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道徳心が欠落し当たり前のことが当たり前に為せぬ現代日本

道徳心が欠落し当たり前のことが当たり前に為せぬ現代日本
今こそ「教育勅語」と「修身」を見直し道徳心の回帰を
2006年7月31日

 戦後、日本の復興と弱体化政策を推し進めるGHQによって、「教育勅語」も、「修身」も、一方的に悪の象徴とみなされた。何故なら、劣勢であるにもかかわらず日本軍が勇猛果敢に戦ったのは、日本国民が現人神天皇陛下の下、「教育勅語」や「修身」を信じ、一致団結して頑張ったからと信じたからだ。結局、1946年に「教育勅語」と「修身」の奉読と神格的取り扱いは禁止され、1948年には失効確認が決議された。それ以来、「教育勅語」も「修身」も、我々日本人にとっては、口にすること自体タブーとなって60年余の月日が流れ去った。

 嘗て、日本の学校には、門の横に奉安殿という建物が必ず建っていた。そこの中に、「教育勅語」は、桐の箱に入れられ、桐の盆に載せられて安置されていた。そのような形態で奉られていたので、GHQは真っ先に奉安殿を取り壊し、「教育勅語」を廃止したのかもしれない。だが、あの当時、GHQが真剣に「教育勅語」の精査をしていれば、もしかすると廃止されてはいなかったかもしれない。

 戦後60年経った現在でも、共産党をはじめ一部の日本人は、「教育勅語」は天皇を神として奉り主権在民の現行憲法に反する、戦時中や軍国主義を回帰するなどと言って、今でも遮二無二否定し続けている。しかし、それは、あの時代、天皇が現人神であった時代であるならば、確かに「教育勅語」は天皇が国民に直に下した言葉、という捉え方をされても致し方ない。だが、現代において、そのような捉え方をするのは時代錯誤だ。誰も、あの時代に回帰するべく、「教育勅語」のことを口にする日本人はいないはずだ。

 偏向することなく、また明治天皇が発した言葉ということを除外して、道徳心という視点で「教育勅語」や「修身」ということを見直すと、今、現代日本で失われている道徳心の在り方が見えてくるはずである。世界の中で日本が特異な国、得意な美徳を持ち、非常に礼儀正しい国民として見られていたのは、「教育勅語」や「修身」によるところが大きかったようにさえ思えてくるのは、私だけではないはずである。

 その証拠に、アメリカの故ロナルド・レーガン元大統領やイギリスのサッチャー首相は、自室に英訳された「教育勅語」を飾っていたという。80年代のアメリカは、現在の日本のように物質文明を極め豊かにはなっていたが、道徳心は失われ凶悪犯罪が頻発し、検挙率も低迷していた。心を痛め、アメリカの将来を憂いた故レーガン元大統領は、「教育勅語」を参考に、道徳心を説く本を出版することを側近に指示し実現した。その本は、現在では、英語だけでなく、フランス語、ドイツ語、スペイン語などにも翻訳され、道徳心のバイブルとして、世界中で3000万部以上を売り上げている。それだけではない、フランスの通信社AFPの東京支局長であったレオン・ブルー氏も、「外国人記者の直言」という読売新聞の欄に、「教育勅語と漢文の問題」という論文を掲載し、「教育勅語」は素晴らしい道徳の教えであり、「教育勅語」をめぐる論争はさっぱり理解できない、とさえ言っている。また、在日フランス大使館に勤務していたポール・ボネ氏は、現代における日本の子供達の傍若無人ぶりと、教育の一環としての体罰を暴力と位置づけている現代日本の平和ボケぶりを痛烈に批判すると同時に、「教育勅語」の廃止を嘆き、修身教育を絶賛している。

 今、教育現場では、混乱が起きている。子供達の発育は、想像以上に早くなった。小学校高学年で、思春期の反抗行動さえ始まっている。しかし、体の成長に彼らの精神的成長が追いついていない。そのことで、多くの教師は、高い壁にぶつかっている。何故なら、彼ら生徒達をまとめられなくなっているからだ。心無い親達は、教師の質が落ちた、などなど教師を批判するような言葉を無神経に子供達の前で吐く。それだけではない、父親の悪口さえ子供達の前で披露する有様である。子供達が、道に迷って当たり前である。

 確かに、戦後教育に大きな問題があった。そのツケが、今回ってきている、ということもいえる。しかし、現状、教育現場を見ていると、子供達にとって最も身近な存在である大人達すなわち親達に、問題がある場合が多い。PTAでは、体罰を暴力として禁止し、教師は教育現場というジャングルで、雁字搦めの丸腰状態で奮闘している。生徒に体罰を加えようものなら、その教師はたちまちPTAによって「暴力教師」として葬り去られてしまう。このような環境で、どうして子供達の教育などできようか? 親の道徳心が欠落しているのである。子供達の道徳心が欠落していても当たり前である。子供達を教育する前に、まず国は親達大人を教育しなければ、この国は本当に滅びてしまうであろう。非常に大きな危機感を覚える。当然のことながら、教師もお座成りの教育は許されない。何年かに一度、教師資格の更新審査などの制度も取り入れ、やる気の無い教師には退陣願う。しかし、同時に、我々親も、道徳心を養う必要があるのではないか。強く、そのように思う。そこで、ここに「教育勅語」の原文と口語訳文と「修身」を掲載することにした。よく、読み直して、色々なことを感じて頂きたい。


■教育勅語■

朕惟フニ、我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ。 我カ臣

民、克ク忠ニ克ク孝ニ、億兆心ヲ一ニシテ世々厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ

精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス。 爾臣民、父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦

相和シ、朋友相信シ、恭儉己レヲ持シ、博愛衆ニ及ホシ、學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ

智能ヲ啓發シ、徳器ヲ成就シ、進テ公益ヲ廣メ、世務ヲ開キ、常ニ國憲ヲ重シ、

國法ニ遵ヒ、一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ。

是ノ如キハ、獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スル

ニ足ラン。斯ノ道ハ、實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘ

キ所、之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス。朕爾臣民ト倶ニ拳々

服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ。

明治二十三年十月三十日

御名 御璽


■教育勅語 口語訳文■

 私は、私達の祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じる。そして、国民は忠孝両全の道を完うして、全国民が心を合わせて努力した結果、今日に至るまで、美事な成果をあげて参りましたことは、もとより日本のすぐれた国柄の賜物といわねばなりませんが、私は教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じる。

 国民の皆さんは、子は親に孝養をつくし、兄弟、姉妹はたがいに力を合わせて助け合い、夫婦は仲むつまじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じあい、そして、自分の言動をつつしみ、すべての人々に愛の手をさしのべ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格をみがき、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また法律や秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければならない。そして、これらのことは、善良なる国民としての当然のつとめであるばかりでなく、また、私達の祖先が、今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、更にいっそう明らかにすることでもある。

 このような国民の歩むべき道は、祖先の教訓として、私達子孫の守らなければならないところであると共に、このおしえは、昔も今も変わらぬ正しい道であり、また日本ばかりでなく、外国で行っても、まちがいのない道でありますから、私もまた国民の皆さんとともに、父祖の教えを胸に抱いて、立派な日本人となるように、心から念願するものである。

※日本道徳教会訳文参考
            


■教育勅語十二の徳■

1)  父母ニ孝ニ
   親や先祖を大切に。

2) 兄弟ニ友ニ
   兄弟は仲良く。

3) 夫婦相和シ
   夫婦はいつも仲睦まじく。

4) 朋友相信ジ
   友達はお互いに信じあう。

5) 恭倹己ヲ持シ
   自分の言動を慎む。

6) 博愛衆ニ及ボシ
   広く全ての人に愛の手を差し伸べる。

7) 学ヲ修メ業ヲ習イ
   勉学にはげみ技能を身に付ける。

8) 知能ヲ啓発シ
   知徳を養い才能を伸ばす。

9) 徳器ヲ成就シ
   人格の向上に努める。

10)公益ヲ広メ政務ヲ開キ
   広く世の人々や社会の為に尽くす。

11)国憲ヲ重ンジ国法ニ遵イ
   規則に従い社会の秩序を守る。

12)一旦緩急アレバ義勇公ニ奉シ
   勇気をもって世の為に尽くす。


■日本の修身■

1)家庭のしつけ
2)親孝行
3)家族・家庭
4)勤労・努力
5)勉学・研究
6)創意・工夫
7)公益・奉仕
8)進取の気象
9)博愛・慈善
10)質素・倹約
11)責任・職分
12)友情・朋友
13)信義・誠実
14)師弟
15)反省
16)素直・至誠
17)克己。節制
18)謝恩
19)健康・養生
20)武士
21)愛国心
22)人物・人格
23)公衆道徳
24)国旗と国歌
25)国際協調
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by seizaikai_club | 2006-07-31 17:11 | 社会

