政財界倶楽部         (恩田将葉見聞録)

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So do I

So do I
2007年11月22日

 “So do I.”という英語の言葉をご存知であろうか? 「私も、そうする」とか「私も、貴方と同じようにします」というような意味である。この”So do I.”という言葉にまつわる面白い体験エピソードがある。思い出しただけでも笑いが込み上げてくる。

 もう30年以上も前の話である。私が、大学入学直後か直前の話である。アメリカ人ホスト・ファミリーの家にホームステーをしていた頃の話だ。ご主人は、私がファミリーに加えて頂く数日前に急逝していた。奥様は、ローカル新聞の記者であった。私は今でも、「ママさん」と呼んでいる。ママさんは、辛辣な記事を書くことで、案外知られた女性記者であった。人間的にも、非常に素晴らしい方である。私は、色々な意味で彼女から、人間として大きな影響を受けた。非常に公平なモノの見方をしており、厳しさの中に驚くほどの温かさもお持ちの方でもある。彼女にハグされると、何もかにも解けてしまうのではないか、と錯覚してしまうほど人間的に温かい方だ。

 そのママさん一家は、大変な親日家である。常に、日本人が数人ホームステーしている。広い庭には、神社も建ててあるほどだ。また、ママさん一家は、自然をこよなく愛し、亡くなられたご主人の骨も遺言に沿い、ヨセミテの山中とモントレーの海、そして、自宅の庭に散骨されたほどである。夏になると、家族皆で庭に寝袋を並べて、満天の星を眺めながら寝るなどということもしばしばであった。

 しかし、大自然からは恩恵ばかりでなく、たまに災難を受けることもあった。ある日、庭で寝袋を並べて寝ていると、日本から留学して私同様ママさんの家にホームステーしていたショウという高校生が、背中に軽い痛みを覚えた。その時は、きっと何か虫に刺されたのだろうということになり、薬もつけずに皆眠りについた。ところが、翌朝、彼は寝袋の中で震えながら、痛みと闘っていた。顔色も悪く、額を触ってみると熱があった。皆、前夜ショウが背中の痛みを訴えたことは忘れていた。そんなこともあり、寝冷えでもして風邪でもひいたのだろうということになった。熱があったら、熱を下げなければとママさんは言い、ショウはブツブツ文句を言いながら傍らにあったプールに飛び込んだ。何だか驚くような荒療法である。だが、案外こんなワイルドな対処が効く場合も多かった。だが、この時は、少々様子が違った。

 プールから上がったショウの右肩近くの背中に異変があることに、ママさんの長男ショーンが気付いた。大きく赤く腫れ上がっていた。その腫れをみて、皆少々真剣な面持ちに変わった。素人目にも、それはただ事でないことは一目瞭然であった。普通ではなかった。その赤く腫れあがった部分は、瞬く間に大きくなっていった。結局、ママさんが医者に連れていくことになった。その頃には、その腫れの中心に、裂け目ができていた。間違いなく何か生き物の毒にやられたことは、誰の目にも明らかであった。赤く染まった皮膚は、段々中心がドス黒くなってきていた。しかし、周囲は赤いままだった。ただ、腫れ上がった部分が、物凄く広まり大きくなっていた。触ってみると、まるで岩のように硬かった。

 数時間後、ママさんは、毛布を被り熱に震えるショウを医者から連れて帰ってきた。ショウは、顔中冷や汗をかいていた。直ぐに、ベッドに寝かせた。皆は、興味津々で、診断の結果をママさんに聞いた。ママさんは、言った。「ショウは、ブラック・ウィドーに噛まれたらしいわ」ブラック・ウィドーとは、まるで鋼鉄でできたロボットのように黒光りした蜘蛛のことである。ひっくり返すと、腹のところに、綺麗に光り輝く真っ赤な星印がある。それが、特徴だ。ガレージの隅などに、ヒッソリと生きている蜘蛛である。あまり活動的な蜘蛛ではない。こちらが、危害を加えない限り、攻撃してくることはない。多分、ガレージに置いてあった寝袋に付いてきたのだろう。そこにショウが寝るために潜り込み、押し潰されると驚いたブラック・ウィドーは、咄嗟にショウの背中を刺したのだろう。

