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チベット問題の経緯(4)「ダライ・ラマVSパンチェン・ラマ、そして、中国の狙い」

チベット問題の経緯(4)「ダライ・ラマVSパンチェン・ラマ、そして、中国の狙い」
2008年5月26日

 チベットが1949年中国人民解放軍に侵攻されて以来、当事者達による多種多様な思惑が渦巻き今日に至っている。その解釈の仕方も、十人十色様々だ。そのような複雑な状況下、チベット問題を理解するにあって、知っておかなければならないことがある。それは、ダライ・ラマとパンチェン・ラマの存在だ。ダライ・ラマに関しては、当代である第14世ダライ・ラマ法王がノーベル平和賞などを受賞したこともあり、世界的な知名度も高い。しかし、パンチェン・ラマに関しては、ダライ・ラマに比較すると一般的知名度は低いのが現状だ。だが、パンチェン・ラマの存在を知らなければ、チベット問題を完全に理解することはできない。何故なら、中国政府によるチベット政策にとって、このパンチェン・ラマがキー・パーソンであるからだ。よって、まずダライ・ラマとパンチェン・ラマに関して理解する必要があるのだ。

 チベットでは、ダライ・ラマ3世の頃よりずっと「ダライ・ラマ制度」が継承されている。その背景には、チベット仏教の中核をなす「輪廻転生制度」がある。チベット仏教の教えでは、全ての生きとし生けるものが輪廻転生する、と考えられている。輪廻転生とは、一時的に肉体は滅びても魂は滅びることなく永遠に継続する、という教えだ。チベット民族は、この教えを忠実に守り続けている。それが、「ダライ・ラマ制度」である。

 「ダライ・ラマ制度」は、世襲制ではない。だからといって、選挙で選ばれるわけでもない。先代の没後、次の生まれ変わりである転生霊童を探す「輪廻転生制度」である。新たに選任されたダライ・ラマは、先代が用いたすべての地位や財産を所有する事ができる。ただ、そのことが、多くの不幸を生んできたことも事実だ。何故ならば、ダライ・ラマ制度下では、どうしても新しいダライ・ラマが成人するまでの20年間が権力の空白期間になってしまう。その間、大寺院や大僧院の管長などが院政をしくことになる。そうすることによって、彼らは権力と富を得ることができる。そのことは、チベットに多くの悲劇を生んできた。9世紀から12世紀にかけて存在した全てのダライ・ラマは、成人する前に暗殺されてしまった。院政をしいている大僧正達の私利私欲の犠牲になったのだ。

 そのような状況下、ダライ・ラマ13世は、綱紀粛正により貴族や僧侶達の不正を一掃した。その13世とチベットを統一した5世のダライ・ラマを、チベットの人々は、「偉大なる」という修飾語をつけて未だに賞賛している。その第13世ダライ・ラマの教えを継承する形で当代である第14世ダライ・ラマ法王は誕生した。その後、1913年からの30年間は、第13世ダライ・ラマの綱紀粛正の甲斐があって、名実ともにチベットは独立国家として諸外国からも認められる存在となった。だが、1949年中国人民解放軍が武力侵攻してきたことで、チベットの平和は一夜にして崩れ去った。そして、紆余曲折の10年間を経て、1959年中国人民解放軍は遂に首都ラサへ武力侵攻してきた。その人民解放軍によるラサ侵攻を契機に、チベット人達の堪忍袋の緒は切れた。3月10日、遂にチベット人によるチベット民族蜂起が起こってしまったのだ。皮肉にも、この蜂起はある意味中国にとっては都合のよいこととなった。武力侵攻するための大義名分ができたのだ。同時に、中国の言いなりにならない第14世ダライ・ラマ法王を排除できる可能性ができたからだ。そのような状況下、中国側のそのような強かな思惑を読み切れなかった多くのチベット人達は、第14世ダライ・ラマ法王をインドへ亡命させる後押しをした。だが、この時、必ずしも全てのチベット人が、ダライ・ラマの亡命を、諸手を挙げて喜んだわけではなかったチベット人の中には、自分達を見捨てて自分だけ命拾いしたという風に第14世ダライ・ラマを非難する者もいた。そのような残留チベット人達のトップに立ったのが、パンチェン・ラマ10世であった。

 パンチェン・ラマとは、ダライ・ラマがチベット仏教ゲルク派のトップであるのに対し、ゲルク派のナンバー2という存在である。ただ、ダライ・ラマが宗教にとどまらず政治に対しても権力的地位があるのとは違い、パンチェン・ラマはあくまで宗教的な部分でのナンバー2である。したがって、政治的には何の権限も持たない。ただ、パンチェン・ラマには、次期ダライ・ラマの生まれ変わり転生霊童を認定する権限がある。逆に、ダライ・ラマにはパンチェン・ラマの生まれ変わり転生霊童を認定する権限がある。このことは、チベット問題を理解する上での大きなポイントとなる。

