政財界倶楽部         (恩田将葉見聞録)

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良識ないテレビ報道で各種犯罪が伝播

良識ないテレビ報道で各種犯罪が伝播
2008年4月28日

 ここのところ、硫化水素自殺が相次いでいる。まるで伝染病のように日本全国に伝播し、連日硫化水素自殺が報道される。多分、報道を見て、触発され実行に移してしまうのであろう。そのことは、硫化水素自殺にとどまらない。例えば、殺人事件にしてもそうだ。同じような身内を殺めるような殺人事件が、やはり日本全国で起こり連日報道される。マスコミの報道姿勢を考え直さなければならない。何でも、見境なしに報道するべきではない。視聴率や購読者数獲得のための競争で、愉快犯のごとく報道するのではなく、その影響まで考慮して報道すべきだ。

 今回の北京オリンピック聖火ランナー騒動にしても、やはり世界的に報道され、映像がメディアを通じて流されるから、ドンドンドン騒動はエスカレートしていった。関係のない思想的組織までもが、騒動に便乗し暴力的行為を繰り返すという事態にまで発展した。平和の祭典であるはずのオリンピック。その聖火リレーは、全世界の人々を失望させた。時代は変革し、メディアもどんどん変化している。インターネットなどのウェブを中心に広がり、人々の情報量も各段に広く大きく進化した。その変革の加速度に、それらの情報を受け止める人々の意識向上が必ずしも比例してはいない。そこのところにも、大きな問題がある。

 本来、人間には「理性」というものがある。だが、昨今、「人間の理性」とは、儚いものになってしまった。人々の「自制心」に頼ることは、もはや期待できない。だとすれば、報道するにあったって、今まで以上に慎重に、どのように報道し、どのような報道姿勢で臨むか、ということを報道人側が真剣に考慮して報道しなければならない。そんな時代なのだ。メディアの影響力は絶大である。だからこそ、報道する側の責任も重いのだ。その辺の認識を、マスコミ人は今まで以上に強く持って欲しい。面白おかしく報道する、視聴率や購読率だけを意識した、愉快犯的な報道姿勢だけは、勇気を持って払拭して頂きたい。
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by seizaikai_club | 2008-04-28 14:36 | マスコミ

横綱審議委員会の差別的言動への疑問

横綱審議委員会の差別的言動への疑問
2008年4月28日

 予てより、俗にいう「朝青龍問題」に関しての、横綱審議委員会の物言いに対し非常に大きな疑問を感じていた。何故ならば、彼等の言動が、国技だ、伝統だ、文化だ、ともっともらしい事柄を盾にして非常に差別的であるからだ。「差別的」などというと、「何が差別的だ?」と、文化人コメンテーターとしてワイドショーなどに出演される横綱審議委員会のお偉い先生方々に、真っ赤になって反論されてしまいそうだが。敢えて言わせて頂く。

 大体、横綱審議委員会の先生方々は、朝青龍の批判ばかりをされるが、それは相撲協会の繁栄のため、故意に、朝青龍には悪役としてのキャラを演じさせ、白鵬には対峙する勧善懲悪のヒーローを演じさせていらっしゃるのか? それなら、それは相撲人気復活のための作戦であるはずで仕方ない。何も文句をいう必要もない。しかし、そういうことではなく、ただ感情的に白鵬は良いが、朝青龍は気に食わないということであるのならば、許し難い差別行為である。

 もともと、日本人力士がだらしなく、横綱になれないから、外国人力士を受け入れ、相撲人気を盛り返そうとしたのではない。にもかかわらず、いざ外国人力士が頑張って横綱になった途端、態度が悪い、言動がよくないと、まるで小学生のイジメのように寄って集って批判攻撃をする。そのことの方が、よっぽど品位や品格を疑う行為ではないか。偉そうに横綱の品格を問うのであれば、横綱以上に横綱審議委員会の先生方こそ、ご自分達の品位を守られるべきではないか? 間違っても、面白おかしく愉快犯のように報道するワイドショーに出演されたり、メディアのインタビューに答えられたりするべきではない。日本の文化や伝統を守ろうとしていらっしゃるのであるならば、何もメディアにモノをいう必要などなく、横綱に直接諭せばよいことではないか。そこのところに、非常に大きな疑問と品の無さを感じる。横綱を審議する審議委員の先生方の品格や品位は一体どこにあるのであろうか?

