政財界倶楽部         (恩田将葉見聞録)

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ライブドアの創設者堀江貴文氏が保釈

「ライブドアの創設者堀江貴文氏が保釈」
2006年4月27日

 94日間の拘置所生活に終止符を打ち、本日午後9時半過ぎにライブドアの創設者堀江貴文氏が保釈になった。保釈金は、3億円であったという。保釈金の額は、男の値打とも言う。3億円の保釈金は、堀江貴文という男が半端ではないことを証明している。

 世間では色々と言われている。嘗ての堀江ファンである出資者達も、今ではその多くが彼のことを批判したり罵声を浴びせたりしている。確かに、株主を裏切ったことは良くない。そのことは、真摯に受け止め反省してもらいたい。ただ、これで終わりということではない。彼は、まだ33歳である。しかも、優秀な男である。頑張ってもらいたい。

 依然、容疑に関しては、否認を続けている。否認を続けているにもかかわらず、保釈が認められたということは彼にとっては良いことである。これからは、裁判での争いになる。一貫して否認を続ける彼の信念と根性は、なかなか頼もしい限りである。他の幹部達は、早々に全てを認め保釈されていた。結局のところ、他の幹部達は偉そうなことを言っても唯の凡人であったということだ。やはり、ライブドアという会社は、堀江氏あってのライブドアであったということだ。

 企業とか事業ということは、ある程度まで肥大化すると、代表取締役の意思を他所に動き出し、代表者の意思が働かなくなり、止めることもできず、また、止まらなくなる場合がある。ある意味、今回の事件によって、そんなライブドアにブレーキがかかり、止まることができたことで一番救われたのは、堀江氏自身であったような気がしてならない。実は、彼自身もホッとしているのではないか。

 彼は悪党ではない、と私は今でも信じている。あの目は、悪党の目ではない。あの言動は、悪党の言動ではない。ただ、若気の至りで、踊りだしたら止まらなくなり、止めることもできなくなってしまっていたのではないか。色々な人間の思惑が、堀江貴文という異端児の周りを、ライブドアという異色の会社の周りを渦巻き、彼の意思とは別のところで、別の動きをし始めてしまっていた。彼は、そのことに気付いてはいた。しかし、それを自力で止めることがもうできないところまでいってしまっていた。そんなところだろう。

 今日、保釈された堀江氏の姿は、そんな大きなプレッシャーからこの3ヶ月間で開放された、素の堀江貴文に戻った姿のように見えたのは私だけではなかったはずだ。8キロ痩せたということだが、無駄に肥大していた彼自身の身体も、毒抜きをしてすっきり健康的にスリムにハンサムになって戻ってきた。まだ、33歳である。そして、彼は優秀な人間である。この過ちを素直に反省し再起すれば、こんどこそ無敵の大物になれる可能性がある。私は、そう思う。

 裁判は、刑事裁判での結果が、民事裁判の結論に影響する。彼が否認を続けているということは、彼の裁判を視野に入れた闘いは既に始まっている。彼には、譲れない信念が見て取れる。それは、容疑を早々に認めた幹部達にはない信念である。その信念は、彼がライブドアを起こした当初より続いているように私には思える。それは、堀江貴文という人間そのものであるような気がする。作り物ではない、堀江貴文という人間そのものなのだ。その中心は、反骨精神である。体制への反骨精神である。今回の事件に於いても、そのような反骨精神は感じ取れる。彼の芯の部分では、理不尽な旧態依然とした財界・政界の体制へ対しての反骨精神が、マグマを宿し活火山として彼の中で息づいているに違いない。だからこそ、辛い中でも、独り否認を続けてこられたのであろう。多分、裁判という新たなる土俵で、彼は一生懸命闘うことであろう。負けないように。負けるということは、彼が彼自身を否定すること、そのように彼は思っているに違いない。堀江貴文という男は、そういう人間であると私は思う。数年後の、彼がどのように逞しくなっているか楽しみである。日本の若者達へ勇気と度胸と夢を与えるべく、再び頑張ってほしいものだ。
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by seizaikai_club | 2006-04-28 01:02 | 社会

