政財界倶楽部         (恩田将葉見聞録)

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若者世代だけの問題ではなく「勝ち組」「負け組」という発想が現世に於ける諸悪の根源

若者世代だけの問題ではなく
「勝ち組」「負け組」という発想が
現世に於ける諸悪の根源
2006年1月29日

 歩道を歩いていて、避けることもなく突進してくる自転車に遭遇したことはないか? 車を運転していて車線変更のためウィンカーを出しているにもかかわらず、誰も入れてくれようとしないという経験はないか? 歩行者の信号が赤であっても、臆することなく渡り続ける歩行者に遭遇したことはないか? 赤に変わりかけの横断歩道で、乳飲み子を乗せた乳母車を盾に、我が物顔で渡る母親を見たことはないか? 男子トイレに入ってみると、女子トイレと見紛うほどに、中高年の女性達が我が物顔で占領していることに遭遇したことはないか? 歩道を歩いていて、対向者が子連れの女性だろうが身障者だろうが、譲らず突進してくる年配男性に遭遇したことはないか? あと少し脇に寄れば、他車が通れるにも関わらず、車線の上を我が物顔で進む車に遭遇したことはないか? 
 誰でも、こんな経験があるはずだ。それも、かなり頻繁に、日常茶飯事で経験しているのではないか。昔から、こんな横柄で腹立たしいことが頻繁に身の回りで起こっていたのであろうか? 答えは、ノーである。これらは、近年増え続けている現象である。問題は、「モラル」である。「道徳心」なのである。古き日本の美しき精神が、忘れ去られ希薄化している証拠なのだ。
 案外、皆様気付いていらっしゃらないが、近年、多くの学校で、「道徳」の授業がなくなっている。昔はよく、「道徳」の授業は楽しい。勉強とはちょっと違うから、というような印象を子供達は持っていた。そして、親達はというと、「道徳」の授業は無駄なのではないか、とその頃思っていた。「道徳」の授業などをする暇があったら、算数の数式を一つでも多く教えた方がよい、などと言う親達が多かった。そんな考えを反映して、近年、「道徳」の授業を削減している学校が非常に増えてしまった。その結果が、無秩序平和ボケ日本社会の誕生だ。実は、この「道徳」の授業というのは、青少年を育成するにあたって一番大切なことなのだ。「道徳」の授業は、人間形成や日本人形成のために必要不可欠な授業であったのだ。しかし、人が人として、日本人が日本人として生きていくために必要な知恵や道徳心よりも、近代日本社会が知識を優先した教育方針に変容した結果が、現世で起こっている全ての問題の根源なのである。

 時代は変わっても、何時の時代にも、「今の若い連中は・・・」というフレーズを年配者達からよく聞く。しかし、そういうことを言う年配者こそ、「今の年寄り連中は・・・」などと言われぬよう、気を付けてもらいたいものだ。今回の堀江ライブドア元社長の逮捕に当っても、自己中心的な我儘世代だなどと、堀江氏をはじめ若い世代全体を否定するような発言をする年配コメンテーターが非常に多い。自分達は団塊の世代で、日本の高度経済成長のために汗水流して働いてきたのに、今の若い連中は苦労を知らずに育った偏向世代だ、などと嘯く年配者も多くいる。しかし、その若者達を育ててきたのは、その若者達の親の世代、即ち、そういうことを言う団塊の世代の人々ではないか。堀江のことを、価値基準が「金」という「勝ち組」思考の鼻持ちならないヤツだ、と多くの大人達は言う。しかし、「バブル」、「バブルの崩壊」をはじめ、「金」を価値基準に滅茶苦茶なことをしてきて、平和ボケを日本に蔓延させたのは、若者の世代ではなく、今の若者達を育てた親の世代、即ち団塊の世代ではないのか。
 大体、「勝ち組」「負け組」などという発想自体が、非常にバブル的であり、間違った貧しい発想である。人間社会に於いて、「勝ち組」「負け組」などという単純な価値基準で差別化すること自体が、世の中を舐めたバブル的発想ではないか。いつの時代も、子供達は大人達の背中を見て育っている。これは、時代が変わろうが、絶対に変わらぬ人間形成における方程式だ。一つ例を挙げてみよう。
 派手な格好をして身体を売る若い女子高生達を、自分達のことは棚に上げ頭ごなしに批判する大人がよくいる。勿論、女子高生であろうが大人の女性であろうが、売春ということは良くないことである。しかし、需要がなければ、女性達だってそのようなことはしないはずである。需要があるからこそ、彼女達もそういうことを安易にするのではないか。それでは、その需要とは誰なのか、他でもない若者達を盛んに批判しているような大人達ではないか。売りたくとも、高く買ってくれる需要がなければ、彼女達だって、自分達の心身をすり減らす、売春というような供給発想には至らないはずである。需要があるから、供給するのである。経済の基本原理である。例としては、非常に極端な例であるが、非常にわかり易い例ではないか。

 堀江率いるライブドアの今回の事件にしても、彼らは確かに悪かった。そのことを否定するつもりはない。しかし、彼らを大人達が利用したことも確かな事実である。彼らのことを、子ども扱いする財界のお偉いさん達。彼らは、育児は女性に任せっきりで、多分子供を育てた経験がないのであろう。若者が、子供扱いされれば反発する、ということは育児を経験していれば、容易に理解できることである。批判するのではなく、受け入れ理解しようとすることによって、子供の側も心を開き歩み寄ってくる。これは育児の基本である。子供扱いされれば反発するのが、子供なのである。反抗期の子供達を思い起こしてほしい。今回のライブドアの事件の経過を見ていると、反抗期の子供達がバイクに乗って暴れまわって、大人社会を震撼させているのと同じように私には見えた。彼らは、子供扱いされればされるほど、「なにくそ!」と大人に負けないように余計暴れ回るのだ。こんなことを言うと、大人達は「社会に出たのだから、子供ではないのだから」と言うであろう。確かに、社会にでたら子供ではない。しかし、それなら、大人達も、彼らを子供扱いせず、大人として扱わなければおかしい。差別し、理解しようともせず、頭ごなしに、「お前らなどケツのまだ青いヤツは・・・」的な扱いばかりしておいて、子供ではないのだからと言うのは矛盾しているし、絶対に許されない。それこそ、自分達の私利私欲による利権確保という思惑だけによる、排他的発想と言われても仕方がないのではないか。