 大体、朝青龍の品位ばかりを問うが、嘗て若貴両横綱の兄弟による確執問題の時、これほどまでに横綱の品位だ、伝統だ、文化だ、と騒がれたか? あの時は、盛んに彼等を庇っていたではないか。だが、若貴両横綱が為した兄弟喧嘩騒動の方が、よっぽど横綱としての品格が低かった。何故なら、彼等の騒動は、相撲とはまったく関係のない、花田家の個人的問題であった。相撲にも、横綱にも関係のないことであった。しかも、お金や年寄株の所有権云々と、ドロドロとした問題が次から次へと飛び出した。見ている方も不愉快極まりなかった。それでも、横綱審議委員の先生方は、若貴兄弟を守ろうとされた。このことにも大きな疑問と差別的意識を感じる。それどころか、ここにきて、貴乃花親方に、横綱の品格問題の指揮を執らせようという動きまで出だしているという。確かに、自ら同じような問題を経験してきた親方だけに、説得力があるのかもしれない。だが、もし、ご自分の為されたことは棚に上げられ、朝青龍ばかりを責めるようなことになれば、それこそ排他的な相撲協会の体質を露呈するだけだ。救いようがない、としかいい様がない。大体、松波文部副大臣の進言さえ無視して、外部からの理事就任を拒むことの方が、よっぽど品格欠如ではないか。ただ、自分達の既得権を守るべく排他的な行為をものともせず行う。これこそ、品位や品格の欠片もない行為としか思えない。

 そこにいくと、朝青龍の問題は、全て相撲の延長線上だ。離婚問題は、横綱も人間である。そのことが原因で、相撲に精神的影響がでることから考えれば、相撲とまったく関係のないこととはいえない。また、言動に関しても、全ては相撲の延長線上のこと。それは、生まれも育ちも文化も違うのだ。にもかかわらず、無理やり横綱は日本の文化だといって、色々なことを押し付け、足を引っ張るようなことは、日本人独特のイジメであり、出る釘は打たれる的なさもしい発想でしかない。文化とか、伝統とかいう次元ではない。ただの、外国人力士イジメではないか。それでは、歴代の横綱が、そういう失敗を一度もしなかったのか? そんなことはない。なのに、何故朝青龍だけがここまで攻撃されるのだ。マスコミもマスコミだ。まるで不良よろしく寄って集って難癖つけて、彼らこそ品格も何もない。

 大体相撲協会は、自分達の都合で、横綱がでない、相撲人気が落ちた、ということで外国人力士達を受け入れたのではないか。その段階で、ある程度の覚悟をしていて当たり前だ。今更、日本の文化だ、伝統だ、風習だと、外国人力士に対し無理難題を押し付け、精神的に追い込むという遣り方は、それこそフェアーではない。それならば、誰1人として、外国人力士を受け入れるべきではない。「ガッツ・ポーズ」がいけない云々というが、一生懸命練習してきて、喜び余って思わずガッツ・ポーズをするのは自然なことだ。それを無理矢理抑える方が、不自然である。クシャミがでそうにもかかわらず、我慢しろというのと同じことだ。他のスポーツにおいても、多くの日本人選手達だってやっているではないか。喜びさえ表現してはいけない、というのであればそんなものは文化でもなんでもない。おかしい。勿論、負けた相手選手を、精神的に傷付けない範囲でのことであるが。それが、品位というものだ。

