政財界倶楽部         (恩田将葉見聞録)

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視聴者である国民を置き去りにした財界人の暴走

視聴者である国民を置き去りにした財界人の暴走
私利私欲に奔走せず視聴者にとっての利便性を第一に考慮すべき
2005年10月28日
http://www.seizaikai.com/seizaikai_club/index.html 

 テレビとインターネットを融合させた放送の確立を目的とした、「第二日本テレビ」という会社が設立された。昨年、ライブドアの堀江氏がフジテレビ買収ならびに業務提携を画策し不発に終わった。そして、今、楽天の三木谷氏がTBSの買収ならびに業務提携を画策しTBSと対峙している。何故、堀江氏も三木谷氏も、そんなにテレビ局を手中におさめたがるのか。その答えは、10月20日付けの「ITバブル紳士達がテレビ局を欲しがる理由」という記事で書いてあるので参考にして頂きたい。要は、「時間」を商売にする、ということを彼らITの異端児達は画策しているのである。それを、放送業界の人間達は、自分達が製作し保有している番組をインターネットでのコンテンツとして、彼らITの異端児達が虎視眈々と狙っている、と勘違いし既得権を守ろうと迷走している。放送業界人の度量の無さには、呆れる。そんな彼らが、国民に最も影響力の大きいと言われるテレビの番組を製作しているというのだから、恐ろしい。
 彼らITバブルの異端児達は、番組を横取りしようとしているのではない。放送とインターネットを融合させることによって、1日24時間1週間7日という既成の時間の観念の範囲内で製作されているテレビ番組を、従来の時間の観念から開放し、視聴者に1日24時間以上の時間を売る、という商売を考えているだけなのである。
 それでは、そのことは、視聴者にとって良くないことなのか? テレビ局にとって良くないことなのか? いや、視聴者にとってもテレビ局にとっても、良いことである。デメリットは、まったくないと言っても過言ではない。それなのに、目先の私利私欲や名誉欲、既得権保守に奔走し、そのような可能性の芽を刈り取ろうとしている放送業界人や財界の大物と言われる古狸達の罪は非常に重い。
 財界の古狸やTBSの経営陣は、楽天の三木谷氏の株獲得の手法に、「汚い」のどうのこうのと、やたら難癖をつけている。しかし、楽天の三木谷氏が手段を選ばぬ手法で自我を達成することは、昨年の球団買収劇を思い起こせば一目瞭然のことである。ライブドアが進めていた話に、後から登場してハイエナか禿鷹のようにさらって行ったではないか。そのことに気付いていなかったとしたら、財界の大御所などと言われている古狸諸氏やTBSの経営陣こそ焼きが回っているのではないか。いや、自分達の言うことを三木谷氏が聞かず、面目を潰されたという自我によるところの発言なのかもしれない。どうしても、負けを認めたくないのだ。今まで、三木谷氏は、「爺転がし」などという異名をとっていた。ある意味、財界の古狸達に上手く取り入っていたということだ。ところが、古狸に取り入っていた三木谷氏も、力をつければ古狸の言うことをきかなくなるということだ。そのことに、財界の古狸達は腹を立てているとしか見えないのは、私だけではないはずだ。
 大体、企業買収ということは戦争である。にもかかわらず、攻める前に知らせてこないのは礼儀知らず、などという発想自体が非常に幼稚であり、日本の財界の程度の低さを露呈したようなものだ。どこの世界に、命懸けで戦争を仕掛けているにもかかわらず、自分の不利になるような情報を敵に流す大将がいるというのだ。結局、古狸が管理する護送船団に入らない奴、言うことを聞かない奴は皆海賊だ、と豪語しているようなものだ。確かに、彼ら古狸が戦後日本の経済をここまで押し上げた功績は大きい。高度経済成長の立て役者であることも認める。だが、若い力や、日本の未来を無視し、自我で物事を判断するようになったらおしまいだ。日本の国にとっては、「百害あって一利なし」である。大体、彼らがもっともらしく吐く言葉が、暴言にしか聞こえないのは私だけではないはずだ。
 彼ら古狸は、綺麗事をテレビの取材等では言っている。が、しかし、結局は私利私欲に根ざした発言なのだ。まあ、私腹を肥やしているわけではないが、我欲に基づく言動と言った方が正しいかもしれない。テレビとインターネットが融合すると、既存のコマーシャルの在り方にも変化が出てくる。時間を支配するために番組を視聴者に売るのである。ということは、番組間に挿まれているコマーシャルの視聴者にとっての存在価値が低くなるということだ。当然のことながら、財界にも多大なる影響が出る。だから、頑に反対するのだ。国益ではなく、私利私欲に根ざした言動であり発想である。
 しかし、形は変わっても、必ず新しい道は開けるのが商売である。企業家達は貪欲であるから、そんなことは心配する必要は本来ない。ところが、やはり一度財界のトップという権力に君臨してしまうと、守りの発想しか生まれなくなってしまうのか。煩悩に支配される人間の弱さ、を垣間見たような気がする。
 その証拠に、読売グループの日本テレビなどは、ライバルであるフジテレビやTBSが攻められる姿を目の当たりにし、逸早く「第二日本テレビ」という、自社で放送とインターネットを融合するということを目的とした会社を設立した。これが、企業家である。ライバルが窮地に立っている様子を見れば、自社の防衛と新規マーケットの開拓という攻撃の両方を想定し、新たなる一歩踏み出す。しかも、この読売を現状支配しているのは、あの渡辺恒雄である。それこそ、財界を我欲で翻弄する妖怪ではないか。若い企業家達の芽を刈ることを趣味のようにしている古狸中の古狸にもかかわらず、自社にも火の粉が及びかねないと分かれば、この対応の早さである。
 大体、どうも、この渡辺と三木谷は、裏で手を組む関係にあるようだ。昨年の球団買収の際にも、そのようなことが水面下であったと、噂で聞く。三木谷のやることには、渡辺があまり難癖を付けない。不思議な感じもするが。三木谷がTBSとの業務提携に成功すれば、二球団を支配することになり、古狸達が騒ぐ野球協約に抵触するはずだ。その割には、渡辺は静観していることも、三木谷と渡辺の関係を物語っている気がしてならない。
 ただ、野球協約に関しては、法律でもなければ憲法でもない。何の拘束力もない。企業が企業を買収したり、事業を行ったりするのは資本主義社会では自由である。にもかかわらず、いちいち野球協約に束縛されなければならないという方がおかしい。野球協約に抵触する、などという言葉を吐くこと自体が、傲慢なる古狸の暴挙である。これこそ言語道断であり、日本経済にブレーキをかける由々しき問題である。結局、自分達の影響力を誇示したいという自我でしかなく、国民や日本の経済にとってのメリット、即ち国益など微塵も考えていないようにしか、我々国民の目には映らない。

 楽天の三木谷氏の手法が、必ずしも正しいとは言えない。感情論から言えば、手段を選ばないやり方にはシンパシーを感じない。それが、また、板に付いていないところが可愛くない。三木谷という人の本来の姿というよりも、三木谷という非情な人間を演じているような、小泉首相を真似ているような、何故かそこはかとない哀れを三木谷に感じるのは私だけであろうか? どこか、砂上の楼閣というかガラスの城のような危うさを感じる。私には、三木谷という人物は、将来、突然自殺でもして、急に姿を消すような気がしてならない。

 話が横道に逸れてしまったが、どちらにしても、TBSを守ろうとする古狸達は、平和ボケで目が見えなくなってしまったのではないか。三木谷は、全てを無くすかTBSを得るかという背水の陣で臨んでいるのである。いかなる手段を使っても、と考えるのは当たり前ではないか。今の彼には、感情論に流されるような選択肢はない。伸るか反るか、実を取るか滅ぶか、二つの選択肢しか無い中で戦っているのだ。そのことに気付かぬ古狸こそ、愚かである。そんな彼らには、口を挿む資格もない。三木谷は命懸けの戦を挑んでいるのである。命懸けで臨んでいる人間い命懸けで対峙しない人間が、財界に君臨し偉そうなことを言う資格などない。

 この問題の終着点は、ハッキリと見えている。紆余曲折はあるであろう。それは、それぞれの企業の私利私欲が絡むからである。そのことを超越すれば、この問題の答えは非常に簡単である。視聴者にとっての将来的メリットであるところの、放送とインターネットの融合でしかない。即ち、堀江や三木谷が思い描いている放送とインターネットの融合という形ということだ。彼らが思い描く放送とインターネットの融合の時代は、遅かれ早かれやってくる。そのことは、100%間違いない。あとは、誰が逸早くパイオニアに成り上がるかということだけである。
 放送を司る郵政が民営化され、起こるべくして起こった問題と理解するメディアが少ないことにこそ、大きな危機感を覚える。何故ならば、メディアは国の要であり、近未来、益々メディアの存在価値が大きくなることは間違いない。その第一歩が、放送とインターネットの融合、即ち電波と通信の融合ということである。このことは、国の発展を左右する大きな事柄である。どれだけのメディアが、そして国民がそのことに気付いているのか、非常に大きな不安を覚える。財界に君臨する古狸でさえ、私利私欲我欲という色眼鏡を通して目先しか見えず、日本の将来を考えマクロな目で物事を見ることができないのである。国民が、マクロな目で将来を見据えられないのは当然なのかもしれない。しかし、その国民に大きな影響力を及ぼすメディアでさえも、マクロな目で物事を見極めることができず、放送とインターネットの融合の重要性に気付かぬということは、日本にとっての大きな悲劇である。日本の将来に、非常に大きな不安を覚えざるを得ない。
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by seizaikai_club | 2005-10-28 08:32 | マスコミ