千葉衆議院議員補欠選挙で僅差ではあるが民主党が勝利

 千葉で行われた衆議院議員補欠選挙で、小沢一郎代表率いる民主党が勝利した。これから9月までの政治が、非常に面白くなった。今までの民主党は、まるで小学校の学級会か、オママゴトか、茶番ばかりであった。いくら自民党が小泉改革で変わっても、野党である民主党があまりにだらしがなさ過ぎて、二大政党化どころか自民党の一党独裁体制に近い状況になっていた。その民主党の罪は非常に大きく、国民が三行半を突きつけていても、それに気付かぬ民主党に絶望だけであった。

 ところが、偽メール事件を経て、生みの苦しみで最終的に小沢一郎がでてきたことで、国民は最後の期待を民主党に抱き抱いたのであろう。

 兎に角、二大政党化に変革していくことが、最大の日本の政治にとっての改革になる。その意味では、自民党ばかりが改革しても仕方がないのだ。野党第一党である民主党ががんばってくれなければ、為せない改革なのである。

 小泉首相が首相になる10日前、彼は首相公選制を望む会で講演していた。その講演で、小泉さんは、明確に、強く、二大政党制の必要性を説いていた。その会に、中曽根さんと小泉さんが応援にきていた。中曽根さんが、首相公選制を推進していることは、昔からのことであったので驚きもしなかった。しかし、小泉さんが「自民党を壊してでも、二大政党制を実現することが、日本の政治を活性化するために必要であり、自民党にとっても必要なことだ」と力説していたことが、非常に強い印象として残っている。

 こく一年程の民主党のだらしなさに、一番絶望感を抱いていたのは小泉首相である。いくら自民党が、改革をしても、野党第一党の民主党が頑張ってくれなければ、小泉改革の最終章は完結しないからだ。

 これで、二大政党化へ一歩歩みを進めたのではないか。これからの自民党と民主党の対峙の様相は、非常に興味深い。また、9月以降の小泉首相の動向にも、変化がでる可能性は多少なりとも、これででてきたのかもしれない。民主党にとっても、小泉首相にとっても、最後の決戦は始まったと言っても過言ではない。
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by seizaikai_club | 2006-04-24 09:32 | 政治

一人一人の小さな行動が大きな力に・・・

 北海道のSTVラジオには、夕方放送されている「夕焼けジャーナル」という番組がある。この中で、天気予報とともに「北方四島」や「南樺太の(旧)豊原 [現ユジノサハリンスク] 」の日の入り時間や近隣情報を、「今日の夕焼けはきれいでしょう」などと、常に放送にて「ささやかな訴え」(本人はそうおっしゃってます)を続けているパーソナリティーがいるそうです。
 
 その北海道STVラジオのパーソナリティーの行っていることは、非常に小さなことに見えるでしょうが、実は非常に大きなことだと私は思います。毎日毎日、微小な電波に乗せ、日本の放送を北方領土まで届かんと願いながら放送している。北方領土の島々でラジオをつけると、日本語の放送が聞こえる、このことだけでも領土を主張するという意味では、非常に大きなことであり、彼は素晴らしい愛国人だと思います。日本政府は、こんな国民を表彰すべきだと私は強く思います。
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by seizaikai_club | 2006-04-23 23:54 | 国際情勢

北方領土に関連して 

 まず、立場状況は違いますが、尖閣列島、竹島、北方領土ともに、同じような問題が根底にあります。案外、一般的には知られていませんが、これらの島々の所有権を何故日本も含めそれぞれの国々が執拗に誇示主張するかという点です。

 どんな国においても、隣接する島というのは、重要な軍事ポイントになります。敵方に取られてしまえば、それぞれの国の本土が侵略されるようなことがあった場合、それぞれの島々は重要な意味を持ちます。

 何故、第二次世界大戦当初、アメリカを中心とする連合軍が、日本本土を攻め倦んだかを考えてみてください。それは、敵国の本土を攻撃するには、その近隣に同盟国ないし、自国の基地がなければ実現しません。何故なら、燃料補給等の問題等があるからです。