 輪廻転生とはいっても、ダライ・ラマもパンチェン・ラマも人間である。この世にあれば、煩悩に翻弄されることもある。中国人民解放軍が侵攻してきたことを契機に、それぞれの煩悩が交差したともいえる。第14世ダライ・ラマは、理由はどうあれチベットを後にしてインドに亡命してしまった。逆に、第10世パンチェン・ラマは、多くのチベット人達と共にチベットに留まった。このことが、ダライ・ラマとパンチェン・ラマの運命を大きく分け隔てた。このようなダライ・ラマとパンチェン・ラマの立場の違いを、中国政府は上手に利用しようとした。第10世パンチェン・ラマに対しては、政治的地位をチラつかせた。民を捨てて国を後にしたダライ・ラマに代わって、パンチェン・ラマを中国の思い通りになる指導者に仕立て上げようと画策したのだ。ところが、最終的にはその作戦は失敗した。中国政府に都合よく踊らされていることに気付いた第10世パンチェン・ラマは、1962年6月、中国政府による過酷なチベット政策や措置の歴史的証人となる70000語以上の請願書を提出した。ところが、この言動が、中国政府の神経を逆なでしてしまった。その結果、同年10月には、チベット工作委員会で、第10世パンチェン・ラマは自己批判を強いられた。その様子は、国営放送を通じ一般民衆の前に晒された。しかし、彼は頑なに自己批判を拒否し続けた。当然のことながら、第10世パンチェン・ラマの身柄は拘束され、自宅軟禁されてしまった。その後、第10世パンチェン・ラマは、投獄され、9年8ヶ月間にも及ぶ隔離監禁生活を強いられた。しかし、第10世パンチェン・ラマは、下獄後も反中の態度を改めず、チベット民族の権利を守るべく闘い続けた。だが、1989年1月28日、遂に力尽き果て、タシルンポ僧院で逝去した。第10世パンチェン・ラマの反骨精神は、最期の時まで衰えることはなかったという。急逝数日前に彼は、「中国支配下のチベットの『発展』など、チベット人が被った多大な破壊や苦難に比べると、物の数ではない」という言葉を残した。皮肉なことに、この年の6月天安門事件が起こり、10月には第14世ダライ・ラマ法王が、ノーベル平和賞を受賞した。だが、中国に残っているチベット民族の中には、第10世パンチェン・ラマを根強く支持する人々が今でも残っている。確かに第14世ダライ・ラマ法王が亡命直後、第10世パンチェン・ラマは、権力の魅力に目が眩んだ時期があったのかもしれない。しかし、中国政府の陰謀に気付き目を覚ました。それからは、中国国内に留まり、一貫してチベット民族の権利を守ろうとし続けた。その姿勢は、評価に値する。

 というのも、確かに、パンチェン・ラマには、政治力が与えられていなかったが、ダライ・ラマが亡命してしまった後、チベットに留まり民族の尊厳を、身体を張って守り続けた言動は、チベット民族にとっては非常に現実的であった。本来政治的権力も与えられていたにも関わらず、全てを放棄しチベット民族をも置き去りにして亡命してしまった第14世ダライ・ラマ法王に対し、不満や不信感を抱いたチベット人がいてもおかしくない。寧ろ、自然だ。いくら、亡命した先のインドで亡命政府を設立して活動しても、そのことはチベットに残ったチベット人達に直接的には反映されない。亡命後、ダライ・ラマは手の届かない天井人というイメージがより強くなり、カリスマ性ばかりの印象がより強くなった。特に、第10世パンチェン・ラマが逝去した直後にノーベル平和賞を受賞して以後は、特にそのような色合いが強まったように思われる。どちらかというと、現実味のない理想という迷路の中を彷徨っているようにさえ思えてしまう。多分、そのことは、誰よりも第14世ダライ・ラマ法王が自覚しているのであろう。だから、「独立」「分離」ではない、中道的なアプローチを続けているに違いない。

 そのような状況下、第14世ダライ・ラマ法王は、1995年に、ゲドゥン・チューキ・ニマ少年を転生霊童として第11世パンチェン・ラマに公認した。何故なら、先にも述べたように、ダライ・ラマには、次のパンチェン・ラマとなる転生霊童を探し出し任命する権限と役目がある。また、パンチェン・ラマには、次のダライ・ラマを任命する権限と役目がある。このことが、非常に大きな意味をもっている。そしてこのような状況下、任命された転生霊童は、タシルンポ寺で養育され、適切な宗教教育を受ける慣習となっている。

 第14世ダライ・ラマ法王が、ゲドゥン・チューキ・ニマ少年を転生霊童として第11世パンチェン・ラマに公認した直後の1995年5月14日、彼と両親は、中国の警察によって拘束拉致されてしまった。未だに彼らの行方は定かでない。その後、中国政府は、第14世ダライ・ラマ法王が任命した第11世パンチェン・ラマを認めず、独自に第11世パンチェン・ラマを認定した。よって、現在、事実上、2人の第11世パンチェン・ラマが存在することになっている。第14世ダライ・ラマが認定したゲドゥン・チューキ・ニマは、実質行方知れずだが。このことは、非常に大きな意味を持つ。そして、ここに中国の陰謀の秘密が隠されている。

 第14世ダライ・ラマ法王は、元気だがもう老齢である。万が一、彼の身に何かあれば、次のダライ・ラマとなる転生霊童を認定するのは、第11世パンチェン・ラマとなる。ということは、中国政府の言いなりになる第11世パンチェン・ラマを誕生させておけば、その先に、第15世ダライ・ラマを中国政府の言いなりになる転生霊童で認定することも可能になる。そうなれば、中国の思い通りに事が運ぶ。その中国の言いなりになる第15世ダライ・ラマに「中国主権」を認めさせれば、名実ともにチベットは中国のものになる。国際社会からもとやかく言われる理由もなくなる。これが、中国政府が描いている邪なシナリオだ。このことを肌で感じるチベット人達は、「第14世ダライ・ラマ法王が遷化すれば、カオス(混沌)が訪れる」と密かに恐れ戦いている。中国の狙いは、そこにあるのだ。
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by seizaikai_club | 2008-05-26 14:00 | 国際情勢

チベット問題の経緯(3)「天然資源の宝庫チベットの魅力」

チベット問題の経緯(3)「天然資源の宝庫チベットの魅力」
2008年5月23日

 何故、中国は隣国チベットを侵略したのか? 何故、嘗て、イギリスもチベットに興味を持ったのか? そして、何故、アメリカは、チベット民族解放運動を水面下で支援するのか?

