政財界倶楽部         (恩田将葉見聞録)

INFORMATION
New Album
2006年1月18日発売
『リボン』
[初回盤]
[初回盤]
価格:3,150円(税込)
SNCC-86913
(CD+DVD/2枚組)
この商品を購入する
[通常盤]
[通常盤]
価格:2,800円(税込)
SNCC-86914 
この商品を購入する
LINK
ゆずOFFICIAL SITE
ARTIST DATA
ツアーブログ 総動員DEいきまっしょい!!
excite MUSIC

<   2008年 01月 ( 5 )   > この月の画像一覧

年賀状での苦言三つの内二つは対応策が・・・

年賀状での苦言三つの内二つは対応策が・・・
2008年1月29日

 今年の年賀状で、私は三つの苦言を呈した。親しい政治家諸氏も含めた知人、関係者には、年賀状として送らせて頂いた。それ以外の方々には、あちらこちらで開設している私のブログで、年賀状の本文を公開させて頂いた。

 新年が始まって、丁度一ヶ月。その内の二つの問題に関し、対応策が実施されだした。昔に比べると、お役所の対応も早くなったのかもしれない。良いことだ。何だか、こんな言い方をすると、如何にも私が苦言を呈したので改善された、と自我自賛しているようだが、そういうつもりではない。多分、私と同じように感じている人々が市井にも多く、そんな人々よりの声があったからであろう。

 まず、第一番目に挙げていた、羽田空港国際線ターミナルでの理不尽が、解消されていた。先週、韓国からのお客様を迎えに、いつものように羽田空港国際線ターミナルへ赴いた。すると、いつも駐車できない駐車場に、難なく駐車することができた。以前にも、都庁にクレームを入れた直後、都知事にクレームを入れた直後は一時的に解消された。だが、暫くすると、また元の木阿弥と化していた。

 石原都知事と次期韓国大統領がソウル市長時代に、韓国のソウル特別市と東京都との友好事業として、ソウルの金浦空港と羽田空港間で、数年前よりビジネス・チャーター便を運行しだした。それに伴い、国際線ターミナルが整備された。しかし、第二ターミナル開設の波に押され、国際線ターミナルの駐車場は、非常に狭いものとなった。だが、その狭い駐車場を空港関係者が四六時中駐車しているため、国際線ターミナルの利用客がまったく駐車できないという事態が起こっていた。駐車場の職員も、仲間へ融通を利かせ、満車になっていなくとも、満車という立て看板を入口にたて、職員のための駐車スペースを確保するため、利用客を遠い第一ターミナルや第二ターミナルの駐車場へと誘導していた。入場券と連動している満車・空車の電光サインは空車となっていても、いつも満車の立て看板がたてられ、入口に並んで待っていると「絶対に空かないから・・・」と係員に言われ、他のターミナルの駐車場へ行けと追い出される始末であった。第一や第二ターミナルからでは、空港内循環バスを利用して長い道のりを、長い時間を費やして、国際線ターミナルへ戻らなければならない。本来、常識的に言って、国際線ターミナルの利用客の方が、国内線利用客より荷物が多く、出発時間に関してもシビアであり、見送り客も多いのは当然である。にもかかわらず、国際線ターミナルの利用客は、大変な思いをして遠くの駐車場からバスで荷物を運んでやってくるのだ。

 それならば、荷物をターミナルで降ろしてから、遠くの駐車場へ駐車すればいいではないか、と思われる方々もいらっしゃるかもしれない。しかし、国際線ターミナル自体が非常に狭く、荷物の載せ降ろしさえ許されず、直ぐに係員に注意されてしまう有様であった。酷い時など、海外からの体の不自由な年配者のお客様の迎えでさえも、日本で身障者の許可証をとっていなければダメだと言われ、身障者スペースに駐車さえさせてもらえず追い出されてしまった。それでは、「誰が身障者スペースを使うのだ」と食って掛かった。すると、「指定地方自治体から発行されている身障者登録証がなければダメだ」とその係員は言った。それでは、身障者は、それぞれの地方自治体に一々登録して動かなければならないというのか? 海外からの身障者のお客様には身障者スペースを利用する権利もないというのか? 非常に大きな憤りを覚えた。

 調べてみると、実際にはそんなことはない。その人が住んでいる地方自治体から発行された証明書があれば、何処でも問題なく身障者スペースは使える。海外からの人でも、同じことだそうだ。身障者登録証は万国共通だそうだ。大体、見ればわかること。何とも、酷い仕打ちであった。係員が、何か特権でも得ているかのように勘違いをしてしまっているという印象であった。まるで、羽田国際線ターミナル全体が、一部職員達の聖域になってしまい、利用客のためではない場所のようになっていた。

 他にも問題点はある。問題は、オーバーナイト駐車割引制度である。海外へ渡航している間、自家用車を駐車しておいても、搭乗券があれば大幅な割引になる制度である。この制度自体は、別に悪いことではない。ただ、あの狭い国際線の駐車場での割引ではなく、オーバーナイト割引が効く駐車場は、広い第一ターミナルや第二ターミナルの駐車場のみにするべきである。狭い国際線ターミナル駐車場にオーバーナイト駐車をさせてしまえば、一般利用客が駐車できなくなってしまうのは当たり前のことである。このことを改善しなければ、本当の意味での改善にはならないであろう。