 映画「パールハーバー」をご覧になった方は思い出してください。パールハーバーを、我が日本軍が攻撃した後、アメリカの空軍中佐を中心に、87人の勇士は、日本の本土爆撃を計画し実現しました。これは、先の戦争で、初めて日本本土が受けた爆撃です。しかし、この時、アメリカには、日本の近隣に同盟国がありませんでした。ということは、爆撃機を発進させる基地がなかったのです。ということはどういうことかというと、片道切符で爆撃機を発進させなければならないということだったのです。しかも、片道切符でも発進させる基地さえなかったのです。そこで、勇士は、自爆攻撃覚悟で、重量軽減のため爆撃機の装備品をできる限り取り除き、爆撃だけを目的に、攻撃もできないような爆撃機に作り変えたのでした。そして、彼らは、それらの爆撃機に爆弾のみを積み込み、前例のない空母からの発進を為したのでした。

 結局は、東京までたどりつく燃料も足りなく、川崎地区の攻撃を成功させ、そのままそれぞれの機は宛てのない帰還飛行にはいりました。しかし、空母に戻ることは当時の技術的では無理でした。近隣に同盟国もありませんでした。ほとんどの勇士は、この攻撃で命を落としました。わずか、6名の空軍兵士だけが、朝鮮半島ならびに中国に不時着する形で生還し、今でもこの事実を後世に伝えています。

 このように、一国を攻めようと思えば、その敵国に隣接する島々は、非常に重要な軍事ポイントになるのです。このような理由故に、太平洋戦争後半に於いて、アメリカを中心とする連合軍は、硫黄島と沖縄を占領することを死に物狂いで行ったのです。

 実際に、硫黄島ならびに沖縄が順次占領された後は、連日の本土攻撃が実行されたのです。このように、軍事戦略的な理由により、敵国の近隣の島々は非常に重要なポイントなのです。よって、戦後も、アメリカ軍は、沖縄に多くの基地を置き、多くの軍隊を配置しているのです。このような大きな意味が沖縄にはあるのです。

 同様の理由が、尖閣諸島の場合も、竹島の場合も、北方領土の場合も、日本と中国、韓国、ロシア双方にあるのです。

 尖閣諸島は、中国本土の目と鼻の先です。一度地図でみてみてください。中国にとっては、海底資源の問題だけでなく、軍事的に言っても大きな意味があるのです。また、逆に、日本にとっても、軍事戦略上大きな意味があるのです。日本というより、日本の背後にいるアメリカにです。尖閣の問題は、アメリカが中国への威嚇として、日本政府に隠密裏に圧力をかけ、右翼団体に任せ、政府としては27年間も等閑にしていた尖閣諸島の領有権を誇示するべく、占有していた右翼団体からの権利移譲を昨年春に為したのです。

 竹島に関しては、もっと韓国にとって意味が大きいのです。韓国軍にとって、軍事戦略上、竹島を無人島にしておくことが、非常に危険なことなのです。それは、北朝鮮という敵国へ対しての防衛という意味が大きいでしょう。竹島を無人にしておけば、韓国攻撃の足がかり拠点に、北朝鮮がすることは明白であったからです。そのことは、韓国が一際竹島問題を主張しだし、実行支配をはじめた時期と、韓国と北朝鮮の対峙の歴史を照らし合わせてみれば一目瞭然です。このような意味が、背景にはあるのです。多分、日本側の多くは、特に外務省は、単に領土問題とこの何十年間捉え、それほど重要視していなかったのでしょう。だから、ここまで大きな問題に発展してしまったのです。

 北方領土に関しても、まったく同様の問題が根底にはあります。戦後のどさくさにまぎれて、ソ連が日本の領土を不法占領したのです。本当は、北海道全体占領するつもり、いや東北の半分ぐらいまで占領するつもりでいたのかもしれません。それを止めたのは、アメリカだったのではないでしょうか。

 この占領は、ソ連の思惑と欲、それと上記のようなやはり軍事戦略的な意味が大きいといえるでしょう。だからこそ、日本側も同様に、北海道には、多くの自衛隊の基地をおいているのです。何故なら、北海道自体が、大きな島なのです。占領されれば日本にとっては大変なことになります。ですから、本土と北海道を結ぶ青函トンネルにも、軍事的な大きな意味があるのです。
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by seizaikai_club | 2006-04-23 23:53 | 国際情勢