 これらの疑問に対する答えは簡単である。それは、チベットが、天然資源の宝庫だからだ。特に、ウランの埋蔵量は世界1位といわれるほどに豊富である。それ以外にも、リチウム、クロム鉄鉱、銅、ホウ砂、鉄なども世界有数の埋蔵量を誇っている。また、石油も例外ではない。アムド油田では、年間100万トンの原油が産出されている。そのことは、今回の四川大地震でも証明された。チベット自治区を中心に、核施設やウランの採掘施設が多々あり、それらの施設も被害を受けたからだ。しかし、そのことは、国家秘密であり、日本をはじめとする海外からの災害援助隊の目に触れさせたくないことである。そのような事情もあり、海外からの災害援助隊受け入れに中国政府は時間を要したのだ。

 ここ数日、多くの核廃棄物が震災を受けた瓦礫の山の下敷きになっている、と日本のメディアも報道している。あれは事実だ。アムドの中国西北核兵器研究所(第9研究所)が、チベット高原に不明瞭な放射性廃棄物を捨てていることは、海外のメディアや関連団体が、以前から問題視していることだ。中国政府は、ウランを、チベット内アムドのアパにあるウラン鉱近くで精製している。そのことは、付近の住民であるチベット人達の多くが、放射能に汚染された水を飲んで死亡していることでもわかる。また、奇形の乳児や子供達、そして、動物が生まれ育っていることを見てみても一目瞭然である。

 ウランが採れるから、核開発をする。善悪やモラル的なことは別にして、このことは、中国でなくとも、国家であれば国家戦略として考えることだ。ただ、それを軍事目的で使用するのか、平和目的で利用するのかは、その国の指導者の精神性や思想によって左右されることである。そのことは、北朝鮮の核開発問題を見ればよく理解できる。何故なら、規模は違うが、やはりウラン鉱がある北朝鮮の場合も状況が酷似しているからだ。

 問題は、国民の犠牲を払ってまでも、ウランの精製をするべきではないということだ。国民の命を脅かしてまでも、核開発をするべきではない。そのことは、国以前に人としての意識に関わる問題だ。形は違っても、人の命を粗末にするような研究開発であるならば、それは嘗てナチスによって行われたホロコーストに等しい。人の尊厳を守ることは、最低限のルールである。そして、国民を守ることは、国家の最大の役目である。中国が、そのことを等閑にして、多くのチベット人達を傷付けていることは、隠し様のない事実だ。チベット問題を凝視すれば、一目瞭然である。
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by seizaikai_club | 2008-05-24 11:47 | 国際情勢

チベット問題の経緯(2)「1959年末時点での独立国チベット」

チベット問題の経緯(2)「1959年末時点での独立国チベット」
2008年5月23日

 まず、誰もが理解しなければならない事実がある。それは、初めて中国人民解放軍が侵略してきた1949年末当時、チベットは国際法上も独立国であったということだ。

 国際法律家委員会の法律査問委員会は、チベットの独立国としての立場に関しての調査結果として、チベットの法的状態を以下のように述べている。
(1)1913年から1950年まで、国際法で一般に認められている主権国家の条件を備えていた。
(2)1950年の時点で、一民族が一定の領土に住み、政府機関がそれを治めていた。
(3)外国政府がそれを内政干渉することもなかった。
(4)近隣諸外国も、チベットを独立国家として扱っていた。その証拠に、インド、ネパール、モンゴルなどの近隣諸国は、チベットを独立国家として認めた上で平和条約等を相互に交わしていた。

 当時、チベットの領土は、ヒマラヤ山脈の北側にあるインドと中国の間に位置するチベット高原と一致し、面積は250万平方キロメートルの広さであった。人口は、中国人民解放軍侵攻時点で、約600万人であった。首都はラサにあり、国家元首はダライ・ラマであった。チベット政府は、大臣からなる内閣(カシャグ)、国民議会(ツオンドゥ)、そして、広大な領土を統治するための大官僚機構によって構成されていた。

 そもそも、独立国チベットは、7世紀に、ソンツェン・ガムポという王が出現し、アジア有数の大国として建国された。それと前後して、インドから仏教が伝来した。元々、チベット人達はポン教を信仰していたのだが、インドから仏教が伝来して以降、仏教がチベット人達の精神的な支柱となった。インドとも中国とも異なる独自の民族文化を開花させ、宗教的にもチベット仏教という形で独自の進化を遂げた。

 そして、そのような国家としての進化の過程で、ソンツェン・ガンポ王(7世紀)、チャンチュプ・ギェルツェン(14世紀)、ダライ・ラマ5世(17世紀)、そして、ダライ・ラマ13世(19世紀)によって、司法制度の基礎が確立されていった。

 国民に税金を課し、独自の通貨を発行し、郵便制度を運営し、切手を発行し、小規模ながらも自国の軍隊を持ち、政府が行うべき業務全般を執行していた。これらのことを見てみても、チベットが独立国家であったことは明確である。

 中国政府は、「チベットを国家として承認した国は1つもない」と主張している。だが、前述したように、モンゴルとチベットは1913年に独立を承認する条約を正式に結んでいる。また、ネパールもチベットと平和条約を結んでいる。それだけではない。インドも、インドがイギリス領であった当時、イギリスがチベットを独立国として認め外国関係を持ち、ラサに外交事務所を設置したりしていたことを、独立後もそのまま継承した。それは、イギリスから独立後のインド政府も、チベットを独立国と認めていた証しだ。ただ、静かに、平和を保つことを希求していたチベットが、多くの国と外交を持つことをしていなかったことも事実だ。