 取り敢えず、現状、改善されている。ただ、いつまで続くのか。少々不安も残る。短期間で元に戻ってしまった前例が2回ある。今回も、そんな風にならないことを祈る。どちらにしても、国際線ターミナル駐車場は狭すぎる。何もビルを建てる必要はないが、立体駐車場にするべきである。そうすれば、先を競ったり、利用客を蔑ろにしたりして職員が我先にと駐車することもなく、利用客も職員も皆が問題なく駐車できるようになるはずである。

 もう一つ付け加えさせて頂く。多分、こういう細かいところに、国際線ターミナル職員の体質が露呈しているのだと思う。迎えた客の搭乗券があれば、駐車場の割引券が到着口近くのカウンターで発行される。ところが、駐車する時は追い出そうと躍起になる駐車場職員が、出庫する時は、こちらが頼みもしないのに駐車券を横取りし勝手に駐車料金の精算をしてしまう。そこには秘密がある。駐車券と割引券の入れる順番を逆にすると、割引が無効になってしまう。何故、利用客が車から降りずに窓越しに支払いができるにもかからず、駐車場職員が親切を装い、わざわざ出て来て駐車券と割引券を横取りし清算するのか? 故意に入れる順番を間違え、割引が効かないようにしてしまうのだ。私が、文句を言うと、「間違えました。すいません。一度入れちゃうと、やり直しきかないんですよ」と逃げ口上を並べ立て、そそくさと姿を消す。人間誰しも間違いはある。最初は、間違えたのだな、と思っていた。ところが、毎度同じことが繰り返される。さすがに、「この前も間違えたじゃないか」と文句を言うと、黙って逃げてしまう。それが、一人二人が為すのではなく、どの職員も同じことをする。多分、何かそういう申し合わせがあるのであろう。それならば、利用客に気を持たせるような、割引制度など廃止してしまえばいいのだ。割引券をわざわざ貰いにカウンターで並び時間を費やしたにもかかわらず、このようなことを為されるから頭に血も昇るのだ。

 どちらにしても、どうも羽田国際線ターミナルでは、理不尽なことが次から次へと行われる。これは、もうそこに巣食う職員達の性質としか言い様がない。本来、もっと、韓国と日本のビジネス交流を深め、両国間のビジネス・マンが、スムーズに行き来ができるようにと、ソウル市長と東京都知事の善意で為されたことであるはず。にもかかわらず、その思いを踏みにじるような、さもしい行為である。何とも寂しい限りである。国際化が進むにもかかわらず、空の玄関口である空港職員としては、あまりにも意識が低すぎる。

 二つ目は、自転車に関しての苦言に対しての対応策である。年賀状の中で、私の目の前で起こった事故に関して苦言を呈した。何も私の苦言に直ぐ、杉並区が対応策を実施したのではないと思う。だが、「昨日よりJR中央線の阿佐ヶ谷駅を通り抜ける中杉通りにて、自転車専用道を試験的に設置した」というニュースが報道されている。正直に言えば、中央線沿線、西武線沿線は、自転車天国だ。歩行者よりも、車よりも、何よりも自転車が偉いかのように、縦横無尽に自転車が往来している。例えば、こちらが青信号で、何の法律違反も無謀運転もせず進行していても、理不尽に前方や横から自転車が向かってくることがよくある。大抵の場合、自転車側が、滅茶苦茶な運転をしていても、まるで自分達が正しいと言わんばかりに睨み付けてくる。

 一度など、多分団塊の世代であろう洒落た出で立ちの男性が自転車で、井の頭通りを進行方向の真正面からこちらへ向かって走ってきた。勿論、こちらは青信号で進行している。先方が信号無視できているにもかかわらず、その男性はこちらが止まらないことに立腹したらしい。「どんな時も車より歩行者優先だ」と怒鳴り散らしながら、私の車を蹴飛ばしって走り去った。「自転車は歩行者じゃないだろうが。ましてや信号無視ではないか」と思いつつ、非常に大きな憤りを覚えた。だが、自転車は逃げ足が速い。ましてや、進行方向と逆に向かっていく自転車を車が方向転換して追いかけられるはずもない。

 杉並、中野、練馬、武蔵野では、自転車は完全に野放し状態である。例えば、自転車側が悪くとも、事故になれば車に非があることに現行の道交法ではなってしまう。まだ、車は頑丈だからよい。問題は、対歩行者である。車と違い、自転車は容赦がない。子供や老人の間を、自転車は無謀な運転で擦り抜けていく。自転車専用道を設置し、歩道から締め出すことは、歩行者を守ることであり、自動車との事故も減らすことができるはずである。

 テレビの報道では、世田谷区は国と組んでの自転車専用道対策で、杉並区は東京都と組んでの自転車専用道対策だ、と問題視していた。だが、そんなことは国民には関係ないことだ。東京都と組もうが、国と組もうが、要は国民の安全を守れるか否かという問題である。マスコミの視点も、ピントはずれも甚だしい。国と組んだの、都と組んだのということは、後で政治でどうにでも修正できること。それよりも、国民に迫る危険をどう対処するかが、問題ではないのか? そして、そういう視点で報道することが、国民のためでありマスメディアとしての本来の職務ではないか。どうも、全てが自己中心的な発想であり、狂っているようにしか思えない。何とも嘆かわしいことである。
[PR]
by seizaikai_club | 2008-01-29 09:58 | 今日の独り言