社会保険庁を解体し退職した警察官を若い警察官指導と交番配置へ復帰採用

社会保険庁を解体し退職した警察官を若い警察官指導と交番配置へ復帰採用
2006年7月29日

 近年、街中の交差点で、若い制服姿の警察官達が複数で、交通違反の取締りをしている姿を見ることが非常に多くなった。交通機動隊でもないのに、交番を空にして、何人もの若い警察官達が、まるで仲良し学生がたむろしているような様子で取締りに当たっている。交差点だけではない、見通しの悪い場所や運転者が違反をし易い場所に潜んでいると表現した方がよいかもしれない。

 違反切符に関しても、その場で振込用紙を渡し、「何日以内に支払えば、点数は3ヶ月で消えるので速やかに支払ってください」などと、まるで商売のような口ぶりである。違反取締に要する時間も、昔のように長くなくほんの数分で終わる。何だか、違反取締のための取締りなのか、違反金徴収目的の取り締まりなのかわからない。

 観察していると、複数で取り締まりに当たっている場合、若い警察官達は順番に取り締まりをしている。共同で取り締まりに当たり、仲間内で同数の違反切符が切れるように取り締まりをしているようである。何故そのような取り締まりの仕方になるのか、と元警察官に訊ねてみると、「ノルマがあるからだ」という答えが返ってきた。何だか、取り締まりにノルマがあるというのは、非常に不自然な気がしてならない。取り締まりの様子を一見すると、歩合制にでもなっているようにさえ見える。大体、本来交番で、近隣の住民を守ることが職務となっている警察官が、交番を留守にして、交通違反が頻発する場所に居座り、交通違反ばかりを取り締まっていてよいのか? 交通違反が頻発するという場所は、頻発する理由があるはずである。そこで、蟻地獄に落ちた蟻を捕まえるような取締りをするよりも、違反が頻発する原因を究明し、違反が再発しないようにするのが本分ではないのか? ノルマ制同様、非常に大きな疑問を感じる。

 それでは、何故若い制服警察官は、交番を留守にして交通違反の取締りばかりに奔走するのであろうか? それには、時代の流れというものが大きく影響しているように感じられる。今の若い警察官達は、正にゲーム世代なのだ。人付き合いよりも、画面と対峙し、自分の世界、ゲームに没頭してきた世代なのだ。交番に勤務して、近隣の住人達に声を掛け、近所付き合いをしながら情報収集というようなことを、一番苦手とする世代なのだ。

 その反面、街角で、まるでインベーダー・ゲームかなにかでインベーダーを打ち落とすことを競う感覚で、同僚と交通違反を狙い撃ちし競い合うことを得意とする世代であるのだ。以前、お台場で覚せい剤を使用して暴走した車の運転手を捕獲しようとした際、その運転手が向かってきたら、若い二人の警察官が一目散に逃げ出した映像がテレビのニュースで流れた。それを見た小泉首相が、激怒したという事件は記憶に新しい。正に、この世代の特徴を顕著に表していた事件ではないか。

 最近の若い警察官の多くは、理不尽さを感じこちらが睨み付けると、目を晒す。逆に、あまりにも理不尽なことにこちらが抗議すると、輪を掛けたように血相を変えて拳銃で撃たれるのではないかと思うほど興奮してしまう警察官にもよくお目に掛かる。極めつけは、挨拶のできない警察官だ。PTAなど地域のボランティア活動に参加していたので、道で若い警察官と擦れ違い様に「こんにちは」と挨拶する。ところが、無視する若い警察官が非常に多い。人と関わることを、得意としない世代なのだ。しかし、国民の安全を維持する警察官が、それでは困る。

 嘗て、交番というのは、交番に勤務する警察官が、こまめに巡回し、近所の住人と顔を合わせると、「どうですか? 何か困ったことありませんか」「おばあちゃん、体大丈夫?」などと声掛けをしてきた。日常化する声掛けの中で、地域の住民と親しくなり、色々な世間話を聞き、噂やら情報を収集していた。それらの情報は、一旦事件が起こった時などに、非常に大きな役目を果たしていた。しかし、最近は、そのような、交番勤務の警察官による、近隣との近所付き合いも減少し、当然のことながら地域の情報や噂も、昔に比べると格段に少なくなってしまったと聞く。その結果、検挙率が非常に低くなってしまった。このようなことが、検挙率低下の原因の全てではないであろうが、大きな部分を占めていることは間違いない。何故なら、現場の私服警察官、俗に言う刑事でさえ、交番や警察署を中心に収集されていた噂や情報が皆無に近い状態になっている、とぼやいている有様だ。

 世界中で、日本の交番制度の素晴らしさが評価され、研究され、参考にされ、それらの国々では交番制度を取り入れようとさえしているというのに、当の日本では、交番は減少傾向にある。それどころか、交番があっても、無人交番である場合の方が多くなってきた。何だか、自国の素晴らしい制度に気付かず、他国がその制度を評価し模倣する、皮肉な話である。そして、日本では、検挙率が激減し、悲しむべき事件が日本中で頻発している。中には、昔のように交番を中心に、近所づきあいで噂や情報を得ていれば、未然に防げた事件も沢山あるように思う。子供達の安全を確保するには、地域に根ざした交番の存在が必要不可欠なのである。

 それでは、どのようにしてこのような問題を解決したらよいのであろうか。そんなに難しくはない気がする。警察官の退官年齢は60歳である。しかし、実際には、今の60歳の人々は、まだまだ元気に働ける年齢である。そして、退官した警察官の中には、多くの優秀な人達がいる。このような退官した警察官の多くは、天下りする。道交法改正後などは、駐車違反取締りの民間企業などへ天下ったりするケースも多いと聞く。だが、彼らの貴重な経験に基づくキャリアからすると、非常にもったいない話である。ここがポイントだ。一旦定年退官した警察官を、若手警察官の指導要員として、準警察官もしくは予備警察官として復帰採用したらよいのではないか。そして、彼らを交番に配置し、若手警察官に交番勤務の基本を伝授してもらえばよいのだ。近隣の住民にしても、人付き合いがぎこちない若手警察官よりも、年配のベテラン警察官との方が親しみ易いはずである。若手警察官を同行し、指導しながら勤務してもらえばよいではないか。

 それでは、その予算はどうすればよいのか? それは、こうである。まず、社会保険庁を解体し、社会保険を廃止し、社会保障の管轄を国税に移行して、税収の中に社会保険も組み込んでしまう。何故ならば、国税は、一人一人の国民の真の懐具合まで把握しているからだ。国税管轄にすれば、今まで社会保険庁が為してきた無駄や理不尽な不祥事が繰り返されることもなくなるはずだ。そして、社会保険庁を解体すれば、その分社会保険庁の職員に割かれていた人権費予算が浮く。その予算を、退官後の警察官を準警察官か予備警察官として復帰採用するための人権費に回せばよいのだ。そうすれば、国民も納得できる。

 今こそ、社会保険庁の問題も治安の問題も、一石二鳥で解決できるチャンスではないか。役人の解雇は、タブーだなどと旧態依然としたことを言っている場合ではない。国民のお金を、勝手に無駄遣いし、いい加減なことばかりをしていきたのは、社会保険事務所と社会保険庁である。彼らの罪を裁き、国民に還元する最良の方法はこれしかない。読者の皆様は、如何お考えか。
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by seizaikai_club | 2006-07-29 10:34 | 社会保険

正露丸裁判にみる裁判官の良識の無さ

正露丸裁判にみる裁判官の良識の無さ
2006年7月28日

 腹痛止めの薬として有名な正露丸が裁判をしていたということは、案外知られていないかもしれない。同時に、ラッパのマークのモノだけでなく複数の薬品会社から正露丸の類似品が販売されていることも、あまり広く一般に知られていないのではないか? 何故なら、多くの消費者は、正露丸は正露丸、1つしかなく1社しか製造してないと思い込んでしまっているからだ。だが、実際には、大小含めて8社から9社の製薬会社から、正露丸は発売されている。このような状況下、正露丸を発売する大幸薬品株式会社は、人知れず類似品を販売する和泉薬品工業株式会社を相手取り、平成17年11月24日大阪地方裁判所に、「不正競業行為差止等請求事件」として提訴していた。そして、昨日すなわち7月27日、大阪地裁は大幸薬品側からの訴訟を棄却する判決を下した。しかし、この判決には、非常に大きな疑問が残る。何故ならば、裁判官が現実を全く把握してないと思われるからだ。

 確かに、大幸薬品側にとっても、自社が80年以上販売してきた製品の類似品が、しかもパッケージ等も酷似した状態で販売されているこということは、非常に重要な問題であり、由々しき問題でもあるはずだ。だが、それ以上に、正露丸を長年愛用する消費者にとって、これは大きな問題である。何故ならば、正露丸愛用者の多くは、幼少時より服用し、正露丸へ対しての信頼は肌染み付いている。また、その効果に対しても、当然のことながら、長年に渡り安心感を抱いている。だからこそ、海外に渡航する時にも、その臭いや見た目から検査されるという煩わしさがあるにも関わらず、常備薬として持ち歩くのではないか。愛用者である消費者の気付かぬ内に、その正露丸の類似品が販売されているどころか、そのパッケージも酷似していて、間違って買ってしまう可能性が非常に高いなどということは、正露丸を信頼し長年愛用している消費者にとって非常に大きな不利益を被ることになることは言わずと知れたことだ。斯くいう私も、大幸薬品の正露丸でないモノを、間違って買ったり買わされたりした経験が何度もある。