 そもそも、中国は、チベットを植民地的な侮蔑した目で見続けている。そのことは、中国の歴史書に、チベット人を自分達と異なる民族として「吐蕃(とばん)」と蔑称している、と記されていることからも明確だ。にもかかわらず中国政府は、チベットは中国に帰属すると主張している。それも、700年前と200年前にあったといわれるチベットと中国の交流を根拠として、非漢地域としての領有権と開発権を「主権帰属」という言葉を頻繁に使い主張しているのだ。だが、この中国政府の理論は、日本に対する尖閣諸島問題や海底ガス田問題の理論と全く同様のご都合主義的理論でしかない。尖閣諸島に関しても海底ガス田にしても、そこに資源が眠っているということがわかってから、それまでまったく興味も示していなかった中国は、俄かに権利を主張するという非常に勝手な主張をしだしたのだ。チベットに関しても、全く同じことがいえる。何故なら、チベットは人知れず天然資源の宝庫なのである。第二次世界大戦後、中国共産党による中国政府が、にわかにチベット侵略を為した大きな理由の1つが、チベットに眠る天然資源にあるといわれている。
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by seizaikai_club | 2008-05-23 11:02 | 国際情勢

チベット問題の経緯(1)「1959年チベット民族蜂起」

チベット問題の経緯(1)「1959年チベット民族蜂起」
2008年5月23日

 そもそも、全ては第二次世界大戦終結と共に始まった。

 1949年、中国を完全に支配した中国共産党政権は、「人民解放」という手前勝手な大義名分を打ち立ててチベット侵攻を開始した。しかし、中国人民解放軍は、一気にチベット全土を支配するような粗暴な侵攻はしなかった。真綿で首を絞めるように、周辺部から徐々に侵略していった。外堀を埋め本丸を攻略するかの如くの戦法で、まず首都ラサを中心とした中央チベット周辺を1つ1つ確実に日本で「県」に当たる「省」として取り込んだ。日を追うごとに追い詰められたチベットは、結局気付くと首都ラサを中心とした中央チベットのみとなってしまっていた。大河の流れのような長い歴史と広大な領土は、中国の勝手な思惑によって追い詰められてしまった。そして、遂に、1951年9月、首都ラサにも、中国人民解放軍が侵攻してきた。ただ、中国政府は、その際も、いきなり占領するようなことはしなかった。まず、「チベット自治区準備委員会」を設置し、如何にもチベット人を解放することを目的にしているかのように演出し侵略を進めた。

 しかし、そもそもチベット人が、チベット政府に迫害されたり、弾圧されたりしていたというような事実はまったくない。寧ろ、東アジアの永世中立国とさえいわれるほど、平和で温和な国であった。それを、中国政府は勝手に「解放」と叫んで侵攻した。だが、一体何からの解放なのか、まったく理解できない。そのような、真綿で首を絞めるような、邪悪な我欲による侵攻が、首都ラサにまで迫るまでの間、中国人民解放軍による理不尽な侵略からチベットを守ろうとするチベット人達と人民解放軍は、チベット各地で武力衝突を繰り返した。その度ごとに、中国政府は、チベット人達による反中行動を、逆手にとり侵攻の大義名分とし、更なる侵攻を推し進めた。

 そのような厳しい状況下、1959年3月10日、チベット人民の堪忍袋の緒が切れてしまった。第14世ダライ・ラマ法王の身に危険が迫ったことを察知したチベット民衆は、自分達の国を中国から守るべく蜂起した。チベット人達は、危機感を覚えたのであろう。これが、1959年チベット民族蜂起である。「3月10日」は、今でも「抵抗運動の記念日」として、チベット民族の拠り所となっている。

 そして、この民族蜂起の最中、命の危険を感じた第14世ダライ・ラマ法王は、ヒマラヤ山系を越え、インドへと亡命した。時のインド最高権力者、故ネール首相は、亡命してきた第14世ダライ・ラマ法王を快くインドに受け入れた。そして、チベット難民施設の設置と、チベット亡命政府樹立を快諾した。

 中国3000年の歴史とは、先達の苦悩や努力から学び積み重ねられた歴史であると理解していた。しかし、中国によるチベット侵攻には、何の学びもない。ただ、そこにあるのは自分勝手で邪な思惑だけだ。大体、日本をあれだけ避難している中国であるにもかかわらず、結局のところ自分達も同じようなことをチベット民族へ対してしているではないか。しかも、現在もチベット民族の苦しみは続いている。にもかかわらず、そのことは棚に入れて鍵でも掛けてしまったかのごとく等閑にし、日本の誠意ある対応に目を向けようともしない。日本からのODAによる金銭だけはしっかり手にしながら、未だに日本を非難し続けている。まったくもって矛盾に満ちた対応であるとしか思えない。しかし、その原因は、中国共産党による人民への反日洗脳教育によるところが大きいように思う。その証拠に、今まで「日本は悪」という意味のない先入観を植え込まれていた中国人達も、今回の四川大地震を通じ、日本人の真心に触れ感激している様子が、連日メディアで報道されている。
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by seizaikai_club | 2008-05-23 08:30 | 国際情勢

チベット問題報道の落とし穴

チベット問題報道の落とし穴
2008年5月19日

 先週、日本のメディアは、ドイツを訪問した第14世ダライ・ラマ法王に対し、一部チベット仏教僧侶達が批判のプラカードを掲げデモを展開した、というような報道をした。多分、日本のメディアが、第14世ダライ・ラマ法王に対する反対派もチベット仏教僧侶の中にはいる旨を伝えた、初めての報道ではないか。

 どうも昨今、日本のメディアによる報道は、感情的になりすぎる。確かに、チベット人達が迫害を受け、苦しんでいるのは事実だ。彼らを擁護したいという気持は、私もまったく同じだ。だが、こういう人権活動というのは、ただの流行や感情論だけで突っ走ってしまえば、必ずそのツケが支援者ではなく当事者に及ぶということを肝に銘じておかなければならない。