 昨今、子供達の世界でも、背筋が寒くなるような事件があとを絶たない。毎日のように殺人事件をはじめ猟奇的な事件が頻発し、テレビを賑わせている。何故、こんなにも異常な事件が続くのか。それは、皆、心を抑圧され、病んでいるからである。だから、反発し、暴れまわるのだ。堀江達も、まったく同じではないか。それでは、何故こんなにも若者達が心を病み、暴れまわるのか? 答えは簡単だ。「教育」に問題があるからだ。戦後教育に、大きな問題があったのだ。出る釘は打ち、大量生産的日本人育成に奔走し、実社会は競争ばかりなのに現実逃避のように競争を排除し、道徳教育を軽んじ、知恵よりも知識習得を最優先した結果なのだ。戦後60年の教育が間違っていた証だ。

 ライブドアの事件に絡んで、多くの大人達が、テレビ等で言っている。若者達による資本原理主義による悲劇だと。これこそ、責任転嫁である。その資本原理主義を、誰が若者達に植え付けたのだ。他でもない、大人達ではないか。今の日本の大企業ほど、資本原理主義を信奉している企業群は、世界中探してもどこにもない。節操がなさ過ぎる。私は中国や韓国のやり方を肯定したくもないしするつもりは全くないが、日本の企業と明らかに一点違うことがある。それは、愛国心だ。彼らは、国の発展を目標にして、滅茶苦茶な方法ではあるが経済発展の途上にある。嘗ての日本も同じであった。国の発展のためなら、何でもやる。全ての行為は、愛国心に起因した。
 ところが、昨今の日本の企業はというと、自社や自我のために、滅茶苦茶なことをしているではないか。ライブドアだけではない。大企業ほど、法律の網の目を抜けて、スレスレのところで利益を少しでも多く生み出そうと、無節操なビジネスをしているではないか。これこそが、資本原理主義ではないというのか。
 嘗ては、日本の企業も目標を持っていた。世界一の経済大国になろうと。ところが、高度経済成長を成功させ、世界一の経済大国になってしまい目標を失った。同時に、愛国心も失った。そして、「金」本位主義の資本原理主義が日本に蔓延した。その結果、バブルが起こり、バブルは崩壊した。その立役者達が、今の日本を支えている団塊の世代であり、堀江達をはじめ、若き起業家達の親の世代なのである。それをまるで、自分達は関係なく、若者達だけの所為にするのはおかしい。

 団塊の世代というのは、戦争を身近に育ち、戦後の大変な時期を経験し、その経験をパワーに代え高度経済成長を成し遂げた。日本を世界一の経済大国にまで持っていった、日本にとっての功労者世代である。が、しかし、彼らは、常に汗水流すが、目標を失い迷走する世代でもあるのだ。それは、生まれた時代の宿命なので、彼らを責めることはできない。
 幼少期、バナナは高嶺の花であった。バナナを食べることを目標に頑張った。その結果、バナナを食べることが出来る世の中に経済発展させた。ところが、気付いてみると、バナナは、誰でも手にできる一番安価な果物になってしまっていた。彼らの目標のバナナがである。その時から、団塊の世代は迷走しだし、日本社会も迷走しだしたのである。そして、そんな迷走するバナナ世代が、育てた子供達が堀江をはじめとする今の若手起業家層なのだ。
 今回のライブドア事件は、日本人の危機管理意識の低さを露呈した事件と言っても過言ではない。堀江のような才に長けた人間によって、法律の網の目を抜けたビジネスがでてきて、初めて一般の人々は日本社会に潜む各種落とし穴に気付いたのだ。ライブドアに投資をしていた個人投資家の多くが、堀江やライブドアのことを色々と批判していた。そのこと自体も、日本人の危機管理意識の低さを物語っている。本来、株式投資というのは、個人の責任で為していることである。それを、損したからといって文句を言って、他人に責任を転嫁するという行為こそが幼稚な行為ではないか。その原因は、日本人の危機管理意識の甘さに起因している。色々なことを想定して投資をしていれば、損をしても他人に責任転嫁するような発言もでないはずである。これが、現代日本人の抱える、そして、日本社会の抱える、大きな問題なのである。

 ここで最後に記しておかなければならないことがある。それは、多くの日本人は知らずにいるかもしれないからだ。上記したように、日本社会の危機管理意識が本当に低かったのであろうか? これだけ抜け目無い日本の企業が、今回堀江氏達が為したような法律の網の目をくぐるスレスレの抜け道を知らなかったのであろうか? 答えは、ノーである。企業は、皆知っていた。会計士も、税理士も、企業の経理担当者も、証券会社も、金融機関も、皆知っていた。多かれ少なかれ、皆同じようなことをやっていたのだ。勿論、真面目に商売をしている企業もある。しかし、上場しているような大企業は、大方同じことをやっている。いや、もっと酷いことをやっている。だが、例え何があっても口をつぐむ、というのが日本財界の暗黙の掟として今まではやってきていたのだ。それが、護送船団方式によるスクラムであり、日本企業の見えざる圧力であり、暗黙の掟であったのだ。ところが、堀江をはじめとする若手起業家達は、日本財界の暗黙の掟を犯すような所業を繰り返した。その結果が、堀江の逮捕なのである。小泉首相は、そのような日本社会の深層に綿々と流れる古き悪しき慣習にも、メスを入れようとしていた。その反発の結果が、堀江が逮捕され、今国会で小泉政権は諸々のことで責められているのである。もっともっと、国民にとって大切な議論を闘わせなければならない時なのに、ただただ、私利私欲、既得権益確保に起因する政争に明け暮れる。これこそ、税金の無駄遣いである。こんなことを繰り返そうとする、政界、財界の重鎮達こそ改心しなければ、日本はいつまでたっても良くはならない。