財界人の驕り、政界人の高ぶり、報道人の勘違い

財界人の驕り、政界人の高ぶり、報道人の勘違い
2005年10月20日
http://www.seizaikai.com/seizaikai_club/index.html

 先日、田原総一郎が司会をつとめるテレビ朝日の「サンデープロジェクト」という日曜日の午前中放送している番組に、楽天の三木谷社長が出演していた。三木谷氏へ対しての質問役として、伊藤忠商事の丹羽宇一郎会長、慶応大学の榊原英資教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科の佐山展生教授、そして、弁護士の永沢徹氏の4人が対峙していた。当然のことながら、話の中心は、今回の楽天によるTBS株買収劇の件であった。その件に関して、敢えてこの記事で触れるつもりはない。問題は、この番組の終盤で、丹羽伊藤忠商事会長が口にした言葉である。「Economy eats Politics. 経済が政治を喰う」と、臆面もなく財界の重鎮である丹羽氏が仰ったことだ。丹羽氏が口にされた言葉を要約すると、長期的に言えば、いくら小泉首相が意固地になっても、経済が、靖国問題をも含め政治もなにもかも全て呑み込んでしまう、ということであったと私は理解した。
 正直に言って、この言葉を聞いた時、この一言で全ては推して知るべし、であるなと私は大きな危惧の念を抱いた。これこそ、日本に君臨する財界人の「驕り」に他ならない。これを「驕り」と言わずして、何を「驕り」というか。「経済が政治を喰う」、即ち、政治は茶番で、全ては経済で動かされていると豪語しているようなものである。
 丹羽氏の言葉は、それほど威圧的には聞こえない。しかし、あの彼の言葉の中身は、これ以上ないほど威圧的であり、独断的であり、驕りに満ちていた。彼が言っているのは、単に日本の政治をも呑み込むという意味ではなく、中国をも日本の経済が呑み込んでしまう、と言っているように聞こえたのは私だけではないはずだ。 日本は軍国主義へと回帰しだした、と言って中国は小泉首相の靖国参拝を非難している。だが、軍国主義への回帰は小泉首相の靖国参拝ではなく、丹羽氏のあの言葉にこそ秘められていた。財界人が、腹の奥底に秘めたる植民地主義的な発想を垣間見た気がした。「いくら政治家がじたばたしたところで、結局諸問題をも全て呑み込み、中国を支配するのは他でもない日本の経済界だ」と高笑いしているように私には聞こえた。
 確かに、財界人は武力を使わない、暴力も使わない、しかし、武力や暴力の代わりに金と物質的贅沢という武器を使って中国を支配できる、と言っていらっしゃるのであろう。確かに、その通りになるかもしれない。だが、彼の言葉の端々に響く「驕り」こそが、嘗ての日本軍を回顧させる。或いは、こういう日本の財界人の驕りたる言動を見聞して、中国や韓国は日本が軍国主義へ回帰するのではと懸念しているのかもしれない。そうであれば、驕れる財界人の罪は非常に重い。

 大仁田厚という自民党参議院議員がいる。プロレスラーであり、最近新人議員の子守役をかってでたが、相手にされず怒り狂ってマスコミを振り回している政治家である。いや、政治家とも呼べないかもしれない。何故、新人議員に無視された程度のことで、マスコミまで巻き込んで騒ぎを起こさなければならないのか? 非常に大きな疑問を感じる。無視したら無視しかえせばよいではないか。先方にも、それなりの事情があることは推して知るべし、である。それが大人というものではないか。大体、国民の血税より公僕大仁田先生の給料も出ているはずである。1分1秒も無駄にせず、国政と対峙して頂きたい。プロレスラーであられるということは、戦いのプロであられるはずなのに、どうも対峙する相手を間違えてばかりではないか。先般の郵政民営化法案の投票の際のことにしても、その後の言動にしても、今回の件にしても、政治家であるという「高ぶり」ばかりが目に付き、潔さも、謙虚さも、まったく見えない。ああいう議員を選んだ、主権者であり有権者である我々国民にも大きな責任がある。
 それよりも、大仁田議員の昨今の言動とあの激痩姿を目の当たりにすると、窓際に追いやられ孤立無援になってしまったことで精神に異常をきたしてしまったのではないか、と真剣に心配になってしまうのは、私だけであろうか。どうかご自愛ください。おだいじに!

 大仁田議員の問題に関してもそうだが、マスコミが真に受けてしまうから騒ぎが大きくなるのだ。大事な問題ならともかく、取るに足らないような問題まで、「勘違いの正義感」を露にジャーナリスト風を吹かせるから、余計な騒ぎがあちらこちらで起こるのである。まあ、視聴率や販売率至上主義の大手マスコミの記者達からしたら、面倒な取材や調査や勉強に時間を費やすよりも、手っ取り早く騒ぎになるような案件を見つけて兎に角批判しておけば、騒ぎは広がり各社の相乗効果により、各々の視聴率や販売率が上がるという方程式らしい。面倒な取材に時間を割くよりも、記者仲間と「勘違いの正義感」を肴に、酒でも酌み交わしていた方がよっぽど平和だという考え方が、大手マスコミの記者達の間に蔓延しているというから、開いた口が塞がらない。それでよく、偉そうに国益がどうのと批判ばかりできるものだ。自分達の報道姿勢の方が、よほど国益を損なうこともあるとは気付かないところが、何とも平和ボケ大国日本の報道人らしい。いずれにしても、世も末だ。
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by seizaikai_club | 2005-10-20 17:38 | 経済

ITバブル紳士達がテレビ局を欲しがる理由

ITバブル紳士達がテレビ局を欲しがる理由
1日24時間という「時間の壁」を超越するビジネス・チャンス
2005年10月20日
http://www.seizaikai.com/seizaikai_club/index.html