般若心経

般若心経
2008年1月25日

 「般若心経」を唱えている日本人は、非常に多い。宗派別で言うと、天台宗、真言宗、臨済宗、曹洞宗、浄土宗などが、「般若心経」を唱えている。しかし、それだけではなく、「般若心経」は、広く一般にも親しまれている。多分、数ある仏教の「経」の中で、最も広く人々に認知されている「経」が、「般若心経」であろう。だが、その意味まで、理解している人となると、ぐっとその数は少なくなる。

 一言でいってしまえば、「般若心経」とは「無」の教えである。解りやすく一言でいえば、そういうことになる。しかし、それでは、「無」とはどういう意味なのか、ということになる。簡単に「無」といっても、その意味を理解している人は少ないはずだ。多分、昨今、僧侶の中にも、意味を知らずにいる僧侶が多いのではないか。理解していても、実践できずにいる僧侶も多いように思う。

 禅の世界でも、よく「無」とか「無の境地」とかいう。禅宗でいう悟りの境地とは、「無」を体得することである。「般若心経」が説いている「無」ということと、意味は同じであると考えて差し支えない。人によって、解釈のし方、捉え方も、当然のことながら十人十色違ってくる。したがて、解釈に多少の誤差は出るであろう。どれが正しい、どれが間違っているということはない。だが、お釈迦様が説こうとされていた「無」の意味は、一言でいえば「囚われない心」ということである。私は、そう思っている。

 読んで字の如く、「囚われた心」とは、「人」が「口」のなかに囲い込まれ呪縛を受けているという意味である。このように心が何かに囚われていれば、悩みも、苦しみも多くなる。だから、心を呪縛から解く努力、即ち「囚われない心」を心掛けることが、人にとっての幸せの近道であり悟りなのだ、とお釈迦様は説いていたのであろう。

 心が囚われるとは、例えば、お金に執着したり、異性に執着したり、物に執着したり、名誉に執着したり、色々な人により創造された物へ執着するということだ。それこそが、「煩悩」である。人には「108つの煩悩」がある、と仏教ではいわれている。よって、その厄を落とすために、大晦日には108回鐘を撞く。衆生の心身を煩わせ悩ませる一切の妄念、それが「煩悩」である。その煩悩を、鐘を撞くことによって断ち切るというのが、「除夜の鐘」の意味だ。それらの「煩悩」を断ち切ることによって、「無」の境地に至ることができ、囚われない自由な心を得ることができる。それこそが、人にとっての幸せということなのだ、とお釈迦様は説かれた。私は、そう信じている。

 スポーツを極めた選手や武道を極めた師範、技能を極めた匠など、あらゆることを極めた人々は、黙々と修行を積むことで、それぞれ道は違っても、一心不乱に集中して打ち込み無心になり、「囚われない心」を得て、「無」を悟った人々である。禅宗では、座禅をして「無」の境地を極めようとしている。何かに対して無心に打ち込むということが、「無」を悟る一番の近道であり極意なのだ。

 嘗て、ネパールという国に行った時、私はこんな経験をした。ネパールは、世界191カ国の内で、経済的には一番か二番目に貧しい国である。首都カトマンズとかポカラという一部の大都市を除いて、何処へいっても国中貧しさが溢れている。大都市のカトマンズやポカラでさえ、日本と比較すれば、戦後の瓦礫の山に埋もれた日本とさほど変わらない有様だ。人々の出で立ちを見ても、そのことは一目瞭然である。

 ネパールに行って、一番驚かされたことは、やはりヒマラヤ山脈の雄大さだ。ネパールは、「神々の宿る国」と呼ばれている。そのことは、あの雄大なヒマラヤの山々を目の当たりにすれば、直ぐに理解できる。ネパールにとっての、何よりの宝だ。だが、実際にネパールに行って見ると、何故ネパールが「神々の宿る国」と呼ばれるか、その本当の意味を知ることができる。それは、単にヒマラヤ山脈が雄大だからではない。

 前述したように、ネパールは非常に貧しい国だ。だが、不思議と人々の目は、キラキラと輝いている。特に、子供達の目は、日本人の子供達と比較にならぬほどキラキラと輝いている。出で立ちは、まるで戦後直ぐの日本に溢れていた浮浪児のようである。しかし、子供達の目は輝き、よく笑う。真っ白い歯をむき出して屈託なく笑う。

 何故、物質文明を謳歌し、モノが溢れている経済大国日本の子供達の瞳よりも、モノがなく貧しさが満ち溢れているネパールの子供達の瞳の方が輝いているのか? 答えは直ぐにわかった。それは、彼らが易しく生きているからだ。「易しく生きる」とは、どういうことか? それこそが、「囚われずに生きる」即ち「囚われない心」を持って生きるということなのだ。何も、彼らが「囚われない心」を得るために、大変な修行をした訳ではない。毎日、「経」を唱えているわけでもない。それでは何故、彼らは「囚われない心」を育み、「易しい生き方」をすることができているのであろうか。答えは、簡単だ。彼らには、選択肢がないのだ。選ぶ自由がないのである。貧しいが故に、モノの種類が豊富でない。

 例えば、鉛筆が欲しいと思えば、一種類の鉛筆しかない。日本のように、トンボの鉛筆があったり、三菱の鉛筆があったり、キャラクターがプリントされた鉛筆があったり、シャープペンシルがあったりして、どれにしようかと心を悩ます必要もない。よって、悩むことも、迷うこともない。悲しくなる必要もない。ただ、欲しくとも、手に入れられないという究極の悲しみはある。だが、それは彼ら自身が、貧困という環境を享受して生きているので、物に翻弄されている日本人のような、贅沢からくる悩みや悲しみを感じることはない。現実を把握し、実在する物で満足する、という術を自然に身に付けている。そんな彼らの幸せは、贅沢を知らないことだ。知らないが故の幸せなのだ。鉛筆といえば、一種類しか知らない。だから不自由も感じない。他の種類が欲しいなどという欲も起こらない。一種類しかないのだから。