 例えば、大手量販店で購入した時などは、大幸薬品の正露丸と100%思い込み、購入し帰宅した。服用してみたところ、粒の硬さや大きさ、そして、微妙に臭いも違うような気がした。改めてパッケージを見直してみたが、いつもの正露丸のような気もするし、違うような気もする。何故なら、正露丸は、一種類しかないと思い込んでいるので、自分が幼少時から服用していた正露丸が大幸薬品という製薬会社から発売されているということもそんなに意識もせず、当たり前で服用し続けてきた。また、ラッパのマークとは言うが、そこまで常日頃から意識して服用してきたということもない。橙色の箱に入り、シンボル・マークが丸い囲いの中にあり、ビンは茶色の半透明で蓋は橙色、そのようなイメージで正露丸という商品は記憶されている。だから、他社のモノは、シンボル・マークがラッパのマークでないので判別できる、などという理由で訴えを棄却する裁判官は、消費者の心理をまったく理解していないとしか言いようがない。また、実際に、ご自分で、薬局に行き、一般人と同じように正露丸を購入した経験も、店頭を視察した経験もないのではないか、としか思えない。

 例えば、薬局によっては、「こちらが正露丸を下さい」というと、何の断りもなく類似品を出してくる。「これは類人品である」という説明もまったくなしである。気付いた場合はよいが、大抵の場合は気付かない。万が一、気付いて問い質すと、「効能にはまったく違いがありません。こちらの方が値段も安くお得ですから」と訳の解らない言い訳をする。長年信頼して服用している薬を、損得で変えることを勧める薬局の人間や薬剤師の感性を疑う。モラルを逸している。金儲けのためなら、商売のためなら、安心や信頼まで、かなぐり捨てるのか? 薬局や薬剤師というのは、誰にでもできる業種ではないはずだ。その自覚というものはないのか? 非常に大きな憤りと疑問を感じていた。そんな矢先、このような判決が下された。本当に、日本人のモラル意識、道徳心というのはどうなってしまったのか。裁判官がこれでは、一般の日本人のモラル意識も低下するのは当然である。

 多分、類似品の方が、薬局にとっての利益率が高いのであろう。そうして、信頼と安心を蔑ろにした分、消費者にとっても多分粒数や値段が、薬局の人間が言うように得なのであろう。ということは、今回の大阪地裁の判決は、類似品を販売している会社の販売促進に加担したと取られてもおかしくない。まったく常軌を逸した判決としか言いようがない。

 効能は、ほとんど変わらない、ラッパのマークでないのでなどと言われても、消費者にとっては、何の解決策にもならない。効能は、あまり変わらなくとも、信頼度はまったく違う。そのことを、この裁判官はまったく無視している。というか、消費者の意識をまったく理解せず、消費者不在の判決であるとしか言いようがない。

 昨今よく耳にするジェネリック医薬品(特許権や商標権の切れた後にオリジナル薬の類似薬品を同業他社が製造し販売する医薬品)という概念にも、消費者の立場からすれば、形は違うがその在り方に影響する裁判ではないか。ジェネリック医薬品は、医師の処方箋が必要なようであるが、その延長線上には一般医薬品もあるはずだ。そういう意味でも、今回の正露丸の裁判は、もっと精査し、如何なる理由があろうとも、消費者に不利益を及ぼすこのないような判決を出すべきであった。それでなくとも、保険業界と製薬業界は、あらゆる意味での硬い砦で守られていると言われている業界である。今までは、全てが製薬業界の方にばかり偏った流れできてしまっている。これからは、消費者側の立場に立った流れにならなければならないはずである。莫大な利益を上げる製薬会社は、政治的な力も強大である。だからと言って、何でも許されるというのではいけない。今回の判決は、ジェネリック医薬品の普及を厚生労働省が推進しだした矢先の判決である。製薬業界の大きな見えざる圧力が働いたのではないか、と勘繰りたくなるのは私だけではないはずだ。

 大幸薬品は、今回の判決を不服として控訴するという。正しい判断であると思う。今後の、裁判を我々消費者も、他人事ではなく、自分達の一番身近にある医薬品の信頼性の問題として関心を持ち、見守り続けるべきである。何故なら、自らの安全は自ら守るしかないのが、今の日本であるからだ。一体、道徳心に守られた、古き良き日本は、一体何処へ行ってしまったのか。それにしても、保険業界と製薬業界が抱える、見逃すことのできない黒く汚い問題は他にも沢山ある。我々国民一人一人が、厳しい目で見守るべきである。
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by seizaikai_club | 2006-07-29 08:23 | 社会

財政難の今こそ消費税率を上げるべき

財政難の今こそ消費税率を上げるべき
2006年7月27日

 消費税率を上げる、ということが国民にとって良くないことのように、共産党や多くのメディアは声を荒げる。しかし、本当にそうであろうか? 増税ということは、これだけ格差が大きくなってきた社会環境下、我々国民に大きな負担になることは間違いない。しかし、他のどの税金を上げるよりも、消費税を上げることの方が、実はより公平な税制を期待できることには、あまりメディアも言及しない。そこのところには、非常に大きな疑問を感じる。多分、政治家は支持率確保のため、そして、メディアは視聴率確保のためということなのだろう。

 確かに、誰も、増税は望まぬことである。だが、高齢化が進む日本の将来を考えると、増税なくしてこの財政難を乗り切ることは難しい。それでは、小泉政権の推し進めるような、高齢者が増加するので高齢者への負担も増やす、という税制や社会保障制度は正しいのだろうか? このような小泉政権によるやり方には、非常に大きな疑問を感じる。社会保障制度というのは、高齢者が増加してしまったので負担も増加するというのではまったく意味をなさない。それまで長年、家族や国のために働いてきたのである。健康保険をはじめ、各種社会保障制度によって高齢者が守られる社会でなければおかしい。

 だが、そうは言っても、少子化が進み、高齢者が増加して、十分な予算が確保できず、社会保障制度が働かないというのでは困ってしまう。ただ遮二無二、社会保障制度を充実させなければと声を大きくしても、その元となる財政を立て直し、十分な予算を確保できなければ、結局は綺麗事の理想論、机上の空論になってしまう。それでは、どのようにして予算を確保するか。やはり、増税しかない。

 ただ、日本の場合、消費税以外の税金に関しては、行き着くところまでいってしまっている。これ以上の増税は、正直国民にとっては非常に厳しいこととなる。そうなれば、いくら世界第二位の経済大国といっても、まったく夢も希望も持てない将来性のない国が、日本ということになってしまう。それでは、まったく意味がない。

 だが、消費税ならば、そんなこともなく財政を立て直すことも可能になるはずだ。諸外国では、消費税率は日本に比べ格段に高い。何故、日本では、消費税を上げるというと大騒ぎになり、消費税を上げるというと政治家も選挙で落選してしまうことになるのか? 不思議でならない。だから、多くの政治家も、消費税を上げる、ということを言いたがらないし、したがらない。このことが、日本の財政を長年に渡って、非常に逼迫した方向へと導いてきたと言っても過言ではない。そういう意味では、今回谷垣財務大臣が総裁選立候補に当たって提言している消費税率10%ということは、非常に勇気のある姿勢であり、国の財政立て直しを真剣に考えているということが伝わってくる。

 消費税率アップが、何故こんなにも日本では反対されるのか、その理由は簡単である。日本は、企業大国であるからだ。何でも企業の思惑通りに動いてしまうのが、日本という国なのである。そのような体質は、小泉政権の5年間で増長されてしまった。自由化ということと、企業優遇ということは紙一重で表裏一体なことであり、公平性を保つことが非常に難しいことなのである。何も企業のみを優遇しようと思い、小泉政権がこのような自由化政策小泉改革を推し進めたのではないはずだ。しかし、結果として、そのようなことになってしまった。一番消費税を望まないのは、国民よりも誰よりも企業である。何故ならば、消費税率が上がれば、当然売り上げに大きな打撃があることは目に見えているからだ。しかし、実際に贅沢品に消費税をより多く掛けたとしても、一時売り上げは下がるであろうが、ちょっとすれば逆に定価自体を上げて一商品当たりの利益率を上げて、採算を合わせていくということは十分に可能なはずである。何故ならば、金持ちは消費税が上がろうが、定価が上がろうが欲しいものを手に入れるはずだからだ。

 メディアは、スポンサーである企業に対しての配慮で、消費税率アップに反対することは理解できる。しかし、反企業的な共産党が、何故消費税率アップは不公平増税だと騒ぐのか? これには、非常に大きな疑問を感じる。消費税率を上げることが、国民にとっては一番公平な増税であるのに。消費税というのは、モノに課せられている税金である。ということは、消費税率を一律にしなければ、これ以上公平な税率はないはずだ。