 個人的には、第14世ダライ・ラマ法王のことは嫌いではない。いや、むしろ好きだ。それは、第14世ダライ・ラマ法王だからとかという次元ではなく、1仏教徒として尊敬に値する人物であると感じてのことだ。だが、だからといって、感情論で彼寄りの記事を書くつもりはない。あくまで公平な目、耳で見聞した内容を記事にすることを心掛けている。よって、以前に書いたチベットの独立運動に関する複数の記事に於いても、第14世ダライ・ラマ法王を全チベット民族の代表、という誤解を招くような書き方は1度たりともしていない。常に、チベット仏教ゲルク派法王でありチベット亡命政府の最高責任者である、という書き方をしてきた。何故なら、現状、必ずしも全てのチベット人が第14世ダライ・ラマ法王をチベット民族の代表と認めているとはいえない事実もあるからだ。そこのところをしっかりと理解して報道しないと、先々誤解を招くことにもなる。そうなれば、その皺寄せを背負うのは、結局当事者であるチベット民族の一般民衆ということになりかねない。それほど悲しいことはない。

 アメリカをはじめ他国では、随分と昔より、チベット問題は真剣に議論されてきた。そのことは、ハリウッド映画などに、チベット問題に対するメッセージが織り込まれていることが多いことにも見て取れる。何故なら、チベット問題も、アラブ諸国で起こっている問題同様、ことの発端は嘗ての大英帝国、現イギリスにあり、西欧諸国の思惑によって起こった問題であるからだ。そもそも、このチベット問題は、インドと中国の間で、長年火花を散らし続けた領土問題にも繋がっている。そして、その元凶こそ、現イギリス、嘗ての大英帝国なのだ。

 歴史は繰り返すというが、皮肉にも、北京オリンピックをキッカケに、再び欧米諸国によって歴史は繰り返されようとしている。だが、今回の場合、公平な目で見て、迫害を受けるチベット族の人々の人権を守るという意味で、決して批判するべき動きでないことは確かだ。だが、その背後には、そういう純粋な人道的思惑とは裏腹に、一部商業主義を推進する輩による、大市場中国の資本主義化という思惑があることも確かである。そのことは、しっかりと踏まえていなければならない。

 第14世ダライ・ラマ法王は、盛んにチベット族の漢民族化を懸念する旨を訴えている。何故なら、第14世ダライ・ラマ法王の中には、嘗て、イギリスにより持ち込まれた資本主義によって、チベット人の魂が汚されたという意識が、アレルギーとしてあるからであろう。そのアレルギー症状が、中国の漢民族化政策に対しても反応を示していると思われる。確かに、中国はチベット族だけではなく、少数民族の漢民族化を嘗て政策として打ち出した。それは、チベット族だけではなく、数十ある少数民族の文化や歴史を消滅させてしまう可能性がある一大事である。だが、皮肉なことに、中国政府による少数民族の漢民族化を阻止した後には、アメリカをはじめとする西欧諸国による資本主義化が待っている。どう転んでも、第14世ダライ・ラマ法王は、チベット族のアイデンティティーを守り切れない可能性が大きい。というのも、中国政府や西欧諸国よりの圧力や思惑よりも、もっと大きな時代の流れと力がそこには働いているからだ。それは、物質文明を知ってしまったチベット人自身の内にある。

 現状、日本のメディアの報道だけをみていると、チベット民族は一枚岩のごとく報道されている。だが、実際にはそうではない。鄧小平の時代に、中国政府は「福利政策」を推進することにより、チベット族の自治を保障した。その結果、多くのチベット人が、その恩恵にあやかった。実際、チベット自治区の役人の多くがチベット人で占められていることをみてみても、そのことは理解できる。当然のことながら、恩恵を受けたチベット人達は、親中国政府である。それは、小さな力ではない、人数的にいってもかなり大きな数を占める。結局、物質文明をチベット族に持ち込み、贅沢を覚えさせ、中国政府側に付かせたのだ。これは、アメリカやイギリスの常套手段だ。嘗て、イギリスから嗅がされた「物質文明」という鼻薬を、今度は中国政府によって嗅がされたのだ。当然のことながら、恩恵をうけ恵まれた生活を送れるようになった人々は、中国政府に感謝し親中国になる。嘗て、イギリスへ対してそうであったように。

 また、この政策の延長線上には、宗教に対しての中国政府の強かな思惑も見え隠れしている。確かに、近代、ダライ・ラマはチベット族の代表のような位置付けにあった。しかし、厳密にいえば、チベット仏教には大きく分けて4派あり、第14世ダライ・ラマ法王は元を正せばゲルク派の法王である。その微妙な力関係が働くチベット仏教の歴史を、中国政府は逆手にとり、他派閥の僧侶達を上手く手なずけているのだ。よって、今回ドイツで起こったような、第14世ダライ・ラマ法王に対して批判的なチベット仏教僧侶が登場するのだ。ここでもう1つ理解しておかなければならない事実がある。それは、第14世ダライ・ラマ法王はあくまでチベット亡命政府の最高責任者であり、全チベット民族の代表者ではないということだ。そのことを理解していないと、後に迷路を彷徨ことにもなりかねない。このような複雑な状況下、チベットの独立運動は、理想論で突っ走るのではなく、実現可能な範囲内でのゴールを設定して活動しなければ、結局その皺寄せで苦しむことになるのは、他でもないチベット族の一般民衆なのだ。そのことを、我々他国の支援者達も理解して支援活動をし、報道すべきであると強く思う。
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by seizaikai_club | 2008-05-19 21:44 | 国際情勢

カラスの面白い習性(3) アヒルの鳴き真似をするカラス達

カラスの面白い習性(3)
アヒルの鳴き真似をするカラス達
2008年5月19日

 一時、都庁の試みが功を奏したのか、都内のカラスの数が減ったような気がした。だが、最近また増えてきた。ただ、何故だか理由はわからぬが、カラスの鳴き声は以前よりも耳にしなくなった。