 考えて頂きたい。企業が、金融機関から借り入れをしようと思えば、黒字の決算書を提出しなければならない。しかし、本来企業は、現金を確保したいがために、また、税金を少しでも逃れたいという理由から赤字ギリギリの経営体制を維持するように努める。勿論、実質は黒字であっても、次の事業への投資ということで借り入れを増やし、経理上赤字にしてしまう。昨年問題になった、西武などはこの手法を使う典型的な企業であった。しかし、金融機関から借り入れをするためには、黒字の決算書を提出しなければならない。そこで、企業によっては粉飾し、二重帳簿などということをするのである。金融機関が中小企業へ対しての融資を足踏みばかりしていて、ということが近年問題になっていた。それは、金融機関は、リスクを負いたくないため、安全な大企業にしか貸付をしなかったからである。にもかかわらず、関係省庁の金融機関へ対しての指導は緩かった。ある意味、諸悪の根源は大手銀行にあり、不良債権処理にも多くの税金が投入されているにも関わらず。何故ならば、企業が銀行から借り入れるために決算書を黒字に転換させれば、国は税金を余計に徴収できるからである。正に、政官民の腐れ縁である。ここに、メスを入れなければ、どうにもならない。いつも、皺寄せを喰うのは、一般庶民と中小企業なのである。小泉改革は、民営化を推進することによって、大手企業だけではなく一般企業へも門を開こうという試みでの改革を断行してきた。ところが、既存の利権に絡む企業や人々の大きな反発を受け続けてきている。それどころか、皮肉にも、良かれと思い為した民営化の隙間を縫って、ヒューザーのような中堅の企業が悪さをしてしまったことまで浮上してきた。これらは、全て、反小泉軍団の小泉改革へ対しての反発、抵抗行動なのである。
 今回の堀江逮捕の真相は、自分達も同じことをしていた大企業群、財界軍団が、手の内を堀江に暴露されてしまい、既得権益さえ失いそうになった結果のリベンジなのである。いや、口封じと言った方が正しいのかもしれない。
 堀江は、大人がやっていること、大企業がやっていることを、そのまま真似して急成長した。真似して同じことをしたのに、何で俺だけが悪いの、というのが堀江の今の気持かもしれない。身をもって、日本社会に潜んでいた法律の抜け道を暴露したという功績は、ある意味大きいのかもしれない。思い返せば、いつも堀江は改革のキッカケは作るが、最後に貧乏籤を引く。それが、彼の宿命なのか。
 もうそろそろ、我々日本人は、目を覚まさなければならない時にきている。安穏と平和ボケだ、などとは言っていられないところまで来てしまっている。そして、解決策は一つ、「教育」の改革である。年月がかかっても、ここで全てをリセットし、「教育」に本腰を入れなければ、日本は間違いなく沈没する。国も、企業も、人がなすものであるのだから。
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by seizaikai_club | 2006-01-29 11:47 | 社会

フジテレビによるライブドア買収で実現するテレビとインターネットの融合

フジテレビによるライブドア買収で実現する
テレビとインターネットの融合
2006年1月26日

 昨年、先日逮捕された堀江ライブドア元社長は、ニッポン放送株を買い集めフジテレビとの業務提携に躍起になった。楽天の三木谷社長も、TBS株を買い集めることによって、TBSとの合併や業務提携を画策した。両者共に、当初の思惑通りにはことが運ばず、歯痒い思いをさせられた。何故彼らが、そんなにもテレビ会社との合併を望んだのか? 答えは簡単である。彼らが、逸早くテレビとインターネットの融合に、新ビジネスとしての魅力を見出したからだ。しかし、彼らが思い描いていた、近未来で実現されるテレビと融合されたインターネット・ビジネスとは、必ずしも彼らの商売欲を満たすだけのものではない。間違いなく、我々一般視聴者にとっても喜ぶべき事業である。
 既存のテレビ番組放送では、時間に制限がある。一日24時間を、切り売りし、それぞれの時間に番組を当て込むということになっている。ところが、インターネットとテレビが融合すれば、必ずしも24時間のモノサシで考えなくてもよくなる。どういうことかというと、好きな時に好きな番組を呼び出し観賞することが可能になるということだ。
 人間は、生まれた時から、二つだけ、誰でも平等に与えられたものがある。その一つは、命の重み。そして、もう一つが時間である。どんなに忙しい人間でも、どんなに暇な人間でも、一日は24時間、一年は365日しか与えられていない。人は何人も、この時間の制限の中でしか生きることができない。しかし、時間というのは、切り売りすることは可能だ。
 例えば、サラリーマンが会社に勤め、朝9時から夕方5時まで働いているのは、自分の時間を会社に切り売りし、その代償としてサラリーをもらっているということになる。同じことが、このインターネットとテレビの融合でも可能になるのだ。人は、一日24時間しか、時間を持ち合わせていない。だから、昼間働いている内に、どうしても見たいテレビが放映されてしまうとする。その場合、選択肢は、三つしかない。会社を休んで、そのテレビを観るか。ビデオに録画して、後で観るか。ビデオに録画するのも面倒なので、その番組を観ること自体を諦めてしまうかだ。
 ところが、もし、インターネットとテレビが融合されれば、仕事から帰宅後、自分の好きな時間に、好きな番組を、自由に観ることができる。考えようによっては、一日を24時間という枠を超越して使うことが可能になるのだ。簡単に言えば、時間を自分でコントロールできるということだ。今までのテレビ番組であれば、視聴者である我々の方が、テレビの番組放映時間に合わせて行動しなければならなかった。しかし、インターネットとテレビが融合すれば、その必要もなくなるということだ。
 堀江氏も三木谷氏も、時間を超越するビジネスという観点から、インターネットとテレビの融合に、大きなビジネス・チャンスを見出していた。しかし、既成の体制の壁は高く厚かった。どのテレビ会社も、過剰反応ではと思うほどの拒絶反応をライブドアにも楽天にも露にした。その結果、どちらも、中途半端な宙ぶらりんな形で、明確な結論がでないままにここまで来ていた。明確になったこといえば、どちらもテレビ局側の怨念と嫉妬と反逆心だけであった。
 ところが、皮肉なものである。流れを作り、人々にインターネットとテレビの融合の可能性を気付かせた堀江氏が逮捕され、ライブドアが存亡の危機に陥ったことで、テレビとインターネットの融合ということが、俄かに現実味をおびてきた。
 昨年4月に、フジテレビとライブドアが和解し業務提携を行った際、フジテレビ側は、440億円を支払ってライブドア株の12.75%を保有することになった。今回の騒動で、マスコミ各社は、フジテレビがライブドアとの業務提携を破棄し、ライブドア株も全て売却するのではないか、という思惑ばかりを報道している。しかし、それらの報道は、現在のマスメディアのビジネス音痴振りを露呈したとしか言いようがない。自分が、ライブドア株を440億円払って保有していると思ってみたら、直ぐに理解できることである。誰が、その440億円をドブに捨てたいと思うか。    
 12.75%という保有率は、ライブドアの筆頭株主でありオーナーである堀江氏に次ぎ2位の保有率である。普通に考えれば、損害を1円でも減らし、440億円を確保したいと思うはずである。よっぽど、堀江に対しての怨念が勝っていない限りであるが。
 世間を見渡せば、堀江氏は逮捕され、大方の株主達は、売り抜けたいと思っている。当然のことながら、株価は下落の一途である。下がった時は売りではなく、買いではないか。広く一般のライブドアの株主達は売りたがっているのである。安い値段で買い集めることができるではないか。逆買収である。さすがに、一部のメディアが昨晩ぐらいからフジテレビが逆買収するのではないか、ということを報道しだしている。その通りである。
 新たにライブドアのようなポータルサイトを立ち上げようと思えば、金も人も必要になる。しかし、あれだけ立派なものがあるのなら、二束三文で買い叩いた方が得に決まっている。そうすれば、440億円を無駄にすることもない。それどころか、どこの局にも先駆けて、テレビとインターネットの融合を本格的にスタートすることが可能になる。一番喜ぶのは、他でもない視聴者だ。フジテレビほどのテレビ局が、迷う必要は一つもない。視聴者の喜ぶことを実現すれば、その見返りは想像以上のものを期待できることは間違いない。
 それにしても、堀江貴文という人は、いつも変革のキッカケをつくり、世の中を新しい方向へと導きはするが、自分はというと、一番の貧乏クジをひいてしまう。近鉄バッファローズの時も、仙台の新球団の時も、フジテレビとの提携の時も、世の中をプラスに導き、己はマイナスを被る。時代の寵児は、いつの時代も悪名を轟かせ名を残すが、若くして奈落の底に落ちてしまうのか。織田信長しかり、坂本龍馬しかり、田中角栄しかり、堀江貴文しかり、ちょっとスケールが違いはするが。小泉純一郎もそんな一人かもしれない。くれぐれも、奈落の底に落ちぬよう、もう一踏ん張り二踏ん張りも頑張ってほしいものだ。
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by seizaikai_club | 2006-01-26 17:16 | マスコミ

