政財界倶楽部         (恩田将葉見聞録)

INFORMATION
New Album
2006年1月18日発売
『リボン』
[初回盤]
[初回盤]
価格:3,150円(税込)
SNCC-86913
(CD+DVD/2枚組)
この商品を購入する
[通常盤]
[通常盤]
価格:2,800円(税込)
SNCC-86914 
この商品を購入する
LINK
ゆずOFFICIAL SITE
ARTIST DATA
ツアーブログ 総動員DEいきまっしょい!!
excite MUSIC

<   2008年 03月 ( 4 )   > この月の画像一覧

校長が教え子を脅迫: 大人が子供をダメにする時代

校長が教え子を脅迫: 大人が子供をダメにする時代
2008年3月13日

 嘗て、大人は子供達の手本となり、尊敬される存在であった。しかし、既に、それも過去のこと。聖職といわれ、地域からも、親からも、そして、子供達からも尊敬され手本となっていた教師までもが、煩悩に明け暮れる魑魅魍魎と化してしまった。世も末である。

 埼玉県警捜査1課は、今月8日、交際していた20代の元教え子の女性に対し、「人を殺すことは平気だよ」などとメールを送っていたとして、同県川口市立川口高校市川和夫校長(56歳)を、脅迫容疑で逮捕した。卒業式当日の出来事であった。

 まるで携帯電話を使うこと自体が悪いことのように吹聴し、使用禁止にする教師や学校が多い。しかし、携帯電話には、優れた機能も多くある。例えば、GPS機能などは、誘拐にあったり、遭難したり、迷子になったりした場合、役に立つ機能である。その反面、出会い系サイトやエッチ系サイトなどの氾濫により、子供達に悪影響を与える可能性が高いことも否めない。各学校で、携帯電話の使用に関しては賛否両論あり、意見が分かれている。対応策も学校によって異なる。だが、基本は、携帯電話を使う人間のモラルの問題だ。そのことを忘れてはならない。まったく問題なく、人にも迷惑を掛けずに使っている人間の方が、圧倒的に多いのも事実だ。

 個人的な嫉妬心にまかせ、被害者の母校の校長が、携帯電話で脅迫していたというのだから呆れ返る。しかも、晴れの卒業式当日に逮捕されるという前代未聞の事件だ。

 この事件から、一つ分かったことがある。何故、あれだけ学校や教師達が、携帯電話の使用を制限しようとするのかという理由だ。自分達が、後ろ指指されるようなことを、携帯電話を使用してやっているから、必死に禁止するのだということに違いない。また、携帯電話を使うことで、自分達の教え子達が、違う男のモノになってしまうことに嫉妬してのことかもしれない。今回の事件は、そう世間から思われても仕方がないような、破廉恥な事件だ。

 大体、教職にある人間が、冗談でも「人を殺すのは平気だよ」などと言ってはならない。校長どころか教員としての資格もない。それは、男と女である。恋愛感情が起こることもあるであろう。だが、普通の場合、当然のことながら、教師の方が生徒より優位な立場にたっている。そのような威圧的な立場にある大人が、まだ経験もない子供である生徒を誑かすなど、もってのほかである。教師としてだけではなく、人として最低な行為である。こんなことが起こるようでは、保護者は何を信じて大事な子供達を学校に預けたらよいのやら、まったく分からなくなってしまう。この事件は、実は世紀末的な大きな出来事である。日本の教育現場がここまで荒廃しているということは、日本の未来自体が危ういということになるからだ。

 子供達は、太古の昔から、大人達の立ち居振る舞いを真似て成長していく。大人の立ち居振る舞いが素敵であれば、何も押し付けなくとも、子供達はそんな素敵な大人の立ち居振る舞いを真似し身に付ける。嘗て、日本人の大人達は、粋でいなせな姿を子供達に晒すことで、自分の子供達だけでなく、日本中の子供達を魅了しながら子供達を守り、成長させていた。ところが、現代は、まったく逆である。子供達は、教職員をも含め大人達の姿を模範にすることなどない。それどころか、大人の立ち居振る舞いを見聞し、絶望感を抱き、生きる目標さえ失っている場合が多いように思う。その結果、自己中心的になり、他人や周囲を慮る気遣いさえ知らず、多くの人々を傷付け、自分も傷付く。それが、日本の子供達の現状である。悲しいことだ。