 ここ2~3か月前までは、我が家の周りでも、朝から晩までカラス達が大合唱を繰り返していた。都内の割に木立が多いからか、やたらカラスの数が多い。だが、何故なのか定かではないが、最近カラス達は鳴かなくなった。勿論、だからといって、カラス達がいなくなったわけではない。餌を求めてゴミ収集場所付近には、大きなカラスが以前同様何羽もたむろしている。それなのに、どういう訳やら、前ほどカラス達は鳴かなくなった。

 それだけではない。面白いことに気付いた。朝起きると、外でアヒルの鳴き声がするのだ。グウァグウァとそこら中からしてくる。だが、我が家の周囲に池などはない。窓から目を凝らしてみると、アヒルの鳴き声をしているのは、他ならぬカラス達だ。その鳴き声は、まるでアヒルなのだ。何故、彼らがアヒルの鳴き声を真似ているのか、その理由も定かでない。だが、彼らは、アヒルの鳴真似をしている。というか、カラスの鳴き声は、一声もあげない。どういうことか? まさか、カラスの鳴き声で鳴くと捕獲されてしまうので、アヒルの鳴き真似をするのでもあるまい。だが、兎に角、最近カラス達の間では、アヒルの鳴き真似をすることが流行のようである。本当に、面白い連中だ。
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by seizaikai_club | 2008-05-19 11:27 | 今日の独り言

カラスの面白い習性(2) 光りモノをこよなく愛す悪戯なカラス達

カラスの面白い習性(2)
光りモノをこよなく愛す悪戯なカラス達
2008年5月19日

 もう10年以上前の話だ。私が、離婚調停のため霞が関にある家庭裁判所に通っていた時のことである。家裁まで、私はいつも日比谷公園の中を通り抜けていた。中央の広場を抜け、日比谷図書館を左手に見ながら霞が関側の公園出口に向かう小道を歩いて、出口近くの池の手前に差し掛かると、必ず1羽のカラスが私掛ける金縁の丸眼鏡を目掛けて攻撃をしかけてきた。最初は、偶然私が通りかかり、カラスが間違えてぶつかってきたものと思っていた。ところが、どうもそういではない。何故なら、毎週同じ場所で、私はカラスに攻撃されたからだ。必ず、カラスは左上の枝から飛来し、私の丸眼鏡右側の縁を狙って急降下してくる。1日たりとも休むことなく、私がそこを通り掛かると、そのカラスは私を襲うのであった。そして、どうも私を襲うカラスは、1羽の同じカラスであるということを私は突き止めた。よくみると、カラスの表情も、1羽1羽違う。特に、嘴にそれぞれ特徴があるように私は感じた。まあ、当然といえば当然だ。人間だって、十人十色、皆違う顔をしているわけだ。犬だって、猫だって、一匹たりともまったく同じ顔をしたものはいない。カラスとて、同じことだ。

 読者の皆様の中には、また随分と被害妄想が強いと思われる方もあるかもしれない。私だけではなく、他の人でもそこを通り掛かると、そのカラスは全ての人に襲い掛かっているに違いないと思われても仕方ない。私も、最初はそう思った。そこで、ある日、そこの場所が遠くから見通せる場所に行き、30分程密かに様子を見ることにした。その間、10人程の人々が、その場所を通り抜けた。しかし、そのカラスは、1人もカラスに攻撃された人はいなかった。私は、「何だ、あれはやはり偶然だったのか」と思い同じ小道を歩んで家裁に向かった。ところが、やはり私は攻撃された。この30分間、私以外1人も攻撃されなかったのに、私が通った途端、そのカラスは私を攻撃してきた。やはり、あのカラスは私を狙っているのだ、とその時確信した。

 カラスは、光りものが好きだということは知っていた。また、巣作りなどに鉄製のハンガーを使ったりもするということも知っていた。きっと、私を襲うカラスは、私の金縁眼鏡の縁を、巣作りに使いたいのだなと想像した。そんなことを考えると、何だかそこの場所を通るのが億劫になっていた私にも、そこの場所を通ることが楽しくさえ感じられた。いや、そのカラスと対峙することが、楽しくさえ思えるようになっていた。

 私を攻撃してくるカラスは、いつも攻撃してくる近辺で、巣作りをしているに違いないと思った私は、ある日、1本隣の広い道を通ることにした。きっと、あの小道を通らなければ、あのカラスも襲ってこないだろうと思ったのだ。ところが、例のカラスは、道を変えても、やはり私を襲ってきた。彼は、巣作りのために私の眼鏡を襲っているのではない。きっと、私の金色に光る眼鏡の縁がどうにも気に入ったか、あるいは私を気に入ったのであろう。私は、その頃既に、大人気なくむきになっていた。

 渡米当初、同じようなことを経験したことがあった。ホームステーしていた家のママさんが可愛がっていた黒猫に、どういう訳か私はほれ込まれてしまった。その黒猫に四六時中追っかけ回され、夜になると私のベッドの中に忍び込んできてゴロゴロゴロゴロと求愛された。黒猫ならまだ可愛い。だが、真黒なカラスでは、どうにもこうにも話にならない。攻撃された経験のある方はわかるであろうが、あの大きくドス黒い嘴が目の前に迫ってくると、案外怖い。一瞬、ヒッチコックの映画「鳥」の主人公になった気分だ。あのカラスの嘴に突っつき殺されてしまうのではないか、と冗談のような恐怖感さえ覚えた。ただ、段々と度を重ねるごとに、少しだけそのカラスの気持が何故か伝わってきたような気がした。どうも、彼は私を嫌いで攻撃しているのではないようだ。カラスと話したわけではないので、真意はわからない。だが、彼は私か私の眼鏡に必要以上の興味を示し、あのような行動に出ているように感じた。カラスの気持が伝わるというのも可笑しな話だが、以心伝心というやつかもしれない。そう思うと、何だかその場所を通るのも嫌ではなくなり、悪戯好きなカラスが襲ってくるのも、愛嬌のようにさえ思えるようになった。本当にカラスとは、不思議な生き物だ。
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by seizaikai_club | 2008-05-19 10:11 | 今日の独り言