 もし、彼らが、可愛い鉛筆を知れば、それは我々と同じ人間である。可愛い鉛筆が欲しいと思うはずだ。そうなれば、そこに悩みや悲しみが生まれる。鉛筆に限らずどんな物でも、同じことが言える。知らない幸せこそが、「易しい生き方」の極意であり、「囚われない心」を育む唯一の道である。そして、それが、お釈迦様が説かれた、「無」の境地ということだ。このことが、「神々が宿る国」とネパールが呼ばれる所以だ。私は、ヒマラヤ山脈の雄大さに圧倒されつつ、そんなことをネパールへの旅で実感させられた。

 正に、このネパールの人々の生き方、即ち「易しく生きる」ということが「囚われない心」ということであり、「無」の境地。現世に存在する、「般若心経」が説いているような世界なのかもしれない。私は、そんな風に思った。特別なことではない。無心になり、一生懸命坦々と生きることこそが、「般若心経」の意味であり極意なのだ。

                                                   凱風
[PR]
by seizaikai_club | 2008-01-25 18:26 | 今日の独り言

小さな命

小さな命
2007年1月10日

 我が家では、昨年の夏初めより、クワガタを何匹か飼育していた。そのキッカケは、娘が、夏休みの課題で虫の身体の仕組みを観察し、標本もしくは写真や絵で描いて二学期に提出という宿題があったからだ。

 長男は、友達と自転車で北海道旅行ということで、夏休みに入ったと同時に、分解した自転車を担いで、上野発の北斗星1号という夜行列車に乗って北海道へいってしまった。都会のどこでクワガタをみつけたらよいのか、訊く暇もなく息子が出掛けてしまったので、娘と二人で、頭を悩ませた。何故か、クワガタを観察すると決めた娘に、「クワガタいないからゴキブリでは?」と冗談をいったら、冗談が通じずえらく怒られた。

 そうこうしている内に、二学期に裁縫の時間でブラウスを二枚作るということで、その布を選び買いたいということになり、祖母に同行してもらい蒲田駅前のユザワヤへ娘と出掛けることになった。ユザワヤで無事布を買った後、ふと気付くとユザワヤでは、布屋さんであるにもかかわらず花や植木までも売っていた。祖母が、花を買って帰るということになり、花を選びだした。そうこうする内に、「もしや、ここでクワガタも売っているのでは」と私は何故か思いついた。一か八かで、店員さんに、「まさかクワガタは売っていないですよね?」と訊ねてみた。みると驚くことに、「クワガタは、6階の玩具売り場で売っております」という答えが返ってきた。私は、二度驚かされた。まず、布屋さんでクワガタが売っていることに。そして、クワガタが玩具売り場で売られていることにも。

 娘を連れて、すぐさま6階の玩具売り場に駆け上がった。6階に着いた私と娘は、モデルガン売り場横のロボット玩具売り場の片隅で売られている、小さなプラスチック製の水槽のような虫ケースをみつけた。中を覗き込んでみると、黄緑色の蓋の小さな虫ケースの中には、少しだけ土が入っていた。その狭い虫ケースは、セルロイドの薄い板で、真ん中の所が仕切られていた。そして、その仕切られた両側に、可愛いノコギリ・クワガタが入れられていた。あまりにも狭すぎて、2匹のノコギリ・クワガタは、それぞれその場で回転して方向転換することしかできないほどであった。

 娘は、6ケースほど展示されている虫ケースの一つずつを一生懸命観察し、どのクワガタにするかを選んでいた。「こっちのこれと、あっちのこれがいいけど困ったな」と呟きながら物色している娘を見た私は、店員さんに訊ねてみた。「好みのクワガタと入れ替えて買ってもいいですか?」と。すると、その粋な店員さんは、「相性があるでしょうから、いいですよ」と快く答えてくれた。娘は、嬉しそうに気に入った1匹を選び、1つの虫ケースへ入れ替え、レジへ持っていった。以来、我が家では、クワガタ君達との共同生活が始まった。

 クワガタ達と共に帰宅した娘は、まず記念撮影と言って写真を大量に撮っていた。そして、宿題で必要な観察を始めた。そんなこんなで、我が家の夏休みは始まった。二匹のノコギリ・クワガタは元気であった。毎日観察していると、クワガタにもそれぞれ性格があることがわかった。片方は、あまり激しく動かない。まるで、陸イグアナのようだ。しかし、いざとなるとえらく力持ちで、喧嘩も滅法強い。もう1匹の方は、休む暇なく、四六時中動き回っている。兎に角、チョコマカ動き回っていて、隙あらば逃げ出そうという意欲満々である。だが、喧嘩は至って弱い。最初から逃げ腰で、直ぐに投げ飛ばされてしまう。「触らぬ神に祟りなし」とばかりに喧嘩を避け、無駄な摩擦を起こさぬように逃げ出してしまう。