 しかし、それも、我々大人の責任だ。よく、「今の子供達は・・・」と分かったようなことをのたまう大人がいる。だが、実は、大間違いである。分かってないのは大人の方で、行儀が悪いのも大人の方だ。大人の行儀が悪ければ、子供の行儀が悪くなって当たり前。子供達の言動を見て子供達を批判するのではなく、我が身を見ているように思い反省しなければならないのは多くの大人の方である。「今の大人達は・・・」といわれぬよう、我々大人達こそが、褌の紐を締めなおさなければならない。

 今がきっと、不良大人の多さがピークに達している時期のような気がする。団塊の世代である。確かに、日本の高度経済成長を支え、今の日本を作る一助になってくれたことは間違いない。だが、体制批判に明け暮れた学生運動を封印し、バナナを食べることを目標に、形振り構わず金儲けに奔走した団塊の世代。彼らの頑張りのお陰で、バナナは手に入れた。世界第2位の経済大国という勲章も手にした。しかし、その代償として、日本人としての精神性を捨ててしまったような気がしてならない。その延長線上に、今の子供達がいる。私には、そんな風に思える。やはり、一番の犠牲者は子供達なのである。そのことは、いつの時代も不変である。だからこそ、我々大人は、今こそ、この国の未来を見据え、肝を据える必要があるように思う。
[PR]
by seizaikai_club | 2008-03-13 15:34 | 教育

トークライブ

トークライブ
2008年3月6日

 昨晩は、久々、多分5年ぶりぐらいで、トークライブへの出演依頼を受け、参加させてもらってきた。いつものようにパネル・ディスカッション形式であった。トーク内容は、「三浦和義逮捕事件」に関してであった。ちょっと時間が足りなかったかなという感じだった。
[PR]
by seizaikai_club | 2008-03-06 09:04 | 今日の独り言

江藤慎一先生急逝

江藤慎一先生急逝
2008年3月1日

 先日、親しくさせて頂いていた百瀬博教先生が急逝したばかりなのに、またも親しくさせて頂いていた江藤慎一先生が急逝されてしまった。私の結婚式の司会などもしてもらい、やはり親しくさせて頂いていた日本テレビの鈴木君江さんが昨年急逝されて以来、木原美知子先生、百瀬博教先生、そして、今度は江藤慎一先生が亡くなられてしまった。それ以外にも、昨今親戚や知人が多く亡くなっている。年齢的なこともあるのかもしれない。遡って考えれば、5年前に亡父が他界して以来、続いていることのような気もする。

 江藤先生とは、随分長いお付き合いであった。亡父と江藤先生が非常に親しくしていた関係で、私は、それこそ若年の頃からのお付き合いだ。数年前に脳梗塞をやられた後、「直ぐに会いたいから来てくれる?」という電話を貰った。相変わらず傍若無人な様子で、江藤先生がご指定された待ち合わせ場所であった、戸越銀座の踏み切り近くの喫茶店二階に杖をつきながらやってこられた。その生命力と気力みなぎる勢いには驚かされた。最後にお目に掛かったのは、多分、あの時であろう。その直後より、パッタリ連絡が取れなくなってしまった。心配していた。そして、今回の訃報である。

 それこそ、もう30年以上のお付き合いであった。色々なことがあった。江藤先生との想い出は沢山ある。球界を引退されてからは、伊豆の踊り子で有名な伊豆天城で少年野球のチームを運営されていた。野球を通じて、色々な問題を抱えた子供達を更正させるのだ、といわれ情熱を傾けられていた。声も大きく、勢いも凄い方だった。天城には、立派な野球場を構え、それこそ今ではすっかりポピュラーになってしまった温泉による足湯などの施設も併設されたりしていたことが、いつも前向きな江藤先生らしく印象に残っている。