 例えば、国民が生きていくために最低限必要なモノである食料品や水や電気やガス、これらには最低限の税率もしくは税金を掛けないようにする。しかし、反対に、車や高価な装飾品などには、それこそ30%とか35%という大きな税率を掛ければよい。経済的に余裕のある国民は、高い消費税を払っても欲しいものを手に入れ、消費税を払う形で国に貢献すればよい。その代わり、相続税などを現状のように世界一高い水準に上げず、頑張れば頑張っただけ希望の光を見ることができるように良識的な線まで下げればよいのだ。消費税を沢山払いたくない人は、そういう贅沢品を買わなければよいのだ。これ以上、公平な税制はない。何も、誰も中流の人々までが、今の日本のように、シャネルを持ち、ビトンを持ち、猫も杓子も車を持ち乗り回す必要などないのだ。道交法が厳しくなり、駐車しにくくなったのだ、これだけ公共交通機関が発達している日本である。それらを利用すれば、良いだけのことだ。休日には、レンタカーを使えばよい。困った声を上げるのは、日本財界をリードするトヨタをはじめとする自動車業界など贅沢品を製造する企業だけではないか。

 実は、このような税制になっている国は非常に多い。社会保障制度が充実している北欧諸国、そして、アジアでは香港がこのような税制であり、その効果は間違いなく出ている。車は、庶民には高嶺の花になっている。しかし、最低限の生活は保障されている。そして、年取ってからの生活も保障されている。どう考えても、小泉政権が推し進めた、高齢者へも負担を増加するということでの各種控除の廃止や健康保険のカバー率の引き下げは、高齢化という時代の流れには逆行した政策である。高齢者が増えたから、負担を増やすというのではなく。高齢者が増えたからこそ、社会保障制度を今まで以上に充実させるというのが本当の政治であるはずだ。

 ただ、それには元となる財政の立て直しが必須条件である。そう考えると、増税は免れない。それならば、一律に全てを増税するのではなく、上記したような消費税制を取り入れ、所得税や相続税などの税金は据え置くか、負担を逆に軽減する方が、国民も夢を持てる。国民が夢を持てれば、頑張ることもできる。国民が頑張れれば、日本の経済も再起し、財政も上向きになるはずである。何でもかんでも増税反対ではなく、良く考慮して、日本の将来を見据えた税制改革を、国民一人一人も真剣に考える時がきているのだ。今、真剣に、税制改革を推し進めなければ、日本に将来はないことは間違いのない事実である。
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by seizaikai_club | 2006-07-27 18:37 | 経済

靖国A級戦犯合祀問題は昭和天皇並びに其々のA級戦犯を深く理解してこそ初めて語れる大切な問題

靖国A級戦犯合祀問題は昭和天皇並びに其々のA級戦犯を深く理解してこそ初めて語れる大切な問題
2006年7月25日

 今回の昭和天皇のお言葉を故富田元宮内庁長官が書き残したというメモが見つかった問題をキッカケに、小泉首相の靖国参拝反対という世論が60%を越えたという。非常に悲しむべき結果である。この時期に、一部の政治家や財界人の私利私欲や思惑のために、あのようなメモを世間に公表し、世論を扇動することを画策した人間達の罪は非常に重い。

 靖国におけるA級戦犯合祀の問題は、隣国からとやかく言われどうこうする問題ではない。また、このようなメモがスクープされたということだけで、靖国参拝反対の世論が扇動されてしまうというような軽い問題でもない。本来、当時の昭和天皇のおかれていた立場、それぞれのA級戦犯のおかれていた立場と責任、また、当時の日本の状況、世界情勢、アメリカの思惑など、全てのことをよく検証し、研究し、理解し、東京裁判自体をも公平なる見地で検証し直して、初めて論じることができる問題である。近代日本史において、この問題は、最も重要で大切な問題である。それが、こんなにも軽はずみに報道され、日本国民に偏向した情報のみを流す昨今のマスコミをはじめ、政治の風潮には、非常に大きな懸念を覚える。

 今、どれだけの日本人が、当時の日本の状況を正しく理解し、靖国参拝反対だの、皇族廃止だの、A級戦犯合祀反対だのと大きな声を上げているのであろうか? 近隣諸国の思惑で吹聴されている一方的な情報だけを基にし、まるで全てを知ったかのようなことを言っている日本人が非常に多いように思う。

 当時、日本は帝国憲法下にあった。帝国憲法は、立憲君主制を旨としていた。どういうことかというと、君臨すれども統治せずということである。先の大戦開戦にあたって、昭和天皇一人が、専制君主なみの強い意志を発揮できたわけではない。裏を返せば、戦争を回避するために昭和天皇が強い意志を発揮することも、非常に困難な状況であったのだ。これは、昭和天皇擁護論ということで言っているのではなく、それが当時の日本政治の在り様であったということを偏向することなく言っているのだ。

 戦後の平和憲法で、昭和天皇は象徴天皇となった。しかし、実際のところ、戦前戦中も、実はそれに近い立場であった。勿論、名目上は大日本帝国憲法第11条によって、天皇陛下は日本国軍隊の頂点とされていた。だが、実際には、昭和天皇の立場は象徴的であり、強固な軍人にも、強固な平和主義者にも成り得ない立場であった。が、故に、「四方の海、みな同朋と思う世に、など波風の立ちさわぐらん」という句に、自分の力が及ばぬ虚しさと開戦への失望感を込め、昭和天皇は詠ったのだ。そのことは、戦後、マッカーサー元帥と昭和天皇の通訳をした寺崎英成氏らによる昭和天皇への聞き取りによって編纂された「昭和天皇独白録」にも、明確に記されている。一部を抜粋する。

「私が、もし開戦の決定に対して『Veto(拒否権)』をしたとしよう。国内は必ず大内乱となり、私の信頼する周囲の者は殺され、私の生命も保証できない、それは良いとしても結局狂暴な戦争が展開され、今次の戦争に数倍する悲惨事が行われ、果ては終戦も出来かねる始末となり、日本は亡びることになったであろうと思う」

 昭和天皇は、軍部の主導により、国民の中に、既に止めることのできない攻撃的な雰囲気が蔓延しだしてしまっていることを感じ取っていた。そのことにより、絶望感を抱いていたことを滲ませていたことを物語る一文である。

 立憲君主制は、権威(天皇陛下)と権力(軍部・政治)の二重構造であった。だが、権力は、往々にして、権威を利用することができた。「統帥権の独立」は、その典型的な例であった。統帥権とは、天皇陛下が軍を統帥する権限のことである。内閣や議会の助言や関与なしに、軍部の助言のみで、天皇陛下が判断を下せるシステムが「統帥権の独立」である。つまり、軍が恣意的に天皇陛下を囲い込むことができる考え方だ。言ってしまえば、この「統帥権の独立」が諸悪の根源であったのだ。集団の力というのは、どんなに強い個の力よりも勝ってしまう瞬間があり、その瞬間を越えた時、集団は暴挙へと邁進する。そのことは、幾度となく歴史で繰り返されてきた悲劇の原因の一つでもある。日本も、例外ではなかった。

 ここでよく検証し、理解しなければならないのは、それではそのような集団の力を扇動したのは誰達で、誰達の思惑や私利私欲で全てが動き出してしまったのかということだ。一般的には、当時内閣総理大臣であり、陸軍大臣や内務大臣も兼務し、参謀総長をも務めていた、軍部の最高権力者であった東条英機が、先の戦争の張本人であり、全ての責任は東條英機にあったとされている。その東条英機が、靖国に合祀されているから、靖国参拝反対とする隣国や日本人も多い。しかし、本当に、東條英機が先の戦争を始めたのであろうか? ここのところには、非常に大きな疑問が残る。このことは、東京裁判と合わせ、新たに一から検証しなおさなければならぬ重要かつ大切な問題であると思う。何故ならば、事実は一つだが、真実は当事者の数だけ存在するからだ。真実とは、それぞれの当事者の思惑が事実に影響して成されるからだ。

 東條を知る多くの人の証言として、東條英機という人間は、世間一般が抱いている印象とは正反対で、軍人といっても事務方エリート官僚というイメージが非常に強かったということだ。破壊的ではなく、和を重んじ、争いごとを好まなかったという。そして、誰もが口を揃えて東條について語ることがある。それは、東條英機という人間は、無宗教で、あまり感情も表さない冷めた人間であったが、一つだけ熱き思いを抱いていた。それは、昭和天皇へ対しての情愛であった。これは、十人が十人語る東條英機の印象である。東條英機は、心底昭和天皇のことが好きで、大切に思っていた。故に、東條英機だけは、絶対に昭和天皇が望まないことを推し進めるようなことは望まなかった、と多くの人々が証言している。