北方領土の歴史

日本人による開拓の歴史

 1635年(寛永12年)、北海道を支配していた松前藩は、北海道全島および千島、樺太を含む蝦夷(えぞ)地方の調査を行いました。1644年(正保元年)の幕命により諸藩から提出された国絵図に基づいて、幕府が作成した日本総図(いわゆる「正保御国絵図」)には、「くなしり、えとほろ、うるふ」などの島名がはっきり記載されています。

 ロシア人が初めて得撫(うるっぷ)島に来て、長期滞在して越年したのは、1766年(明和3年)ですが、住民の反抗にあって翌年帰国しています。

 その後、ロシア人は再々この方面に進出して、住民との間に衝突が絶えない状況でした。

 千島へのロシアの活発な進出を知った幕府は、みずから北方の島々の経営に本格的に取り組むこととし、1785年(天明5年)および1791年(寛政3年)に最上徳内らを調査に派遣しました。同人は、国後島から択捉島に渡ってロシアの南下の状況を克明に調査し、さらに得撫島に上陸して同島以北の諸島の情勢も察知しています。

 幕府は、国防上、千島、樺太を含む蝦夷地を直轄地として統治することとし、1798年(寛政10年)、大規模な巡察隊を同地方に派遣しました。このとき、近藤重蔵は最上徳内と共に国後島、択捉島を調査し、択捉島に「大日本恵登呂府」の標柱を建てています。 翌1799年から1800年にかけて、近藤重蔵は高田屋嘉兵衛らと共に、再び国後島、択捉島に渡り択捉島に本土の行政を移入、郷村制を施き、17か所の漁場を開くと共に幕吏を常駐させました。

 また、航路や港の整備などにより、色丹島、国後島、択捉島の本格的開発が始められました。

国境の取り決め

●日魯通好条約

 1855年(安政元年)、伊豆下田において「日魯通好条約」が締結されました。この条約で初めて日ロ両国の国境は、択捉島と得撫島の間に決められ、択捉島から南は日本の領土とし、得撫島から北のクリル諸島(千島列島)はロシア領として確認されたのです。

 また、樺太は今までどおり国境を決めず両国民の混住の地と定められました。

●樺太千島交換条約

 1875年(明治8年)、明治政府は、樺太千島交換条約を結び、樺太を放棄する代償としてロシアから千島列島を譲り受けました。この条約では、日本に譲渡される千島列島の島名を一つ一つあげていますが、列挙されている島は得撫島以北の18の島であって、択捉島以南の北方四島は含まれていません。

●ポーツマス条約

 1905年(明治38年)、日露戦争の結果、ポーツマス条約が締結され北緯50度以南の南樺太が日本の領土となりました。

●サン・フランシスコ平和条約

 1951年(昭和26年)、日本はサン・フランシスコ平和条約に調印しました。この結果、日本は、千島列島と北緯50度以南の南樺太の権利、権原および請求権を放棄しました。しかし、放棄した千島列島に固有の領土である北方四島は含まれていません。

終戦後に始まった不法占拠

 第二次世界大戦末期の昭和20年8月8日、当時、日ソ間には中立条約がまだ有効に存続していたにもかかわらず、ソ連はわが国に対し宣戦を布告しました。ソ連が千島列島最北端の占守(しゅむしゅ)島に上陸したのは、わが国がポツダム宣言を受諾して連合国に降伏した8月15日から3日後の8月18日でした。その後、ソ連軍は島づたいに南下し、8月28日択捉島に上陸、次いで色丹島、国後島、歯舞群島と、9月5日までにこれら四島をすべて占領してしまいました。

 終戦時、択捉島以南の四島には、約1万7,000人の日本人が居住していました。ソ連軍の占領により、その半数の者は、不安と恐怖のあまり小舟を操り、自力で島を脱出しましたが、それ以外の島民はそのまま抑留され、樺太などで苦しい生活を送った後、昭和22年から24年にかけて強制的に日本本土に引き揚げさせられました。

 その後、これら北方四島は、戦後半世紀以上が経過した今日もなおロシアの不法占拠の下に置かれた状態が続いています。
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by seizaikai_club | 2006-04-23 23:51 | 国際情勢