 昨年のライブドアによる日本放送株買い占めによるフジテレビ買収劇に続き、今度は楽天によるTBS株買い占めによる楽天とTBSの業務提携劇が、世間を賑わせている。一見すると、ライバル会社同士の醜い争いに見える。しかし、実はそうではない。彼らは経営者として、単純に利益追求しているだけなのだ。
 それでは何故、こんなにもITバブル紳士達は、テレビ局を買収したがるのであろうか? そこには、ちゃんとした理由がある。既成の経営者や財界人や政治家達が求めるような、ただの見栄や名誉で、彼らはテレビ局を買収したがっているのではない。もっと実益に繋がる理由なのである。
 インターネット・ビジネスと放送事業というのは、似て非なるものであって、一見繋がりがありそうに見えるが、実際にはリンクする部分が少ない、と思っているのは放送業界側のみである。多分、それは自分達の業界をヨソ者に荒らされたくないという防衛本能が働いているからかもしれない。放送メディアの多くのコメンテーターと呼ばれる人達も、自分達の仕事が無くなることを恐れ、真実を述べない。いや、無責任なコメントしか繰り返さない彼らコメンテーターは、そんなことにも気付いていないのかもしれない。彼らの仕事はといえば、何でもよいから取り敢えず批判して反対意見を述べることだけだ。批判は誰でもできる。批判報道というのは、一番安易な報道姿勢である。彼らにとって一番大切なことは、日本の国の未来がどうなるかではなく、彼らがテレビ局の仕事から溢れないためにはどうするか、だけなのである。嘆かわしいことである。
 それでは、ITバブル紳士達が夢見るテレビとインターネットの融合とはどういうことなのであろうか。要約して結論から言うと、「時間の切り売り」ということである。「時間を切り売り」することによって、1日24時間ではなく、48時間、いや72時間にでもすることが可能になるのだ。
 物質的にこれだけ満たされ豊かになってしまうと、贅沢に馴れ親しんでしまった我々平和ボケ日本人にとっての価値ある商品は、「時間」しか残されていない。モノはほとんど何でも手に入る。いや、過剰な程にモノが溢れている日本。そんな日本人が、何を求めているかというと、それは一つである。「時間」なのだ。「時間」だけは、従来、どうにもできないモノと思われていた。この世で誰にも平等に与えられているものは、たった二つである。それは、「命の重さ」と「時間」である。遂に、聖域である「命」と「時間」という領域にまでビジネス・チャンスを求め、ITバブル紳士達は触手を伸ばしだしたのだ。
 「自分の遺体を冷凍保存」なんていうビジネスは、ある意味この聖域である「命」に関わるビジネスであろう。そして、今、ライブドアの堀江氏や楽天の三木谷氏が思い描いているビジネスこそが、「時間」のビジネスなのである。何故ならば、普通に考えれば、どう逆立ちしようが、どうしようが、1日24時間365日という「時間」のサイクルは変えることができない。どんなに人間が進化しようとも、「時間」を支配するということだけは、誰にもできないことと考えられてきた。ところが、ITバブル紳士達は、そんな「時間」まで商品にしてしまおうと思っているのだ。いやはや、神をも恐れぬ強者どもだ。
 では、何故、「時間」のビジネスを展開するのにテレビ局が必要なのか? 答えは簡単である。こういう経験をされたことはないか。非常に見たいテレビ番組があるが、用事や仕事があって見られない。仕方がないので、ビデオで予約録画した。ところが、上手く録画できていなかった。こんな歯痒い経験をされた読者は多いはずだ。
 現状のテレビの番組というのは、日時と時間に制約され放送スケジュールが組まれている。そうすると、当然、1日24時間1週間は7日という限られた時間の中で、番組を放送するしかない。ということは、番組数も自ずと限られてくる。ところが、インターネットと融合することによって、際限なく番組を提供することができるのだ。時間に制約されることがなくなる。それは、放送局側だけのメリットではなく、視聴者にとっても、時間に縛られることなく、好きな番組を、好きな時間に、好きなだけ、観ることができるという、大きなメリットになる。
 「時間」を支配するという発想は、人間が常に求める最大の欲望である。限られた時間を、少しでも長く有効に使いたい。歳とりたくない等々、誰もが持つ欲求である。例えば、アメリカで1980年代初頭より急激に普及率を上げたケーブル・テレビジョンなどの発想の原点も、「時間」をいかにコントロールできるか、という人間の欲求に根差している。勿論、広大な国土を持つアメリカで、電波の届きにくいところでもテレビが見られるように、ということも二次的な目的としてある。しかし、それはあくまで実用面である。
 ケーブルTVの普及に正比例して誕生した各種テレビ局。そのほとんどが、上記したような「時間」を各々の個人がマネージするという発想で開局されたものである。例えば、四六時中ニュースばかりを放送しているCNN。四六時中音楽ばかり流しているMTV。マンガばかり流している、カトゥーン・チャンネル。天気予報ばかりを繰り返し流しているチャンネル。毎日24時間スポーツばかり流しているチャンネル。ディズニー・チャンネルにプレーボーイ・チャンネル。挙げればきりがない。視聴者の価値観が多様化する分、ケーブルTVのチャンネル数も際限なく増え続けてきた。これも、「時間」を支配したい、という人間の欲求が為せる業である。
 しかし、ケーブルTVでは、まだ完璧ではなかった。いくら自分の価値観や自分の求めるチャンネルに合わせても、見たい番組が放送されるまで待たなければならない。今、見たいと思っても、そんな勝手は通用しない。何故ならば、チャンネル全体はテーマを絞り込んで放送しているが、各々の番組は1日24時間というタイム・スケジュールにのっとって放送されているからである。
 ところが、テレビがインターネットと融合すれば、1日24時間という不滅と思われていた「時間の壁」を超越することが可能だ。インターネットとテレビが融合されると、テレビの番組は、1日24時間という「時間の壁」を撃ち破り、時間制限なく放送が可能になる。
 例えば、昼間は勤めていてテレビを見られないAというサラリーマンがいるとする。Aは、サラリーマンなので、月曜日から金曜日まで、朝9時には出社し、夕方は五時まで会社で仕事をしなければならない。それだけではない。時には、残業で帰宅するのが夜10時を過ぎることや、土曜日でも出勤しなければならないこともある。Aが平日昼間の番組を見たいと思っても、現実問題不可能なのだ。だからといって、いちいちビデオに録画してまで見ようという気にもならない。また、土曜日出勤しなければならない、というような時にかぎって、見たいと思うような番組が放送される。そうはいっても、年がら年中ビデオで予約録画するなどということも面倒である。それならいっそのこと、テレビなんか生活範囲外のエキストラ・アイテムと認識してしまえばよい、と思ってしまう。
 ほとんどの読者の方々が、こんな経験を一度や二度はしたことがあるはずだ。その結果、今の生活サイクルではテレビを観ることは不可能なので、という結論に達し、テレビ鑑賞ということ自体を生活の中からはじき出してしまっている若者も多いのではないか。その証拠に、そんな若者をターゲットにして、携帯電話業界が、テレビを観られる携帯電話という商品を開発し、盛んに宣伝している。しかし、やはりあの携帯の小さな画面でテレビを観ても面白いはずがない。正直、無理がある。あくまで、通信料をあてにした携帯電話会社の商売でしかない。ユーザーの利便性などということは、二の次で、どうでもよいことなのだ。彼らにしてみれば、これだけ普及した携帯電話を更に販売するにはどうしたらよいか、それだけなのである。
 ところが、テレビとインターネットが融合すれば、見たい時に、見たい番組が、自分の生活サイクルに合わせて、自分の好きな時間に見ることができることになる。今まで、テレビという媒体は一方通行であった。放送局側から、勝手に番組を電波にのせて送信するだけであった。ところが、インターネットとテレビが融合すれば、テレビという媒体も双方向になり、視聴者にとって、チャンネル以外の選択肢ができることになる。チャンネルにこだわることなく、好きな番組を選んで見ることが可能になる。それだけではなく、視聴者の方からも放送局や番組へ対してメッセージを送ることが可能になる。
 現在でも、一部BSや文字放送などで、双方向型の放送も行われている。だが、まだまだ実際には制約が多く、利便性という観点からいうと実用的ではない。しかし、インターネットとテレビが融合すれば、電波の問題や受信環境の問題など、テレビが抱えている諸問題は、ほとんど解決することができる。それどころか、いままで以上に、テレビという媒体の意味は大きく広がる。それこそ、色々な可能性も広がることは間違いない。

 にもかかわらず、自らの不徳を棚に上げ、視聴者の利便性をも無視し、日本の放送業界の未来などに思いを巡らせることもなく、ただ自社と自分達の既得権ばかりを死守しようとするTBS経営陣。株主の損得までをも無視したTBS経営陣の言動は、呆れ返るどころか、先年のフジテレビ同様、日本の放送メディアの放送人としての意識の低さを世界へ向けて露呈した。大体、株式市場に上場公開しているにもかかわらず、楽天へ対し、「TBSの株を買う旨を事前に知らせるのが礼儀であり遺憾である」というようなコメントを記者会見で流す社長の無神経さには、ただただ呆れ返る。そういう貴方は、株価の変動にも気付かず、自社株を買い進められた被害者ではなく、TBS株主へ対しての加害者なのですよ。株主あっての企業ということは、資本主義社会の基本である。このTBS社長の発言は、いかに日本の大企業が株主を眼中にも入れず利用だけすれば良い、という姿勢であるということを露呈した。そして、日本財界という護送船団の中で、彼らが甘えん坊のような箱入り経営をしている、ということも世間に対し露呈した。これは、資本主義という制度の根本を踏みにじる罪深き行為であり、決して許されるべきことではない。
 それでもTBSの経営陣は、未だことの重大さに気付いていない。その証拠に、この後に及んでMBOを仕掛けるという声まで経営陣から出ている。MBOを行うということが、どれだけ自社を傷つけることになるかにも気付いていらっしゃらない。それどころか、MBOなどという発想をすること自体、一般株主をまったく無視した行為であり、一般株主からしたら、MBOを仕掛けようとする現経営陣こそ、敵対的買収を試みる不届き者にさえ見えているはずである。そんなことにも気付かぬ経営陣では、買収を掛けられても気付くわけがないはずである。元々、経営者としての資質に欠けているということだ。

 特別、楽天という会社を評価しているわけではない。三木谷という経営者が、特別才能に長け、秀でているとも思わない。ただ、TBS経営陣のあまりの非常識さに、呆れ返った。三木谷氏や堀江氏が目指しているインターネットとテレビの融合ということが、既得権を死守しようと奔走する腐った古狸諸氏が批判しているように、日本の国の未来にとって悪いことではなく、寧ろ我々国民にとって、将来的に大きなプラスになる事柄であることは間違いない。
 小泉首相が、自民党「新人議員勉強会」で仰っていた。「政治家の資質とは、本質を見抜き行動することだ」と。敢えて付け加えさせて頂く、その政治家を選ぶ主権者である我々国民の資質も、やはり「本質を見抜く力」ということではないか。
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by seizaikai_club | 2005-10-20 14:22 | マスコミ

小泉首相による靖国参拝の是非

小泉首相による靖国参拝の是非
靖国参拝は内政問題であり他国に干渉される問題ではない
他国による内政干渉「靖国参拝に対する抗議」が続く限り参拝すべき
2005年10月17日
http://www.seizaikai.com/seizaikai_club/index.html

