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ライブドア事件に関連してエイチ・エス証券副社長野口英昭が自殺した謎

ライブドア事件に関連してエイチ・エス証券副社長野口英昭が自殺した謎
2006年2月16日

 1月16日の午後6時30分過ぎ、突然六本木ヒルズの風雲児の一人堀江貴文元社長率いるライブドア本社に東京地検特捜部による強制捜査が実施された。同時に、ライブドア関連施設の全てに強制捜査が東京地検により執り行われた。その中に、故野口英昭エイチ・エス証券副社長の自宅も含まれていた。1月16日の段階では、故野口エイチ・エス証券副社長の自宅も家宅捜査されていることなど、ニュースになるどころかマスコミの記者達もまったく眼中になかった。
 ところが、二日後の1月18日、沖縄県那覇市のホテルでエイチ・エス証券副社長野口英昭氏が手首や腹などを切って自殺という一報で、各界に衝撃が走った。なぜならば、この故野口という人物は、ライブドアの前身オン・ザ・エッジ時代から非常に堀江氏に近い人物であったからだ。実際、エイチ・エス証券の副社長というポストの前職は、ライブドアの役員であった。
 このニュースの一報が入った直後に、印象深かった映像が二つあった。一つは、野口氏が副社長を勤めていたエイチ・エス証券の社長が記者会見の席で号泣していたシーンだ。第一印象は、自社の副社長が不本意ながら自殺した衝撃で、部下を思う一心での号泣と目に映った。大きなシンパシーを感じた視聴者も多かったはずだ。しかし、次の瞬間、別の衝撃が走った。どれだけの視聴者が気付いたかは疑問だが。よく見ると、その号泣している社長は、格安航空券販売で一世を風靡した旅行代理店株式会社エイチ・アイ・エスの澤田秀雄社長であったからだ。確かに、業界の異端児とまで言われた澤田社長のノリから言えば、堀江氏のような人物に非常に興味をもつのも自然な感じがする。そして、ライブドアの事業内容にも興味を持っても不思議がない。しかし、その意外性に、正直少々驚いた。だが、澤田社長のここ数年の言動を振り返ってみると、金融ということ、特に証券ということに大きな興味を示していたことも事実である。そんな思惑から、きっとライブドアの事業に興味を持ち、やはり異端児で自分と同じ匂いのする堀江貴文という男に、大きな興味を示したことは容易に想像できる。
 ただ、故野口氏が副社長を勤めていたエイチ・エス証券の社長はエイチ・アイ・エスの澤田社長であるということを認識した上で、あの記者会見を改めて見直すと、あの号泣シーンには何か色々な思いがあるのではないか、と勘繰りたくなるのは私だけではないはずだ。
 澤田秀雄社長は、1951年生まれの55歳。西ドイツのマインツ大学に留学し、その頃世界各国を遊学していたと聞く。そして、海外に於ける格安呼び寄せチケットなどの存在をしり、日本でも格安チケット販売ができるのではないか、と思い立っての起業であったらしい。当初、「東京インターナショナルツアーズ」という格安チケット販売専門の旅行代理店を東京新宿に設立し、みるみる急成長した。1990年には株式会社エイチ・アイ・エスと社名変更し、1995年には店頭公開も果たし、世間の知るところとなった。その後、国内で4番目の航空会社「スカイマークエアラインズ」を設立し、一躍世間の注目の的となった。業界では、異端児と呼ばれ、保険、証券、ホテルなど、事業も多角化し、急成長を成し遂げている。それだけに、色々な噂も陰ではたっている。だが、押しなべて言えば、若い力を活かし、既成の体制には囚われず、自ら信ずる道を突き進み成功を果たした、という良い印象の方が強い人であるように思う。若い力を尊重し、決して蔑ろにはしない良い経営者の一人なのではないか。ただ、急成長の陰には、必ず無理があることも世の常である。少々話が長くなってしまった。もう一つの気になるシーンに移ることにする。
もう一つの気になったシーンとは、故野口氏自殺の第一報を記者から聞かされた時の堀江氏の言動を映し出した報道映像である。あの時の堀江氏からは、本当に不意を衝かれ狼狽した様子が窺い取れた。その証拠に、泣きそうな顔で、堀江氏は次のように吐露した。「もう、誰も死なないでよ。お願いしますよ」と。あの表情と言葉に嘘はなかった。そして、あの時、不意を疲れた堀江氏は、無防備に胸中を晒してしまった。あの時の言動が、最初で最後、堀江氏は心の扉に鍵を掛けた。私には、そう見えた。堀江氏が、何で野口氏が亡くなったのかもわかっている、ということを体言してしまった瞬間であった。正気に戻った堀江氏は、あの時心に誓ったはずである。二度と、何があっても全ては自分の腹の中に納めてしまおうと。それは、裏を返せば、彼は全てを知っているとも言える。しかし、彼自身が吐露しない限り、誰の目にも触れることはないであろう。
 共通の印象を、澤田社長の記者会見でも感じた。不意を衝かれた澤田社長は、憚ることなく号泣した。多分、今回の故野口氏の自殺は、澤田社長にしても、堀江氏にしても、はじめて社会の怖さを垣間見た瞬間であったのであろう。それまでは、イケイケドンドンで、頑張れば何でも自分達の思い通りの結果を得ることができると信じやってきた。実際に、思い通りの結果も手中に収めてきた。しかし、故野口氏の自殺は、まったくの計算外であったというか、彼らにとってはアニメの世界でのみ起こりうるフィクションでしかなかったのだ。ところが、現実問題として、故野口氏の死ということを受け止めなければならない状況に直面した二人。二人にとっては、人生最大の誤算であり、社会を舐めたことを実感した瞬間であったのだろう。それが、あの記者会見の澤田社長の号泣と堀江氏のうろたえた言動として表れたに違いない。
 不思議なことは、まだまだ沢山ある。例えば、あれだけ大騒ぎになった故野口氏の自殺である。にもかかわらず、どこのメディアも、まったく澤田社長がエイチ・アイ・エスの社長であることには言及していない。確かに、皆が言わなくても知っているという認識での報道であればそういうことも考えられる。しかし、澤田氏の場合は、まだまだ知る人ぞ知る、と言う程度だ。にもかかわらず、ほとんどのメディアは、まったくと言ってよいほど、澤田社長がエイチ・アイ・エスの社長であることには触れなかった。意図的としか思えない。各メディアにとっての重要スポンサーというかクライアントだからなのか? それで報道できないというのなら、今のマスメディアは腰抜けとしか言いようがない。エイチ・アイ・エスとライブドア、堀江氏と澤田氏という取り合わせほど、興味深いコンビネーションはないと思うのがジャーナリストではないのか。不思議で仕方がない。何らかの圧力が働いたのではないか、何らかの思惑が働いたのではないか、と勘繰りたくなるのは私だけではないはずだ。