 確かに、朝青龍は、他の力士に比較して言動が荒いことがあるのかもしれない。しかし、それだけ、誰にも負けぬように相撲を頑張ってきた。彼は彼なりに、相撲に命懸けで対峙し練習を重ねているからこそ、その自信からでる言葉のように私には聞こえる。チャカスような質問や言動に対しては、「目には目を歯には歯を」で対峙しているだけではないか。彼は、汗を流し、怪我や批判の嵐を克服しながら、それでも優勝し、横綱の座を守っている。朝青龍が死に物狂いで相撲と対峙し、練習に汗を流している間、横綱審議委員の先生方は、一体何をされているのか? ただ、文句を言って、足を引っ張る材料を探していらっしゃるだけではないか。関取達と一緒に汗を流し、力士達と寝食を共にして、それで力士達から感じ取った不満を形にしていらっしゃるのか? そうではないであろう。ご自分達は、時々気まぐれに相撲部屋を訪れ、批判の種を見つけて帰っては、横綱の頭を叩いているだけではないか。もし、横綱審議委員の皆様が、横綱達や力士達の稽古に参加され、力士達の練習に混ざり一緒に汗を流し、寝食も共にして体感された疑問や問題点であるのなら、私たち観衆も素直に、先生方の言い分に耳を傾けるであろう。しかし、そうでないならば、横綱審議委員会の先生方がしていることは、ただご自分達のエゴで、感情的な言動を為され、朝青龍ではなく先生方こそが、角界に混乱を招いているとしか思えない。日本人力士だって、オフになれば実家に帰るではないか。外国人力士が実家に帰ってはいけないのか? 横綱にまで上り詰めたら、そのご褒美で多少の自由がそれまでよりも許されて当たり前のはずではないか? そのために頑張ってきて、今でも頑張っているのだ。そのかわり、優勝できなくなり、後輩に負けるようになってしまえば、それは弱肉強食身を退く時ということになる。しかし、そうでない限り、相撲をやりもしない人間達が、偏った物言いをし、力士達を精神的に追い詰めることこそが、相撲を愚弄しているとしか私には思えない。多分、私以外の相撲ファンの多くが、同じように思っているのではないか? その証拠に、朝青龍の一番は、今でも大盛況ではないか。

 どんなに相撲が日本の文化だといっても、一度国際的な土俵に上げてしまった以上、聖域を守ろうとしても、それは無理なことなのだ。そんな排他的な言動は、愚の骨頂でしかない。先生方のお気持ちは理解ります。だが、聖域を守りたいのなら、最初から国際的土俵に相撲をのせるべきではなかったのだ。嘗て、柔道もまったく同じ道を歩んだ。今では、純白の柔道着ではなく、青色の柔道着さえある。しかし、国際的になってしまえば、仕方のないことなのだ。それは、誰もが同じ環境で育ってきたのではないのだから。それでも、文化や伝統とおっしゃるのであれば、奉納相撲とか演武相撲ということで、日本人だけで執り行う別の聖域を作るしかない。テレビで放映し、国民が楽しむ相撲は、時代の流れに合わせて、民衆が喜ぶ形に進化して発展してこそ、本当の意味での国技であるのではないか。そうやって、変化を重ね伝統は受け継がれてきた。相撲に限らず、守りに入った瞬間、伝統は過去のモノと化し、化石化してしまう。私は、そう思う。
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by seizaikai_club | 2008-04-28 13:14 | 今日の独り言

チベット問題にみる中国における独立運動と聖火リレー

チベット問題にみる中国における独立運動と聖火リレー
2008年4月26日

 暴動から約1ヶ月経過し、やっと中国政府側に動きが見えてきた。25日のロイター通信によると、中国政府当局者が、チベット仏教ゲルク派の最高指導者でありチベット亡命政府の最高責任者でもある第14世ダライ・ラマ法王の関係者との対話に応じる見込みがあることを報じた。暴動発生直後より、第14世ダライ・ラマ法王側からは、再三再四中国政府関係部署へ対し、対話の要請を発し続けていた。ところが、中国側は、チベット亡命政府ならびにダライ・ラマ法王を批判するばかりで、一向に対話要請に応じる様子はなかった。しかし、ここにきて、対話要請を拒否し続けることは国際的立場が不利になると判断したのか、ダライ・ラマ法王の私的代理人と対話に関して連絡をとる可能性がある旨を非公式ながら伝えてきいたという。