 本日、午前10時15分、小泉首相は、靖国神社を参拝した。この問題に関しては、何度も取り上げてきたので繰り返しになってしまうが、大切な問題なのでやむを得ない。基本的に国のために命を捧げた先人達に礼を尽くすということは、国民として当たり前の行為であり、何ら非難されるべき問題ではない。確かに、首相は公人である。しかし、日本国の首相である以上、国のために命を捧げられた多くの先人に礼を尽くすことは当然のことである。他国にとやかく言われる問題ではない。一国の首相が、一国民として、先人に手を合わせるという模範を示すことは当たり前のことである。世界中、どこのどんな国でも、国のために命を落とした先人に手を合わせることは当たり前のことである。国のために亡くなった先人のために手を合わせない国があるであろうか。もしあるのなら教えて欲しいものだ。靖国に参拝するな、公人である日本国首相は、国のために命を落とした先人に手を合わせることも許されないというのならば、中国の首相にしても、韓国の首相にしても、宗教色が少しでも感じられる自国の先人慰霊碑には手を合わせないということを実践されてから、日本に対しても抗議をして頂きたいものだ。大体筋が通っていない。自分達は何をしても良くて、日本に対してはダメだと抗議する。そのくせ、中国など、東シナ海の海底ガス田に関しては、まるで泥棒猫のようなことをしていても、当たり前という顔をしている。東シナ海のガス田の問題は、国際問題であるが、靖国に参拝することは内政問題であり、他国によって干渉される問題ではない。にもかかわらず、何故日本のマスコミは、他国の肩を持ち、自国の足を引っ張るような報道をするのか理解に苦しむ。
 中国や韓国が、不快に感じるのは仕方がない。それは、中国や韓国には、苦い戦争体験があるのだし、中国や韓国にも感情はあるのだから。日本人は口に出して言わないだけで、日本人だって先の戦争では多くの辛い思いをしてきた。特に終戦前後時には、立場がまったく逆転した酷い体験だってしている。しかし、一度でも、そのような体験に関し、日本の国民は中国へ対し抗議をしたことがあるであろうか? 日本政府も、思うところは多くとも、戦後60年間中国や韓国へ対し誠意を持って対応してきた。種々の感情は、各々の国の国民の感情であり、国としては、如何なる理由があろうとも、他国の内政に干渉するべきではない。それが、人として、大人としての対応だ。
 このような内政干渉が続く限り、靖国参拝は断固として続けるべきである。それが、日本の国としての姿勢である。如何なる国も、如何なる理由があろうとも、他国に内政を干渉されるべきではない。そのような内政干渉には、国として断固とした態度で臨んでしかるべきである。
 他国の肩を持つ日本のマスコミの報道姿勢は、日本の国益をも損ねることである。これだけ、中国や韓国が神経質になっているのだから、火に油を注ぐような報道をせず、静かに見守るべき問題であることは分かり切っていることである。小泉首相靖国参拝直後の官房長官による定例記者会見で、日本の大手マスコミ各社から、この問題は外交的問題であり責任は重大である、というような質問が殺到していた。その様子は、日本の大手マスコミの記者達が、まるで中国や韓国の代理人であるかのごとくにさえ見えた。自国の政府の足を引っ張るような、内政干渉する国の肩を持つような質問に終止する大手マスコミの記者による報道姿勢には、非常に大きな疑問を感じる。それでは、彼らマスコミ人に問いたい、中国が東シナ海で勝手にやっている海底ガス田は正しいというのか。日本は、黙って中国による東シナ海の海底ガス田を許せというのか。彼らの質問の仕方を聞いていると、そうとしか聞こえてこないのは私だけではないはずだ。彼らの質問自体が、悪意に満ちており、日本の国益を著しく損ねかねない。そのことに気付いていない一部記者達の、記者としての資質に大きな疑問を感じざるを得ない。
 アメリカの多くのメディアは、この問題に関して非常に冷めた見方をしている。というのも、多くのアメリカ人は、この問題は日本の内政問題であり、他国に干渉されるべき問題ではないという印象を持っているからである。数カ月前に来日したアーミテイジ氏にしても、筑紫哲也氏によるインタビューに於いて、「靖国参拝問題は、日本の内政問題であり、如何なる理由があろうとも中国や韓国の抗議に屈するべきではない。そのような内政干渉が続く限り、堂々と参拝すべきである。小泉首相の対応は、間違っていない。そのような内政干渉がなされなくなった段階で、初めて日本の国内で日本人によって靖国の問題を解決すればよいではないか」という見解を述べていた。
 正にその通りである。他国による内政干渉が続く限り、参拝は続けるべきである。他国による圧力や内政干渉によって、靖国参拝の問題を解決するべきではない。あくまで、他国による内政干渉とは別の次元で、日本国として独自の判断で、内政問題として解決しなければならない。それには、今は余りにも時期が尚早である。何故ならば、これだけ中国や韓国が騒いでいる時期に、靖国とは別の慰霊碑等を作るというようなことを決めてしまえば、日本はどのような外圧にも屈する国というレッテルを貼られ、次から次ぎへと無理難題を突き付けられるのが落ちである。それこそ、日本の国益を損なう大きな問題である。
 東シナ海ガス田問題や竹島問題など現状続けられている対中、対韓問題の解決にも大きな影響を与えると、中国、韓国のメディアをはじめ、日本のメディアまでもが報道している。が、しかし、内政問題である靖国参拝問題をそれらの外交問題と絡めて語ること自体が非常におかしい。日本の大手メディアが、日本は中国や韓国の言いなりになれ、と言っているに等しいような報道姿勢であることに、非常に大きな驚きを覚えるのは私だけではないはずである。
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by seizaikai_club | 2005-10-17 11:52 | 靖国神社参拝問題

朝鮮総連関連会社家宅捜査の意味

朝鮮総連関連会社家宅捜査の意味
警視庁公安部による家宅捜査は実質対朝スパイ情報収集捜査
2005年10月14日
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 14日、在日朝鮮人総連合会(朝鮮総連)関連会社「金萬有科学振興会」をはじめ、西新井病院(東京都足立区)なだ関係先11カ所の、薬事法違反容疑での家宅捜査が警視庁公安部によって一斉に為された。同時に、これらの関係会社幹部2人が、同容疑で逮捕された。捜査箇所には、在日朝鮮人総連合会(朝鮮総連)傘下の「在日本朝鮮人科学技術協会」も含まれている。
 西新井病院は、在日朝鮮人の金萬有という人物が院長を務めており、北朝鮮政府と共同経営の形で平壌にも姉妹病院を運営している。金萬有なる人物は、金正日に最も近い在日朝鮮人ということでも知られている。
 以前より、警視庁公安部は、この金萬有院長に、非常に大きな関心を示しており、隠密に調査を進めていた。しかし、日本にはスパイ防止法がなく、捜査権を行使することができず、歯痒い思いをしていた。というのも、1976年に疾走したとされる埼玉県川口市の藤田進さんについて、彼が拉致され西新井病院の関連施設に監禁されていた、という西新井病院関係者よる証言を得ていたからである。
 同時に、これら関係者が北朝鮮による拉致事件に大きく関わっていた可能性が非常に高く、拉致関係情報等の具体的証拠や資料を入手するという意味からしても、今回の家宅捜査の意味は非常に大きい。薬事法違反容疑での家宅捜査であるにも関わらず、実際に家宅捜査に当った数十人の捜査員のほとんどが警視庁公安部所属であったことが、薬事法違反容疑は名目であり、その真意は拉致事件を含め、北朝鮮による日本に於けるスパイ活動に関する情報収集の意味合いが大きいことを証明している。
 また、国交のない北朝鮮の大使館は、当然のことながら日本には存在しない。よって、在日朝鮮人総連合会(朝鮮総連)が、実質日本に於ける北朝鮮の大使館のような役割を果たしている。実際には治外法権ではないが、暗黙の了解で治外法権に近い状況で戦後その聖域は守られ続けてきた。その暗黙の了解を、日本側が一方的に反故にした意味は非常に大きく、日本政府による対朝問題への決意の程が、今回の家宅捜査という行動には見て取ることができる。