 最後に、故野口氏の自殺か他殺かという議論に関し、私の考える可能性を記しておく。実際に事故現場を検証したわけではないので、あくまで可能性としての参考意見として読んで頂きたい。
 各局のワイドショーが、盛んに他殺説を裏付ける証拠を探し、面白おかしく番組にしていた。確かに、強制捜査の二日後、身柄が拘束されているわけでもなく、事情聴取がされているわけどもない。任意同行を求められたわけでもなく、ましてや調書がとられたわけでもない。にも拘らず、何故あんなにも焦って自らの命を絶たなければならなかったのか、ということを考えると他殺説が浮上することは自然な流れである。まして、妻も子もある三十代働き盛りの男である。三十代にしては、異例の速さで財もなしているわけだ。自殺の必要性を考える方が難しい。例え前科がついたとしても、既に財を築いているわけであるし、現状直接的にライブドアの社員でも役員でもないわけである。罪に問われて、個人的財産まで没収されるということもないはずだ。そんな彼に、死に急ぐ必然性が見出せない。
 沖縄県警も公安委員会も、故野口氏の死は自殺であったと断定した。その根拠として、野口氏が自殺をはかったカプセル・ホテルの一室は密室であり、第一発見者が部屋を訪れた時、故野口氏の部屋のドアには内鍵が掛けられ、その上ロッカーがドアの所にバリケードされていた、と言っていた。
 ここで、一つ可能性を上げてみる。現場を検証していないので断定はできないことは、了承して頂きたい。他殺であったとしても、内鍵を掛けロッカーでバリケードをすることは十分可能である。プロの犯行であれば、よくある手口だ。そのホテルの部屋の様子がわからないが、もし殺人犯が身を潜めることができる場所が部屋の中にあれば可能である。別に大きなスペースは必要ない。自分の身を隠せればよい。
 まず、当然のことながら、故野口氏の顔見知りであろう。故に、故野口氏は騒いではいない。顔見知りということで気を許している故野口氏が油断した隙に、最初に故野口氏の喉を掻き切る。何故ならば、声を出されては困るからだ。これは、特殊部隊の訓練でも基本中の基本である。そして、次に、致命傷を負わせる。今回の場合、まず喉を掻き切り、その後、自殺に見せかけるために手首を切り、なかなか絶命しないので焦った殺人犯は腹をも切り裂いたのではないか。勿論、死のうと思っている人間が、手首を切り、腹を切り、喉を切るということは不可能ではない。ただ、突発的に起こった強制捜査、それからたった二日の内に、そういう強烈な方法で死ぬだけの勇気も度胸も普通の人間では持ち合わせない。
 鍵に関しては、簡単な問題である。殺人犯が身を潜められるスペースが、多少でも室内にあれば可能だ。まず非常ベルを押し、殺人者はそのスペースに身を隠す。非常ベルを聞きつけたホテル関係者が駆けつける。しかし、ドアには内側から鍵が掛かっている。それどころか、ロッカーでバリケードまで為されている。当然のことながら、駆けつけた第一発見者は中には誰もいない。自殺と思い込む。内側から鍵が掛かっていて、バリケードまでされていて、窓から逃げ出した形跡もなければ、普通の人間ならそう思い込む。内鍵を開け、バリケードを押し開ける段階で、尋常ではない空気を第一発見者は既に感じ取っていたはずである。ということは、かなりの興奮状態に陥っていたはずだ。その上、中に入ってみると、故野口氏が虫の息で、しかも血だらけで横たわっている。