 また、ある日、「物凄く良い土地があるんですよ。野球塾をやるには、最適な土地なので、一度見にきてくれない」と突然いわれ案内されたことがあった。「いや、最高の場所でね」と言いながら、車を降りた江藤先生は足取りも軽く歩きだされた。私達も江藤先生の後に続いた。ところが、なかなか目的地に着かない。それこそ、獣道のようなところを掻き分け、いつ猪や熊に襲われてもおかしくないというような山を登った。皆、汗をダラダラ流し、背広も革靴はボロボロであった。まさか山を登らされるとは思ってもいなかった。それでも山頂につくと、山頂からは伊豆が一望できた。確かに素晴らしいところであった。だが、ここに野球塾を作るには、まず道を作って、水をひかなければと進言すると江藤先生は、「道も水もないからいいんだよ。1からのスタートだよ」と言って伊豆天城中に木霊すのではないかというほどの大声で笑っていらっしゃった。何とも豪放磊落な方であった。

 また一人、昭和を駆け抜け、昭和の彩りであった素敵な人が天に召されてしまった。ご冥福をお祈り致します。合掌
[PR]
by seizaikai_club | 2008-03-01 13:08 | 今日の独り言

手 帳

手 帳
2008年3月1日

 早いもので、もう3月だ。遂先日新年を迎えたと思っていたのに。歳をとるのが早いわけだ。しかし、どうしたことか精神年齢は、いっこうに成長しないし年取らない。困ったものだ。

 3月を迎えて今更「手帳」の話など、何だか少々ずれているような気もしないでもない。だが、私にとって非常に大切なことなのでお話することにする。いつの日からか、手帳選びが私にとって年末年始の大切な行事になっている。

 年末年始というと、何を寝ぼけたことを言っているのか、と仰る方もいるかもしれない。新年を迎える頃には、普通皆さんは既に新年用の手帳を用意しているものである。何を基準として「普通」ということを定義づけるかにはいささか疑問もあるが、まあ、年始に手帳が既に用意されているのが、普通であり一般的であろう。その証拠に、年を越えた途端、文具店でも書店でも、一斉に手帳とカレンダーの大安売りが始まる。

 私の場合は、その年によって差はあるが、年始の段階で手帳が決まっていない場合が案外多い。数年前までは、ある決まった手帳があり3~4年は迷うことなくその手帳を使っていた。なので、年始には必ず新しい手帳を持っていて、元旦に最初の言葉を書き入れることを楽しみにしていた。

 ところが、一昨年より、その使い慣れた手帳が市販されなくなってしまった。理由はわからない。その会社が倒産したのか、夜逃げしたのか、儲けがでないから手帳ビジネスから撤退したのか、私には関係ない。だが、その手帳が手に入らないということは、私の中では非常に大きな事件であった。気に入った手帳が手に入らないと、落ち着かない。どうも、いつまでたっても新年を迎えられない。それどころか、気に入った手帳が手元にないと、一年があまり良くない年になってしまう。大体、日記の役目も果たす手帳に、書き込む気持も萎えてしまう。そうなれば、もうその一年は惨憺たるものになってしまう。実は、一昨年と昨年は、そんな年を2年も続けてしまった。どうやって探しても、気に入った手帳を手に入れることができなかった。

 昨年などは、結局5冊ほど買ってしまった。しかし、結局どの1冊も手に馴染まなかったり、中身が使いにくかったりと、どうもシックリこなかった。お陰で、手帳を殆どつけない年が2年も続いてしまった。手帳に書き留めないということは、日記の役目も放棄してしまっているということであり、記録も残っていないということになる。困ったものだ。結局は、自分の所為なのだが、手帳の所為にしている。

 手帳は、書店や文具店にいくと山ほど売っている。だが、本当に気に入るものは少ない。特に、近年その傾向が強くなった気がしてならない。種類は多くなったが、個性がなくなった。皆似たり寄ったりで、あまり使い勝手がよくない。