 そんな2匹のクワガタ達の様子を毎日観察していると、いつの間にか何だか情が移ってしまった。四六時中気になって仕方がない。年がら年中、虫ケースを覗き込む。そうこうしている内に、どうも彼らの居住環境が気になりだした。もう少し、広いところに入れてやらなければ、可愛そうだなということになり、二周りほど大きい虫ケースを買ってきて入れ替えた。しかし、その後、2匹で一緒だと喧嘩をしたり、エサの取り合いをしたりしてしまうし、やはり狭すぎるような思いに駆られ、結局、一番大きな虫ケースを購入し引越ししてもらった。だが、暫くすると、2匹の喧嘩が絶えなくなったため、結局別々の虫ケースに再度引越ししてもらった。クワガタ様、様である。

 話が前後するが、息子が北海道から帰ってくると、夏当番で学校へ出掛けた息子が、キャンパス内のクヌギの木の根元から、数匹のコクワガタを見つけて連れ帰ってきた。3匹のオスと1匹のメスであった。最初は、4匹一緒に狭い虫ケースに入れていたが、どうも緊張感がただよってきて、こちらもオチオチ寝ていられぬ。そこで、可愛そうだが、勝手に一番大きく強そうなコクワガタとメスを夫婦にして、一番大きな虫ケースへ移した。娘が、1匹ずつでは寂しそうで可愛そうだというので、当初、残りの2匹のオスを少し広めの虫ケースに一緒に入れていた。しかし、やはり緊張感が絶えないので、結局、残った2匹のオスも、別々の虫ケースに移ってもらうことにした。これで、ノコギリ用の2つの大きな虫ケース、コクワガタ夫婦用の大きな虫ケース1つ、そして、コクワガタのオス用の中型虫ケースが2つ、計6匹のクワガタと5つの虫ケースが家族の仲間入りをした。以来、旅行に行く時も、クワガタ達も一緒に連れて行くことになった。

 そんなクワガタ達との生活も、二学期が始まり、娘が寮に戻ると、家の片隅へと追いやられていった。別に追いやったわけではないのだが、秋が深まり寒さが日に日に増していくと、いくら家の中に虫ケースを置いていても、朝晩の冷え込みが窓越しにクワガタ達を直撃した。なので、外からは離れた所へ移動したのだ。それでも、10月下旬から11月上旬頃までは、皆元気にしていた。ところが、11月に入って直ぐ、ノコギリ・クワガタの1匹の動きが俄かにおかしくなった。えらくスローモーで、どうも半身不随のような動きをしている。自分の足が自分の足に絡まるような動きをしていた。それから数日後、気付くとその1匹は動かなくなっていた。最初のころ茶色かったノコギリ達も、大分黒光りし大きく成長していた。しかし、また、最初の頃のように茶色く小さくなって帰らぬノコギリ・クワガタになっていた。私は、思わず手を合わせた。週末娘が帰宅するのを待って、住んでいた虫ケースの土や愛用の切り株と一緒に、自宅マンション敷地内の土に埋めてやった。すると、娘の帰りを待っていたかのように、元気だったもう1匹も、急に動きが鈍くなり、アッと言う間に相方の後を追って逝ってしまった。結局、1日違いで、側に埋めてやった。別々の虫ケースに入れていても、最初は一緒にいて、いつも隣り合わせていた仲間が逝ってしまったことで、生きる気力を失ったのか、寿命なのかノコギリの2匹は天国へ召されてしまった。

 コクワガタの4匹は、どういうわけやらえらく元気であった。寒さをものともせずに、相変わらず動き回っていた。いや、夏ほど活発には動いてはいなかった。だが、まだまだ俊敏で元気であった。夫婦のところでは、子供が生まれているのでは、と切り株を割ってみたり、土を新聞紙の上に広げてみたりしてみた。しかし、残念ながら彼らの子孫を発見することはできなかった。

 ところが、そのコクワガタも、突然相次いでこの世を去った。まず、独身のオス2匹が、急に元気をなくした。そして、続けて逝ってしまった。ノコギリのときと同様、並べて埋葬してやった。それでも、夫婦のコクワガタは元気にしていた。やはり、どんな生き物も異性が必要なのだ。異性がいることで、力強く生きる活力を得ているのだ、とそんなことを子供達と冗談交じりで話していた。娘が冬休みで戻った時も、前ほど活発ではなく土に潜っていることが多くなったが、エサを入れ替えると元気に土の中から2匹とも出てきていた。年を越そうというのに、未だ元気にしているコクワガタに驚かされた。

 だが、元旦の朝、突然不幸は訪れた。新年の挨拶とばかりにコクワガタの虫ケースを娘と見てみると、あんなに元気だったメスがひっくり返って、六本の足を丸めて動かなくなっていた。何故だか理由がわからない。確かに寒くはなった。しかし、突然急激な温度差があったとも思えない。やはり寿命なのか。仕方なく、正月早々埋葬してやり手を合わせた。

 そうこうしていると、生き残ったオスのコクワガタの動きも、俄かにおかしくなった。あきらかにスローモーな動きになっていた。自分の足を自分の足に絡ませ躓いてしまう。それでも、切り株の下に入ろうとするので、切り株を持ち上げて付けてやるのだが、力がなく落っこちてしまう。どうにもこうにも尋常ではない。