当然のことながら、自分の胸の高鳴りさえ聞こえるほどに興奮し、恐怖感に苛まれながら110番通報するためフロントに駆け戻ったはずである。動揺どころか、腰が抜けてしまうほどの衝撃であったことは想像がつく。そんな人間が、冷静に部屋の中を見回し確認できるはずもない。逃げるようにして、走り出たはずだ。第一発見者が、部屋を走り出た直後、殺人犯は悠々と部屋を後にすることができる。そして、110番通報した第一発見者が、他の人間をも誘って故野口氏の部屋に戻ったことも容易に想像がつく。即ち、その瞬間、フロント近辺、出入り口にも空白時間と空間ができる。その隙を狙って、殺人犯はそのカプセル・ホテルを人目につかず後にすることが可能なのだ。
 テレビの画面で見た範囲では、身を隠す場所は限られていたように思える。しかし、相手がプロならば、決して不可能ではない。バリケードに使用されていたロッカーだって可能なはずだ。第一発見者は、ただならぬ殺気を感じ取り尋常ではなかったわけであるから、押し開ける際のロッカーの重みまでは正確に覚えてはいないはずである。故野口氏の傍らに置かれていたTシャツが、彼の遺留品とは思えない旨、テレビで野口夫人が盛んにアピールしていたが、その通りであろう。人は、めったなことでは自分の趣味に反する衣服を身に着けない。特に、金銭的に余裕のある人間はである。そのTシャツは、殺人者が故野口氏を殺害する際、返り血を遮るために着用したと考える方が自然かもしれない。
 この事件には、まだ不思議な点がいくつもある。全てを挙げるときりがないので、一点だけ最後に挙げておく。それは、何故、金銭的に困っていない故野口氏がカプセル・ホテルに宿泊する気持になったのかということだ。しかも、過去の宿泊記録に野口氏の名前は記載されていないにもかかわらず、以前にも泊まったことがあるので勝手はわかっている、というようなことをチェック・インの際、故野口氏は言い、係りの人間の説明をも鬱陶しそうにしたという。常識的に考えて、傷心旅行でカプセル・ホテルというのは不自然である。しかも、金銭的に恵まれた環境にある故野口氏が、迷うことなくこのカプセル・ホテルを目指したこと自体、非常に不自然である。故野口氏が副社長を勤めたエイチ・エス証券の親会社であるエイチ・アイ・エスにとっては、こんな人知れないカプセル・ホテルは、得意中の得意の分野だ。なんせ、格安チケットで上場した会社だ。格安ツアーを組む際、利用していたカプセル・ホテルの一つである可能性は高い。その辺のことは、警察が調べれば直ぐにもわかるはずである。故野口氏は、このカプセル・ホテルのことは詳しくないし初めてであったが、彼を沖縄に呼び寄せた人間は、このカプセル・ホテルのことをよく知っていた。だから、故野口氏の口からも、説明は必要ないような言葉が出たのであろう。大体、故野口氏は、沖縄が大好きだったらしい。その大好きな場所に傷心旅行で来て、何故カプセル・ホテルなのか。おかしいではないか。そこまで、若くして極めた人間が、自殺だとしても、最後の場所をカプセル・ホテルに選ぶだろうか? 金にモノ言わせて、沖縄まで無計画に飛んできた男がである。大きな疑問を感じざるを得ない。あまりにも不自然なことが多い故野口氏の自殺に関しては、もう一度一から捜査し直すべきである、と強く思うのは私だけではないはずだ。
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by seizaikai_club | 2006-02-16 14:51 | 社会