竹島の本当の問題点

竹島の本当の問題点
2006年4月22日

 竹島の問題が、俄かに日本でも注目されるようになった。良いことだ。拉致問題同様、竹島の問題は、大切な領土問題の一つであるにもかかわらず、大分長い間、あまり多くの日本人の興味の枠の外にあった。というか、竹島のことを知らない国民の方が多かったといっても過言ではない。このことも不思議なことであるが、普通、どこの国民も、自国の領土問題というのは、一番大切な問題であり、多くの自国民が大きな興味を持ち見守っているものである。ところが、日本人の多くは、あまり興味を示さずにきた。北方領土問題は、多くの国民が耳にしたことはあるようだが、他の領土問題にはあまり興味も示さないし、知らない。それは、戦後の政府の政策もあり、領土問題は右系思想家達によってのみ取りざたされていた問題できてしまっていた。このことが、大きな問題である。
 
 本来、国にとっての最大の国益問題は、領土の問題である。この領土問題というのは、どんな国でも持っている問題である。この領土問題が故に、世界中どこでも、隣国同士は何らかの確執を持っている。よって、日本と隣接する韓国や中国やロシアが、相互間で領土問題を持っていることは、ごく自然な成り行きなのである。ここで、一番の問題は、相手国の問題の前に、わが国の外務省の姿勢の問題の方が大きい。日本は敗戦国だから仕方がない、という馬鹿げた姿勢を戦後60年偽善者外務省が貫き通してきた結果、そのしわ寄せが今中国や韓国よりもたらせれているのである。国際法というのは、自国の法律とは違う。この国際法を100%理解して、全ての外交案件に対応するのが外務省の役目。そして、各種提案を首相をはじめとする官邸や政府に耳打ちするのが外務省の役目。そのことを怠ってきたのが、戦後60年外務省の歴史である。

 今回の竹島の問題でも、日本はもっと早い段階で海洋調査をするべきであったのだ。そのことは、外務省がわかっていたはずだ。ところが、外務省職員には、どうせ敗戦国だから、という間違った考え方が蔓延している。そして、彼らには、平和外交をして、自分達がただ格好良い外交官でありたいだけ、という人間が非常に多いのである。

 国際法では、占有権にしても、何にしても、早いもの勝ち的な判断基準がある。そのことを分かっていて、今まで等閑にしてきた外務省の罪は非常に大きい。

 本来、外交官というのは、自国の国益を死守する決意で、命懸けで相手国と対峙し、絶対に失敗は許されない覚悟で外交交渉に当たるものである。だから、外交官というのは格好良いのである。ところが、日本の外交官達は、上辺だけの格好良さに憧れ、良い子を演じる平和外交しかできない。このことが、大きな問題である。

 海洋調査は、もっともっと以前に為していてしかるべき。今更騒いでも、してやられたとしか言えない。この期に及んでは、国際法廷の場に持ち込み、そこでの結果がどうであれ、その結果に従う、また相手国にも従わせるというお膳立てをするのが、日本の外交官の今残された役目である。そして、その国際裁判に於いて負けないように、日本に有利な結果を導き出すよう頑張る。それしかないのではないか。

 対話外交で、韓国と渡りあって、日本にとって有利な結果は、まず導き出せないであろう。何故ならば、日本が竹島の問題を等閑にしてきた、この何十年間の間に、韓国では独島問題を世論の中心に、反日のシンボルに仕上げてしまっているのである。韓国における独島問題は、単なる領土問題以上の意味があるように、仕立て上げられてしまっているのである。かなり広くの韓国民が、独島問題は、領土以上の問題として感じてしまっているというところを客観的にみれば、そのような民意を考え、韓国政府も容易にこの問題を日本と話し合いで和解するとは、考えにくいであろう。

 このようなことを、時の首相や政府に諫言するのが、本来外務省の役目なのである。正確な情報を基にして外交を為さなければ、日本の国益を守ることも、有利に展開することもできない。韓国軍が、実行支配している今、我々日本人は、国民として、竹島の問題は、国際的な法的機関に於いて結論を出してもらうべく政府が動くよう、我々一人一人の国民が声を上げ、動かなければならない時なのではないか。
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by seizaikai_club | 2006-04-22 12:00 | 国際情勢