 蜜をやったり、床暖房の上に乗せてやったり、栄養剤入りの水を吹きかけてやったりするが、ドンドン弱る一方である。やはり寿命なのか。でも、頑張ってほしい。娘は、必死で最後のコクワガタを見守っていた。転ぶたびに、起こしてやり、お正月中見守っていた。三が日は越えた。そして、五日の日、私が仕事で出掛けていて帰宅すると、娘も息子もニコニコ笑っていた。どうしたものかと訊いてみると、ネットでコクワガタの寿命を調べたそうだ。「彼らは、長ければ二~三年生きるらしい。そして、冬場は、冬眠するので、足が縺れたりひっくり返ったりするらしい」と嬉しそうに私に告げた。娘は、これは寿命ではなく、冬眠だと信じたいようであった。その娘は、すぐひっくり返ってしまうコクワガタを虫ケースの中の少し掘った土の上に置いてやり、その上からそっと土を少しかけてやったという。心配して起こしてやったりしていたことが、コクワガタにとっては有難迷惑であったのだ、と娘は言い張った。正直私は、少々心配であった。自分で潜ったならともかく、埋めてやったのでは生き埋めになってはいないかと。しかし、土は、そっとかけただけだというので見守ることにした。

 そうこうして、娘が帰寮する前夜になった。私は、コクワガタの様子を観たほうがよいのでは、と娘に告げた。娘は、そっと土を取り除き、土の中のコクワガタを探した。暫くすると、娘の瞳から、大きな涙の雫が虫ケースの中に落ちた。そして、その涙は、足を丸めて動かなくなったコクワガタのオスの上に落ちた。私は、娘に告げた。「大丈夫だよ。これだけ一生懸命世話をして上げたのだから、きっと喜んでくれているよ」と。クワガタ達との半年間、アッと言う間に過ぎ去った。最期のお別れであった。小さな命を通じ、子供達が命の重さを知った、大切な出来事であった。
[PR]
by seizaikai_club | 2008-01-10 16:25 | 今日の独り言

政界再編

政界再編
2008年1月5日

 亥年というのは、天変地異や動乱の起こり易い年回りらしい。歴史的にいっても、1707年の亥年には、富士山が「宝永の大噴火」といわれる噴火を起こした。平安時代に二度大きな噴火を起こした富士山だが、それらの噴火とならぶ大噴火であった。それどころか、「宝永の大噴火」では、富士山の中腹を抉り取って宝永火口を形成し、富士山の雄姿を変えてしまった。

 1779年の亥年には、桜島が「安永の大噴火」を起こしている。1468年の「文明の大噴火」、1914年の「大正の大噴火」とならぶ大噴火であった。この噴火で、燃島(もえじま)など八つの島ができた。

 明治以降では、1923年(大正12年)の亥年に、関東大震災が起こった。言わずと知れた、前代未聞の大震災であった。死者、行方不明者合わせて10万5千人あまり、非難人数は190万人に及ぶ未曾有の大天災であった。

 1983年(昭和58年)には、日本海中部地震が発生した。これは、日本海側で発生した史上最大級の大地震であった。マグニチュード7.7で、10メートル以上の高さを記録した津波により、104人の犠牲者を出した。また、同じ年、三宅島でも大きな噴火が起こった。

 そして、前回の亥年である1995年(平成7年)には、阪神淡路大震災が起こった。予想外の大地震発生で、多くの犠牲者がでたことは未だ記憶に新しい。

 亥年の天変地異は、日本にとどまらず海外でも、同じ現象が起こっている。1755年にはリスボン大地震、1815年には、世界史上最大級の大噴火とされているインドネシアのタンボラ火山の大噴火が起こっている。

 亥年は、政界も荒れるというジンクスがある。大体、亥年の選挙は大荒れで、自民党には不利というジンクスさえある。昨年の日本政界を振り返ってみると、確かに大荒れの年であった。参議院選挙では、自民党が大敗し民主党が大躍進した。そして、小泉改革を旗印に小泉内閣を継承した安倍首相が、突然総理の座を投げ出した。挙句の果て、その安倍氏の後首相の座についた福田氏は、某新聞社の古狸に唆され、民主党の小沢党首を水面下で誑かし、連立騒動で国民を欺いた。それでも、足並み揃わぬ民主党に国民は辟易とし、小泉元総理が切り捨てたはずの魑魅魍魎が蘇り旧態依然とした自民党には愛想を尽かした。国民は、自民にも民主へ対しても絶望感しか感じられなかった。関東大震災は起こらなかったものの、永田町は大揺れであった。

 参議院で優位に立つ民主党が、いつ伝家の宝刀解散総選挙に打って出るかと、マスコミも政界も浮き足立った。しかし、解散総選挙をして、一体誰が次期総理になるというのか? 国民不在も甚だしい。

 民主党は、いつまでたっても烏合の衆よろしく、「政権奪取」ばかりを合言葉に実力が伴わない。一枚岩どころか、二枚舌、三枚岩という有様だ。一国を司るには、いささかお粗末過ぎる。それでは、自民党はといえば、自民党も小泉元首相にぶった切られ脇に追いやられた魑魅魍魎がしぶとく蘇り、国民の方は向かずに、ご自分達の敵討ちにばかり奔走されている。これまた、茶番を繰り返すばかりで、とてもではないが一国民としては支持できない。

 そんな状況下、安倍前首相が政権を放り投げた直後、小泉再登板の声が、マスコミなどから聞こえてきた。だが、小泉流美学を思えば、これは有り得ないことであろうと思っていた。小泉さんという人が、格好の悪いことをするとは思えないからだ。一度口から吐いた言葉を撤回し、総理の座に返り咲くなど、これほど格好の悪いことはないではないか。だが、もし、小泉さんが、自民党総裁ではなく、自民党の議員としてではなくということであれば、万が一にも有り得るのではないかと思っていた。

