常に痛む。例え何があろうとも、血を分けた姉妹ではないか。私には理解できない。亡父は、密かにこの叔母の面倒をみていたようだ。だが、亡父が亡くなり、叔母は兵糧攻めにあったような状態で旅立った。本当に申し訳ない。

まだまだ多くの出会いと別れがある。だが、若くして癌に倒れた、アメリカ時代の友人、日系三世のボブとの死別が次に入るであろう。ある日突然、私よりも若いボブから「もうこれが最後になると思う」と電話が入った。若かったので大腸癌から全身への転移も早く、どうしようもない状態だと彼は打ち明けた。まだ、子供が小さかった。だが、彼は言った。「手術を何回かしたが、もう楽になりたい。次の手術は拒絶する。だから、これが最期のお別れだ」と。彼は、ロックンローラーであった。葬式でも、大好きなローリングストンーンズが流されていた。随分と働きかけたが、彼と一番仲が良かった友2人は、葬式に来なかった。無理矢理にでも連れてくるべきであった。悔いが残る。

いくつかの出会いと別れを、ここに記載したが、結局のところ、「人間には愛」これしかないという結論に、私なりに至った。まだまだ、多くの出会いと別れが、今後も私の人生で続くのであろう。だが、これが人間の宿命なのかもしれない。そんな風に思う、今日この頃である。
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by seizaikai_club | 2011-06-21 15:37 | 今日の独り言

「政治をもっと身近に」をスローガンにして、日本人にもっと「愛国心」を喚起すべく語る。
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政財界倶楽部代表  恩田将葉
 「政治をもっと身近に」をスローガンに、一人でも多くの日本国民が政治に関心を持ち、参加してくれるよう、執筆活動、出版活動等を通じ「愛国心」啓蒙活動をしている。国際化が進む世界の中で、日本の政治も若者の手で変革しなければならない!!

 政財界倶楽部代表恩田将葉は、 アメリカ合衆国カリフォルニア州で約9年間生活。その間、サン・フランシスコ州立大学(San Francisco State University, SFSU)国際関係学部で国際関係学と政治を学び、朝鮮半島問題専攻で卒業。その後、暫くアメリカで現地法人の会社(People Intertrade, Inc.)を経営した後帰国。帰国後は、記者と編集者を経て出版社である株式会社ぴいぷる社と株式会社政財界出版社、そして、夕刊紙「内外タイムス」を発行する株式会社内外タイムス社の社長に就任。活字業界一筋に生きてきた。現在は、経営から一歩引き、国際情勢ならびに政治を中心に、ジャンルを問わず執筆活動を継続中。プロの文士として、随筆、小説、脚本等あらゆる分野で執筆活動を展開し、文章を綴ることを天職としている。そのかたわら、日本に、嘗てのごとく「愛国人」を増やすべく、「政治をもっと身近に」をスローガンに、自ら「政財界倶楽部」を運営している。

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