 かなり前から私は、北京オリンピックを契機に、中国国内で独立運動や暴動が起こる可能性を指摘してきた。だが、少々予想していたよりも暴動が起きた時期が早かった。私の予想では、北京オリンピック直後より万博開催前後ぐらいの間に独立を求めての暴動が本格化し、バブル景気に小躍りしていた中国国内は、一転大混乱に陥るのではないかとみていた。何故なら、オリンピックや万博という国際的イベントで、一般民衆の多くも、資本主義社会の人々と接したり、西側諸国の人々を直接見聞したりするチャンスを得て、自由や物質文明を体感するからだ。そして、そのような混乱期を経て、初めて本当の意味で、中国が国際社会の仲間入りを果たすであろうとも思っていた。人というのは、一度甘い水を飲んでしまったら、もう苦い水は飲めなくなる。一度「自由」を体感し、「贅沢」を覚えてしまえば、もう後戻りはできなくなる。その時、中国国内から、自国民による色々な革命的な動きが出て、中国全体が資本主義の波にのまれる。だが、その波を乗り越えて初めて中国は、政治的にも、経済的にも安定した大国として成るのではないかと予想していた。ところが、思っていたよりも早く、オリンピック前に暴動は起こってしまった。これは、オリンピックを成功させたい中国政府が一番恐れていたことであった。裏腹に、アメリカは虎視眈々とその時を待っていた。というよりもあの手この手で、変革の時がいつか訪れるように水面下で画策し、人を配し、草の根的に諜報活動ならびに扇動活動を行っていた。そして、時が来たら、静まり返る池に小石を投げ込み波立たせ、波が立った後は、内側から波紋を広げ、より大きく波立たせる隠密活動をする予定でいた。西側諸国へ対し鎖国されている北朝鮮には、草の者的な諜報員を潜り込ませることができなかった。だが、中国に於いては、ずっと昔から幅広く、そして、根深く草の者的な人々を中国全土に配している。中国系アメリカ人も多いし、中国からの留学生も多いので、そのようなことを実行できる可能性も高い。大体、アメリカの教育予算は軍事予算に次ぎ大きい。それは、アメリカ政府は、教育も、アメリカの資本主義と民主主義を世界に啓蒙するための戦略の一環としてみているからだ。だから、教育予算も大きく、留学生を積極的に受け入れるのだ。アメリカで教育を受け、アメリカの空気を吸った若人達は、洗脳しなくとも自然にアメリカへ対しての忠誠心を心に刻んで自国へ帰国する。そして、あらゆる場面に於いて、水面下で潤滑油的な働きをする。

 今回の場合、小石を投げ込まずに自然発生的に起こった波紋のようにも思えるが、もしかすると、大統領選を控え、一部アメリカの政治家の邪な思惑によって、歴史的な波が前倒しされ押し曲げられ起こされた可能性も否めない。そうだとすれば、それを為したアメリカの政治家の罪は重い。何故なら、これら中国の少数民族の独立運動は、人権問題が複雑に絡んでいる問題だからだ。

 どちらにしても、中国にとっては、一番懸念していた事態が、実際に起こってしまった。あまりにも突然だったので、多少理性を失った感は否めない。その表れが、聖火ランナーに伴走させている白と水色のジャージを身に付けた警護隊の存在ではないか。中国政府としては、何としても何事もなくオリンピック開催まで漕ぎつけたかった。ところが、チベット族による暴動が起こってしまった。怒り心頭というところであろう。同時に、他の少数民族による独立運動の急速な激化と、オリンピック開催へ向けての対外運動に対し、過敏に反応しだした。それが、あの聖火ランナー伴走警備隊という形となって出ているのであろう。本音の部分では、きっと、聖火などどうでもよいのだ。強権的に力で国内を制圧したいとさえ思っているはずだ。ところが、オリンピック開催前ということで、世界の目が中国に注がれている。それもできずに、歯がゆい思いをしているはずだ。そのような状況下、対外的に中国の正統性とオリンピックへ対しての忠誠心を表すつもりで伴走隊を聖火行脚に派遣したのであろう。ところが、そのこと自体も裏目にでて、批判の的になってしまった。当然である。感覚が違うのだ。伴走隊は、当たり前で今まで教育されてきた訓練に沿って忠実に任務を遂行する形で聖火ランナーに伴走し、聖火ランナーを自分達の指揮下においた。ところが、中国で当たり前のそのような行為は、国際社会からすれば、独裁的で、排他的であって、中国のイメージ・アップにつながるどころか、寧ろイメージ・ダウンにしかならなく、世界各国から大きな批判の渦が起こってしまった。国際感覚の欠如を、自ら露呈した結果になってしまった。彼等の感覚からしたら当たり前の常識が、国際社会では非常識として白い目で見られてしまったのだ。オリンピック開催前から、彼等は多くの局面で迷路に迷い込んでしまったような気持ちでいるはずだ。