光市母子殺害事件弁護人が表す日本の司法制度の程度の低さ

光市母子殺害事件弁護人が表す日本の司法制度の程度の低さ 
2006年4月22日

 テレビで報道されている光市の母子殺害事件で被告の弁護をする弁護人の暴言を皆さんはどう思われますか? この二人の愚かな弁護士達のやっていることは、人道を逸脱した、日本の司法制度を逆手にとった、悪魔の為せる言動としか思えない。あんなことを、堂々と主張できる弁護士がいるかぎり、日本の司法制度というのは、名ばかりの茶番でしかなく、何一つ信じうるものはない。ということは、日本の司法制度の信頼度は、0に近いと言っても過言ではないということだ。結局のところ、何でもあり、法律なんてあってないも同然。何でも、やった者勝ち、被害者は運が悪かったね。加害者は、しっかり司法制度が守っている、と言っても過言ではないであろう。

 如何なる理由があろうとも、一つの事件の裁判において、弁護人が自分達の主義主張を為すことは、著しく公平さを欠き、弁護とは言えず、裁判自体が不公平極まりないものになり、司法制度を愚弄する行為でしかない。この被告弁護人二人こそ、罪に問われてしかるべきではないか。

 裁判とは、如何なる理由があろうとも、原告にとっても、被告にとっても、公平なものでなければならい。自分達の主義主張思想をアピールする場であってはならない。

 彼らは、血も涙もない、単なる法廷技術ばかりに走り、如何なる真実があろうとも、被告人を救えば良いという彼らは、弁護士を生業にする資格もないのではないか。被告人を説得し、心底より罪を認めさせ、被害者に謝罪させ、改心させる一歩を踏ませる。その証として、減刑を裁判で求める。これが、このような残虐な殺人事件の被告の弁護人の本来の役目であり、法廷技術ばかりを利用して、被告人の罪を罪として認めない姿勢こそが、被告人を心底で増長させ、万が一未来下獄できた後に、同様事件を再発させる可能性をも持たせてしまうような、非人道的な弁護行為である。

 大体、このように盛んに報道されている公開裁判において、あのような弁護姿勢を示せば、一般民衆の民意を敵に回してしまうことに、気付かぬこの事件の被告人弁護士二人は、よっぽど頭が悪いか、彼ら自身、被告人を極刑へと導きたいがための、演技だとしか思えない。しかし、彼ら弁護人の強い死刑廃止論等の思想的主義主張を聞いていると、被告人を極刑に導くための演技という可能性は、非常に少ないのではないか。

 どちらにしても、日本の司法制度というのは、地に落ちているということが現状ではないか。暴対法もそうであるが、人の思惑で司法が利用されたり、主義主張思想で利用されたり、ということは如何なる理由があろうともあってはならぬことだ。司法制度のレベルが低いということは、その国自体の質も地に落ちているという風に見るのは、国際的な常識である。これらのことを、どれだけの政治家や官僚達は認識しているのであろう。日本という国は、本当に危機的な状況にきているのではないか。この危機的な状況からの脱却の道は一つしかない。国民一人一人が、国を憂う気持ちを持ち、声を上げ立ち上がるということだ。
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by seizaikai_club | 2006-04-22 11:35 | 社会

私的思想を教育現場に持ち込むべきではない

私的思想を教育現場に持ち込むべきではない 
2006年4月15日

 如何なる理由があろうとも、私的思想信条を教育の場に持ち込むべきではありません。何故なら、子供達は真っ白なのです。その真っ白なキャンパスに、色をつけていくのは親をはじめとする大人なのです。無垢な子供達に、偏向した思想を植え込むことこそ、国益に反する犯罪行為と言っても過言ではありません。例え、教師であろうとも、私的思想を子供達に植え付けるべきではありません。色々なものを見聞し、その中からそれぞれの子供達が、自力で自分なりの答えを導き出せばよいことなのです。そのようなことを、教育現場で為す教師は、断じて許すべきではありません。ちゃんとした教育もできず、そのような私的思想を教育現場で体言するような教師こそ、考え違いも甚だしく必要のない教師と言ってよいでしょう。