 その証拠に、一般的には、東條が先の戦争を始めたと言われているが、昭和天皇の開戦を望まないという意思を知り、必死に開戦を避けるべく対米和平交渉を推し進めようとしていたというのだ。しかし、残念ながら、堅物で物静かなエリート官僚的な軍人東條英機にとって、海千山千のアメリカ人を相手に外交手腕を発揮することは難しかった。そのことが、後に外務省や軍部を暴走させる、一つのキッカケにもなったとさえ言われている。皮肉なことに、何だか今の日本を見ているような気がしないでもない。

 ただ、ここで、一つだけ理解しなければならないことは、当時、アメリカは、どうしても日本を戦争へと追い込みたかったということだ。それが、アメリカの政治的思惑であった。よって、東條に代わって誰が、アメリカと和平交渉をしたとしても、結果は同じであったことは間違いない。1941年8月、アメリカは日本への経済制裁の最終段階として、石油輸出を全面禁止した。これは、アメリカの戦争史を振り返れば一目瞭然だが、アメリカが戦争を利用する際の常套手段である。このような当時の世界情勢や背景、そして、今まで直隠しにされてきた当時のアメリカの思惑を考慮し、極東国際軍事裁判(東京裁判)に関しても、今こそ改めて表裏を通して検証し直すことが、歴史を正しく残していくということであり、我々現代日本人に課せられた役目ではないか。当時は、アメリカはじめとする連合軍側の思惑で裁判が行われ、判決が下され、歴史として残された。しかし、どんな歴史にも表裏があり、そのような表裏の事情を正確に見極めて、本当の歴史を残すということを、後世の人間がしなければ歴史は歪曲され、偏向された事実に反する形でしか残らない。

 最後に、東條英機の人柄を表すエピソードとして、「戦陣訓」のことを少し語ってこの文章を締め括ることにする。東條英機が、陸軍大臣として1941年に発した「戦陣訓」には、当時の日本の軍の状況や日本人の精神性の一端が顕著に表れている。改めて「戦陣訓」として、天皇陛下の軍隊であることの誇りと、日本伝統の武士道精神を重ね合わせ行動規範とした。その背景には、日本軍兵士の問題行動があったと言われている。中国戦線において、民間人の殺害や略奪やレイプなどが頻発し、日本軍人による暴挙が目に余る状況になっていたことに、東條は心を痛めていたという。その為、東條は、軍隊内での規律を正そうと「戦陣訓」を発したと言われている。

 ただ、皮肉なことに、東條がこの「戦陣訓」を発したが故に、多くの日本兵達を死に追いやってしまったという事実もある。何故ならば、「戦陣訓」では、捕虜になることを恥だとも解いていたからだ。しかし、道徳心が著しく欠如する昨今、軍国主義を回帰するのではなく、「教育勅語」や「戦陣訓」の回帰により、道徳心や大和魂、そして、日本人としての美意識を回帰することは、現代日本人にとって必要なことではないか。

 追記として、東京裁判で、東條英機の発言が二転三転したのも、東條が昭和天皇の戦争責任を何とか回避させたいという強い思いから、自らの誇りを捨ててのことであったということを記しておく。

【戦陣訓其の二・第八】
 恥を知る者は強し。常に郷党家門の面目を思い、愈々奮励してその期待に答うべし。生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すことなかれ。
【戦陣訓其の三第一の6,7】
 敵産、適資の保護に留意するを要す。挑発、押収、物資の燼滅等は規定に従い、必ず指揮官の命に依るべし。皇軍の本義に鑑み、仁恕の心能く無辜の住民を愛護すべし。
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by seizaikai_club | 2006-07-25 15:28 | 靖国神社参拝問題

昭和天皇まで政争や商売に利用した許しがたき反小泉勢力の暴挙

昭和天皇まで政争や商売に利用した許しがたき反小泉勢力の暴挙
2006年7月23日

 先の記事でも指摘したが、日本経済新聞のスクープとして、「A級戦犯合祀」に関わる昭和天皇の胸中を表すとされるメモが公開された。何故、ポスト小泉で世間が揺れるこの時期に、ワザワザこのようなメモが世間の目に晒されなければならないのか? 非常に大きな疑問を感じる。一部のコメンテーターは、昭和天皇の心中を詳らかにした、靖国参拝問題に一石を投じる非常に意味あることだ、というような馬鹿げた発言を、公益性の非常に高いテレビ等で偉そうにコメントしている。しかし、そうであろうか?

 確かに、嘗て現人神であられた昭和天皇も、戦後は象徴天皇となりある意味一人の人間であるのかもしれない。しかし、昭和天皇は、我々一日本人とは違い、「自由」もなく、「私」もなく、24時間全てが「公」であった。それは、日本国の恒久の平和を願ってのことであったはずだ。昭和天皇は、個人を捨て国のために自らの一生を捧げられた。メモに書かれていたような、個人的な私心はあったのかもしれない。しかし、それは如何なる理由があろうとも国民の目に晒してはならない、ということが「私」を捨てられ日本国のために全てを捧げられた昭和天皇へ対する最低限の礼儀ではなかろうか。

 そして、昭和天皇は、そのような特殊な環境下にありながら、側近中の側近である宮内庁長官を信頼し、心中を吐露されたに違いない。にもかかわらず、お膝元である宮内庁の長官のメモが、世に流出するということは何事か。しかも、政治が靖国の問題で揺れているこの時期、ポスト小泉で揺れるこの時期、どこまで昭和天皇や皇室を政争に利用したら、政治家や財界人は気が済むのか。これは許されざる暴挙であるとしか言いようがない。

 側に仕えていれば、昭和天皇の私心を耳にすることもあるであろう。しかし、生まれ育ちの全く違う侍従が、その行間や本意まで100%理解できるとは考えにくい。人は、十人十色考え方も感じ方も違う。受け取る人間によって、同じ言葉でも意味が違って伝わる場合だってある。ましてや、昭和天皇のお言葉を、軽はずみに国民に晒すことが必要なのか? そのこと自体が、「私」を捨てられ、国に全てを捧げられた天皇陛下を冒涜する行為ではないか。

 大体、昨年の古賀誠氏による遺族会の意志を歪曲して政争に利用した事件にしても、今回のことにしても、反小泉勢力は、国益よりも私憤や自分達の思惑を果たすべく手段を選ばぬ行為を繰り返している。今回の件も、昨年の遺族会を利用した時と、あまりにも流れが酷似している。中国にゴマをすり、中国に擦り寄り、中国のマーケットを確保したい日本財界を味方につけ、日本の国益に反するような行為を、まるで愛国の徒のような顔をして行う。これは、非常に許しがたいことである。靖国参拝問題にしても、これは心の問題であり、隣国にとやかく言われて動くべき問題ではない。日本国として、内政として、一切の他国からの内政干渉を排除して結論を模索すべき問題であり、それには、今、その問題が隣国の思惑で取沙汰され、ポスト小泉の争点になっているこの時期に、答えや変化をだすべき問題ではない。にもかかわらず、昭和天皇のご心中を記したであろうメモまで引き合いに出し、政争に利用しようとしているということは、許されるべきことではない。拝金主義に目が眩んだ日本の財界人が背後で糸を引いていることは、この昭和天皇のメモをスクープしたのが日本経済新聞であることからも一目瞭然である。そして、これは、財界にとどまることなく、政界にも一派が広がっており、懸念すべき非常に大きな問題である。商売のために、自我のために、中国に日本の魂まで売るのか、と大きな声で問いたい。これこそ、正に売国奴と呼ばれても致し方のない悪行である。

 最後に、今回の昭和天皇の私心を表したメモに関しては、必ずしも100%正確に昭和天皇の心中を伝えたものではない可能性があることを明記しておく。どういうことかと言うと、昭和天皇と接触のあった侍従や宮内庁長官の発言や今回のようなメモは、その部分だけを切り取ってみても、本意を見極めることはできない。長い時間、昭和天皇と日々接触してきた人々の話や文章を総合して判断しなければならない。確かに、あのメモだけを見聞すれば、いかにも昭和天皇が「A級戦犯全員との合祀に反対していた」かのように受け取れる。しかし、行間を読み取り、前後の言葉を読み取らなければ、昭和天皇の本意を理解することはできない。

 確かに、合祀に大きな不快感を表していたのかもしれない。だが、それはA級戦犯全員に対してではなく、日本を間違った方向、即ち三国同盟へと導いた松岡洋右と白鳥敏夫に対し、終戦直後、いや戦中から昭和天皇は不快感を示していた。よって、この故富田朝彦元宮内庁長官のメモにある文章の行間には、昭和天皇による松岡や白鳥合祀に対する憤りが潜んでいる。その松岡や白鳥に対する憤りに端を発し、このような言葉が繰り出されていたと理解した方が自然であろう。もし、昭和天皇が、全てのA級戦犯を否定的に捉えていたならば、戦後、松岡と白鳥以外のA級戦犯遺族に、毎年命日に引き出物を贈るようなこともしなかったはずである。占領軍として戦後、日本を治めていたアメリカへ対しての昭和天皇の立場的配慮は、昭和天皇の吐露される言葉の全てに伺える。そのことも配慮して、昭和天皇のお言葉を理解するべきである。大体、実際にA級戦犯が合祀されるのは、このメモの日付から3年後のことである。どう考えても、不自然である。合祀される前から、参拝は中止されていたのである。