 カリフォルニアでは、年間死亡率のトップが、このブラック・ウィドーに刺されての死で、二番目がステーキを喉に詰まらせての死である。差し詰め日本で言えば、スズメバチに刺されての死や、餅を喉に詰まらせての死ということであろう。

 結局、ショウは、その日から三日三晩高熱に浮かされた。一週間後、やっと立って歩けるまでに回復した。その頃には、背中のクレーターは、物凄く大きくなっており、中心の凹み部分は野球ボールほどの大きさにまで成長していた。触ると、ガチガチの溶岩のようで、色も溶岩のようになっていた。まるで焼けどの跡のケロイドのようであった。

 ショウは、若く体力があったので命を取り留めた。しかし、もし、老人や子供の場合は、死に至るそうだ。ガラガラ蛇の毒よりも強いらしい。また、ガラガラ蛇の血清は、どこのコンビニでもレジ前で売っているが、ブラック・ウィドーの血清は打っていない。やはり毒をできるだけ早く吸い出して、医者にいくしか手当ての方法はないのだ。

 話が随分横道に逸れてしまった。”So do I.”にまつわるエピソードとは、このショウが仕出かした事件である。

 ショウは、血気盛んな高校生であった。簡単に言えば、熱しやすいタイプだ。年がら年中ケンカをし、ママさんを悩ませていた。根は良い子である。だが、ケンカが耐えない。少々、気が短い。よく人の話を聞かずに感情で突っ走るところがあった。まあ、高校生位の年齢だと、少々背伸びをしてそんな風になりがちではあるのだが。ショウの場合は、留学生という立場もあり、どうしてもアメリカ人の同窓生にからかわれることも多かった。そんな時、負けていては相手にされなくなってしまうので、猪突猛進してしまう癖がショウにはついていた。そんな思いの丈を消化するために、ショウはレスリング部に所属していた。体力をアメリカ人同窓生に負けないようにつける目的と、誰彼なくからかってこないように、レスリングをやって牽制する意味もあった。