皇室典範改正問題に思う

皇室典範改正問題に思う
2006年2月13日

 現在、大手メディアにおいても、今通常国会においても、皇室典範の改正問題が大きく取り上げられている。非常にセンシティブで、触れ難い問題である。にもかかわらず、大手メディアも、永田町の尻馬に乗って政争の具とし、ワイドショー的に取り上げ過ぎている感が否めない。昨今の、視聴率や販売部数という数字のためなら如何なる案件であろうが、数字獲得の手段にしてしまおうという大手メディアの姿勢には、些か辟易とさせられる。また、皇室典範という、日本の根幹をなす歴史や文化に関わる問題をも、軽はずみに取り上げてしまう感覚自体に、同じ日本人として絶望感さえ感じる。悲しむべきことである。

 まず、この問題は、慎重に議論し結論を出すべき問題である、ということを記しておきたい。その前提で、色々と思いを巡らせたい。

 そもそも、野党にしても、大手メディアにしても、いかにも小泉首相が、自らの欲得のために、皇室典範改正を矢継ぎ早に進めているように言っている。しかし、案外知られてはいないが、この問題は、橋本龍太郎元総理の時代より議論が続けられている問題なのである。何故、橋本政権下、皇室典範改正問題が取沙汰されたかというと、皇太子妃雅子様の出産に起因する。皇室も宮内庁も、男子の誕生を期待した。しかし、残念ながらという言い方は失礼になってしまうが、愛子様という女子の誕生であった。そして、その瞬間、皇室典範改正という問題が、時の政府橋本政権に宮内庁を通じ皇室より、隠密裏にもたらされたのであった。ところが、問題が問題だけに、一朝一夕に結論が出せるわけもない。同時に、歴代の首相達は、聖域である皇室典範に関しては、自分の代での議論改正を回避し見送ることを繰り返した。その結果、現在に至ったのである。
 ところが、皇室ならびに宮内庁では、帝王学の教授を皇位継承権の最も高い人物に施さなければならない義務がある。その開始年齢が、皇室典範の改正を待ち望む中、遥かに過ぎてしまったのだ。しかも、男系で引き継がれてきた日本の皇位継承という文化的慣例を継承することさえ難しい自体に陥っている。ある意味、出口のない迷路に迷い込んでしまったにも等しい、困難なる状況に陥ってしまったのである。
 当然のことながら、世界にも類をみない男子継承という歴史を絶やすべきではない。時代の流れとして、男女が平等であることは非常によろしい。男子も、女子も、実際問題平等である。しかし、男には男にしかできぬこともあり、また、女には女しかできぬこともある、ということも現実である。日本国の皇位継承ということも、代々長きに渡り継承されてきた大切な文化であり歴史である以上、世の中の変化による男女平等の議論と同じくするべきではない。
 そうは言っても、現実問題として、男子継承が難しいという状況であることも確かだ。そこで、その打開策として、女子の継承権という新たなる提案があったことも理解できる。世界中を見渡してみれば、イギリスのエリザベス女王を代表に、多くの女系王室が存在する。しかし、他国がそうだから、日本の皇室もそれで良いというものではない。
 それでは、小泉首相をはじめ、何故多くの人々が皇室典範を改正し、女性の継承権も認めようというのか? 答えは簡単である。女性の継承権を認めてもという人々の多くは、時代の流れで男女の格差がなくなったのだから、という意見が多いのであろう。そして同時に、実際問題として現状皇室に男子継承者が途絶えてしまっているから、という人々が多いことは容易に理解できる。ある意味もっともだと言えないこともない。しかし、そこでいくつかの疑問が生じてくる。それならば、何故、礼宮様がご結婚される前に皇室典範を改正し女子にも皇位継承権が与えられるようにしなかったのか? お人柄から言っても、礼宮様は皇位継承者として最も相応しいお方の一人であると思っている国民は多い。何か、まるで皇室典範改正が絡んで、宮内庁なりの思惑がはたらき結婚を急がれたようにさえ見えるのは私だけではないはずだ。そんな意図は、ないものと信じる。
 また、三笠宮様が、ある月刊誌で訴えられたことも注目すべきである。日本の皇室は、他国の王室とは違い。非常に寡黙で礼儀正しい。にもかかわらず、自らが批判される可能性をもわかっていながら為された三笠宮様のご発言は、非常に重たい気がしてならない。政治家や訳のわからない皇室典範改正のための委員達が勝手なことを議論しているが、何故当事者である皇室の方々の意見を真摯に受け止めないのかは、国民の一人として非常に大きな疑問を感じる。直接的に関わりがあるのは、私達国民ではなく皇室の皆様なのである。その皇室の皆様のご意見を伺わずして、議論を進め皇室典範を改正するということ自体、非常に理不尽であり不自然である。
 要約すれば、三笠宮様の言われていることは、男系による継承を、側室制度を回帰してでも守るべきだということだと理解する。側室制度ということを口にすれば、大きな批判を受けることを承知してまでも、あのような発言をされる三笠宮様をはじめとする皇室の方々の思いというものを、我々国民は無視するべきではない。