 如何なる理由があろうとも、教育現場に私的思想はもちこむべきでは絶対にありません。これは、断言致します。そのような教師は、国賊と言っても、決して過言ではありません。
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by seizaikai_club | 2006-04-15 18:36 | 教育

愛国心とは 

愛国心とは 
2006年4月15日

 愛国心とは、難しいことではありません。我が子を守りたい、我妻を守りたい、愛する家族を守りたい、という気持の延長線上にあるのが愛国心です。愛する人々を守るためには、愛する家族を守り、愛する家族を守るには、愛する地域を守り、愛する地域を守るには、子供達の通う学校を守り、そのためには、国を守らなければならないのです。その気持が、愛国心なのです。国を守ることにより、愛する家族や人々を守るのです。それが、愛国心なのです。理屈ではないのです。政治家達は、何もわかっていない。
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by seizaikai_club | 2006-04-15 18:34 | 靖国神社参拝問題

自国の国歌・国旗を粗末にする言動をするのは世界中で日本人だけ

自国の国歌・国旗を粗末にする言動をするのは世界中で日本人だけ
2006年4月15日

 教育の場で、自国の国旗や国歌を愚弄するような態度は、「自由」ということの以前の問題です。これは、思想以前の問題で、自国の国旗や国歌に尊敬の念を持って接することは当たり前のことです。

 子供達は、親の後姿や大人の後姿を見て育つもの。親をはじめとする大人が、子供達の前でそのようなことをしていれば、子供達も同じことを繰り返します。例え、大人がどんなことを言っても、まったく説得力のないものになってしまいます。

 その証拠に、親達をはじめとする大人達が、昨今は墓参りをしなくなったことを受け、多くの若者達が墓参りをまったくしなくなってしまったではありませんか。墓は荒れ放題、寺も継承者がいなく困っているところが多いと聞きます。親が先祖を敬わなければ、自分が死んだ時だけ子供達に墓参りしろと言っても、するわけがありません。これも、国旗の問題と同じような問題です。

 国旗の扱いについては、色々なことを思います。オリンピックや各種スポーツの祭典を見ていていつも思うことですが、日本だけが、国旗に色々な字を書き込み応援しています。悪気があってのことではないでしょうが、他国の人々から見たら、非常に驚くべき行為であります。どこの国でも、国旗は一番神聖なるものであり、国民の拠り所です。その国旗に、字を書いたりということは、けして悪気がなかったとしても、許されることではないのです。アメリカでも韓国でも、どこの国でも、法律で国旗に対しての愚弄行為に対してはきっちりと定められており、それを犯せば刑事罰を受けます。

 多分、戦時中の日本でよく行われた、戦地へ赴く英霊達へ対しての国旗への寄せ書きの名残であるのだと思いますが、このことにしろ、学校での国旗や国歌の扱いにしろ。外国人からしたら、驚くべきことばかりなのです。

 私の娘も今年公立小学校を卒業しました。息子同様、私立の学校に入学させて頂きました。どちらの学校でも、きっちりと国旗を掲揚し、国歌を三唱しております。それに反対する保護者も先生方も、一人もおりません。校長先生が、道徳教育に関し、非常に重きをおいておられる先生であったので、諸事対応に関してもキッチリと全てをこなしておりました。学校というものは、やはり校長先生の色が出てしまうところであると思います。本来、個人の色を教育の場で出すべきではないのですが、魅力のない人間が先生では、子供達も尊敬の念さえもてませんし、学ぶという姿勢もできないはずです。そういう意味では、校長先生の存在は非常に大きいのではないでしょうか。

 また、親達は、色々と勝手なことを言います。自分の家庭教育不手際を棚に上げ、学校の所為や先生方の所為にばかりし、責任転嫁し、声を荒げます。先生方の一部には、やはりサラリーマン的な感覚の方々もいて、そういう方々は、当らず触らず触らぬ神に祟りなし的な言動しかしなくなっています。親が教師を馬鹿にしたことを言っていれば、その後姿を見た子供達も、教師をバカにし学ぼうなどとはしなくなり、敬うこともしなくなります。