 天皇陛下も人間である。心中どのように思われても、それは自然である。ただ、立場上、皇室の方々は、自分達の「私」を捨て、日本国の平和のために「公」で生きていらっしゃる。信頼する侍従や側近である宮内庁長官に心中を吐露されることもあるであろう。しかし、それは皇室の方々と宮内庁職員との信頼関係の上に成り立ってのことであるはずだ。それが、今回のように軽々しく公表されてしまうのでは、それでなくとも「私」もなく「自由」もない日々を強いられている皇室の方々は、どうされたらよいのか? 非常に大きな疑問と憤りを覚える。例え、このようなメモが存在し、そのような昭和天皇の私心があったとしても、それは公開するべきではなく、誰にも公開する権利はない。それどころか、このような微妙な時期に、このようなメモをリークした人々は、国賊と断じられても致し方ない。この報道を、隣国が利用して糾弾してきたら、それこそ日本の国益に反することは間違いないのだから。

 どちらにしても、このメモをリークした人間も、後先考えずにこれをスクープした記者も、その記事を受け入れ掲載したメディアも、また、このことを政争に利用しようという思惑でメモをリークさせるべき圧力や説得をした政治家や財界人も、その罪は重い。決して、許されるべきものではない。

 本当に、日本人の道徳心というのは、どこにいってしまったのか? 大和魂はどこにいってしまったのか? このような悲しむべき日本の現状に於いて、全ての諸悪の根源は、子供達でもなく、若者達でもないことは明らかだ。物質主義と拝金主義に翻弄される日本の財界や政界に君臨する支配階級の大人達や企業こそ、廃退した現代日本の諸悪の根源であることは間違いない。日本は、今こそ「憂国の士」を必要とする時ではないか。
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by seizaikai_club | 2006-07-23 16:30 | 靖国神社参拝問題

福田康夫氏による総裁選出馬せずの英断は評価に値する

福田康夫氏による総裁選出馬せずの英断は評価に値する
2006年7月22日

 福田康夫氏が、遂に総裁選不出馬の意向を発表した。これまで、福田氏は出馬するのか否かハッキリさせなかった。出馬すれば、同じ森派から安倍氏と福田氏という二人の候補を輩出することになり、派閥内の混乱も予想されていた。派閥政治が、過去の産物と言われるようにはなったが、派閥政治脱却を提唱してきた小泉首相の出身派閥が、未だ派閥職を色濃く表していたポスト小泉問題にも、これで一応一区切りが付いた形になった。

 安部氏に続き二番人気ではあったが、福田氏のこれまでの動向は、総裁選出馬に関しハッキリしたことも言わず、差しさわりのあることは一切言及せず、ということを貫き通してきていた。しかし、そのような醒めた対応に、内外から批判の声も上がりだしていた。一国の総理を目指す者ならば、ハッキリとモノを言い、人心を捉えるような言動をしなければ駄目だ、というような批判をする政財界人も多くなってきていた。国民の目には、ずる賢い人、と映りだしていたようだ。当選する可能性が低いのであれば無駄な戦いはしない、というような人柄を国民は望まない、などということさえ囁きだされていた。確かに、あまりにも良い子過ぎるというのは、政治の世界では逆効果になるということが間々ある。福田氏の場合、正にこのケースであったのかもしれない。慎重さを演出するあまり、醒めたそのような言動が、人心を離れさせることになってしまったのであろう。ただ偉いのは、そんな民意の変化をも見逃すことなく察知しての、今回の不出馬表明である。皮肉なことではあるのだが。

 もう一つ評価しなければならないことは、今回の不出馬表明の際、その理由として福田氏が挙げた靖国問題に関してのことだ。福田氏が出馬することになれば、総裁選の焦点が靖国問題になることは明らかであった。隣国の思惑を満たせる結果にもなりかねず、国益に反することにも成りかねなかった。そのことを回避するため、総裁選出馬を断念する決意をしたというような旨を、福田氏は発表した。このことが、本当か体裁かはわからない。しかし、この判断は、十分評価するに値することであり、彼が、自分の名誉や欲よりも国益を優先した、と取れる発言であった。もしかすると福田という人は、世渡り上手ではなく、人付き合いも下手だが、愛国心は人一倍強い冷静な人なのかもしれない。今後の活躍に期待したい。
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by seizaikai_club | 2006-07-22 16:52 | 政治

「昭和天皇『合祀』に不快感」という報道に大きな疑問

「昭和天皇『合祀』に不快感」という報道に大きな疑問
2006年7月20日

 7月19日水曜日の日本経済新聞を皮切りに読売新聞の夕刊、その日と翌日のテレビ・ラジオのニュース、そして、翌日の朝刊等の一面で、昭和天皇が靖国神社のA級戦犯合祀に関し、「だから私はあれ以来参拝していない。それが私の心だ」という旨を語ったとされるメモを、当時の宮内庁長官故富田朝彦氏が残していたと一斉に報道した。しかし、小泉首相の靖国参拝問題が取沙汰される今、また、ポスト小泉が世間の話題になっている今、何故このようなメモが突然できたのかということに、大きな疑問を感じざるを得ない。非常に意図的な感じがしてならない。

 読売新聞の7月20日木曜日の夕刊一面には、このように書かれている。「遺族によると、富田氏は昭和天皇との会話を日記や手帳に詳細に記していた。このうち88年4月28日付けの手帳に「A級が合祀され その上 松岡、白取までもが」「松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と 松平は平和に強い考えがあったと思うのに 親の心子知らずと思っている だから私はあれ以来参拝していない それが私の心だ」などと記述がある。また、この記事の中では、このメモが如何に信頼性の高いものか、ということが強調されている。

 確かに、故富田宮内庁長官は、昭和天皇の言葉をメモに残していたのかもしれない。だが、天皇陛下が発せられた言葉を一字一句洩れなく書き留めていたかは疑問である。物理的に言って、人が人の喋った言葉を、間違いなく一字一句書き留めるということは、特別な訓練をされた人間でない限り無理である。勿論、要旨を書き留めることは可能である。しかし、言葉に秘められた行間的な思いや、微妙なニュアンスまでは、100%確実に書き留めることは不可能なはずだ。十人十色、感じ方も、考え方も違うのである。同じ言葉を聞いても、聞く人間の思想や思惑によって、内容は微妙に変わってしまうはずである。

 大体、何故、この微妙な時期に、このようなメモが登場しなければならないのだ。非常に意図的なものを感じる。これだけしっかり残されているメモであるならば、何もこの時期ではなく、もっと早い段階で世間の知るところとなってもおかしくはない。一部の人間の思惑が、このメモの公開に影響しているとしか考えようがない。

 ポスト小泉が焦点になっている現状、また、隣国より小泉首相の靖国参拝が問題視されている今、靖国問題自体がポスト小泉の選択に影響がでるこの時期に、このようなメモが出てくること自体、非常に不自然である。このメモの登場によって、靖国問題の世論が変わり、ポスト小泉選択にも影響が出れば、喜ぶのは靖国問題を盛んに取沙汰している隣国だけであり、日本は外圧に屈指、内政干渉されたと言っても過言ではない事態にさえ成り得る。ある意味、今回のメモ騒動は、国益に反する行為であると言っても過言ではない。そのように、国益にも大きな影響が出る可能性があるような報道を、迷うことなく一面に掲載する大手新聞社の倫理観を疑わざるを得ない。

 大体、昭和天皇が心中で思っていた問題であり、その立場上公言はできなかった問題である。それをこのように公にしてしまうということは、その行為自体が昭和天皇に対する冒涜行為であり、昭和天皇の尊厳をも損ないかねない行為と言っても過言ではない。このメモを記事にするべく加担した人間達の罪は非常に重い。戦後、昭和天皇には象徴天皇としての立場があった。その中で、嘗て現人神であられた昭和天皇が、人として歩を進めていくには色々な苦しみも悩みもあったに違いない。我々一般人のように、自由に発言することも許されず、全てが公であり、自由というものはまったく許されていなかったと聞き及ぶ。だからこそ、そのような昭和天皇の尊厳は、未来永劫守らなければならないのではないか。

 百歩譲って、メモの通りの思いを昭和天皇が持っていたとしよう。だからといって、昭和天皇は、そのことによって、政治的に影響を及ぼしたいと考えたであろうか? 答えは、否である。そのことによって、隣国の主張に日本国が屈することを昭和天皇が望んだであろうか? この答えも、否であろう。