 そんなことを念頭に政界を見守っていた私の目に留まった人物がいた。それは、今や役もなく一自民党議員として日々を送っている武部元幹事長である。武部氏は、小泉政権下、幹事長として小泉氏によく仕えていた。非常に厳しい顔をして日々、職務を遂行されていたことが印象深く私の脳裏にも残っていた。その武部氏の最近の顔付きが、非常に凛々しい。幹事長時代以上に凛々しい。幹事長時代は、どちらかというと苦労の所為か厳しい顔付きをしていた。しかし、今の武部氏の顔付きは、何故か非常に引き締まり凛々しい。ある意味、自民党内では浪人中である。普通、凛々しい顔付きになるはずもない。私は、何か水面下で隠密裏に進行しているのではないか、と思っていた。そんな矢先、武部氏に集う小泉チルドレン達の様子にも、変化が表れた。読者の皆様の記憶にも新しいところでは、杉村太蔵議員の小泉氏そっくりの物言いによるマスコミへ対しての選挙に関しての言動があった。あれだけ強気の発言を、この微妙な時期にするということは、いくらまだ青いといっても、何かそれなりの後ろ盾および根拠がなければできないはずである。あのテレビでの杉村議員の様子を目の当たりにした私は、これは水面下でやはり何かが動いているのではと強く思った。

 そして、一昨日の飯島勲元小泉首相秘書官のテレビでの独占インタビューを観て、その思いが私の中で確信へと変わった。

 飯島勲という人物は、明治維新以降の日本政治に於いて、最高の政治家秘書であり、誰も右に出るものはいない、と私は思っている。怖い人とよく言われるが、これ以上魅力的な人がいるのかと思うほど人間臭く興味深い人物である。私自身、面会直後に魅了された。そして、彼の人間的魅力は、彼の愛にあると私には思えた。愛などというと、何を言っているのか、と思う方も多いかもしれない。何も恋愛の愛ではない、小泉純一郎へ対しての愛情である。あれほど、小泉さんに惚れ込んでいる男は他にはいないであろう。文字通り、小泉さんのためなら命懸け、何でもできるのが飯島勲という人物だ。そのことが、第三者からみても、飯島勲という人物を魅力的な人物に映し出している。まるで任侠映画の1シーンのような、親分子分の以心伝心の男同士の関係が小泉氏と飯島氏の間には感じられた。

 その飯島元秘書が、ハッキリと明言した。「自民党員として、自民党総裁として、小泉純一郎の総理としての再登板は200%有り得ない。だが、自民党員としてでなければ、充分に有り得る。大体、小泉以外、他に日本の舵取りができ、国民をひっぱっていける人間があるだろうか。小泉純一郎は、日本の国有財産である」と飯島氏は言い切った。

 これは、非常にリアルな発言である。そのコメントを聞いたコメンテーターは、まるで小泉さんが自ら小泉チルドレンを連れて自民党を出るような発言を繰り返していた。しかし、それは有り得ないと私は思う。何故なら、小泉流美学にそぐわないからだ。大体、それではあまりに格好が悪い。第一、そんなことをすれば、国民の支持を得られない。飯島氏もそんなことは、望んでいないであろう。彼にとって大切なことは、どれだけ格好良く親分小泉を舞台に登場させるか、ということである。それには、小泉氏を最後に担ぎ出すという方法しか有り得ない。自ら、名乗り出るなどということは有り得ないことだ。

 だが、武部氏を頭に、小泉チルドレンならびに小泉さんを支持する古参の自民党議員が自民党をでれば、これはそれこそ大変なことになる。自民党の魑魅魍魎は、安穏としてられない。それこそ、今度こそ本当に息の根を止められかねない。政治の世界に「もし」はないが、もしそうなれば、自民党は壊滅的な打撃を受けるであろう。かといって、民主党が機を得て自民党を返り討ちにもしきれないはずだ。

 そして、その時が、小泉再登場の舞台が整う時となる計算であろう。武部氏を頭に自民党を飛び出した議員達は、小泉さんを教祖よろしく祭り上げ、一気に政権を奪取する。そして気付けば、自民も民主も及ばぬ、それこそ国民の支持による新党が誕生している。こんなシナリオではなかろうか。しかし、これは充分有り得るシナリオである。現状、自民も民主も、解散総選挙をチラつかせお互いに牽制し合っているが、現実問題、実際に解散総選挙をするだけの実力も勇気もない。しかし、国民の不満はドンドンつのる一方である。福田内閣は、内閣発足後三ヶ月にもなろうとしているのに、未だ確たる指針も示せずにノラリクラリを繰り返している。これでは、二進も三進もいかない。国民が満足できる訳もない。

 飯島元秘書が、突然小泉事務所を辞めたことには皆驚かされた。小泉さんが福田さんを支持したから、とマスコミでは報道されていた。だが、そんなことで飯島氏が小泉氏の元を去るとは思えなかった。それはあくまで表向きで、実際にはもっと何か理由があるはず、と私は思っていた。もしや、防衛庁の守谷次官による汚職問題に関わっていて、小泉氏に火の粉が及ばぬように飯島氏が逸早く小泉氏と袂を分かったのか、とさえ思ったりもした。しかし、それではあまりにお粗末すぎる。他に、もっと理由があるに違いないと思っていた。そんな矢先、今回の飯島氏への独占インタビューでのスクープであった。