頭にくるのだがカラスの面白い習性(1)

頭にくるのだがカラスの面白い習性(1)
2008年5月17日

 黒い車に糞をする。黒いメタリック車を上空からみると、どうも自分の姿が映って見えるようだ。その姿をみて、仲間がいると思うのか、あるいは敵がいると思うのか、その自分の飛んでいる姿が映った黒いメタリック車の屋根めがけて糞の爆撃攻撃をする。左右前後に何台も車は止まっている。だが、生憎黒のメタリック車は、私の車だけ。周りの車はみなグレーか白。それらの車には、まったく糞を投下しない。私の車は、洗車しても洗車しても、カラスの連中が糞爆弾の攻撃を繰り返す。困ったものだ。だが、面白い習性だ。
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by seizaikai_club | 2008-05-17 08:09 | 今日の独り言

チベット問題、ミャンマー被災救援問題、そして、平和ボケ日本

チベット問題、ミャンマー被災救援問題、そして、平和ボケ日本
2008年5月12日

 ここのところ、日本国内でも、平和活動が庶民レベルで活発化してきた。非常に良いことであると思う。アメリカにいた頃、私が一番感銘を受けていたことは、このような平和運動であった。渡米した当初ホームステーさせて頂いた家のママさんが、新聞記者であり平和活動家であったため、日本では見聞できない色々なことを体感させてもらった。兎に角、理屈ではなく自分の目で見て、心で感じることが大切であり、全ての活動の原点なのだな、とその時思った。そして、一人一人の力は小さくとも、人々が手を合わせ動けば大きな力になり、国を動かすことも、世界を動かすこともできるのだな、と実感させられ感激した記憶が蘇ってきた。

 ただ、悲しいかな1つだけ、違うことがある。それは、政治に関する関心度である。アメリカで私が経験した平和活動に集う人々は、平和活動をする以前に、まず自国アメリカの国政への思いも大きく、きちっとそれぞれの人々が政治へ対しての意識や立場を自分なりに持ち活動していた。その証拠に、色々な場面でアメリカ人は議論を繰り広げる。パーティーの席でも、会食の席でも、ピクニックなどの娯楽の際にも。大体、日本人に比較すると、アメリカ人の方が格段に議論上手であり、議論好きである。議論を戦わすことも多い。よくアメリカ人は、友人や知人と昼食や夕食を共にする。そんな場面でも、政治について議論を戦わせることが多い。私は、非常に良いことだと思った。それだけ、政治に大きな関心を抱いているという証しだ。それを聞いている子どもたちも、自然と政治に興味を抱く。当然、経験の浅い子供たちは、彼らなりの理解や考えの中で、各種活動に参加したりする。その是非は別として、色々と思考し、色々な人々と接し、色々なことを体感しながら、自分の思想というものを確立し成長していく。それが、私には素晴らしく思えた。そのような経験的学習習慣は、日常生活に留まらず、アメリカの教育の中にも根付いていた。まあ、サン・フランシスコというアメリカの中でもリベラルな土地柄もあり、他の地域よりも人々の政治に対する意識も高かったのかもしれないが。

 今回、チベットでの暴動に始まり、北京オリンピックの聖火リレーなどを通じ、非常に多くの日本人が、平和活動的な動きに賛同し、参加しだしている。非常に良いことだと思ってみている。今まで、自己中心的な部分だけが際立ってしまっていた日本人が、他人のために、怒ったり、泣いたり、笑ったりできることは、歓迎すべき変化である。ただ、同時に、少しだけ日本の政治にも関心を持って頂けると、もっと喜ばしい。自国の政治が、これだけ疲弊している状況下、どんなに一生懸命平和活動をしても、国際社会に於いては、説得力がない。迫力に欠けてしまう。「自分の国の政治は等閑にしておいて、他民族の平和活動? 平和活動は趣味や流行や遊びじゃないよ。人の命が掛かっている命懸けの活動だよ。わかっている?」とある欧米人の活動家が、若い日本人の活動家に問うている場面に遭遇した。彼の言いようは、正直ただの「驕り」にしか私には聞こえなかった。だが、確かに彼の言い分にも一理ある。そのぐらい、外国人から見ても、日本の政治の現状は堕落して見えるということだ。

 今の日本の政治は、戦後の日本の政治の中で、最悪最低ではないかと私は思っている。本来政治とは、国民を守るものでなければならないはずだ。にもかかわらず、今の政治は、国民を惑わせ右往左往させるだけだ。暫定税率問題で、街中のあちらこちらにガソリンを求める長蛇の列ができている光景を見て、私は悲しみと憤りで胸が張り裂けそうであった。あの光景を目の当たりにして、何も思わず、何の行動も起こさない政治家は、皆辞めた方がいい。いや、我々有権者が彼らを首にするべきだ。結局、踊らされ、弄ばれ、皺寄せを受け、貧乏クジを引かされているのは、国が守られなければならない我々国民ではないか。与党も野党も、どちらも間違っている。今の日本の政治自体が間違っている。私は、強くそう感じた。きっと、多くの日本国民が、そのように思っているのではないか。国益の原点とは、国民を守ることである。そのことを等閑にして、政治家も役人も、自分たちの私利私欲や思惑ばかりに奔走し、正に「平和ボケ日本」という恥を世界に曝しているだけではないか。そのことを正さずして、平和活動といっても、確かに「説得力に欠ける」といわれてしまっても仕方がない。

 そのどうしようもない政治のトップにいる福田総理が、ミャンマーへサイクロン被災支援医療団を送ることを断られたことに対し、強い不快感を表明した。確かに不快だ。だが、日本国民は、そういう福田政権自体にも大きな不快感を覚えている。そのことには気付かれていないのか? あまりにも鈍感過ぎる。