 先の大戦では、多くの日本人が命を落としていった。その先人達の魂は、靖国神社に宿っている。それは、今に生きる我々には理解できないことであり、我々が現世で議論するべきことでもない。当時、何も知らずに、召集令状に従い、愛する家族や人々を守るべく、国のために出征していった先人達は、上官の命令を信じ、日本国を信じ、「死んだら靖国で再会しよう」ということを合言葉に命を国に捧げていった。彼らが拠り所としていった場所が、靖国神社なのである。それは、宗教だの、政治だの、という問題ではなかったのだ。その思いを、我々は一番大事にしなければならない。理屈ではなく、政治的な思惑でもない。国の為に命を落とした先人達の屍を踏み越えて、今の日本の平和は成り立っている。だからこそ、靖国参拝の是非を議論する以前の問題として、国の為に亡くなった先人達が拠り所にしていた靖国に手を合わせるということは、当たり前のことなのである。そのことは、如何なる理由があろうとも、誰にも批判されるべきことではない。何も、宗教云々という問題ではない。靖国神社を信じろとか、靖国神社に手を合わせろと言っているのではない。靖国を拠り所として命を落とした先人達の魂に手を合わせてしかるべき、と言っているだけのことである。小泉首相が靖国を参拝する思いも、まったく同じ次元でのことであると思う。例え、公人である総理大臣であろうが、いや、総理大臣だからこそ、国の為に命を落とした先人達の英霊にまずは手を合わせる、それが当たり前ではないか。A級戦犯が合祀されているか否かという問題以前の良心の問題である。

 A級戦犯の是非は、簡単には語れない。そのことを判断しようと思えば、極東軍事裁判の是非をまずは正しく検証しなければならないであろう。現状、それが無理な以上、そのこと是非は明言できない。ただ、A級戦犯の人々に関しても、それぞれ絞首刑等で罪を負ってこの世を去ったわけである。死してまでも罪を問われ、手を合わせてもらうことも許されないというようなことは、人の道として、本当に正しいことなのであろうか。非常に大きな疑問を感じる。そのような発想になれば、究極の発想として、何故天皇陛下は、現人神であり最高責任者であったにも関わらず、彼らA級戦犯の人々によるとされる暴挙を止められなかったのか、という発想にまで至ってしまう。それは、あってはならないことだ。

 例えば、会社で、代表取締が感知せず、知らされていなかったことでも、一旦ことが起これば、代表取締役が責任を取らされるではないか。組織というのは、大きくなればなるほど、一個人の力が働かなくなる瞬間があるものだ。例え、独裁者だとしても、パイオニアだとしても、あるポイントを過ぎると自らの力が働かなくなり、見えない力に操られ動いていってしまうものである。それが、人の世の常であり、一人一人の人間の小さな力が結集されての大きな魔力なのである。先の戦争では、そのような魔力が、悪い方向に働いてしまった。だからこそ、占領軍は天皇陛下を象徴天皇として、今度は一人一人の日本人の神通力が、良い方向に働くように仕組んだのではないか。そのことの是非も、今は問えないのだが。

 ただ、ハッキリと言えることは、もう二度と、天皇陛下や皇室を政争や政治的思惑で利用してはならない、ということである。何故なら、皇室というのは日本の文化の一部であるからだ。今回のメモに関してのスクープは、そのような暗黙の掟を破る行為であり、日本文化を汚す行為である。それが皇室お膝元である宮内庁関係者から出たということに、大きな懸念を覚える。と同時に、日本人の道徳心というものが、そこまで地に落ちてしまったのかと、日本の将来を憂わずにはいられない。本来、「先憂後楽」でなければならないはずが、今の日本は、「先楽後楽、我欲一辺倒」となってしまっている。本当に、これで良いのであろうか。非常に大きな疑問を感じる。
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by seizaikai_club | 2006-07-22 15:56 | 靖国神社参拝問題

アメリカも頭を悩めるイスラエルのベイルート攻撃

アメリカも頭を悩めるイスラエルのベイルート攻撃
2006年7月20日

 今回のイスラエルによるベイルート攻撃は、色々な意味で頭の痛い問題である。アメリカにとっても、例外ではない。現在、アメリカ海軍ならびに海兵隊は、ベイルート在住のアメリカ人救出作戦に奔走している。海兵隊のCH-53Eスーパー・スタリオン・ヘリコプターは、キプロスへ避難するアメリカ市民を連日ピストン輸送している。また、強襲揚陸艦イオー・ジマ(USS Iwo Jima LHD 7)は、現在、アメリカ市民を避難させるべくベイルートへと全速力で向かっている。俄かに、アメリカ軍の動きは活発化してきた。一週間前までは、北朝鮮がミサイルを発射したことで、極東アジア地域で緊迫した状況が続いていたが、イスラエルがベイルートを攻撃したことで、中東の緊張感が一気に高まり、東アジアは優先順位2番目へと格落ちしたというところか。

 しかし、だからと言って、東アジアの危機感が遠のいたわけではない。アメリカの特使が和平行脚をして回った直後は、歴史的経験論からいっても、戦争が起こる確立が非常に大きい。今回、ヒル氏は行脚を繰り返した。同時に、第二期ブッシュ政権発足直後より、ライス女史は、中東での和平行脚を繰り返した。早い遅いで言えば、中東の方での行脚は早かった。そして、ライスとヒルでは、政府内での力はライスの方が強い。そうやって考えると、北朝鮮危機に圧されたことで、ライスが俄かに動きを活発化させ、イスラエルのベイルート攻撃という胆略的な軍事過激行動が行われたという可能性もなくはない。

 確かに、イスラエルの行動にも問題がある。その反応が、あまりに急であり、過激すぎる。だが、過去の事象を振り返ってみると、今回の相手はヒズボラであるが、パレスチニアンをはじめとするアラブ側の行為も胆略的で過激すぎる。これは、彼らの民族性や文化に起因するところが大きいのかもしれない。こんな身近な例がある。

 嘗て、私がアメリカの大学で国際関係学を専攻し学んでいた時のことである。その当時、私の担当はイランであった。日本人の私にとっては、未知の国であり民族であった。アメリカでは、イラン人の大親友がいたが、イランの国のことや歴史や政治のことは、まったく知らないと言っても過言ではない状況であった。そのような状況下、研究を続けた。私達の学部では、ペーパー・テストはなかった。全て実践的な発表形式での授業とテストであった。それは、私達の学部内に、CIAの地区事務所があり、教授陣も全てCIA職員と教授という二束の草鞋を履いていたので、非常に実践的な授業が行われていたのである。勿論、衛星写真等も6ヶ月の賞味期限切れの本物を使用して研究ができた。話が逸れてしまったので元に戻す。そのような恵まれた状況の中で、私のイランに関しての発表の時が巡ってきた。オーバーヘッドを使って約1時間、それまでの研究結果を発表した。ところが、その発表の途中で、パレスチナからの留学生の数人が、突然、その内容は間違っていると言い、私に駆け寄りオーバーヘッドを壊し、襲い掛かってきた。直ぐに、スクール・ポリスが来て事なきを得たが、彼らは普段同じ学部の仲間である。それも、我々の学部は、特殊な学部で生徒の人数も少なく皆比較的親しくしていた。そのような関係であっても、彼らは政治的な話になると命懸けで過激な人間に変貌してしまうのである。その数ヵ月後、故ガルブレイス博士が、特別授業をしてくれた際、やはり彼らパレスチナからの留学生達は、「それは間違っている」と怒鳴りながら壇上の故ガルブレイス博士に襲い掛かった。博士は、かすり傷ですんだが、さすがにこの時は、彼らパレスチニアンの留学生達は逮捕された。このように、彼らは非常に激し易く、死を恐れぬ性質であるようにその時私は思った。また、対峙するユダヤ人はというと、頭は良いのだが非常に頑固な民族性をもっている。これでは、いつまでたっても平行線であり、中東での和平は夢のまた夢であるような気がしてならない。

 話を北朝鮮に戻すが、常識的に考えれば、北朝鮮が万が一再度ミサイルを発射し、そのミサイルが日本もしくはアメリカを狙っていることが明確になれば、金正日の生き延びる道は絶たれる。そのことは、金正日自身が一番よく知っているはずである。リビアのカダフィ大佐が、自分の身の安全と引き換えに、アメリカの提案を受け入れたことを、金正日も非常に興味深く見聞していたという情報は流れてきている。また、金正日は、案外用心深い人間らしく、自国の側近や軍人に対しても、常に最深の注意を払っていると聞き及ぶ。それだけ、命への執着心が強いということであろう。そうは言っても、これまでの暴挙を見聞していくと、とても常識では推し量れない行動パターンを持っているように思う。それと、最近は常軌を逸しているようにも思えなくもない。と考えると、万が一ということも起こりかねないという確率も多少なりとも残っている。

 そういうことも念頭におき、今年の「リムパック2006」は参加する日本を含むアメリカの同盟国8ヶ国が結束して上陸作戦の訓練をしているという。例年、行われていることではあるが、今、この時期に、このような訓練を北朝鮮に見せ付けるということは、それなりの意味があると思って間違いない。また、先日の北朝鮮によるミサイル発射で報道されたが、丁度あのタイミングでアメリカ海軍第七艦隊の旗艦であるブルーリッジが、ウラジオストックに友好寄港をしていた。そして、そのウラジオストック沖合、ウラジオストック港より非常に近い位置に、北朝鮮のミサイルが7発も着弾した。まったく関係ないと言い切る方が難しい気がする。