堀江貴文ライブドア社長逮捕に思うこと

堀江貴文ライブドア社長逮捕に思うこと
2006年1月25日

 ライブドアの堀江貴文社長が、遂に逮捕された。彗星のごとく表れ、嵐のように去っていったという印象だ。近鉄バッファローズの買収で、一躍世間での知名度を得てからというもの、破竹の勢いで急成長した。メディアとネットの融合を目指しフジサンケイ・グループに触手を伸ばしたり、衆議院議員選挙に出馬したりと、年中話題に事欠かない人物であった。
 確かに、今回の事件では一線を越えてしまったのかもしれない。あまりにも急成長したがために、少々調子に乗りすぎていた感は否めない。しかし、そうだとしても、大手メディアによる彼に関しての報道には、少々疑問を感じざるを得ない。最近では、バラエティー番組などにも多数出演していた。それだけではない。テレビでも、コマーシャルが流されていた。いや、テレビ番組に出演していること自体が、堀江氏にとって、そして、ライブドアにとって、絶大なる広告効果であったことは、誰の目にも明らかである。
 彼がこれだけ話題の中心人物であったにもかかわらず、隠密裏に進められていた東京地検の内偵にはどこのメディアも気付かず、多くの大手メディアは右往左往の大騒ぎであった。堀江氏が出演している番組の放映を急遽中止するなど、ライブドアの慌て振りよりも、各メディアの慌て振りの方が尋常ではなかった。突然の強制捜査がライブドアに入るや否や、数時間前までの堀江氏への対応とは一変し、各メディア、マスコミ各社は手の裏を返した。調子の良い時は、コバンザメのように付きまとい利用するだけ利用して持ち上げるだけ持ち上げておきながら、一旦ことが起こると手の裏を返す。これが、現在の大手メディアやマスコミの体質だ。いや、財界も、政界も、日本全体の体質なのかもしれない。
 堀江氏が正しいとは言わない。ただ、少々酷すぎるのではないか、ということを言っているのだ。全てにおいて、冷静さを欠いている。「風説の流布」という疑惑もあるようだが、それならばメディア関係者ならびにマスコミの人々に問いたい。バラエティーやら何やらで、散々堀江氏を画面に登場させていたテレビ局の制作スタッフをはじめ、堀江氏を積極的に露出させていた大手メディアの担当者達の中には、ライブドア株を保有していた人間が少なくない。これらの人々に関しては、どうなるのか? 自分達が株を保有しているライブドアの社長である堀江氏を、頻繁に自分達が担当製作している番組に出演させたことが、視聴者へ対して堀江氏ならびにライブドアの好感度を上げる効果が全くなかったとは言い切れない。それどころか、堀江氏がテレビに頻繁に出演することによって、ライブドアの株価に影響を多少なりとも及ぼしたことは間違いない。多くの個人投資家達が、テレビに出演する堀江氏を見てライブドア株を購入したのも事実である。
 また、一旦ライブドアに強制捜査が入った直後からの、テレビをはじめとする大手メディアの報道やコメンテーター達のコメントを聞いていると、このままライブドアは倒産してしまうようなことさえ示唆する報道が非常に目立った。それどころか、まるで堀江氏はじめライブドアがやっていること全てが極悪であるかの印象を受けるような報道を繰り返している。報道の中では、ライブドア株を保有する一般株主に同情するようなことをコメンテーター達も含め多くの関係者が発言している。が、しかし、実はまったく反対のことをしているのだ。ライブドア株を保有している株主達にとっては、ライブドアが倒産したり、上場廃止になったりすることが、一番不利益を被ることになる。にもかかわらず、ほとんどのメディアの報道をみていると、「他人の不幸は蜜の味」と言わんばかりに、ただただ、ライブドアを追い詰めるような決め付け報道ばかりを繰り返している。
 報道というのは、真実を伝えるものであって、例えその会社の社長をはじめ幹部が悪いことをしたとしても、その会社を潰すような報道をするべきではない。潰すような偏向した報道は、嫉妬や怨念でしかなく、報道などとは呼べぬものである。大体、いつもそうであるように、今回のライブドア事件に関しても同じことが言える。罪の無い無垢な社員が沢山おり、その社員達には家族もある。一つの小さな社会を形成しているのが会社である。その会社を奈落の底にまで突き落とす権利は、マスコミにも、政治家にも、司法にも、誰にもないはずである。万が一、視聴率や販売部数競争のため、他紙や他局との報道合戦に勝たんがために、行き過ぎた報道やコメントをして、直接的であろうが間接的であろうが、そのことが原因で当事者である会社が倒産にでも追い込まれれば、路頭に迷い苦しむのは、他でもない無垢な社員達とその家族である。同時に、今回の事件で言えば、上場しているので、ライブドア株を保有している投資家達である。
 今回のライブドア強制捜査が為されたきっかけとして、マスコミは勝手に、昨年4月に新たに就任した東京地検の特捜部長の就任の挨拶で語られた、「汗水流して働いている国民が・・・」というフレーズを盛んに引用している。しかし、この報道自体も、各メディアがこの東京地検特捜部長に直接取材をしたわけではない。昨年の就任挨拶の言葉を引用し推察しての報道である。今回の事件に当って、改めて出したコメントではない。にもかかわらず、まるで特捜部長のこのような意思が働いて、今回の強制捜査と堀江氏はじめ幹部の逮捕ということが為されたように各社報じている。このような無責任な報道を鵜呑みにすると、この特捜部長の言葉さえ、矛盾したおかしなものになってしまう。何故ならば、もし万が一ライブドアが上場廃止になったり、倒産したりすれば、汗水流して働いている社員や一般投資家達が追い込まれ、皺寄せを受けることになるのであるから。