 そんな彼等が一番懸念していることは、今回のチベット民族の暴動が引き金になって、独立運動が急速に加速し、ウイグル族や朝鮮族へも波及しないかということである。私は、チベット族もしくはウイグル族による独立運動をキッカケに55ある少数民族の中から複数の独立運動が次から次へと勃発し、それらの独立運動に呼応して、貧富の格差に喘ぎ中国政府に不満を抱く民衆層から改革を望んでの暴動が起こり、その波紋が国内全域に広がるのではないかと予想していた。そして、その時、中国の政治体制にも大きな変化が表れ、それらの問題を解決した後に、国際社会が望んでいる中国が誕生し、名実共に大国として国際デビューということになるのではないか、というシナリオを描いていた。チベット族、ウイグル族と朝鮮族は、他の少数民族とはそれぞれ少々事情が違うので、独立ということへ対しての思いも違う。また、人口的にも非常に大きい。それだけではなく、彼等に元々帰属する土地の面積は広大である。中国政府にとっては、国益という観点からしても等閑にできる問題ではない。

 朝鮮族は、チベット族やウイグル族に比較すれば人口的には約半数の200万人強である。だが、北朝鮮国境付近にそのほとんどが居住し、非常に神経質な地域を生活地域としている。中国としては、北朝鮮が崩壊したり、朝鮮族が独立したりして朝鮮半島のパワー・オブ・バランスが崩れ、アメリカの息の掛った国と直接対峙することは、政治的にも、軍事的に、絶対に回避したいことなのだ。そんな理由があり、北朝鮮の我儘にもある程度目を瞑っている。元々、朝鮮族は、現在中国で居住している地域の土着民族ではなく、諸事情により近代以降に移住定着した。そんなこともあり、中国にとっては頭の痛い問題でもあるのだ。

 それでは、何故、予想よりも早くオリンピック開催前に、チベット族は暴動を起こしてしまったのであろうか? それは、予想に反して、チベット族へ対し、昨年より、中国政府が強制移住を迫り、チベット族の中国化を促進したことに原因があるように思われる。そんな理不尽な政策へ対しての不満が、一挙に爆発してしまったということであろう。

 だが、この時期にチベット族が暴動を起こしてしまったことは、必ずしもアメリカをはじめ中国の市場に大きな興味を抱いている諸外国の思惑からしても、また貧困に喘ぐ多くの中国民衆にとってもプラスではなかったのかもしれない。何故なら、予定通り、オリンピック開催後に暴動が起こっていれば、火に油を注ぐ形で、暴動の波紋は広がり、その火があちらこちらに飛び火することによって、中国全土で独立運動や各種暴動が起こった可能性は高い。そうなれば、自然に、政治体制も変わり、13億人の民が平等を実感できる日がくる可能性は高かった。しかし、平和の祭典オリンピックを目前にして、このように暴動が起こってしまうと、諸外国も批判はするが、やはり火に油を注ぎ騒動を大きくするようなことはできない。その結果、他の独立運動を触発し独立の動きを加速させる可能性も低くなってしまうであろう。大きな意味での変革が不完全燃焼のまま、中国政府に優位にことが流れてしまう可能性が高い。それこそ、悲しむべきことである。貧困に喘ぐ罪なき民達が、望みを失い苦しみながら生きていかなければならなくなってしまう。

 最後に、聖火リレーを見ていて感じたことを追記しておく。平和の祭典といわれるオリンピックが、商業主義に溺れ、政治に翻弄されるようになって以来、悲しむべき色々な事件がオリンピックを汚してきた。しかし、それでもオリンピックは今まで長きにわたって継続してきた。それは、皆の中に、オリンピックは一国のモノではなく、地球上に共存共栄する我々人間全てのためのものであるという意識があるからだ。そして、現実と理想には大きなギャップが未だあるにせよ、平和を希求する気持ちで開催され続けてきた。確かに、それぞれの開催国には、その時々の大きな思惑がある。だが、如何なる理由があろうとも、オリンピックは一国の思惑に翻弄されて行われるべきではないし、今まではそうなることを回避する努力がされてきた。特に政治的な理由に関しては。

 今回の聖火リレーを見ていると、非常に悲しい思いが込み上げてくる。今日行われた長野での聖火リレーでも同じ思いを胸に抱いた。それは、沿道を埋め尽くす中国の国旗である。中国政府や関係者は、色々と理屈を並べ立てる。しかし、根本が間違っている。彼等のオリンピックへの思いや理解が、あまりにも自分勝手で、オリンピックという平和の祭典をあまりにも愚弄している。確かに、チベット問題を諸外国の我々がとやかくいうのは内政干渉かもしれない。だが、如何なる理由があろうとも、聖火リレーの度ごとに、どこの国へ行っても、中国の国旗で沿道を埋め尽くすことは、相手国へ対して失礼千万である。自分達で自分達の顔に唾を吐いているのと変わらない。本当に北京オリンピックを成功させたい、聖火リレーを守りたいという気持であれば、中国の国旗ではなく五輪旗で沿道を埋め尽くすべきであった。あの中国の国旗の群れが、中国の浅ましさを象徴し、彼等の邪な思惑を露呈していることは、見ていた誰もが感じたことだ。そんなこともわからないようでは、オリンピックを開催する資格さえ本来ない。