 一部の心無い人々は、皇室の方々は税金で生活し羨ましい限りである、などということを言う。しかし、実際はそうではない。皇室の方々は、生まれた時より、日本国の平和維持のために、個人の存在までをも寄与して、公務を全うされているのだ。そこには、プライバシーも自我も存在しないのである。我々、国民が想像しているようなものではないのだ。生活の全てが公であり、プライバシーなどというものは皆無なのだ。自由にモノも言えないのである。聞くところによると、天皇陛下は、自分の食べたいものを食べることも一生涯無いという。全ては、宮内庁ならびに侍従達によって決められ為されているという。そういう厳しい環境にあられながらも、日本の国の文化の根源を死守されているのが皇室の方々なのである。だからこそ、皇室の皆様のご意見を無視しての、皇室典範改正ということは絶対にあってはならぬことであると、私は強く思う。
 今回の秋篠宮妃紀子様ご懐妊に関しても、ご自分で主張さえ許されぬ秋篠宮様はじめ皇室の皆様の思いが体言されていることであると理解する。男系による皇位継承ということは、きっと皇室の皆様にとってはそれほどに重く重要な事柄なのである。その思いを、我々国民も真摯に受け止めるべきであると強く思う。
 小泉首相が、何故あんなにも皇室典範の改正問題を急ぐのか、という問題に関しては、マスコミや多くのコメンテーターが批判しているような、小泉政権下で改正したいというような論功行賞的な発想ではないことは、偏向せずに見極めれば直ぐにわかることである。この皇室典範改正問題の結論を急いで一番損をするのは、小泉首相自身である。この問題の結論を急げば、今まで為してきた小泉改革も全て自分の手柄のためだったのだという国民の批判を受けることは必至である。そんなことが、わからぬはずは絶対にない。
それでは、何故、こんなにも小泉首相は焦って皇室典範改正をしようとしたのか。その答えは、簡単ではあるのだが、口にし難い問題であるがために、小泉さん自身が矢面に立たされているのである。
 小泉首相は、あのような性格である。正義感は強く、行動力はある。既成の体制を打破し改革することは得意である。しかし、打破した後、新しい体制を構築することはあまり得意としない。そのことは、彼自身が一番よく知っている。壊すだけ壊すから、後はよく議論して最善の形を導き出してくれ、それが小泉さんという人の人となりだ。そういう小泉さんの人となりを理解し、皇室典範改正問題を解析すると、ある事情が見えてくる。
 マスコミでも取り上げられているように、小泉首相は、ある宮内庁関係者と昵懇の間柄である。そして、その宮内庁関係者から、小泉首相に耳打ちされた事柄がある。その事柄が、小泉首相を駆り立てたのだ。或いは、小泉首相の性格を承知したその宮内庁関係者が、小泉首相を駆り立てるべくして耳打ちしたのかもしれない。その辺の真意ならびに事情は定かではない。 
 それでは、その事柄とはなんなのだ? 皇室典範改正という問題は、上記した通り橋本内閣の時代からの問題である。敢えて、耳打ちする必要もなく、小泉さんも百も承知であったはずだ。にもかかわらず、小泉さんを駆り立て理由。それは、雅子妃にまつわる問題であるらしい。雅子妃の問題は、色々なことが既に週刊誌でも取沙汰されているので、誰もそれほど驚きはしないはずである。しかし、真面目で一本気で、ある意味単純な小泉首相が、「よし」と言って矢継ぎ早に皇室典範改正に向けて動き出した理由は、耳打ちされた次のような言葉であったらしい。「雅子妃が、離婚を望んでいらっしゃる。そして、女子には継承権がなく、紀宮様同様将来的に愛子様も民間に下られるのであるから、皇室には残さず自分と一緒に民間に戻りたい、ということを要望されている。愛子様に皇位継承権があれば、愛子様が雅子妃と民間に下られることを阻止できます。そうすることが、皇太子殿下のお立場をお守りすることになるのです」という訴えであった。それは大変だ、と小泉首相は単純に、皇室典範改正は皇室の望んでおられることと理解してしまったらしい。こういう事情だとすると、安易に小泉首相を批判もできない。小泉さんは、小泉さんなりに国のことを考え、皇室のことを鑑み下した決断なのだ。
 ただ、敢えて言うならば、皇室典範に関する有識者会議のメンバーの人選に大きな誤りがあったように思う。この問題は、他の問題とはまったく違う。非常にセンシティブな、また日本の文化と歴史に関わる重要な問題である。全員を専門家にする必要はないかもしれない。しかし、皇室典範ならびに皇室に関しての専門家を多くメンバーに加えるべきであった。また、皇室へ対しての、尊敬の念を持つ者という最低限の人選基準の下人選されるべきであった。間違っても、皇室の存在ならびに皇室の方々を愚弄するような言動が、この皇室典範に関する有識者会議メンバーより為されるべきではないし、許されるべきでもない。にもかかわらず、実際には、耳を疑うような発言が、三笠宮様の発言に対し、この皇室典範に関する有識者会議のメンバーの一人から為された。これは、悲しむべき出来事である。と同時に、小泉首相がこの有識者会議を招集し、皇室典範改正を目指した趣旨をも歪曲してしまうことになりかねない。誠に残念なことである。