 多分、飯島氏がこのインタビューで発言したことは、夢半分、現実半分なのであろう。いや、私は、夢は10%で、現実が90%なのではないかと思っている。飯島氏なら、やり遂げられるに違いない。私は、そんな風に思う。そして、自民党内にも、私と同じように思っている多くの議員がいるはずである。彼らが動く時が、本当の意味での政界再編が始まる時なのかもしれない。アメリカの大統領選挙、そして、北京オリンピック、子年の今年は、政界再編するには最高の年周りではないか。
[PR]
by seizaikai_club | 2008-01-05 19:22 | 小泉構造改革

明けましておめでとうございます。

●謹賀新年 2008年 元旦            

◆乾坤一擲 一生懸命 一心不乱 悪戦苦闘◆ 

 亥年というのは、天変地異が起こる年回りらしい。今年こそ関東大震災かと思いきや、地震はなかったものの永田町は大揺れであった。私事でいえば、一生懸命に為したことが全て裏目にでた。亥年男の宿命か。

 昨今、どうも世の中が尋常でない。理不尽なことが多すぎる。年甲斐もなく声を荒げることが多かった。喧嘩ワースト3の内、1位、2位の相手は警察官だった。血が頭に昇ると、理不尽な相手が例え警察官だろうが容赦しない。困ったものだ。

 1位は、羽田の国際線ターミナルでのこと。ここは、常々問題が多いところだ。都知事や都庁にも何度となくクレームを入れている。国際線ターミナルだというのに、駐車場はいつも満杯、一部の関係者が独占し、荷物の乗せ降ろしも儘ならない。都知事の意向を踏みにじる暴挙がまかり通っている。空港警察も事情を分かっている。だが、何もできずに、目先の取り締まりに精を出す。さすがに、堪忍袋の緒が切れた。「指一本でも触れたら公務執行妨害だぞ」と忠告されても怒りはおさまらず、警察官の眼前1センチのところで怒鳴り散らした。

 2位は、六本木ヒルズ近くの交差点でのこと。三度信号が変わっても車が進めなかった。タクシーは無神経に駐停車、外交官ナンバーのアメリカ人運転の車は、その後ろでノンビリ歓談しながら待っている。他の車は、二進も三進もいかずイライラただ待たされた。交通整理をするでもなく、ボケッと突っ立っている若い警察官。さすがに、業を煮やした私は、怒鳴り散らしながら車の運転席から飛び出した。一台一台問題の車の運転手を怒鳴り散らし、挙句の果てに交通整理。お陰で、直ぐに渋滞は解消され車は流れた。若い警察官は、それでも知らん顔。タクシーは、連なり逃げ去った。アメリカ人達は、何故か拍手と歓声を浴びせかけてきた。何と日本は平和ボケした国に成り下がってしまったのか。

 3位は、高井戸の交差点でのこと。赤信号で停車していると、真横で自転車同士がぶつかった。初老の男性が横転し、その男性は額を石段に殴打し血を流した。ところが、メールを打ちながら自転車を走らせ事故の原因を作った二人組みの女子高生は、そのままメールを打ちながら知らん顔で逃走。さすがにブチキレた私は、車から飛び出し二人の女子高生を連れ戻した。ブウブウ文句をいう子豚のような女子高生を怒鳴りつけ、救急車と警察を呼んで引き渡した。全く以って世も末である。

 運転していても、車も、歩行者も、オートバイも、自転車も、誰一人として譲り合いなどしない。皆、我先にとばかり「自己中」丸出しの浅ましさだ。本当に、日本という国は一体どうなってしまうのか? 憂いているのは、私だけなのか? それとも、私がお節介なのか? 何だか日本は、豪く住みにくい国になってしまった。

◆今年こそは、乾坤一擲、一生懸命仕事に励み、一心不乱に悪戦苦闘し、少しだけ頭を擡げるつもりです。宜しくお願い致します。
[PR]
by seizaikai_club | 2008-01-01 11:14 | 今日の独り言

「政治をもっと身近に」をスローガンにして、日本人にもっと「愛国心」を喚起すべく語る。
by seizaikai_club
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
政財界倶楽部代表  恩田将葉
 「政治をもっと身近に」をスローガンに、一人でも多くの日本国民が政治に関心を持ち、参加してくれるよう、執筆活動、出版活動等を通じ「愛国心」啓蒙活動をしている。国際化が進む世界の中で、日本の政治も若者の手で変革しなければならない!!

 政財界倶楽部代表恩田将葉は、 アメリカ合衆国カリフォルニア州で約9年間生活。その間、サン・フランシスコ州立大学(San Francisco State University, SFSU)国際関係学部で国際関係学と政治を学び、朝鮮半島問題専攻で卒業。その後、暫くアメリカで現地法人の会社(People Intertrade, Inc.)を経営した後帰国。帰国後は、記者と編集者を経て出版社である株式会社ぴいぷる社と株式会社政財界出版社、そして、夕刊紙「内外タイムス」を発行する株式会社内外タイムス社の社長に就任。活字業界一筋に生きてきた。現在は、経営から一歩引き、国際情勢ならびに政治を中心に、ジャンルを問わず執筆活動を継続中。プロの文士として、随筆、小説、脚本等あらゆる分野で執筆活動を展開し、文章を綴ることを天職としている。そのかたわら、日本に、嘗てのごとく「愛国人」を増やすべく、「政治をもっと身近に」をスローガンに、自ら「政財界倶楽部」を運営している。

検索
カテゴリ
タグ
以前の記事
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