 報道では、堀江という人物は、「金」だけが判断基準で、「金」のガリガリ亡者であるという印象ばかりが前面に出されている。別に堀江氏を庇う義理はまったくないが、上場前のオン・ザ・エッジ時代に数回、近鉄バッファローズ買収劇直後にインタビューで一度、堀江氏と直接会って話した私個人が受けた印象を言えば、必ずしも彼の価値観の全てが「金」という風には感じられなかった。兎に角、彼の心の奥底に「体制批判」という反逆精神が染み付いている。ある意味非常に大きな自信と劣等感が複雑に交差しているオタッキーでネグラだが東大生特有の攻撃性を持った人物、という印象を私は受けた。彼のどこがネグラなのか、という読者も多いと思う。しかし、本来ネグラなのではないか、ということだ。それが、上場を果たし、金を手にし、自分の思うままにここまで進んでこられたがために、彼の内面に潜んでいた「明」の部分が浮き上がってきた、という感じがした。誰でも、人間は、「暗」の部分と「明」の部分、「影」の部分と「光」の部分を持ち合わせている。彼の場合、それが非常に極端である印象を受ける。
 最初に堀江氏に会った時の印象は、兎に角「暗い」の一言であった。汚らしく長く伸ばした髪の毛、上から下まで黒一色の服装。それも、何だかセンスもなくファッションなどとは言いがたい格好で、身形に気配りする余裕もない苦学生のような雰囲気であった。ただ、話し方は、今と変わらずなかなか攻撃的な話し方で、話す内容も変わっていた。頭の良い男だな、という印象であった。場所は、私が主催していた若手の代議士と若手IT起業家の議論の場としてのフォーラムであった。この時既に堀江氏は、見かけの暗さには似合わず、宇宙や火星の話などもしていた記憶がある。自信家であることは、直ぐに伝わった。上場直前ということもあり忙しかったのであろうが、多くの若手代議士や起業家達を1時間近く待たせて登場した。我が侭で、横柄な我が儘なヤツという印象がなかったと言えば嘘になる。しかし、話してみると、謙虚なところもあった。ただ、一言で言えば、既成概念の破壊が、この青年の生き甲斐なのかな、という印象は非常に強かった。
 私見ではあるが、優秀な東大生というのは独特な共通点を皆持っている。彼らは、共通して大そうな自信家である。自分以外の人々のことをジャガイモか何かと思って、日々生活している。だからと言って、あからさまに他人をバカにしているのではない。ただ、「何で、こんな簡単なことを皆わからないの?」という意識を常に持っている。しかし、それを押し付けることもない。そして、そんな彼らの弱点は、否定されることである。自分の意見や言っていること、やっていることを否定されると、彼らのプライドの炎がメラメラっと燃え上がる。ある意味、理性を失い燃え上がるとも言えるほどだ。「何で、俺みたいな天才の言うことが、お前らみたいなジャガイモに否定されなければならないのだ」とばかりに、顔を真っ赤にして反論する。その姿は、時として常軌を逸している。堀江氏も、例外ではない。記者の質問に荒げた口調で口を尖らせて反論している堀江氏の姿は、テレビでも何度となく映し出されていた。私が思うに、東大生特有のこのような弱点が怖い。自分自身の非を認めなければならない、というところまで追い込まれた時、それまでの勢いが嘘のように、彼らは奈落の底に自ら落ちる。そして、しばしば、そのまま生きる気力さえも無くし、自ら命を絶つ者さえいる。堀江氏も、今は勢いよく検察官と対峙している。しかし、一度、自分が非を認めざるを得ない状況に追い込まれた時、彼は全てのプライドを失うであろう。その時、彼の「暗」の部分、「影」の部分が、頭をもたげ浮上してくる。その「暗」の部分が「明」の部分と入れ替わった時、彼がどのような落ち込み方をするかが興味深い。ただ、最悪の事態に至らぬことを願う。
 ずっと不思議でならなかったのは、彼を盛んに攻撃し続けてきているマスコミ界のトップや財界のトップ達のことである。彼らは、俗に団塊の世代と言われる人々である。団塊の世代は、「体制批判」をすることを唯一の生き甲斐にし、拠り所にして生きてきた世代である。ある意味、堀江氏とは共通点を見出すことができる。どちらも、既成概念を打破し、体制を打破し、大勢に立ち向かっていた。にもかかわらず、彼ら団塊の世代の各界トップの人々は、一貫して堀江氏を批判し続けた。本来、自分達も反逆精神で生きてきたわけであるから、同じ反逆精神を持ち合わせる堀江氏にシンパシーを感じてしかるべきであるはずだ。ところが、実際には、彼らが体制を批判し続けてきたのと同じように、堀江氏のことをも批判し続けた。それは、嫉妬からであったのか、それとも何か他の感情があったのであろうか。不思議でならない。
 最後に、堀江氏の印象で、もう一つだけ付け加えておきたい。彼も人間である。金が思うようになれば、贅沢もしたであろう。しかし、彼には、「物欲金欲最優先」という臭いはまったくしなかった。それよりも、見えない何かと独りで一生懸命闘っている、という印象であった。その姿が、我々からするとビジネス・ゲームに興じている子供のように見えたのかもしれない。しかし、彼の足を引っ張ろうと奔走している政界、財界、各界の古狸先生方よりは、ずっと純粋な人間に見えたのは、私だけではないはずである。
 通常国会直前に、突然起こったライブドアの強制捜査と堀江氏逮捕劇、政治的思惑が何もないという方が不自然である。やはり日本は、出る釘は打たれる国なのだな、仇討ち精神が未だに残る国なのだな、ということを実感させられた事件である。
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by seizaikai_club | 2006-01-25 18:30 | 社会