 その時の出来事の前後の流れは、ショウ自体興奮していたので、どうなっていたのかわからない。ただ、ショウは、またケンカをした。しかも、尋常ではなない様子であった。

 ある日、ショウは血だらけで帰宅した。家族は皆、またケンカをしたかと呆れ顔で笑っていた。しかし、ショウはいつになく興奮していた。まだ、怒りが冷めやらない様子であった。何も訊けるような様子ではなかった。だが、ママさんは、何とかショウから事の次第を訊き出そうとしていた。そうこうしていると、家の電話がケタタマシク鳴った。ママさんは、「テレホ~ン」と叫んで、誰か電話に出るように促した。二男のケーシーが電話にでた。
「マム、ショウの学校の先生から電話だよ。ショウは、レスリング部のコーチとケンカしたらしいよ」
 驚いたママさんは、両掌を上に挙げ呆れた様子をボディーランゲージで表し、受話器をとった。暫く電話で詫びたり、笑ったり、何だか話をしてママさんが、やっと受話器を置いた。そして、彼女は、再びショウと対峙した。
「ショウ、何でコーチを殴ったの? コーチは、何故ショウが怒ったのか、まったく分からないと言っていたわ」
 すると、ショウは興奮した様子で口を開いた。
「ママさん、あのコーチは、ふざけてる。この期に及んで、まだそんなこと言っているの。俺、今からあのコーチをもう一度殴りにいってくる」
「ショウ!」
 ママさんは、大きな声でショウを窘めた。
「・・・・・」
 ショウは、ちょっと驚いた様子でママさんをみつめた。しかし、それでも怒りが収まらぬ様子のショウは、早口でママさんに説明しだした。
「だって、ママさん、あのコーチは、俺が真面目に話をしているのに、いきなり”So do I”って言ったんだよ・・・・・」
「それが、何で問題なの? 貴方は、何を怒っているの? 私にもわからないわ?」
「俺が、今度の試合のことで少し緊張してるって言ったら、ヤツはいきなり”So do I”だよママさん」
「それがどうして悪いの? 何で、貴方は怒るの?」
「日本で、あんな風に“それがどうした”なんて言ったら、殴られただけじゃすまないよ。ママさん、きっとあのコーチは殺されてたよ」
 日本語が分かる二男のケーシーと私は、思わずふきだしてしまった。すると、ショウは、目を真っ赤にさせて我々とママさんに、今にも殴りかかってきそうな形相をした。
「だから、何で貴方は怒るの?」
 ママさんは、冷静にショウをなだめながら言った。
「いいよ。あんたらは、皆、そうやって俺を馬鹿にして・・・」
 とショウは怒鳴って、ママさんを振り払おうとした。すると、見かねたママさんの二男ケーシーが口を開いた。
「ショウ」
「何だよ? ケーシー」
「あのね、”So do I”は、“それがどうした”って意味じゃないよ。響きは確かに似ているけど、意味は“私も貴方に同感とか同じようにするよ”だよ。コーチも、ショウ同様緊張してたんだろ。だから、”So do I”ってきっと言ったんだよ。ちゃんと言葉の意味を勉強しなきゃ、響きが似ていても意味は全然違うんだよ」
 ショウは、上を向いて自分で、思い切り自分の額を叩いた。そして、その場に跪いた。そして、笑いだした。同時に、恥ずかしそうにモジモジとしだした。
「どうしよう、ママさん?」
 ママさんは、冷静にショウを追い立てた。
「ほら、立ちなさいショウ。そして、さっさとコーチに謝罪しにいきなさい。貴方が間違えたのよ。それから、もっと勉強しなさい。いいわね?」
 そう言って、ママさんはショウのお尻を叩いた。
「ママさん、一緒に来てくれない?」
ショウは甘え声で、ママさんに懇願した。しかし、ママさんは、そんなショウの甘えを取り合わず玄関から追い出した。

 血の気は多く、短気なショウではあったが、案外正直者でもある。彼は、直ぐにコーチの所に飛んでいった。そして、土下座して侘び、怒った理由を説明したそうだ。この出来事がキッカケで、コーチとショウは、今まで以上に親しくなった。

 他国の人々との交流とは、こんな誤解も生じるものなのだ。個人レベルで、こんなことが起こることもあるが、同じようなことが国レベルで起こることも当然ある。だからこそ、国際関係というのは、非常にセンシティブで大切な事柄なのだ。生まれも育ちも文化も違えば、誤解を生じて当たり前、と思って掛からなければ、誤解が誤解をよび、必要以上に複雑に糸がこんがらがってしまうこともある。まずは、相手を理解しようという気持が大切である。私は、そんな風に思っている。
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by seizaikai_club | 2007-11-25 18:41 | 今日の独り言

テロがはびこる今の世界情勢を知るには映画「アラビアのロレンス」を観るべき!

テロがはびこる今の世界情勢を知るには映画「アラビアのロレンス」を観るべき!
2007年11月21日


 このタイトルは、何だか非常に浅はかなように聞こえるかもしれない。しかし、テロが蔓延する今の世界情勢の始まりを知る上では、非常に理解しやすい映画であると私は思っている。多分、以前、別の記事でも書いたことがあると思う。

 テロがはびこる今の世界情勢をしるには、何故イスラミックの人々が、こんなにもアメリカをはじめとする西側諸国に憎悪を持っているかということを知る必要がある。何の原因もなく、人は人を憎みはしない。そこには、必ず原因がある。