 国交のある国であれば、大使館へ対しての家宅捜査を断行するということは、事実上の宣戦布告、国交断絶に等しい行為である。六カ国協議に於いての核問題に関しても一向に埒が明かず、また、拉致問題に関しても有耶無耶にしようとうとするばかりで、解決しようという姿勢が北朝鮮側には見て取れない。それどころか、一方的要求ばかりを押し付けようとする北朝鮮政府の姿勢へ、日本政府の姿勢を明確にさせた行動であり、評価に値する。
 同時に、今回の家宅捜査という形での日本政府の態度表明は、ある意味非常に大きなリスクも含んでいることを忘れてはならない。危機管理という観点からすれば、この家宅捜査は拉致被害者の会等が盛んに望んでいる経済制裁などよりも、直接的影響力がある行動である。その分、日本政府としては大きなリスクを覚悟しての行動であることも、国民は承知しなければならない。
 何故ならば、上記したように、実質朝鮮総連は日本における北朝鮮の大使館のような役割を果たしている機関である。そうである以上、そこにメスを入れたということは、日本政府側から、もう拉致問題に関しての北朝鮮政府の不誠実な対応に対し、これからは断固たる態度で臨むという姿勢を明らかにしたことであり、北朝鮮側からすれば日本による宣戦布告に等しいことなのである。よって、その対抗策として、狂気した金正日が前後の見境を失い、日本に向けて何時ミサイルを打ち込んできてもおかしくない状況になったとも言える。
 よって、当然のことながら、今回の家宅捜査の強行は、アメリカ側との密なる相互連絡の下に為されていることは間違いない。そのことは、第7艦隊による、ここ数カ月前からの日本近海に於ける防衛配備体制を見れば一目瞭然である。
 北朝鮮による不意打ちミサイル攻撃に備え、日本海に迎撃用アメリカ軍イージス艦が4隻、海上自衛隊イージス艦が2隻配備されている。また、日本海をはじめ東シナ海から太平洋沿岸にかけ、朝鮮半島を包囲するような形で、アメリカ海軍潜水艦7隻も常時監視体制で配備されている。その上、万が一に備え、2500人のアメリカ海兵隊上陸用前線部隊が沖縄に既に配備され常駐部隊と合流している。それだけではない、横須賀のアメリカ海軍原子力空母キティーホークならびに三沢、横田に配備されている最新型戦闘機ならびに爆撃機は180機にも及んでいる。
 大袈裟に聞こえるかもしれないが、対北朝鮮に関しては、一触即発に近い状態であることは間違いない。その証拠に、アメリカ側は、盛んに和平交渉を前回の六カ国協議前より開始している。ここ数日の内に、アメリカ政府による非公式特使が、改めて平壌を訪問するであろう。前にも指摘したように、アメリカが和平交渉のため特使を盛んに送りだした直後に、軍事行動が起こる可能性は歴史的にみると極めて高い。相手国が、そのことに気付き、早い段階でそのような最悪の結論を回避するよう方向転換しない限り、その可能性は非常に高いと思った方が間違いない。過去にないほど、北朝鮮との緊張感は高まっている。その割に、当事国ともいうべき日本国民の北朝鮮へ対する危機意識の低さ、鈍感さに、平和ボケも度が過ぎ、少々恐いものさえ感じる。
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by seizaikai_club | 2005-10-14 09:56 | 国際情勢

寝返り造反議員達による新たなる造反

今日の独り言
寝返り造反議員達による新たなる造反
2005年10月12日
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 野田聖子造反議員をはじめとする多くの造反議員が、今回の郵政民営化法案に於いて賛成へと寝返った。当然のことながら、彼らの目的は一つ。それは、自民党への復党だ。彼らの言葉を借りれば、まだ離党はしていない、ということになるのかもしれない。しかし、有権者である国民の一人として、どうにも彼ら造反議員達の言動は許しがたいものに感じられてならない。
 彼らは、郵政民営化法案に反対しただけで、自民党を離党するつもりも自民党に盾を突いたつもりもない、と憚ることなく言う。どうも、彼らは、政治の根本をわかっていならしい。いや、政治家ではなく政治屋なので、間違って理解しているのかもしれない。政党というものは、選挙に当選するためにあるのではない。政策や、政治理念や、政治姿勢が一致する政治家同士の集まりであってしかるべきものである。しかるに、政策案に異論を唱えるのであれば、意見を同じくする党なり、政治家たちと合流すればよい。法案に反対することは構わないし、自分の信念に基づいての行動であれば、政治家としてとるべき姿勢でもある。しかし、党が指示する法案には反対するが、選挙で当選するために党員の席は残したいというのは、あまりにも虫が良すぎる。それどころか、そういう姿勢事態が、政治家ではなく政治屋と呼ばれても反論する余地さえない、政治家としての資質を疑われる行為である。
 にもかかわらず、そのような自分自身の政治家としての問題点をも理解せず、今回は法案に賛成します、などと臆することもなく記者会見まで開ける無神経さには恐れ入った。正直、有権者である国民は呆れかえっていることに、ご本人は気付かれていないのか。それとも、気付いてはいるが、勝てば官軍よろしく、厚顔を通し復党をなんとしても果たそうという魂胆なのか。いずれにしても、政治家としての資質を疑わざるを得ない。それどころか、人間としてさもしすぎる。
 大体、今回の選挙で再選してきたのは、郵政民営化法案に反対、ということをハッキリと打ち出して有権者の支持を得てきたのではないか。ということは、有権者である国民を欺いたと言われても反論する余地はない。結局、党に造反し、今度は有権者である国民に造反したということだ。それでは、有権者の一人、国民の一人として、彼ら寝返り造反議員達に問いたい。何故そんなにまでして、党にしがみつきたいのか? 何故、そんなにも政治家でいたいのか? 彼らの、これまでの言動を見ると、それは愛国心でもなく、大きな志でもなく、ただ私利私欲として政治家でいたいとしか、寝返り造反議員の皆さんからは感じられない。正直、こんな政治家達は、一人も日本の国のためにはならず、必要ない無用の長物だ。
 大体、以前から、何故野田聖子などという政治家としての資質もレベルも低い政治家が、未来の総理大臣などと持て囃されるのか不思議でならなかった。マスコミもマスコミだ、こんな政治家を、未来の政治家だなどと、よくも無責任なことが言えたものだ。これこそ、ワイドショー的報道と揶揄されても致し方ない。あまりにもお粗末すぎる。一体、誰がそんなことを言い出したのか。どうせ、不純な思惑で、野田聖子という議員をおだてた古狸政治屋の言葉を、大手メディアの提灯持ち番記者が、真に受けてのことであろう。開いた口がふさがらない。
 選挙戦の様子を見ていても、政策だの政治信条を闘わせている様子もなく、ただ政敵である自民党候補者や小泉首相の悪口に終始し、恥も外聞もなく泣いてみたり、土下座してみたり、怪我を装ってみたり、と本当にこれは真剣に日本のことを憂いて立候補しているのであろうか、と疑いたくなってしまうような様相であった。そして、案の定、ここへきたら、有権者を今度は裏切り、郵政民営化法案寝返り賛成投票ときたものだ。彼らに、政治信条などあるはずもない。政治に対する信念など期待するだけ無駄だ。呆れてモノも言えない。
 何故、あんな議員達を再選させたのだ。彼らを当選させた地区の有権者の政治意識に、大きな疑問を感じる。多くの大手マスメディアやコメンテーター達は、盛んに自民党を大勝させた有権者のことを批判するが、野田聖子議員をはじめとする寝返り造反議員に対しては非常に同情的なコメントばかりが目立つ。自民党を大勝させた有権者の政治意識よりも、寝返り造反議員達に同情的なコメントをする大手メディアやコメンテーター達の政治意識の方が、遥かに低く愚かしい。無垢の国民に大きな影響力を持つ無責任な日本のマスコミの罪も、寝返り造反議員達に負けず劣らず非常に大きい。
 「情けは見方、仇は敵」と戦国の武将武田信玄は言っている。その通りである。しかし、今回の度重なる造反劇は、少々節操がなさ過ぎる。ある程度、厳しい処分をしてしかるべきではないか。如何なる理由があろうとも、有権者である国民を欺く罪は大きい。読者の皆様は、如何お考えでしょうか?
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by seizaikai_club | 2005-10-12 12:25 | 今日の独り言

易しく生きる人々

今日の独り言
易しく生きる人々
2005年10月11日
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 人にとっての「幸せ」とは一体どういうことなのか? このことは、この世に生を受けた人間にとって、永遠のテーマであり疑問でもある。必ずしも物質的豊かさが、人間にとっての幸せとは限らない。貧しいからこそ感じられる「幸せ」、ということもある。こんなことを言うと、あなたは本当の貧しさを知らないから、そんな暢気なことを言えるのだ、と諸先輩方にお叱りを受けてしまうかもしれない。が、しかし、敢えて、「貧しさ故に贅沢を知らない幸せ」と「豊かさ故に贅沢を知ってしまった不幸」という、相反する「幸せ」の形を、いくつかの例を上げてお話することにする。

 最初に、人が生きていく上で一番大切な事柄は、「愛」だと私は信じる。この世の全ては、「愛」という感情を原点に成り立っている。非常に大雑把な言い方かもしれないが、「愛」なくして「嫉妬」という感情も起こらないであろう。「争う」という感情も起こらないであろう。逆に、「守る」という感情も起こらないであろう。また、「想う」という感情も起こらないであろう。「労る」という感情も、「敬う」という感情も、そして、「憎む」という感情も起こらないであろう。
 そんな「愛」という感情にも、色々な形がある。人を好きになり、想い、愛する「愛」。人を思い遣る「愛情」。純粋に人を思い、敬う「愛情」。このように、様々な感情が「愛」という言葉に集約されている。そして、そのような「愛」という感情も、「愛」を感じる相手によって、様々な形に変化する。
 例えば、恋人へ対しての「愛」と、親や子供などの血縁に対する「愛」では、「愛」の形はまったく違う。些か理解しにくい、非常に抽象的な説明になってしまったことをご容赦願いたい。それほど、「愛」ということは、人間にとって必要不可欠でありながら、複雑怪奇で摩訶不思議な感情なのである。
 極端なことを言えば、人間という生き物は、「愛」という感情を失ったら、「藻抜けの殻」同然である。何故ならば、「愛」という感情は、この世に生をうけた生き物の中で、唯一人間にだけ許されている感情だからである。そうは言っても、一部の動植物に、「愛」を感じ、彼らからの「愛」を感じるという現実もあるのだが。