 いずれにしても、この皇室典範改正ならびに皇位継承権の問題は、結論を急ぐべき問題ではないし、今結論を出したからといって、全てが解決する問題でもない。現状、兎に角、秋篠宮妃殿下のご出産をお待ちするべき問題であることは間違いない。
直系を選択するのか、男系を選択するのか、どちらも選択できないのか、前途多難である。しかし、直系を優先しようというのならば、皇位継承権などという制度自体が無意味であり、直系以外の皇位継承者である皇室の方々を否定するという考え方もできなくもない。こうやって考えていくと、宮内庁の人々の思惑が、これらの問題解決に影響しないことを、国民の一人として切に願う。と同時に、天皇陛下をはじめ皇室の方々のご意見を最優先にして頂きたい、ということを小泉首相はじめ関係各位の方々にお願い申し上げる。
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by seizaikai_club | 2006-02-13 17:54 | 政治

秋篠宮紀子様ご懐妊、おめでとうございます。

秋篠宮紀子様ご懐妊、おめでとうございます。
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by seizaikai_club | 2006-02-07 23:51 | 今日の独り言

クツをはけない子どもたち

クツをはけない子どもたち
2006年2月8日

 昔、こんなことがありました。私の子どもたちが、幼稚園に通っている頃の話です。その幼稚園があった区では、親たちと教師たちの集まりをPTAとは呼ばずに母の会と呼んでいました。その母の会の集合体を、母の会連合会と呼んでいました。要するに、その区に帰属する幼稚園それぞれの母の会が一同に会する場が、母の会連合会ということです。
 母の会連合会では、区の教育委員会と協力して、色々な活動をしていました。皆さんご存知のように、母の会のようなPTA活動自体が、園児や生徒たちの親たちによるボランティア活動なので、当然のことながら活動の中心はボランティア活動でした。子どもたちのための映画鑑賞会だとか、紙芝居鑑賞会、舞台劇の鑑賞会、餅つき大会やハイキングなどなど、色々な活動をしていました。その中に、海外、言い方は悪いですが後進国への支援活動もありました。親たちが直接海外へ赴くわけにはいかないので、金銭的援助ということになっていました。ただ、そのお金が有効利用されるよう、見届けるようにしようということになっていました。幸い、その区には、私たちが支援していた国と交流を持っている方がおりました。その方が、中心になり、実際に募金で集めたお金を先方の国まで届け、そのお金を見届けることを5年間もの間続けていました。毎年、募金で集まるお金は、50万円程度でした。しかし、その50万円で、飲み水を確保するための井戸を随分沢山掘ることができました。それだけではありません。教育を広めようと、学校も建てることになりました。貨幣価値の差が大きかったので、何と50万円で毎年2校もの学校が建設できました。井戸と学校を、5年間、毎年贈り続けました。そのことがキッカケで、非常に親密な交流関係を築き上げることができていたように思います。贈られる側は、勿論のことながら大きな喜びを得ていました。贈る側の私達も、実は大きな喜びを得ていました。そのことからの学びは、非常に大きかったように思います。それは、人に喜んで貰えたことによって得られた喜びでした。目には見えません。しかし、心は、ホンワカ温かくなりました。幼稚園児達も、何だかわからないけど、善い事をしたということを肌で感じていたようです。それは、親の感情を子どもたちが素直に受け止めるからだと思います。親の喜びを、子どもたちはしっかりと受け止めていたのです。