 あんなことであるのならば、わざわざ世界中をジェット機で飛び回って、聖火リレーなどしなくてもよい。あんな聖火リレーを誰が見たいと思うか。中国のマスターベーションでしかない。中国政府は、海外にいる中国人達が自主的にやっていることで、一切関与していないようなことをいっているらしいが、どうして、日本や他の国々で、同じ大きさでまったく同じ形状の中国の国旗が、あれだけたくさん沿道を埋め尽くすことができようか。あの旗を見れば、全ては中国政府の指揮のもとになされていることは一目瞭然である。ただただ、腹が立つばかりだ。こんなことで、一体、北京オリンピックは、本当に安全の内に開催されるのであろうか。大きな疑問を感じる。また、オリンピック終了と同時に、多くの少数民族達が、弾圧され、粛清されるのではないか、そのことが心配でならない。いずれにしても、中国が、平和の祭典、オリンピックを汚したことだけは間違いない。その中国をオリンピック開催国に選んだ、IOCにも大きな責任がある。大いに反省し、今後のオリンピック運営を、もう一度見直す必要があるように思う。
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by seizaikai_club | 2008-04-27 19:03 | 今日の独り言

トーク・ライブに飛び入り参加

トーク・ライブに飛び入り参加
2008年4月25日

 昨晩は、阿佐ヶ谷にあるロフトで開催された、高須基仁氏主催のトーク・ライブに飛び入り参加させてもらってきた。元木昌彦(元「週刊現代」編集長/オーマイニュース代表)大先輩、高須基仁(モッツ出版代表)氏、古木杜恵(フリーランスライター)氏、高崎真規子(フリーランスライター)女史、篠田博之(月刊「創」編集長)氏、吉村英二(日本消費者連盟)氏に私も加わった総勢7名で、「三浦氏逮捕」を演題にしてのパネル・ディスカッションであった。元木編集長とは、本当に久しぶりに再会させて頂き、それだけでも有意義な一夜であった。熱気溢れる3時間のトーク・バトルが繰り広げられ、雨にも関わらず会場は熱く燃え上がっていた。
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by seizaikai_club | 2008-04-25 18:37 | 今日の独り言

山口県光市母子殺害事件判決にみる被告弁護団の愚かさ

山口県光市母子殺害事件判決にみる被告弁護団の愚かさ
2008年4月25日

 以前にも、この事件の裁判に関しては、何回か記事として書いた覚えがある。その度ごとに、被告弁護団に対して大きな憤りを覚える。

 4月22日広島高裁で行われた差し戻し控訴審判決公判に於いて、楢崎康英裁判長は、殺人罪、強姦致死罪等に問われていたこの事件の被告元少年に対し、「無期懲役」という山口地裁の一審判決を破棄し、求刑どおり「死刑」判決を言い渡した。被告側の主張を全て否定し、「犯行は冷酷、残忍にして非人間的な所業。特に死刑を回避すべき事情は認められない」と楢崎裁判長は述べ、被告の罪の重さを強調した。この判決に対し、被告弁護団は、「判決には事実誤認がある」として直ぐに上告した。

 必ずしも死刑制度を全面的に容認するものではない。しかし、この事件に関しては、客観的に観察してきた多くの傍観者の一人として、被告の更生意識を確認できたとは言えない。寧ろ、状況の変化により、臨機応変に狡賢く、そして、都合よく被告人が態度を変化させたようにしか、私には見えなかった。

 この裁判に於ける一番の問題点は、裁判における公平性の欠如である。如何なる理由があろうとも、被告弁護人は、私的思想を押し通すために、被告人の弁護を利用してはいけない。ここのところに、被告弁護団の稚拙さと愚かさを感じる。

 盛んに被告弁護団は、この判決は不公平だ、不当だ、と声を上げているが、我々傍観者からすれば、被告弁護団の方がよっぽど不公平で不当に見える。この事件のように、被告人が被害者母子を殺害したことは間違いのない事実であり、その殺意があるや否や問う裁判では、本来弁護人は、殺意の有無をテクニカルに検証して刑罰を軽減するための弁護をするのではなく、殺意があるや否や関わらず、まず被告人が犯した罪の重さを被告人自身に認識させ、その上で反省させる努力があって、はじめて裁判の法廷につける準備ができたといえるはずだ。