 文明が開花し、豊かさが満ちあふれる現代。物質的豊かさを得た欲深い我々人間は、その物質的豊かさに飽き足らず、いや本能的物足りなさに苛まれ、人が人として人らしく生きるとはどういうことか、という大きな疑問の壁にぶつかった。そして、心に隙間を感じる多くの現代人は、本来のあるべき人間の姿にできるだけ近付いた生き方をしたい、と思うようになった。最近よく耳にする、「スローライフ」などという言葉も、このような心満たされない人々によって作り出された言葉である。

 それでは、人が人らしく生きるとは、どのような生き方なのであろうか? 当然のことながら、賛否両論ある。しかし、簡潔に言えば、人が人として本来のあるべき姿に回帰する、ということであろう。それでは、人が人として本来あるべき姿、とはどのような姿なのか? 非常に抽象的な説明になるが、余計な雑念を振払いありのままの姿で生きる、ということであろう。俗に言う、普通に生きる、ということである。それでは、「普通」とはどういうことか、ということにもなってしまう。理解り易く言えば、無理をしないということだ。案外、この「普通」ということが難しいのだ。普通に生きるということほど、物質文明花盛りの現代において、難しいことはない。何故ならば、物質文明下では、際限のない誘惑が、怒濤のごとく押し寄せるからである。このことが、「物質的豊かさを得てあらゆる意味での選択肢を知り過ぎたが故の不幸」ということになる。文明が溢れかえる現代では、普通に、自然に生きることの方が難しい。私は、「易しく生きる」と表現しているが、地球上には「生き易い」場所というのがある。それは、必ずしも物質的豊かさで溢れかえる先進国ではない。
 私はよく、タイムマシーンに乗る、という表現をする。我々日本人にとっては、タイムマシーンに乗り過去に戻ることで、易しく生きている人々を見聞することが可能になる。どういうことかと言うと、自分の生きている国より先進国へ旅をすれば、未来を見聞することになる。その逆に、自分の生きている国よりも後進国へ旅をすれば、過去を見聞することができるということだ。
 未来を見聞するのも、過去を見聞するのも、どちらも興味深く楽しいことである。私は、このように感じた。未来を見聞することにより堕落することへの恐怖感を感じ、過去を見聞することにより再生し甦る喜びを感じる。別な言い方をすれば、未来を見聞することは危機管理であり、過去を見聞することは心とマインドのリセットである。そして、過去へのタイムトリップは、人としての生き方を再確認することなのである。

 そのことを、私はネパールを訪問した時に感じた。ネパールは、よく神々の宿る国と言われる。その反面、世界で一番経済的には貧しく発展していない、文明浸透度の低い国である。ところが、ネパールの子供達の目は、日本の子供達の目に比べると、輝き、美しく、純粋な光を持っている。いでたちは、日本にも戦後溢れかえっていた浮浪児のように貧しい。それだけに、子供達の美しい目は、印象的であり際立つ。

 何故、貧しい生活の中で、彼らはそんなにも純粋で、美しく目を輝かせていられるのか。その答えは、簡単であった。彼らには、選択肢が少ないのだ。モノが溢れていない分、贅沢を知らない。
 例えば、鉛筆が欲しいと思えば、日本のように、トンボの鉛筆や三菱の鉛筆、あるいはポケモンやディズニーのキャラクターがプリントされた鉛筆、シャープペンなどという選択肢はないのだ。鉛筆が欲しいと思えば、一本の素朴な鉛筆しかない。これは、あくまで例であるが、何ごとにつけ選択肢がないのだ。そして、選択肢がないことが当たり前なのである。故に、迷うことも、悩むこともない。
 確かに、文明的には恵まれていないかもしれない。しかし、それは、端から見る私たちが勝手にそう思っていることなのだ。当事者である彼らは、それしか知らないのであるから、不自由であるとも感じていない。知らぬが故の「幸せ」である。
 文明的に恵まれていない分、純粋な、人間として素のままの本来の姿を保っていられる。豊かさを知らぬが故の「幸せ」、がネパールには未だ存在している。この素朴な姿こそが、本来の人間のあるべき姿なのかもしれない。他のモノを知らないので、他のモノと比較することもなく、現在自分達がある状況で満足できている。「知らない幸せ」ということが、「易しく生きる」ということの原点なのである。易しく生きている彼らは、より神々に近い存在で生きていられる、ということになるのかもしれない。
 再び鉛筆の例に戻るが、モノを書くということだけを考えれば、鉛筆はそんなに何種類も必要ないわけである。一種類、文字が書けるものがあればそれでよい。にもかかわらず、キャラクターのプリントしてあるものやシャープペンや、と確かに便利で華やかではある。が、しかし、必ずしも必要であるとは限らぬものが、この鉛筆の例のように現代社会には溢れかえっている。しかし、それらは、あくまで商業的な理由による存在でしかない。このような多くの選択肢が文明社会には存在し、それらの選択肢が人々を惑わし、悩ませているのである。

 同じような経験を、バリ島を訪問した時にもした。昔のバリ島と今のバリ島の変化の中に、そのような物質文明によって人々を悩ませる「不幸」というものを見た。バリ島という所は、手を伸ばせばもぎ取れるほどの果物が、道端にたわわになっている。米をはじめ各種農業も二毛作、三毛作が当たり前の豊かな島だ。そういう自然の豊かさ故に、嘗てバリ島の人々にお金というものは必要なかった。生きるに必要な分だけでの物々交換で、全ては為されていた。何故なら、生きていくに必要なモノは島に満ち溢れ、あえてお金を使って何かを買う必要がなかったからである。お金が無くとも、自給自足で生活できたのだ。そのような豊かな自然環境が、こんなにも心美しい人々がこの地球上に未だいるのか、と思うほどにバリ島の人々を純粋培養していた。
 ところが、文明国の企業家達は、このバリ島の豊かな自然とバリの人々の美しさに魅了された。彼らは、文明をバリ島に持ち込むだけでは飽き足らず、観光開発まで始めてしまった。多くの観光客がバリ島を訪問するようになり、同時に文明がバリ島に入り込んできた。このことは、バリ島の人々の生活サイクルを狂わせてしまった。彼らは、お金を使って多くのモノを手に入れる事を知り、色々と便利なものに触れてしまった。より便利さを求めるようになってしまった。当然のことながら、少しでも多くのお金を手に入れ裕福になりたいと思うようになってしまった。そして、彼らが先祖から受け継いできた古き良き文化さえも、金銭を得るために利用するようになってしまった。彼らの光り輝く美しい目は、いつの間にか曇り失われてしまった。
 彼らは、便利な生活に惹かれた。しかし、我々にそのことを批判する権利はない。便利さや贅沢を知ってしまえば、もっと便利に、もっと贅沢に、と思うのは人の常である。そのために、より多くのお金が欲しいと思うのも人の常である。そのことは、誰も批判できることではない。私たちだって、そのような時代を経て今があるのだ。既に、便利さも、贅沢さも手にしている私たちが、彼らを批判することはできない。そんな権利はない。ただ、物質的豊かさに代え難い精神的豊かさを失ったことで、「豊かさ故の不幸」と「貧しさ故の幸せ」という考え方に、現代人は初めて気付いた。どちらが、正しいとは言えない。しかし、悲しむべき人間社会のジレンマであることだけは間違いない。
 バリ島の人々は、他のインドネシアの地域とは違い、ヒンドゥー教徒である。日本と同じく、万物に八百万の神々が宿っていると信じる人々だ。非常に美しい島、そして美しい心を持つ人々。そんなバリ島の人々が、物質文明に翻弄され、テロリズムの犠牲にまでなってしまったことは、非常に悲しむべきことである。しかし、文明開化という時代の流れを止める権利は、誰にもないのだ。
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by seizaikai_club | 2005-10-11 23:59 | 今日の独り言