 私は、子供達が本年公立校を卒業するまで、幼稚園の時代から11年間ずっと、PTA活動に積極的に参加してまいりました。それは、自分のためでもなんでもなく、私にとって大切な子供達、そして、国にとって大切な子供達の教育現場に、親も子供達と一緒に参加し、学ばなければと思ったからです。役員職や連合会の会長職も経験しました。そんなことをするつもりは当初ありませんでした。しかし、間違ったことがあまりにも多く等閑にされている教育現場を目の当たりにし、黙ってはいられなくなったのでした。教師達には、情熱的な素晴らしい先生達も沢山います。ですが、そんな先生方が、思い通りに教育の信念を貫き通そうとすると、色々な壁が立ちはだかります。その壁を乗り越えるだけで、大きな力を費やさなければならなく、結果教育をするということに疲れ果ててしまうのです。そんな壁を少しでも容易く乗り越えさせる手助けができるのが、我々保護者なのです。保護者の中には、滅茶苦茶なことを言う方々も多くいます。そんな保護者を真正面から制することができるのは、他でもない我々保護者だけなのです。

 PTA活動というのは、ボランティア活動です。人間は、誰も平等に1日24時間365日しか与えられていません。「時間」は、万人に平等に与えられている二つのモノの一つです。余談ですが、もう一つは「命の重さ」です。この貴重な時間を割いてPTA活動に参加するということは、非常に大きな意味があると私は思います。

 国の要は国民です。良い国民を育てずして、良い国をつくることはできません。教育は、国を繁栄させ、平和を維持するために、最も大切な要因の一つなのです。どのような案件よりも最優先されるべき事柄なのです。

 教育の現場においても、兎角「あ~でもない」「こ~でもない」と余計なことを偉そうにいい、教師達を威圧する保護者というのは、自分はまったく自分の時間を費やさず、口だけは達者に文句を言うような輩です。自分達は、親としての役目も家庭教育も満足にできないくせに、そんなことは棚に上げ鍵を掛け、偉そうに全て責任転嫁する輩です。こういう輩に、教師の立場では立ち向かえないのです。それが、現在の教育システムなのです。そうであれば、同じ保護者が、よりよい教育現場にするべく、教育現場を守るべく、PTA活動に参加することも、非常に大切な、そして大きな国の為の行動なのです。

 是非皆さん、臆することなく、教育ということに興味を持ち、積極的に学校教育の場に参加してみて下さい。色々なことが見てきます。教育現場を守ることができるのは、我々保護者なのです。

 
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by seizaikai_club | 2006-04-15 18:32 | 教育

「政治をもっと身近に」をスローガンにして、日本人にもっと「愛国心」を喚起すべく語る。
by seizaikai_club
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政財界倶楽部代表  恩田将葉
 「政治をもっと身近に」をスローガンに、一人でも多くの日本国民が政治に関心を持ち、参加してくれるよう、執筆活動、出版活動等を通じ「愛国心」啓蒙活動をしている。国際化が進む世界の中で、日本の政治も若者の手で変革しなければならない!!

 政財界倶楽部代表恩田将葉は、 アメリカ合衆国カリフォルニア州で約9年間生活。その間、サン・フランシスコ州立大学(San Francisco State University, SFSU)国際関係学部で国際関係学と政治を学び、朝鮮半島問題専攻で卒業。その後、暫くアメリカで現地法人の会社(People Intertrade, Inc.)を経営した後帰国。帰国後は、記者と編集者を経て出版社である株式会社ぴいぷる社と株式会社政財界出版社、そして、夕刊紙「内外タイムス」を発行する株式会社内外タイムス社の社長に就任。活字業界一筋に生きてきた。現在は、経営から一歩引き、国際情勢ならびに政治を中心に、ジャンルを問わず執筆活動を継続中。プロの文士として、随筆、小説、脚本等あらゆる分野で執筆活動を展開し、文章を綴ることを天職としている。そのかたわら、日本に、嘗てのごとく「愛国人」を増やすべく、「政治をもっと身近に」をスローガンに、自ら「政財界倶楽部」を運営している。

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