 全てを理解しようと思えば、アラブ問題は、非常に複雑怪奇で難しい。しかし、大きな流れだけでも、ポイントを押さえれればもっと色々なことが見えてくるはずである。

 ただ、最初に申し上げておく。歴史には、事実は一つであるが、真実は、その当事者の数だけあるということを。このことをしっかりと心にとめて、偏ることなく歴史を繙く必要がある。そのことだけは、忘れないで頂きたい。

 まず、皆さん不思議に思われないか。何故、アフリカ諸国と中東諸国の国境線は、直線が多いのかということを。私は、アメリカの大学で中東問題を勉強した際、最初にそのことを不思議に思った。大抵の場合、国境線とは、どういう風につけたのかと思うほど複雑に入り組んでいる場合が多い。ところが、アフリカと中東の国々の国境線は、まるで人が定規で地図上に線をひいたかのごとくに直線が多い。

 それは、イギリスが大英帝国と呼ばれていた時代、植民地政策を推し進めていたことによるところが大きい。イギリス人をはじめとする西洋人の思惑によって、アフリカや中東諸国の国境線は理不尽にひかれたのだ。

 そもそも、アフリカにしても、アラブにしても、部族単位でなりたっていた地域である。そのことは今でも変わらない。国という価値観よりも、部族という価値観の方が高い民族の集まった地域なのである。そのことを理解しなければならない。

 アラブ首長国連邦という国がある。アラビア半島東部北岸に位置し、アブダビを首都とする国である。アラブ諸国の中では、日本人に馴染み深い国の一つであるはずだ。ドバイという都市は、多くの日本人にも知られているはずである。そのドバイも、このアラブ首長国連邦の都市である。

 このアラブ首長国連邦という国が、アラブ民族の特徴をよくあらわしている。読んで字のごとくである。この国には、7人の首長がいる。即ち、7部族の連合体で国の体をなしているのだ。アラブの人々は、正にこの感覚なのである。というか、これがアラブ民族の文化であり、価値観なのである。国という価値観は、あくまで近代西洋人が押し付けた価値観でしかないのだ。

 それでは、何故灼熱の砂漠ばかりのアラブへ対し、イギリスをはじめとした西洋人達は目の色を変えたのであろうか。答えは、簡単である。それは、石油を確保したいからである。これが、アラブ人達にとっての不幸のはじまりである。その延長線上に、ユダヤ人によるイスラエルの問題も浮上し、話はより複雑になってしまった。イスラエルにしても、1948年にイギリスの委任統治終了とともに建国された国であって、ある意味イギリス人の思惑で、あの地に無理やり建国されたと言えないこともない。確かに、歴史的には、ユダヤ人にとってあの地は所縁ある地かもしれないが。

 映画「アラビアのロレンス」は、更に時代を遡る。時は1914年、第一次世界大戦が勃発し、アラビアはトルコ帝国の圧政下にあった。オスマン・トルコの時代から、アラビアの部族達もトルコ人達も、力で全てを決するという文化と価値観を持っている。強いものが全てを支配する。それが、彼らの力関係であり価値観である。そのことは、今でも変わらない。この映画は、そんなアラブの危機を、西部劇のようなタッチで描いているともいえる。「七人の侍」「荒野の七人」ではないが、トルコに攻め入られるアラビアを、ロレンス中尉が果敢に戦い救おうとする勧善懲悪ドラマのようにもみれる。しかし、実は、その裏側には非常に深い歴史背景と意味合いが含まれている。

 「アラビアのロレンス」は、実話である。イギリス軍のロレンス中尉の物語である。実在した人物だ。アラブの人々の間では、今でも英雄としてロレンス中尉の話は受け継がれている。その反面、イギリスでは裏切り者的なレッテルを未だに貼る人々も多い。しかし、今となっては、その真実はわからない。ただ、間違いないことは、ロレンス中尉が、アラブの人々のために、アラブの独立のために、彼らに加担していたということだ。それが、イギリスのためと思ってやっていたのか、映画で表されているように、純粋にアラブ人のためにと思ってやっていたのかは、本人の心の内を見れない今となっては分からないことである。