ライブドアへの強制捜査は反小泉勢力の怨念の第一歩

ライブドアへの強制捜査は反小泉勢力の怨念の第一歩
2006年1月16日

 本日午後6時30分過ぎ、六本木ヒルズのライブドア本社をはじめ代表取締役の堀江貴文氏の自宅を含むライブドア関係各社ならびに施設へ、東京地検による強制捜査が開始された。マスコミをはじめ政界においても、今回の強制捜査は寝耳に水であり、まるでパールハーバーを彷彿とさせる奇襲攻撃であった。内偵捜査も極秘裏に行われ、緘口令も敷かれていたらしい。その所為か、大手マスメディアをはじめ、ミニコミ系やブラック系でさえ、今回の強制捜査の情報は得ていなかった。ただ、反小泉派の一部議員達が、年末近くより、小泉首相ならびに側近達へ対する強気の発言を、あちらこちらで吹聴していたという噂はあった。
 ライブドアに強制捜査というニュース報道だけを目の当たりにしていると、その本質を見失ってしまう。しかし、マクロな目で、永田町を見渡し、昨年来の一連の事象を検証してみれば、今回のライブドアへの強制捜査が、反小泉勢力による小泉政権への反撃の奇襲攻撃であることは一目瞭然である。これは、間違いのない政争であり、弔い合戦である。
 多分、多くの読者は、いくら隠密裏に東京地検が動いていたとしても、時の首相がそんな報告を受けないということが有得るはずがないとお思いであろう。しかし、霞ヶ関や永田町の怖いところは、ここのところなのである。いくら、時の首相でも、霞ヶ関から永田町の全てを把握しているわけでも、掌握しているわけでもないのだ。そこには、数限りない人間達のおぞましい思惑が複雑に絡まりあっているのである。それが、政治というものなのである。故田中角栄首相のロッキード事件を思い出して頂きたい。時の総理が逮捕され、起訴されたのである。本来ならば、信じがたいことである。自国の首相を、自国の司法が逮捕し起訴する。これが、三権分立というものなのである。
 しかし、それとこのライブドアへの強制捜査と、どう関係があるのだという疑問を持たれる読者も非常に多いと思う。答えは簡単である。昨年の総選挙で、無所属での立候補ではあったが、堀江氏が広島より出馬したことは記憶に新しい。その為に、想定外の苦戦を強いられた反小泉の古参元自民党議員がいたことも、皆様の記憶に残っているはずである。そして、落選はしたが、堀江氏は、武部幹事長の肝煎りで、次回選挙戦でのインターネット戦略のアドバイザー的存在に抜擢されたことも記憶に新しいはずである。韓国のノムヒョン大統領が、インターネットを利用して予想外の当選を果たした例を大いに参考にしての、堀江氏大抜擢であった。実際に、韓国でノムヒョンの当選を助けたインターネット会社とライブドアは、昨年業務提携をしている。要は、昨年の総選挙以来、堀江氏はガッチリと武部幹事長や小泉首相の懐に飛び込み食いついたということだ。その証拠に、堀江氏は、アメリカのメディアの取材で、目指すは総理大臣だ、と嘯いているほどである。以前、弊社の雑誌で堀江氏にインタビューした際には、政治にはまったく興味がないと言っていた男がである。財をなせば夢は広がり、欲も広がるということだ。しかし、政治の世界は、堀江氏が考えるほど、甘くはないのだ。生き馬の目を抜くような妖怪変化が宿る世界が永田町や霞ヶ関である。堀江氏が、自分を過信し浮かれている内に、反小泉勢力からしたら、堀江氏は小泉政権のアキレス腱になってしまっていたのである。堀江氏を血祭りに上げることで、堀江氏を起用したり、選挙で応援したりした時の総理としての責任を政治的に問えるということだ。
 それでは、何故真面目に改革を推し進めている小泉さんが狙われるのか? これは、もう反小泉勢力の古参政治屋達の怨念とどす黒い我欲だけである。愛国心や国のことを憂う気持以上に、己らの我欲を優先させてきた自分達の非に気付くこともなく、自分らの首を斬った小泉憎くしの一念だけなのである。ただ、小泉の首をとれ、とその怨念だけなのだ。これこそ、我が国最大の悪党どもの、最後の悪あがきなのかもしれない。
 しかし、何故、首相が気付かずに、このような大捕り物が隠密裏に行えるのか、と疑問を抱く読者も多いことであろう。しかし、残念ながら、反小泉勢力には、司法関係に非常に強いパイプや圧力を持つ政治屋が何人もいるのだ。それだけではない。小泉改革では、多くの官僚をはじめとする霞ヶ関の役人達が、己らの悪行を忘却し、憂き目を食わされていると思い込んでいる。彼らの偏向した怨念もが、反小泉勢力に加勢したのである。それが、今日のライブドアへの強制捜査の真相である。マスコミに情報が洩れることもなく、隠密裏に奇襲攻撃を為せたのも、その怨念の大きさを表しているのかもしれない。
 ただ、これだけは、付け加えておく。日本の検察は優れている。捜査に当っている現場の検察官達は、上記したような悪党役人ではない。彼らは、世界でも類を見ない優秀な捜査官達である。問題は、彼らを利用する悪党政治屋達がいるということである。
それにしても、織田信長を敬愛する小泉さんが、奇しくも乾坤一擲桶狭間を反小泉勢力に為されてしまったというのも、なんとも皮肉な話である。永田町、一寸先は闇か幻か。やはり、永田町にも霞ヶ関にも、化け物が住んでいるらしい。
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by seizaikai_club | 2006-01-16 23:47 | 政治