 そんな或る日、次の5年間で何をしよう、という話になりました。もともと、5年を一区切りに、ということでのボランティア活動でした。当然のことながら、5年の間には、母の会連合会に参加する親たちも随分と入れ替わりました。それが、こういうボランティア活動の宿命なのです。そんな中、私はこんな提案をしました。
「次の5年間は、クツを贈りませんか?」と。
会場内に、一瞬ざわめきが起こりました。そして、こんな質問が返ってきました。
「クツを贈るって、どういうことですか? クツって、このクツですか?」と言いながら、一人のお母さんが自分のクツを指差しながら質問してきました。
「そうですよ。このクツですよ」
 私も、自分のクツを指差しながらニッコリ微笑み返しながら答えました。すると、また別のお母さんから、声が上がりました。
「なぜ、クツなのですか?」
 そこで、私はこう答えました。
「日本にいると、クツをはくのは当たり前、クツのありがたさなどわからないかもしれません。しかし、他所の国に行ってみると、クツをはけないでいる多くの子供達を目にするのです」
 すると、場内で驚きの声があちらこちらから上がりました。皆、クツもはけないでいる子どもたちが、世界中には沢山いることなど知らなかったのです。私は、若い頃、仕事で色々な国を訪問する機会を得ました。その際、クツをはいていない子どもたちを多く見かけたことが、非常に強く印象に残っていました。
また、ある国を訪れた時、人懐っこく近寄ってきた幼子に、「夢は何?」と私は訊ねました。そうしたら、その子は、綺麗に澄んだ瞳を輝かせ、「クツをはくこと」と答え返したのです。私は、大きな衝撃を覚えました。同時に、目頭が熱くなりました。そんな私の様子を目の当たりにしたその幼子は、非常に驚いた顔をしました。「おじさん、どうしたの?」と心配そうに私の指を握ってくれました。身なりは貧しくとも、その子の素直な心が、私の心を捉えて離しませんでした。
 世の中には、まだまだ、私たちの想像を超えるような事柄が沢山あるのです。「夢は?」と訊ねて、「クツをはくこと」という答えが返ってくるなどと、誰が予想できたでしょう。今の日本人には、想像できないことです。なぜなら、クツをはくことは日本人にとって当たり前のことだからです。今時、日本でクツをはかずに裸足で歩いている人は、一人もいません。この時ほど、日本の常識が世界の常識ではないのだな、ということを実感させられたことはありませんでした。
 帰国後、私は、試しに日本の子供達に同じ質問をしてみました。皆さん、どのような答えが返ってきたとお思いですか? 「ウルトラマンになりたい」「宇宙戦士になりたい」「芸能人になりたい」「歌手になりたい」などなど、非現実的な答えばかりが返ってきました。どう頑張っても、宇宙戦士にもウルトラマンにもなれないでしょう。芸能人や歌手なら可能性はまだありますが、それでも一般的には難しい夢と言ってもよい職業です。当然のことながら、「クツをはくこと」などという答えは皆無でした。このことは、いかに現代日本が平和であるか、ということを物語っているのではないでしょうか。
 何処の国を訪ねても、私は同じ質問を子供達にするよう心掛けています。「クツ」と答える子供がいるような国は、語弊があるでしょうが、後進国と一般的に言われる国々です。しかし、それ以外の国々でも、日本のように「宇宙飛行士」だとか「スパーマン」というような非現実的な答えが返ってくる確立は、非常に少ないように思います。大抵の場合は、「お医者さん」だとか、「弁護士」だとか、「学校の先生」や「看護婦さん」などという、非常に現実的な答えが返ってきます。お父さんの病気を治してくれたので、私も人の命を救いたいからお医者さんになるのが夢です。皆が学校に通えるようになるように、私は学校の先生になりたいです。というように、子どもたちの身近で起こり感動したことへの憧れとして、夢は語られています。それと、もう一つ共通点があります。ほとんどの子どもたちが、生活していく、ということを真摯に受け止めて夢を語っているということです。ここのところが、他国の子どもたちと日本の子どもたちの夢に対する答えの大きな違いであるように、私はずっと思っています。そのような感覚は、子どもたちだけに起こっていることではありません。大人の世界も、子どもの世界と同じだったのです。大きな壁に、私は直面することになりました。
 成長期にある子どもたちのクツは、数ヶ月はくとはけなくなってしまいます。すると、日本のお母さんたちは、また新しいクツを買い与え子どもたちにはかせます。家のクツ箱には、まだ綺麗なのにはけなくなったクツが溢れているのです。そこに目をつけた私は、綺麗なのにはけなくなり、クツ箱に眠っているクツを集めて、クツを欲しがっている子どもたちがいる国々へ贈りませんか、ということを提案したのです。ところが、反対の声が色々と上がってしまいました。「贈るまで保管する場所や保管費用が、クツの場合大変なのではないか」というような、非常に現実的な問題を指摘される良識あるお母さんもおりました。しかし、多くのお母さん方から出た声に、私は少々愕然としました。クツは、足にはくモノ。そんなことは、誰も知っていることであります。それでどうしたの? だから、綺麗に洗ってから贈らねばなりません。自分の足の臭いがついたままのものを贈ることには、かなり抵抗がある。左右揃った状態で贈ることも、難しいのではないか。などなど、私の想像を絶する声が、あちらこちらから持ち上がったのです。そこで、私はほとんど涙目で訴えました。
「洗ってなくてもいいのです。洗ってなくても、クツがあれば喜ぶ子どもたちがいるのです。洗ってないことよりも、クツがないことの方が彼らにとっては悲しむべきことなのですよ」
 と私は必死に訴えました。しかし、皆さんの答えはノーでした。以前に古着を贈ったことがあるそうです。その際も、それぞれがクリーニングに出したり、洗濯をしたりしてから持ち寄ったそうです。そして、その持ち寄られた服を数が揃うまで倉庫で保管して、その後に贈ったらしいのです。ですが、倉庫で保管している間に、折角洗った服は、再び埃をかぶった苦い経験がある、ということでした。結局、クツ贈呈ボランティア案は、廃案になってしまいました。