 ところが、この被告弁護団は、「死刑反対」という自分達の思想や思惑を最優先し、それが被告人にとっての最善策と勘違いした奢りに問題がある。その奢りこそが、この裁判に於ける公平性の欠如であることは間違いない。そして、その公平性とは、原告側にとってではなく、実は、彼等が弁護している被告人に対しての公平性の欠如なのである。ところが、被告弁護団は、そのことに気付いていない。そこのところに、この裁判の悲劇、そして、被告人の悲劇がある。そのような被告弁護団の弁護姿勢が、被告人を反省や更生へと向かわせるのではなく、逆に増長させるような結果になってしまったといえる。その結果、被告人は、知人に対し非常に不謹慎な手紙をだしたり、上手く死刑を回避でき、案外早い段階で社会復帰できると楽観視したりして、罪の重さを認識できなくなってしまった。結果、更生意識を芽生えさせることさえできなくなってしまった。それどころか、どういう風にこの危機を上手く擦り抜けてやるか、と非常に不謹慎な世の中を舐めた考え方にさえなってしまった。多分、今回の死刑判決を受け、初めて事の重大さに気付いたに違いない。

 今回の判決と被告弁護団や被告の様子を見ていると、時代を反映しているかのようにも思えてくる。親が子供を叱ったり躾けたりすることができず、子供が善悪を認識できなくしてしまうそんな親の甘さ、その親の甘さと弁護団の甘さが重なって見えた。決して喜ばしいことではないが、ある意味時代を感じる。

 原告であり被害者遺族の本村洋さんにしても、殺害された妻子への思いと仇打ち的な復讐心があったであろう。それは、理不尽に殺害されてしまったのであるから、そういう感情があって当たり前だ。だが、必ずしも、死刑判決を勝ち取ったことで、そのような本村さんの複雑な気持ちが癒され解消されてはいないはずだ。寧ろ、新たに大きな思いを、当事者として背負ってしまったはずである。例え、自分の妻子を殺めた仇であっても、やはり人である。その命を絶つということは、償いのためとはいえ簡単なことではない。本来このような事件が起こっていなければ、彼自身背負う必要もなかった重荷であるはずだ。人の命の重さを、被告よりも原告である遺族の本村さんの方が、今は重く感じているはずである。

 このような遺族の感情や、被告人の結末をみるにつけ、被告弁護団の罪が如何に大きいかを思い、大きな憤りを感じる。被告人を死刑へと追いやったのは、裁判官でも、遺族の本村さんでもない。それは、他でもない被告弁護団自身である。そのことに気付かず、上告し裁判を続けたとしても、無意味に被告人の傷を深くするだけだ。そんな風に思うと同時に、日本の司法は今大きな転換期を迎えているにもかかわらず、この裁判のように未だ未熟な状態であることに対し、非常に大きな不安を覚える。
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by seizaikai_club | 2008-04-25 11:47 | 今日の独り言

ジャネット・ジャクソンの素顔

ジャネット・ジャクソンの素顔
2008年4月10日

 現在、私が編集長をさせてもらっている会社が経営するダンス・スタジオに、昨晩ジャネット・ジャクソンがやってきた。担当する広告代理店クオラスは、弊社のメイン担当代理店でもあり、1ヶ月前位より先方の音源局というわれる部署の担当者と弊社の担当者とかなり神経質に綿密な打ち合わせが繰り返されていた。ところが、昨晩、ジャネット・ジャクソンの素顔に接してみれば、非常にシャイで、繊細で、素敵な女性であった。彼女を取り巻くスタッフ達も、アット・ホームな感じで非常に好感を持てる人々であった。やはり、世界のスーパースターともなると、本人達の意思に関わらず勝手にキャラクターが作り上げられ一人歩きしてしまうのだな、と実感させられた夜であった。兎に角、ジャネット・ジャクソンは、魅力的で素敵で可愛らしい女性でした。
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by seizaikai_club | 2008-04-11 08:20 | 今日の独り言