黄禹錫教授捏造事件の怪

黄禹錫教授捏造事件の怪
2006年1月14日

 ここ数日、日本のメディアは、新聞もテレビも、韓国ソウル大学の黄禹錫教授(以下ファン教授とする)のES細胞研究に於いての捏造事件を盛んに取り上げている。日本のメディアだけではなく、世界中のメディアが、この事件を取り上げている。何故ならば、ファン教授は本年度のノーベル賞にノミネートされるのではという噂さえあった人物だからだ。
 この事件には、幾つかの疑問点を感じる。ノーベル賞にノミネートされるような教授が、しかも世界から注目されている研究に於いて捏造などするであろうか? これだけ注目されていれば、捏造などしてしまえば、いつかそのことが露呈することは、誰よりもファン教授自体が一番知っていたはずである。そのような危険を冒すであろうか? 大体、そのような危険を冒す必要が何故あったのであろうか? 
 韓国メディアの報道を見ていると、ファン教授は韓国の英雄的存在であり、国からは経済的研究支援を70億ウォンも受けているという。研究のために経済的に困窮していた訳でもないようだ。それどころか、名声も富も得ていた。ソウル大学では、新しく素晴らしい研究施設さえ建設中だという。何一つ不自由はない。そんなファン教授が、何故捏造などしなければならないのか? 非常に大きな疑問を感じる。
 ただ、一つ問題点を挙げるとすれば、ファン教授は盧武鉉(ノムヒョン)大統領の指示により研究支援を受けているという点であろう。ファン教授とノムヒョン大統領が、個人的に親しいとは聞かない。ただ、運悪く、ファン教授は、韓国国家のためになる研究をしているということで、当たり前のこととしてノムヒョン大統領指示による国家よりの経済的研究支援を受けたのであろう。このことが、ファン教授にとっての悲劇であったのではないか。
 ノムヒョン大統領になって以来、米韓関係、日韓関係が少々冷え込んでいる。その反面、南北関係や中韓関係は、非常に親密度を高めている。インターネットの普及という特権を得てノムヒョン氏が大統領に当選したことは、多くの韓国民にとっても、世界中の人々にとっても驚きであった。案外知られていないが、おとなしそうな風貌のノムヒョン大統領だが、大統領就任前より一貫した反日、親北なのである。そんなノムヒョン大統領も、大統領就任から暫くは、慣れないことばかりでおとなしくしていた。ところが、ここ一年前ほどからは、本来の自分の思想を前面に打ち出してきた。即ち、反日本、親北朝鮮、親中国という姿勢である。このような状況下、アメリカはもとより、韓国国内でも、あまりにも偏り過ぎたノムヒョン政権の政治姿勢や、冷却しだした米韓関係や日韓関係を懸念する人々の動きも活発化してきている。中国や北朝鮮に歩み寄っても、いつ梯子をはずされるかわからない。それよりも、日米韓における安保を重要視した方がリスクを抑えられる、と彼らは思っている。そして、そのような人々の間では、ノムヒョン大統領の失脚を望む声も上がりだしているという。
  このような、韓国内の状況を考えると、その背景には政治的な思惑が働いたのではないかと想像したくなるのは、私だけではないはずだ。昔から、科学は政治に翻弄される、とさえ言われている。歴史上でも、多くの無垢なる科学者達が、政治に翻弄され言われなき罪を負わされ、スケープゴートにされた。そして、闇へと消えていった。今回のファン教授の事件にも、そのような臭いがしてならない。
 大体、朝鮮半島には、昔より、中国大陸から侵略され、日本からも侵略されるという狭間的厳しい歴史背景がある。そのような厳しい環境下、クーデターや暗殺のようなことが、朝鮮半島の歴史では繰り返されてきた。ある意味、乾坤一擲大勢を覆すというのは、朝鮮半島の人々にとっては、珍しいことではないのだ。そして、上記したような厳しい環境において生き残るということは、時として権力者を失脚させるためには手段を選ばぬ、というような激しい行動にも成り得る。そして、そのような激しい気性は、ある意味朝鮮半島の人々の特性とも言えるのかもしれない。
 人は名声を得て欲深く変貌したとしても、やはりその人の人となりというものは容姿に表れるものである。ファン教授の立ち居振る舞い、そして容姿を見聞すると、どうしても解せない。また、今回の事件では、ファン教授が捏造をするメリットが一つも認められない。デメリットはあってもメリットのない捏造を、何故ノーベル賞候補にまで挙がっている教授がしなければならないのか。腑に落ちない。
 ファン教授がノーベル賞候補であった以上、この問題は韓国内の問題で終わらせずに世界の問題として、国際裁判所で判断を下すようなことをするべきである。国際裁判所は国家間の紛争解決等のためにあるのかもしれないが、このような世界遺産的な事柄において起こった問題を解決することを、為しても良いのではないか。これから、ますます世界の国々の距離感は縮まり、今回のファン教授の事件のような、世界にとって重要な解決しければならぬ問題は増えてくるはずである。読者の皆様は、如何お考えであろうか?
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by seizaikai_club | 2006-01-14 18:51 | 国際情勢