 読者の皆さんは、如何感じられましたか? 私は、未だにこの時のことに、大きな疑問を抱えたままでいます。クツがはきたいが、クツが無くて困っている子どもたちがいる。クツが綺麗か否かという問題ではなく、裸足で歩くことが辛いのです。一方、贈ってさしあげるなら、綺麗に洗って左右揃ったものでないと恥ずかしい。でも、家のクツ箱には、はかなくなったクツが溢れかえっている。世の中の矛盾を感じませんか? 一方でクツがなくて困っている子どもたちがいる。その反対側には、はかなくなったクツが溢れている。簡単なことなのです。その簡単なことが、大変難しいことなのです。グローバルな視点に立つということは、大そうなことではないのです。自分達がもつ常識の枠を外して、物事を見るということなのです。「常識」というのは、人が考え出したものなのです。絶対ではないのです。生まれも育ちも違えば、自ずと「常識」も変わってくるのです。日本の常識が、世界の常識ではないのです。簡単なことなのに、なぜ人はこんなにも難しくしてしまうのでしょうか。だから、人は息切れして、傷付けあってしまうのではないでしょうか。悲しむべきことです。ほんのちょっと、心の扉を開ければ、お互いに理解し合えて、お互いが喜べ合うのに。早く、世界全部が平和になってほしいものです。
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by seizaikai_club | 2006-02-07 18:44 | 国際情勢

「政治をもっと身近に」をスローガンにして、日本人にもっと「愛国心」を喚起すべく語る。
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政財界倶楽部代表  恩田将葉
 「政治をもっと身近に」をスローガンに、一人でも多くの日本国民が政治に関心を持ち、参加してくれるよう、執筆活動、出版活動等を通じ「愛国心」啓蒙活動をしている。国際化が進む世界の中で、日本の政治も若者の手で変革しなければならない!!

 政財界倶楽部代表恩田将葉は、 アメリカ合衆国カリフォルニア州で約9年間生活。その間、サン・フランシスコ州立大学(San Francisco State University, SFSU)国際関係学部で国際関係学と政治を学び、朝鮮半島問題専攻で卒業。その後、暫くアメリカで現地法人の会社(People Intertrade, Inc.)を経営した後帰国。帰国後は、記者と編集者を経て出版社である株式会社ぴいぷる社と株式会社政財界出版社、そして、夕刊紙「内外タイムス」を発行する株式会社内外タイムス社の社長に就任。活字業界一筋に生きてきた。現在は、経営から一歩引き、国際情勢ならびに政治を中心に、ジャンルを問わず執筆活動を継続中。プロの文士として、随筆、小説、脚本等あらゆる分野で執筆活動を展開し、文章を綴ることを天職としている。そのかたわら、日本に、嘗てのごとく「愛国人」を増やすべく、「政治をもっと身近に」をスローガンに、自ら「政財界倶楽部」を運営している。

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