福田首相の謝罪会見にみる疑問だらけの政治のツケ

福田首相の謝罪会見にみる疑問だらけの政治のツケ
2008年4月1日

 昨日、福田首相が「暫定税率問題」に関して、異例の謝罪会見を催した。国民を不安と混乱に導いたことに対しての謝罪会見を、素早く催したことは評価できる。また、謝罪内容もその通りである。確かに、政治の現状は、国民からかけ離れたところで、二大政党の思惑と我欲だけで動いている。国民不在、いや国民は蚊帳の外である。民主党は、国民のことなど考えず、ただただ自分達の政権奪取のために揚げ足取り的な戦略ばかりを繰り返す。そうではないはずだ。確かに、国会は衆参の間で捩れている。だからといって、それを盾に自我と思惑だけで動いていいわけがない。国会の本意は、国益にあるはずだ。そして、国益とは、国民を守ることであって、国民を不安と混乱に導くことではない。民主党が行っていることは、自らの首を絞めているようなものだ。国民は、そんなに馬鹿ではない。

 ただ、逸早く謝罪会見をした福田首相にしても、同じ穴の狢である。戦略的に素早く対応したのであろう。だが、国民に心からお詫びするという気持にウソはないのかもしれない。しかし、そうなる元を作っているのも福田首相自身であるということを忘れてほしくはない。いつまでたっても煮えきらず、歯切れの悪い政局運営。そして、結局のところ、道路族の方にばかり顔が向き、旧態依然とした自民党の悪習を踏襲している。だから、そこに付け入られる。自民党も、民主党も、どっちもどっち。結局は、自分達のことしか考えていない。政治とは、本来国民のものであるはずだ。そして、政治家とは、本来国民のために働くべき人達ではなかったのか? 

 解散総選挙などと声だかに叫んではいるが、結局のところ民主党にしろ、自民党にしろ、現状そんな勇気と決断力があるとは思えない。結局のところ、解散は行われず任期満了までいってしまうのでは、というのが大方の見方のようである。しかし、一寸先は闇だ。何が起こるかわからない。国民の不満は爆発寸前である。そのことを、自民党の先生方も、民主党の先生方も、すっかり忘却していらっしゃるようだ。民意があっての政治であることをお忘れなく。

 本当に国を思う勇士達が、自民党を割り、民主党を割り、国民のための政党を立ち上げ、一旗挙げる可能性だとて否めない状況である。そして、多くの国民が、そんな救世主が突如現れ、急転直下ガラガラポンという展開を夢見ているのかもしれない。だが、まんざら夢でもないかもしれない。昨今の永田町、何が起こっても不思議はない状況だ。水面下での動きをみていると、政界再編も無きにしも非ず、と感じるのは私だけであろうか。兎に角、この国を憂い、この国を思い、この国を愛する人々に、乾坤一擲、一念発起してもらいたい。多くの国民が、そう思っている。政治家の先生方は、そのことをくれぐれもお忘れなく。
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by seizaikai_club | 2008-04-01 07:56 | 国会

「政治をもっと身近に」をスローガンにして、日本人にもっと「愛国心」を喚起すべく語る。
by seizaikai_club
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政財界倶楽部代表  恩田将葉
 「政治をもっと身近に」をスローガンに、一人でも多くの日本国民が政治に関心を持ち、参加してくれるよう、執筆活動、出版活動等を通じ「愛国心」啓蒙活動をしている。国際化が進む世界の中で、日本の政治も若者の手で変革しなければならない!!

 政財界倶楽部代表恩田将葉は、 アメリカ合衆国カリフォルニア州で約9年間生活。その間、サン・フランシスコ州立大学(San Francisco State University, SFSU)国際関係学部で国際関係学と政治を学び、朝鮮半島問題専攻で卒業。その後、暫くアメリカで現地法人の会社(People Intertrade, Inc.)を経営した後帰国。帰国後は、記者と編集者を経て出版社である株式会社ぴいぷる社と株式会社政財界出版社、そして、夕刊紙「内外タイムス」を発行する株式会社内外タイムス社の社長に就任。活字業界一筋に生きてきた。現在は、経営から一歩引き、国際情勢ならびに政治を中心に、ジャンルを問わず執筆活動を継続中。プロの文士として、随筆、小説、脚本等あらゆる分野で執筆活動を展開し、文章を綴ることを天職としている。そのかたわら、日本に、嘗てのごとく「愛国人」を増やすべく、「政治をもっと身近に」をスローガンに、自ら「政財界倶楽部」を運営している。

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