 あれだけ多くのミャンマーの人々が被災し苦しんでいるにもかかわらず、軍事独裁政権はこの期に及んで、まだ自分達の私利私欲でしか動かない。自国民を守り救済する気持さえまったく感じられない。何故日本の救援活動を拒否するかの理由はいくつもある。大体、救援活動の際に、アメリカなどは、多くの諜報活動員を忍び込ませる。こういう理不尽な軍事独裁政権を崩壊させるには、どうしても内側で活動し、ムーブメントを扇動することが必要不可欠だからだ。そういう分子が、救援活動で紛れ込んでくることを警戒しているのであろう。そういうアメリカが為す水面下での活動に対しては、賛否両論があるのはわかる。しかし、ミャンマーやチベットの人々の人権を考えると、ただ闇雲に反対や批判はできない。その間にも、当事者である多くの罪のない人々が命懸けで苦しんでいる現実があるのだから。

 チベットの問題は、随分と前から関心を持っていた。自社の雑誌に一時連載して頂いていたペマ・ギャルポという当時ダライ・ラマ法王特使を務めておられた方から色々な話を聞いていたこともあったが、アメリカの仲間が多くチベット問題に関わっていたこともあったからだ。だが、ここにきて、こういう平和活動に優先順位をつけることは不適切でありするべきことではないが、ミャンマーに対しての平和活動を強化するチャンスが俄かに訪れているような気がする。何故なら、鎖国に近い状態を貫き通す軍事独裁政権も、さすがに天災で国民が苦しんでいれば、どこかのタイミングで他国からの援助を受け入れなければならなくなるはずだ。そして、援助を申し出ている国を選り好みなどしている暇もなくなるはずだ。サイクロン自体は、ミャンマー国民にとって災難である。だが、この災難が、「災い転じて福となす」といえるようなキッカケを災害支援と共に、他国民である我々が働きかけるべきである。そして、ミャンマー軍事独裁政権を正すキッカケに今回の救援支援活動がなれば、意味も大きくなる。アメリカはじめ日本など同盟国は、その辺まで視野に入れた救援活動を、一度で諦めることなく継続的に求めていくべきである。

 こういう平和活動や救援活動に、政治的な思惑が影響することはあってはならない。しかし、苦しんでいるミャンマーやチベットの人々のことを考えればある程度は仕方がないように思う。その辺は、臨機応変に対処するべきであると強く思う。問題は、当事者であるミャンマーやチベットの人々がどれだけ苦しみの中にいるか、ということを上辺だけでなく理解して活動をするということだ。そのために政治を利用することは、致し方ないことではないか。私は、そう考える。
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by seizaikai_club | 2008-05-12 11:14 | 国際情勢

マスコミの余計な報道が花の命を絶つ

マスコミの余計な報道が花の命を絶つ
2008年5月3日

 二つ前の記事でも書いたが、最近のマスコミの報道姿勢に大きな疑問を感じる。日本各地で、花が大量に切断されるという事件が発生している。これこそ、マスコミが余計な報道をすることによって、面白半分で何の罪もない花の命を絶つという心無い犯罪を、全国に伝播させていると言っても過言ではない。花が切断されたことを、何故こんなにも大々的に報道しなければならないのか? 余計なことを報道するから、愉快犯的な良心の欠片もない模倣犯が、同じようなことを全国で繰り返すのだ。これが、人の首ならこんなにも広がらないはずだ。ところが、物言わぬ花ということで、罪の意識もなく命を絶つ。精神的に弱い卑怯な人間が為していることは間違いない。一部任侠達が、超党派で若衆を張り込ませ、花を切断する輩を見つけたら現行犯逮捕し、その場で犯人の手首を切り落とす準備をしているという噂が、実しやかに流れている。それに引き替えマスコミは、真剣に取材し報道しなければならない案件が山積しているにもかかわらず、未だに花切断のニュースを流し続けている。花に、何の罪があるのか。どれだけ大変な思いをし、あそこまで成長して開花しているのか、そのことを思ってほしい。

 最後に一言。罪のない花の命を絶つようなことは、何の意味もない悲しむべきこと。そんな自分の顔に唾を吐くようなチンケなことは、如何なる理由があろうとも、何人であろうとも、しないで頂きたい。心底よりお願いする。
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by seizaikai_club | 2008-05-03 14:59 | マスコミ

「政治をもっと身近に」をスローガンにして、日本人にもっと「愛国心」を喚起すべく語る。
by seizaikai_club
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政財界倶楽部代表  恩田将葉
 「政治をもっと身近に」をスローガンに、一人でも多くの日本国民が政治に関心を持ち、参加してくれるよう、執筆活動、出版活動等を通じ「愛国心」啓蒙活動をしている。国際化が進む世界の中で、日本の政治も若者の手で変革しなければならない!!

 政財界倶楽部代表恩田将葉は、 アメリカ合衆国カリフォルニア州で約9年間生活。その間、サン・フランシスコ州立大学(San Francisco State University, SFSU)国際関係学部で国際関係学と政治を学び、朝鮮半島問題専攻で卒業。その後、暫くアメリカで現地法人の会社(People Intertrade, Inc.)を経営した後帰国。帰国後は、記者と編集者を経て出版社である株式会社ぴいぷる社と株式会社政財界出版社、そして、夕刊紙「内外タイムス」を発行する株式会社内外タイムス社の社長に就任。活字業界一筋に生きてきた。現在は、経営から一歩引き、国際情勢ならびに政治を中心に、ジャンルを問わず執筆活動を継続中。プロの文士として、随筆、小説、脚本等あらゆる分野で執筆活動を展開し、文章を綴ることを天職としている。そのかたわら、日本に、嘗てのごとく「愛国人」を増やすべく、「政治をもっと身近に」をスローガンに、自ら「政財界倶楽部」を運営している。

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