靖国神社と追悼施設

靖国神社と追悼施設
2006年1月7日
http://www.seizaikai.com/seizaikai_club/index.html

 昨年は、小泉首相が靖国神社を参拝するということに対し、非常に大きな反響が国内外から噴出した。この問題は、小泉さんが首相に就任以来続いて取りざたされている問題である。昨年は、東シナ海の海底ガスの問題を有利に進めるべく中国が、竹島の問題をめぐっては韓国が、それぞれの思惑で小泉首相の靖国参拝に対し、激しく抗議の声を上げた。中国や韓国のこのような理不尽な主張に同調して、日本の大手マスコミは一斉に小泉批判を噴出させた。そして、一部の日本人さえもがマスコミの報道に翻弄され、中国や韓国の主張を支持した。しかし、解散総選挙の結果をみてみると、小泉首相率いる与党の大勝であった。多くの国民が小泉首相の改革路線を支持したのである。にもかかわらず、未だに多くの大手メディアやコメンテーターなどと呼ばれる似非文化人達は、中国や韓国の主張を支持するがごとくのコメントを吹聴し、小泉首相の靖国参拝を批判している。
 中国や韓国が小泉首相の靖国参拝に異議を唱えるのは、それぞれの国の外交的思惑での発言なので、百歩譲って、まあ仕方ないとも言える。ただし、これは完全なる内政干渉であるから、中国や韓国が主張するのは勝手だが、その主張に日本が耳を貸す必要はない。靖国神社参拝問題は、中国や韓国の外圧に関係なく、日本人が日本の国政問題として独自に考察し、慎重に結論を出せばよいことである。如何なる理由があろうとも、外圧によってこの問題の結論が左右されることがあってはならない。
 この問題で一番の問題点は、日本人であるにも関わらず、よくよく考察することもなく、大手メディアの報道に左右され、靖国神社参拝に反対する輩がいるということである。日本の国の為に命を落とした先人達の思いを差し置いて、中国や韓国の理不尽なる主張ばかりを擁護する、偏り不公平な主張を繰り返す人々がいるということは、日本の国にとって悲しむべきことである。
 確かに、靖国神社には、A級戦犯達も合祀されている。先の戦争を引き起こした責任の多くが、彼らA級戦犯の人々にあることは否定しない。しかし、彼らの数よりも何万倍も多くの先人達が、靖国神社には祀られている。彼ら無垢なる心の先人達は、純粋なる愛国心の下、尊い命を日本の国のために落としたのである。そして、彼らが後ろ髪を引かれながらも日本の国の為に命を落とすことができたのは、彼らが心底より愛した家族を守るために、日本の国を命懸けで守らなければと信じたからである。そして、そんな彼らは、恐怖の中、「靖国で再開しよう」ということを合言葉に、その言葉を心底より信じつつ、念じつつ、戦いに身をさらし、尊い命を国のために捧げていったのだ。
 このような事実がある以上、靖国神社に参拝し手を合わせることは、如何なる理由があろうと、批判したり反対したりするべきことではない。靖国で手を合わせるということは、理屈でも、思想でも、宗教でも、意地でもなんでもない。純粋に、国のために命を落とした先人に手を合わせ感謝することである。そのことが、いけないことだと言うのなら、日本には、もう道徳心などというものは一切ないと思わなければならない。誰が祀られているから手を合わさないとか、一国の首相だから手を合わせるべきではないとか、そういう次元の問題ではない。反対を唱える人々は、靖国神社とは別に追悼施設を建立すれば良いと簡単に言う。しかし、魂の宿らない施設に、誰が参拝するというのだ。それこそ、対外的な形式事でしかなく、税金の無駄遣いでしかない。
今の日本の平和と繁栄は、靖国に祀られている我々日本人や日本のために尊い命を落とした多くの人々の屍の上に成り立っている。そのことを否定するということは、彼らの死をも否定し、日本の国自体を否定することになる。いや、それだけではない。感謝し、手を合わせることを否定するという精神は、平和ということをも否定することになる。声だかに「平和」を唱えることは容易い。しかし、「平和」ということの原点は、手を合わせ感謝する気持ではないか。国の為に命を落とした先人達が祀られる靖国で手を合わせることが、そんなに悪いことなのか? 非常に大きな疑問を感じる。小泉さんは、日本の首相だからこそ、国民の代表として率先して先人達の御霊に手を合わせているのではないか。それが道徳心というものではないか。
 我々大人が、国の為に命を落とした先人達へ手を合わせることを否定したならば、そのことを背後から見ていた子供達は、絶対に手を合わせないであろう。それだけではない、彼らにとっての先人である我々親の世代がこの世を去った後に、そんな大人の姿を目の当たりにした子供達は、絶対に我々の墓の前で手を合わせることもしないであろう。実際問題、先祖の墓参りをする日本人が年々少なくなってきているそうだ。立ち行かなくなっている寺院も多いと聞く。嘆かわしいことである。
 大人が率先して、先祖や先人の御霊に手を合わせることをして見せなければ、子孫らは決して手を合わせることを学ばないであろう。大人が手本になって当たり前。一国の首相が手本になることは当然のことである。日本だけではない。世界中どこの国でも例外ではない。実際に、中国だって、韓国だって、アメリカだって、皆先人達の御霊に手を合わせる。日本人よりも、敬虔に。日本だけが、何故こんなにも当たり前のことが許されないというのだ。何故日本人だけが、自国の先人に手を合わせることを批判し、批判されるのか。非常に大きな疑問を感じざるを得ない。今こそ、国を憂い、国を思い、国を愛する心を回帰しなければならぬ時だ。日本の将来を憂い、心穏やかでないのは、私だけでないはずである。
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by seizaikai_club | 2006-01-07 19:07 | 靖国神社参拝問題

「政治をもっと身近に」をスローガンにして、日本人にもっと「愛国心」を喚起すべく語る。
by seizaikai_club
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政財界倶楽部代表  恩田将葉
 「政治をもっと身近に」をスローガンに、一人でも多くの日本国民が政治に関心を持ち、参加してくれるよう、執筆活動、出版活動等を通じ「愛国心」啓蒙活動をしている。国際化が進む世界の中で、日本の政治も若者の手で変革しなければならない!!

 政財界倶楽部代表恩田将葉は、 アメリカ合衆国カリフォルニア州で約9年間生活。その間、サン・フランシスコ州立大学(San Francisco State University, SFSU)国際関係学部で国際関係学と政治を学び、朝鮮半島問題専攻で卒業。その後、暫くアメリカで現地法人の会社(People Intertrade, Inc.)を経営した後帰国。帰国後は、記者と編集者を経て出版社である株式会社ぴいぷる社と株式会社政財界出版社、そして、夕刊紙「内外タイムス」を発行する株式会社内外タイムス社の社長に就任。活字業界一筋に生きてきた。現在は、経営から一歩引き、国際情勢ならびに政治を中心に、ジャンルを問わず執筆活動を継続中。プロの文士として、随筆、小説、脚本等あらゆる分野で執筆活動を展開し、文章を綴ることを天職としている。そのかたわら、日本に、嘗てのごとく「愛国人」を増やすべく、「政治をもっと身近に」をスローガンに、自ら「政財界倶楽部」を運営している。

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