 また、現在、6ヶ月にわたる対テロ戦争支援任務についている空母エンタープライズは、北朝鮮によるミサイル発射前からの予定行動であったにせよ、7月18日釜山に寄港した。そして、これから、空母キティーホークと合流し、東シナ海から南シナ海および日本海において攻撃訓練を実施するということである。これらのアメリカ海軍の軍事訓練行動が、北朝鮮にとって威嚇行動と映らないはずがない。予定されている恒例の軍事訓練とはいえ、これらのアメリカ海軍ならびに同盟国合同での軍事訓練の意味は非常に大きいといえる。訓練とはいえ、いつでも実戦配備に移行できるわけである。これは、間違いない軍事戦略上の展開であると見てよいのではないか。後は、敵国がこれらの軍事訓練行動を、どのように受け止めるかの問題である。
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by seizaikai_club | 2006-07-20 12:58 | 国際情勢

世界のユダヤ人の約半分がアメリカに

世界のユダヤ人の約半分がアメリカに
2006年7月20日

 衆知の通り、アメリカとイスラエルの関係は、極めて緊密だ。第一の理由は、アメリカ在住のユダヤ人が、約600万人もいるからだ。世界のユダヤ人の人口は、約1300万人と言われているから、その約半分のユダヤ人がアメリカに居住していることになる。イスラエルのユダヤ人が、約500万人であるから、それよりも多い計算になる。ユダヤ人難民は、アメリカのパワーに大きく貢献してきた。同時に、「ハリウッドから連邦政府まで」と言われるほど、政治、経済、学問、芸術など多様な分野で影響力を持ってきた。

 ユダヤ人は、17世紀頃からアメリカに住み始めた。19世紀後半から20世紀には、ロシア、東欧、ドイツなどを追われ、迫害を逃れたユダヤ人がアメリカに殺到した。アインシュタインをはじめとして、ユダヤ人難民は、アメリカの学問などの学術水準を高め、原発開発にも貢献し、米欧の相対的な力関係を変えるほどの影響をもたらした。人種の坩堝、他民族国家アメリカ合衆国は、ユダヤ人を追い出した欧州から宝を拾ったのであった。

 今起きている、諸々の問題は、全て1947年に、国連がイギリス委任統治下にあったパレスチナを、ユダヤ人とアラブ人地区に分割する決議を採択したことに端を発している。1948年には、イギリスの庇護の下、イスラエルが建国宣言をし、俗に言うウェスト・バンク(ヨルダン川西岸)やガザ地区における、イスラエルとパレスチニアンの溝は、決定的に深まった。そして、血で血を洗う抗争は、エンドレスに継続されている。

 嘗て、大英帝国は植民地政策により、世界を席巻していた。その頃のイギリスは、非常に利己主義的で、自分勝手な世界戦略を推し進めていた。そのことは、中東やアフリカの国境線を見れば一目瞭然である。中東やアフリカの国境線は、直線が多い。それは、イギリスが、自国の思惑で国境線を勝手に引いたからにほかなならい。部族単位での政治が行われていた中東やアフリカの風習を無視し、原油確保というイギリスの思惑で為された仕業が、現代まで禍根を残し、世界の紛争の原因になっていることは間違いない。同じことを、イギリスはイスラエル建国に当たっても為したのである。それが、現在の中東での、全ての問題の起点である。数千年も前の聖書に載っている話をもとに、そこで1500年も生活してきたパレスチニアンを半強制的に追い出したのである。この問題は、解決されるわけがない。

 冷戦時代は、イスラエルを擁護する米国と、アラブ強硬派を支援するソ連が、代理戦争の形で中東の対立構図を描いていた。冷戦後も、アメリカがイスラエルを軍事、財政面で手厚く支援する構図は、まったく変わっていない。そのような状況下、イスラエルがレバノンの空港を空爆するという緊迫した事態は発生した。当然のことながら、アメリカはイスラエルを今回も、そして、今後も援護していくであろう。ただ、冷戦時代とは違い、現状の中東情勢は、非常に複雑化している。それは、単純に、民族や宗教の問題にとどまらず、原油をはじめとする各国のエネルギー戦略が絡まりあっているからだ。

 アメリカ、イスラエル、ウクライナやウズベクスタンなどの旧東欧、ソ連邦諸国対、ロシア、イラン、中国などの新興高度経済成長国を中心とした、新興勢力による攻防である。レバノンのヒズボラの背後にはイランがおり、そのイランの背後にはロシアがいる。そして、その間を巧みに徘徊しているのが中国である。ロシアは、ウクライナへのパイプラインによる原油の供給をストップした。アメリカは、ロシアに、エネルギー権益を独占させておくわけにはいかず、カスピ海からトルコへ向けパイプラインを建設した。将来的には、そのパイプラインは、欧州へと直接繋がる予定で建設が進められている。このように、現状、これからの最大の問題は、原油を中心にしたエネルギー確保に関する問題である。エネルギーの争奪戦なのである。そこに、北朝鮮によるミサイル問題などが、複雑に絡まりあってきている。中東に北朝鮮は関係ないように思うが、そんなことはない。北朝鮮が、イランにミサイルを販売すれば、そのミサイルの射程距離内に、イスラエルも欧州諸国も全て入ってしまうのである。実は、今回の北朝鮮によるミサイル発射実験は、中東問題にも、非常に大きな影響を及ぼす問題なのである。

 正直に言えば、イスラエルのパレスチナへ対しての対応は、度を過ぎているものがあるように思う。あのような非情な方法でことにあたれば、恨みは連鎖しエンドレスに紛争は続くであろう。それでも、アメリカは、イスラエルを庇わなければならないのには、上記したような複雑な事情があるからなのだ。

 ニューヨーク・タイムズなどの高級紙や、三大ネットワークなどメディア・言論界でもユダヤ系の存在は非常に大きい。アメリカ・イスラエル広報委員会(AIPAC)のように議会やホワイトハウスに働きかえる「ユダヤ・ロビー」も多い。こうした事情から、歴代のアメリカ大統領は、基本的にイスラエルの安全を堅持する中での中東和平を目指してきた。しかし、それは至難の業であることは、アメリカ自身が一番よく知っているのだ。そこのところに、アメリカのジレンマがある。

 このように、中東パレスチナ和平をめぐる関係各国の利害は、非常に複雑に入り組んでいる。歴史的背景、戦略的思惑、宗教の問題、民族の問題、色々なことが深く絡まりあっているが故に、益々和平達成への道は厳しいというのが実情だ。しかし、これだけは理解しておかなければならない。よく、「ユダヤ人がアメリカを支配している」などという陰謀説が実しやかに囁かれるが、まったくの偏見と俗説にすぎない。在米ユダヤ人たちの思想や政治心情は、右から左まで様々で実に多様である。人権や難民問題でも、その幅は広く深い。ユダヤ人というのは、頭が良く、自分の信念を持ち頑固な民族である。他人の考えや思想に左右されるのではなく、それぞれが多種多様な考え方を持つと理解した方が妥当であろう。ただ、アメリカがイスラエルの呪縛から逃れられないということも、紛れもない事実であることは間違いない。
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by seizaikai_club | 2006-07-20 01:18 | 国際情勢

「政治をもっと身近に」をスローガンにして、日本人にもっと「愛国心」を喚起すべく語る。
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政財界倶楽部代表  恩田将葉
 「政治をもっと身近に」をスローガンに、一人でも多くの日本国民が政治に関心を持ち、参加してくれるよう、執筆活動、出版活動等を通じ「愛国心」啓蒙活動をしている。国際化が進む世界の中で、日本の政治も若者の手で変革しなければならない!!

 政財界倶楽部代表恩田将葉は、 アメリカ合衆国カリフォルニア州で約9年間生活。その間、サン・フランシスコ州立大学(San Francisco State University, SFSU)国際関係学部で国際関係学と政治を学び、朝鮮半島問題専攻で卒業。その後、暫くアメリカで現地法人の会社(People Intertrade, Inc.)を経営した後帰国。帰国後は、記者と編集者を経て出版社である株式会社ぴいぷる社と株式会社政財界出版社、そして、夕刊紙「内外タイムス」を発行する株式会社内外タイムス社の社長に就任。活字業界一筋に生きてきた。現在は、経営から一歩引き、国際情勢ならびに政治を中心に、ジャンルを問わず執筆活動を継続中。プロの文士として、随筆、小説、脚本等あらゆる分野で執筆活動を展開し、文章を綴ることを天職としている。そのかたわら、日本に、嘗てのごとく「愛国人」を増やすべく、「政治をもっと身近に」をスローガンに、自ら「政財界倶楽部」を運営している。

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