日本人の危機管理意識と憲法改正

日本人の危機管理意識と憲法改正
2005年10月10日
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 日本人の危機管理意識の低さには、大きな疑問を感じる。それでは、何故、日本人は、こんなにも危機管理意識が低いのか。同じ過ちを何度繰り返せば気付くのであろうか? ある警察官僚の政治家などは、サリン以来、テロリズムへ対する危機管理は万全であると言い切る。しかし、危機管理に万全も100%もあり得ないことは、危機管理の常識である。このような発言が警察官僚の政治家から出ること自体、日本の危機管理意識の低さを露呈している。それでは、どのようにしたら、日本人の危機管理意識を高めることができるのであろうか?
 基本は、真面目に日本という国で生きているということを意識し考えることであろう。しかし、平和過ぎるから故、実際には難しいことなのかもしれない。人間とは弱いものなので、目先のことに追われるのだ。目先のことを一生懸命に為して生きるということも大切であるという、相反する反面もあると思う。
 それでは、ショック療法的な方法として、万が一のことが起こったら、危機管理意識が上がるか、というとこれもまた疑問である。日本はこの地球上で唯一の被爆国である。にもかかわらず、北朝鮮問題にしても、核の問題よりも拉致の問題を優先しようとするような国民性である。拉致の問題も、もちろん等閑にはできない大切な問題である。ただ、国益を考えた場合、何ごとも優先順位とういことがあるはずである。朝鮮半島における、核の問題は日本にとどまらず、近隣諸国にとっても最優先課題であることは国際社会においての常識である。それこそ、地域の平和にとって、最優先課題であることは良識ある人なら分かるはずである。
 サリンによるテロリズムを経験しているのも、この地球上で、イラクのクルド人と日本人だけである。にもかかわらず、既に多くの日本人が忘れてしまっているではないか。喉元過ぎれば、というのがどうも日本人の特徴なのかもしれない。ある意味、楽天的なのであろうか。不思議な国民である。
 痛い思いをしなければ気付かない、痛い思いをしても直ぐ忘れる、どうしたらよいのか少々不安になる。特に、現実を見つめようとせず、机上やバーチャル的に平和だけを叫ぶ若者が多いことにも、大きな不安を覚える。確かに、草の根的平和運動は必要不可欠。しかし、その反面、現実を受け入れての対応策を考えることも、国という立場では必要不可欠な平和活動である。
 極論になるが、私は韓国の徴兵制を非常に高く評価している。徴兵される二年間に、真剣に国を思い、生きるということがどういうことか、家族を守るということがどういうことかを考える時間を得ることができるからである。ここで、愛国心ということが培われるのである。この徴兵制が、韓国の若者と日本の若者の間に、大きな差を生んでいると私は思う。韓国の若者は、日本の若者に比べ、国に対する思いも強く、平和へ対する思いも現実的な真面目な思いを各々が持っている。徴兵期間中に、家族を守るということがどういうことか、国を守るということがどういうことか、ということを真剣に考えるという。長い人生の中で、この二年間が、彼らにどれだけ良い影響を与えているかは、彼らの姿勢を見ていれば一目瞭然である。アメリカも、徴兵制が撤廃されてから、各種社会的問題を抱えるようになった。そのことは、歴史的事実である。
 多分、一般には、非常に誤解されていることがあると思う。特に日本人は、そうであると思う。基本的に、軍での教育は、戦うことを教えるのではなく、如何に生き残るか、というサバイバル術、即ち危機管理術を伝授しているのだ。生き残るための、交戦技術ということだ。もちろん、士官になれば、その上の教育も受けることにはなるが。決して、人殺しのみを教えているのではない。
 上記したような各種問題を考え、真面目に国を思う心を養い、国際社会での日本の立場、これからの在り方を考えると、やはり改憲するべきであると考える。賛否両論あるであろうが、今為さなければ、世界の中で日本は取り残されることになるであろう。しかし、改憲に当っては、その文言を明確にすべきである。故意の交戦は、如何なる理由があろうとも許してはならない。あくまで、防衛軍である。防衛としての戦闘のみに明確に限定する必要がある。
 同時に、唯一の被爆国として、日本の「核」への立場を明確に表し、平和への思いを抽象的ではなく具体的に書き込む必要も不可欠だと考える。
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by seizaikai_club | 2005-10-10 07:18 | 憲法改正

アメリカによる新たなる軍事行動はイランが先か北朝鮮が先か

アメリカによる新たなる軍事行動はイランが先か北朝鮮が先か
朝鮮半島に於ける南北統一の気運を懸念するアメリカ
2005年10月9日
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 たまたま今年は、8月15日前後ソウルにいた。正直に言って、少々異様な雰囲気であった。韓国の国旗が建物一杯に貼られていたり、アメリカの駐留基地の周辺には、今まで見たことない程多くの機動隊が警備にあたっていたり、硬質ゴム製長刀を腰に下げる警察予備軍だという一団がソウルの街に溢れていたり、と今まで私が見たソウルとは違った一種異様な雰囲気であった。街の至る所には、統一旗が掲揚され、何か場違いなところに来てしまったのかなという印象であった。
 試しに、案内をしてくれる人に、あの長刀は何か、と訊ねてみた。気を使ったその人は、あれは独立記念のセレモニーに向けて、北朝鮮の不穏分子を取り締まる時に使う武器で日本の木刀のようなものだ、という説明をしてくれた。しかし、どうも何だか様子がおかしい。街の中を歩いていても、私たち日本人に対する様子がいつもとは違う気がしてならない。私が神経質すぎるのか、微妙な違和感を肌で感じた。今まで、韓国に来て、こんな感覚を覚えたことはなかった。大体、長刀を腰に差している若者を警察予備軍と説明したが、彼らは制服さえ着用していない。見た感じも学生に見えた。盧武鉉(ノムヒョン)大統領は、ここにきて親北朝鮮の姿勢を露にしだした。もともと、大統領に就任する前から盧武鉉(ノムヒョン)という人は、反日で、しかも親朝であるということで知られていた。ある意味、韓国国民に強くアピールでき、強く韓国国民の支持を引き寄せられる彼にとっての手段は、反日と親朝を強く打ち出すしか術がないのだ。
 その証拠に、ここにきて、韓国と北朝鮮の民間レベルでの交流が急激に盛んになってきた。それこそ、念願の統一の時が目前まで迫ってきたのでは、と見紛うほどである。実際、一部では統一の気運が高まっている。但し、あくまで一部で、過半数の韓国国民の数には至らない。そうは言っても、以前に比べれば統一を支持する人々の数は間違いなく増えている。勿論、ほとんどの韓国の人々が、心情としては統一したいと思っているのであろう。しかし、統一後の経済破綻等、現実問題として起こりうる事象を考えると、感情的に統一を叫べないというのが正直なところであろう。
 何十年もの間、統一は両国で叫ばれてきた。しかし、未だ実現していない。だが、形はどのようになるのかは分からないが、案外近未来、南北が統一されるのではないか、という機運が熟してきているような感がしないこともないのも事実だ。
 今回の韓国訪問で驚かされたことは、上記したことに留まらなかった。細かいことまで言えば、数多くあった。例えば、ソウル市内で、北朝鮮の紙幣が、案外簡単に入手できてしまうことなども、以前は考えられなかったことのように思う。確かに、以前も入手はできた。しかし、今回入手できた北朝鮮の紙幣は、いずれも発行年数の若いピン札ばかりであった。ハッキリ言ってしまえば、本年発行されたものが主流で、古くても昨年のものであった。この辺のことは、どれだけ北と南の交流が盛んになってきているかということを端的に物語っているのではないか。
 実際問題、アメリカは、胸中穏やかではない。このような韓国の北朝鮮寄りの流れ、そして、盧武鉉(ノムヒョン)大統領の言動には、大きな警戒感を水面下で示している。アメリカの最大関心事は、朝鮮半島に於ける核の問題である。極端な言い方をすれば、アメリカにとっては拉致の問題などどうでもよいのだ。彼らが、懸念しているのは核の問題のみだ。北朝鮮に核を保有させてしまえば、現実問題として、拉致問題等の諸問題の解決も難しくなることは明白だ。北朝鮮に核を保有させるということは、アメリカも対等な立場に立たれてしまうということなのだ。そのことが、どういうことかは言わずと知れたことだ。
 同時に、アメリカが懸念しているのは、盧武鉉(ノムヒョン)大統領による一連の核に関する言動だ。これには、アメリカが非常に神経質になっている。もし、北朝鮮が核を保有することになり、北と南が統一されれば、朝鮮半島は核を保有するアメリカにとっては非常に危険な存在になる。いや、アメリカにとってだけではない。日本にとっても、中国にとっても、アジア全体にとって、危険な存在となる。それこそ、極東アジアは、地球上で最も緊張感漂う地域と変貌してしまうであろう。
 北朝鮮が、軽水炉の提供を交換条件として六カ国協議で出してきており、アメリカ側もこの提案をのむような姿勢を見せてはいる。が、しかし、アメリカの本音を言えば、軽水炉でさえも北朝鮮には持たせたくないのだ。北朝鮮側が、軽水炉が先だという主張をしてきたが、実際にはアメリカも後で寝返り軽水炉も北朝鮮には持たせないつもりであるはずだ。何故ならば、軽水炉を保有するだけで、現状の技術をもってすれば充分に核兵器を製造する可能性を与えてしまうことになることだから。いくら、軽水炉を交換条件に、国際原子力機関(IAEA)に加盟させたとしても、軽水炉を手に入れたと同時に、以前のように突然脱退を表明し、査察団を追い出すということも可能性としては考えられる。アメリカが、そんなリスクを取るはずがない。
 日本のメディアは気付いていないようであるが、今回の六カ国協議前から現在に至るまでのアメリカの様子を見ていると、実は非常に緊張感漂う状況であることが見てとれる。その緊張感が、どのようなように働くかは、我々の想像を絶することも有り得るということではないか。
 ここ数カ月のアメリカの対北朝鮮の動向を見ていると、彼らが本気で、しかもアグレッシブに北朝鮮問題に取り組みだしたことが見て取れる。このことは、日本もかなり緊張感をもって受け止めるべきであろう。アメリカという国は、戦争を起こす前に、必ず和平交渉行脚のようなことを盛んに繰り返す。このことは、アメリカの歴史を紐解けばわかる。今回も、二期目のブッシュ政権がスタートした直後、ライス国務長官は、ヨーロッパと中東への和平行脚を繰り返した。そして、北朝鮮に関しては、上院議員を二人訪朝させたことを皮切りに、今回の六カ国協議を挟んで、非常に頻繁に和平外交を繰り広げた。これらのアメリカの動きは、新たなる軍事行動への第一歩、黄色信号が灯ったと言っても過言ではないであろう。
 昨晩のテレビ・タックルという番組で浜田幸一氏が、案外アメリカによる軍事行動の可能性だって皆無ではないぞ、と指摘していたが、その通りであると思う。多分、アメリカは、イランを先にするか、北朝鮮を先にするか、という選択肢を自らに課しているのであろう。ギリギリまで、どちらを先に叩くかということは判断せずに、最終段階で決しようと考えているに違いない。
 距離も装備も、その環境的問題からすると、対イランと対北朝鮮では異なる。しかし、艦隊と後方指令部という観点でみれば、対イランも対北朝鮮も、同じ第七艦隊を中心に、日本とグアムの米軍基地を後方指令部として展開可能な地域なのである。ということは、二者択一の選択肢としては無理のない二国なのだ。
 実は、我々の測り知れない緊張した状況が、あのハリケーンがニューオリンズを直撃していた頃、時を同じくして起こっていたという噂もある。果たして、それがイランなのか北朝鮮なのかはわからない。だが、その緊張した事態が勃発していたが故に、ブッシュ大統領はじめ閣僚達の神経は、ハリケーンではなくそちらに向いていたということだ。彼らにしてみれば、ハリケーン災害に関しては、州ならびに市が適切な対応をするであろうと思っていたはずだ。ところが、あのような大惨事に発展してしまったので、大事と小事が入れ代わってしまったということであろう。