 ただ、一つだけ確かなことがある。あの時、ロレンス中尉の進言どおりにイギリス政府ならびにイギリス軍が判断をくだしていれば、世界情勢はもう少し変わっていたかもしれない。歴史に「もし」はあり得ないことだが、少なくとも憎悪の連鎖をもっと軽減することはできていたかもしれない。

 どうも、アルカイダをはじめとするテロリスト達が、イスラム教を看板にし、また楯にもしているので、どうも我々西側諸国の一員からすると、イスラム教の教えが悪いのではないか、と大きな誤解をしてしまいそうであるが、そうではない。イスラム教自体は、純粋な教えであり、そんなに悪い宗教だとは思わない。彼らテロリスト達は、原理主義者であり、自分達の都合のように歪曲して受け止めているので、鵜呑みにするべきではない。それよりも、この憎悪の連鎖によるテロの連鎖は、前記したような部族単位での価値観に起因するところが大きい。その延長線上に、宗教の存在があると理解するべきである。

 何故、トルコは、歴史上、何度となくアラブに攻め入るのかも、その辺に理由がある。そして、その延長線上に、ギリシャ正教であるトルコとイスラム教であるアラブという、宗教的な理由もある。どちらも、あまりにも高潔な教えであるが故に、双方が双方を認めないから起こる争いである。本来であれば、共存という形をなせば解決できるはず問題であり、そうあるべきことであるが、そういかないのがアラブの文化であり価値観なのかもしれない。

 今、一つ懸念すべきことが勃発しつつある。それは、トルコのイラク侵攻である。クルド人の問題を理由に、トルコは再びアラブに攻め入ろうとしている。歴史は繰り返す、とはよく言ったものだ。しかし、このことが、大きなことに発展する可能性は非常に大きい。アメリカがどう対応し、トルコがどのように判断し行動に移すかで、また新たな火種が誕生する可能性がある。

 中東は弱肉強食を地で行く地域である。油断をすれば、虎視眈々と狙っている隣人達に攻め入られてしまう。非常に難しい地域である。今後の動向を見逃せない。
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by seizaikai_club | 2007-11-21 18:49 | テロリズム

「政治をもっと身近に」をスローガンにして、日本人にもっと「愛国心」を喚起すべく語る。
by seizaikai_club
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政財界倶楽部代表  恩田将葉
 「政治をもっと身近に」をスローガンに、一人でも多くの日本国民が政治に関心を持ち、参加してくれるよう、執筆活動、出版活動等を通じ「愛国心」啓蒙活動をしている。国際化が進む世界の中で、日本の政治も若者の手で変革しなければならない!!

 政財界倶楽部代表恩田将葉は、 アメリカ合衆国カリフォルニア州で約9年間生活。その間、サン・フランシスコ州立大学(San Francisco State University, SFSU)国際関係学部で国際関係学と政治を学び、朝鮮半島問題専攻で卒業。その後、暫くアメリカで現地法人の会社(People Intertrade, Inc.)を経営した後帰国。帰国後は、記者と編集者を経て出版社である株式会社ぴいぷる社と株式会社政財界出版社、そして、夕刊紙「内外タイムス」を発行する株式会社内外タイムス社の社長に就任。活字業界一筋に生きてきた。現在は、経営から一歩引き、国際情勢ならびに政治を中心に、ジャンルを問わず執筆活動を継続中。プロの文士として、随筆、小説、脚本等あらゆる分野で執筆活動を展開し、文章を綴ることを天職としている。そのかたわら、日本に、嘗てのごとく「愛国人」を増やすべく、「政治をもっと身近に」をスローガンに、自ら「政財界倶楽部」を運営している。

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