 私が手帳を選ぶ際、幾つかの条件がある。まず、当然のことながら、中身の使い易さだ。これは、もう絶対の必須条件である。予定を書き込む欄、そして、日記を書き込む欄が、分かれていなければならない。それだけではない。余計なものはついていなくてよいが、必要なところには充分なスペースが欲しい。付録部分に関しては、何もかにも余計なものまで付いている必要はない。西暦、和暦、暦注六輝、縮尺比較表など、最低限必要なものがこぼれていなければそれでよい。あとは、ポケットがついているかとか、栞がついているかとか、止めるゴムが付いているかとか、そんなところだ。これらの条件をクリアーした上で、外見が良ければ最高である。

 実は、今年も、昨年暮れに1冊購入してあった。だが、まったく気に入っていなかった。それでも、ここ2年間手帳をほったらかしていたので、今年こそは、妥協してでも手帳を手元に置かなければと思い買った1冊であった。

 ところが、1月の下旬、思いがけず素敵な手帳に巡り会った。もうこれは運命としか思えない。別に手帳を探しにいったわけではない。本作りの仕事で使う紙を見に専門店に行ってのことであった。手帳売り場の横を通り過ぎようとする私の目が、1冊の手帳に釘付けになった。実際には、1冊ではなく同じもので表紙が違うものが数種類あった。どの手帳も、見たことがないほど素敵なデザインであった。私は、本題の紙探しを忘れ、その手帳を手に取ってみた。普通の手帳と違い、ハードカバーの上製本のように表紙は硬かった。多分、この肌触りに違和感を感じる人が多いのだろう。しかし、私は、その手帳に魅了された。表紙を開け中身を見た私は、目を疑った。私が普段から探し求めていたがみつからなかったようなページ立てになっている。思わず笑みが零れた。やはり、運命とはあるものだ。そんな大袈裟なことを私は感じた。不思議なことに、一気に目の前が明るくなったような気さえした。何だか人生まで開けたような気分であった。そのぐらい、手帳とは大切なものである。

 その手帳を手にしてから、不思議と仕事もプライベートも全て順調に動きだした。勿論、その手帳と出会って以来、1日も欠かさず手帳をつけている。手帳をつけずにはいられない。文章が活き活きと手帳のページで踊っている。私の気分も爽快だ。毎日、その手帳の表紙を眺め、中身を読み返す。それが、自然にできるのだ。そうすることによって、仕事でのミスも減り、スムーズに全てが流れる。本当に手帳とは大切なものである。生活や人生にとっての潤滑油のようだ。この2年間、馴染む手帳を手にできなかったことで、今まで気付かなかった手帳の大切さに、改めて気付かされた気がする。今は、この手帳が、来年も私の手元に入ることを祈るばかりだ。
[PR]
by seizaikai_club | 2008-03-01 12:03 | 今日の独り言

「政治をもっと身近に」をスローガンにして、日本人にもっと「愛国心」を喚起すべく語る。
by seizaikai_club
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31
政財界倶楽部代表  恩田将葉
 「政治をもっと身近に」をスローガンに、一人でも多くの日本国民が政治に関心を持ち、参加してくれるよう、執筆活動、出版活動等を通じ「愛国心」啓蒙活動をしている。国際化が進む世界の中で、日本の政治も若者の手で変革しなければならない!!

 政財界倶楽部代表恩田将葉は、 アメリカ合衆国カリフォルニア州で約9年間生活。その間、サン・フランシスコ州立大学(San Francisco State University, SFSU)国際関係学部で国際関係学と政治を学び、朝鮮半島問題専攻で卒業。その後、暫くアメリカで現地法人の会社(People Intertrade, Inc.)を経営した後帰国。帰国後は、記者と編集者を経て出版社である株式会社ぴいぷる社と株式会社政財界出版社、そして、夕刊紙「内外タイムス」を発行する株式会社内外タイムス社の社長に就任。活字業界一筋に生きてきた。現在は、経営から一歩引き、国際情勢ならびに政治を中心に、ジャンルを問わず執筆活動を継続中。プロの文士として、随筆、小説、脚本等あらゆる分野で執筆活動を展開し、文章を綴ることを天職としている。そのかたわら、日本に、嘗てのごとく「愛国人」を増やすべく、「政治をもっと身近に」をスローガンに、自ら「政財界倶楽部」を運営している。

検索
カテゴリ
タグ
以前の記事
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