 日本のマスメディアは、ワイドショー的に、10月10日の北朝鮮独立記念式典に向かって、後継者が発表されるのではというような報道に終始していた。が、しかし、北朝鮮にとっては、後継者発表どころではなかったはずだ。後継者など発表している場合ではないのだ。そんなことをしていれば、足下を掬われる。そんなに、金正日も馬鹿ではない。わかっていないのは、日本のマスメディアと大半の北朝鮮専門家と名乗る学者達だけである。しばらくは、そんな重要な発表はするわけがない。こんなに緊張した状況下、後継者の発表などということがされると本気で思っていた日本のマスメディアに、大きな不安と不信を覚えるのは、私だけではないはずだ。いずれにしても、緊張感が高まりつつあるということを、我々国民も他人事ではなく認識しなければならない。取り返しのつかぬことにならぬよう、今こそ危機管理意識を高めるべき時なのである。
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by seizaikai_club | 2005-10-09 20:19 | 国際情勢

子供達の運動能力低下は危機的レベル

今日の独り言
子供達の運動能力低下は危機的レベル
2005年10月8日
http://www.seizaikai.com/seizaikai_club/index.html

 知人の子弟が、少々普通の学校とは教育方針を異にする私立学校に通っている。基本的に、生きるということはどういうことかということを、自治活動で体験させながら、各々個人の個性を尊重し生かすような教育をしている学校である。その所為か、この学校の卒業生には、芸術家や登山家、そして、ジャーナリストが非常に多い。また、芸術家や登山家やジャーナリストの子弟も生徒達には多い。
 この学校では、モノを作り出す喜びを体験させることに、多くの時間を費やしている。例えば、入学すると最初にする授業は、新入生の各々が中等科と高等科の6年間で使用する椅子と机を自分達の手で作ることである。勿論、材料としての木材を切り出すところから始まるのだ。非常にユニークな教育方針の学校だ。
 そのカリキュラムの中には、自治という授業がある。自分のことは全て自分でするのは当たり前。自分の所属するグループに与えられた自治区の管理も、自分達で全てする。草取りから、掃除、家畜の世話、畑仕事、キャンパスの整備等である。兎に角、人が人として、実社会に出た時に、生きていくに必要なことは全て、学園での小社会で実体験するという教育方針なのだ。生徒達は、自分の身の回りのことも、親にも教師にも、いかなる大人にも頼らず全て自分達で為す。
 学園内では、縦割り社会になっていて、中等科1年から高等科3年(この学校では6年生と呼んでいるが)までの各学年の生徒で構成されるグループで全てを為している。そして、この縦割りグループのメンバーで、お互いに助け合い生活しながら学園生活を送っているのだ。当然、6年生がリーダーになり、下級生を指導し、引っ張って行く。非常に面白いシステムを採用している学校である。
 個人の個性を尊重しながらも、集団での協調性ということを重視する。今の日本の若者に欠落している部分を、実践で教育している貴重な学校と言える。
 
 この学校の体操会(普通の学校でいう運動会である)が、今日行われた。その名の通り、出し物は全て体操である。短距離走とか綱引きのような、運動会の定番競技は一つもない。組体操を中心とした各種体操で構成されている。しかし、体操といっても、皆さんが想像するような柔なものではない。これが、また本格的なのだ。組体操のピラミッドにしても、7段である。それも、一糸乱れずの演技には感動する。どの体操をとっても、多くの参加メンバーが一糸乱れずに体操をする様には、感動させられ涙まで溢れてしまうほどである。ジャネット・ジャクソンなどが始め、日本では安室奈美恵なども取り入れ、今流行りの歌いながら複数の人間が揃いのダンスを繰り広げる、ああいうような一糸乱れぬダンスというか体操の美しさであった。人というのは、この世で最高の芸術品なのだなと実感させられた。一糸乱れず動く人の動きの美しさ、オリンピックの体操競技を彷佛とさせる技の数々。兎に角、感動させられた。普段は、各々の個性を尊重している学校だけに、皆で協力し合い一糸乱れぬ演技の完成度には、大きな説得力と感動を呼ぶパワーがみなぎっていた。

 しかし、そんな素晴しい体操演技にも、悩みの種があるそうだ。というのは、今年の新入生、即ち中等科1年生の基礎運動能力が非常に劣っているというのだ。毎年、基礎運動能力が右肩下がりで落ちてきていることには、学校側も気付いていたらしい。ところが、今年の1年生の運動能力の低さには困り果てたということだ。基礎的な、身体の動かし方さえ理解できていない子供が多いという。たまたま、そんな話を耳にした翌日のニュースで、跳べない子供達、というテーマで子供達の運動能力低下の問題が取り上げられていた。筋力トレーニングで、足りない運動能力をカバーするというようなレベルではないそうだ。身体の動かし方、使い方さえ分からないというのだから致命的である。
 中等科1年では、腕立て伏せができない、逆立ちができない、などという問題を多くの生徒達が抱えるのは当たり前であろう。しかし、そういう問題以前の問題、身体の動かし方を知らないというのだから手に負えない。ボールを投げられない、蹴れない子供もいるという。それどころか、転んでも、自分の身を自ら守ることさえできず骨折してしまうというのだから目も当てられない。
 こんな話を聞くと、一体日本はどうなるのであろうかと、非常に不安になってくる。やはり、教育の問題は、今の日本にとっての最優先課題であるのかもしれない。
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by seizaikai_club | 2005-10-08 12:21 | 今日の独り言

「政治をもっと身近に」をスローガンにして、日本人にもっと「愛国心」を喚起すべく語る。
by seizaikai_club
政財界倶楽部代表  恩田将葉
 「政治をもっと身近に」をスローガンに、一人でも多くの日本国民が政治に関心を持ち、参加してくれるよう、執筆活動、出版活動等を通じ「愛国心」啓蒙活動をしている。国際化が進む世界の中で、日本の政治も若者の手で変革しなければならない!!

 政財界倶楽部代表恩田将葉は、 アメリカ合衆国カリフォルニア州で約9年間生活。その間、サン・フランシスコ州立大学(San Francisco State University, SFSU)国際関係学部で国際関係学と政治を学び、朝鮮半島問題専攻で卒業。その後、暫くアメリカで現地法人の会社(People Intertrade, Inc.)を経営した後帰国。帰国後は、記者と編集者を経て出版社である株式会社ぴいぷる社と株式会社政財界出版社、そして、夕刊紙「内外タイムス」を発行する株式会社内外タイムス社の社長に就任。活字業界一筋に生きてきた。現在は、経営から一歩引き、国際情勢ならびに政治を中心に、ジャンルを問わず執筆活動を継続中。プロの文士として、随筆、小説、脚本等あらゆる分野で執筆活動を展開し、文章を綴ることを天職としている。そのかたわら、日本に、嘗てのごとく「愛国人」を増やすべく、「政治をもっと身近に」をスローガンに、自ら「政財界倶楽部」を運営している。

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