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カテゴリ:経済( 13 )

日本経済が低迷し伸び悩む理由

日本経済が低迷し伸び悩む理由
2012年3月26日

最近、アメリカ時代の友人で、自国に帰国後成功している中東系の友とインドの友から、日本でビジネスをしたいとの依頼があった。彼らが来日する前にお膳立てをしてほしいとの指示を受け、限られた時間で会社を設立し、後は彼らが来日するだけにした。ところが、そこで問題発生。会社を設立するまでは、私がアメリカにいた当時と同じような環境で、例えて言えば1ドルでも企業できるというような環境が日本にもできてきている。アメリカでもそうであったように、若者に起業精神を喚起し、若い血を経済に呼び込もうという目的である。確かに、私が若い頃に比較すれば、当時のアメリカ同様、現在日本では容易に法人を立ち上げることができるようになった。

ところが、実際に行ってみると、そこには落とし穴があった。確かに企業を立ち上げる容易になり、若者にとっての可能性も大きくなった、だが、会社を立ち上げても、銀行口座開設のハードルが高く、銀行口座がなければ、ビジネスは実際には成り立たない。思い返してみると、バブルの頃は、私程度の人間でも、会社をやっていたら、銀行は、熨斗をつけてお金を借りてくれといって大金を持ってきたものだ。容易に借りられるという変な癖がついたりして、中にはド壺にはまった仲間も複数いた。だが、バブルが弾けると一転銀行に足を引っ張られ、皆大いに苦しめられた。そもそも、私はもとより銀行は一番信じられない組織と昔から思っていたので、幸い銀行からの借り入れは1円たりとも違えることなく返済した。だが、随分と酷い目に合された仲間もたくさんいる。別に借りたくなくとも、借りてくれと詰め寄ってきたにもかかわらず、バブルが弾けたら、まるで高利貸の取り立てのように執拗であった。同じようなことが、今会社設立に当たって起こっている。

法人設立のハードルを随分下がった。だが、法人を設立しても、銀行が法人口座を開かせてくれないのだ。もたもたしていたら、ビジネス・チャンスなど逃してしまう。いつでもそうだ、会社をやっている頃も、運営資金の為銀行に借入申込みをしても、半年後とか一年後にやっと借入が実際に実行される。それでは何の役にも持たたない。故に、IT系の若い新進気鋭の貴族たちは、アウトロー系金融に手を出す。確かに金利が高くとも、今目の前にあるビジネス・チャンスを活かしたいと思えば、半年後や一年後の銀行の融資などまったく意味を為さない。どんなに金利が高くリスクもともなっても、今直ぐ今日の明日で用立てくれ利用できるホット・マネーでなければ、ビジネス・チャンスなど手にすることはできない。一事が万事銀行というのは、手前勝手で、自分達の都合でばかり客のチャンスまで左右してしまう。これでは、日本の経済などいつまでたっても潤うことなどない。チャンスのない所に人も金も集まるわけがない。今回私が受けた海外からの仕事の相手も、会社設立までは早かったが、いつまでたっても銀行口座が開けないことに業を煮やしている。先方からしたら、投資マネーを送るといっているのに、銀行が口座を開設してくれずまるで「お金などいらない」「ビジネスもいらない」と言われているみたいだと、いい加減呆れ返っている。彼等は、もう日本ではなく韓国に投資すると言い出している始末だ。私の銀行に対するビジネスの説明能力のなさか信用の無さかもしれないが、それにしても、呆れ果てる。こんなことでは、いつまでたっても、経済が上向きになんかなるわけがない。安全ばかりを言い過ぎては、ビジネス・チャンスなど掴むことはできない。別に、送金があるだけで、銀行が損をするわけでもなく、迷惑を被るわけではない。理由は唯一つだ、触らぬ神に祟りなしで、何でもかんでも十把一絡げでそっぽを向いてしまう。何故なら、担当者が責任問題になるぐらいなら、何もしないでいた方がよいということのようだ。呆れてモノが言えない。こんなことで、中国や韓国、インドなど、飛ぶ鳥を落とす勢いで右肩上がりにビジネスを伸ばしている現在高度経済成長期にある国々に太刀打ちなどできるわけがない。今の日本は、何でも「ダメダメ」ばかりで、少しも面白くない。教育も同じだ、日本の教育は「ダメダメ」ばかりで、出る釘を打つばかりで、可能性を伸ばすような教育でない。何でもチャレンジして、失敗しながら成功への道筋を見出すというようなチャンスがないところに、希望を見出せるわけはなく、そんな環境で若者が活き活きと活躍など出来る訳がない。テクニカルなことばかり数字を並べ立てるばかりでなく、経済学者や政治家は、こういう根本をまずは見直すことからはじめなければ、気付いた時には、この国は本当にどん底に甘んじなければならないことになることは目に見えている。皆さん、そうは思いませんか。今何をするべきかを、政府はまったくわかっていない。小泉竹中ラインの当時は、今よりずっとましだった。民主党政権は、経済の「け」の字も解っていない。机上の空論ではなにも意味はないのだ。もういい加減にして欲しい。このままでは、日本は本当にダメになってしまう。非常に強い憂いと恐怖感を覚えるのは私だけであろうか。
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by seizaikai_club | 2012-03-26 21:23 | 経済

東京電力をはじめとする電力各社の株主総会

東京電力をはじめとする電力各社の株主総会
2011年6月29日

 昨日東京電力の株主総会が行われ、メディア各社はその様子を報道している。とりわけ注目を集めているのは、この総会内での脱原発動議が大差で否決されたことに対する問題だ。その経緯が明確でなく、説明不足で、強行採決ともとれる、というような参加した株主の不満の声をを交えて報道している。
 
 確かに、株主総会には多くの謎がある。謎ではないのだが、一般株主からしたら、腑に落ちない点が多いのだろう。東電側の主張では、参加せず委任状を提出している株主数が、大きなパーセンテージを占めているので、その数字からはじき出した脱原発賛成票は8%程度になってしまうということだ。嘘ではないだろう。だが、問題は、この委任状票にある。

 東電は、昔から原発問題で散々苦労してきた。その歴史の中で、彼らは如何に株主総会を乗り切るかという彼らなりの危機管理術を構築しているのだ。そのマニュアルに沿って、全てがなされている。それは、株主総会の時のみでなく、普段から積み重ねられていることを知らなければならない。

 例えば、東電はじめ電力各社では、退職した社員や家族や親戚名義で、株を保持させ、総会での議決で東電側に有利に働くようなシステムを構築している。だが、それは東電だけではない。日本の場合、多くの上場企業が同じような手法で、株主総会を乗り切っている。資本主義社会とは名ばかりで、日本では資本家である株主に欧米の株主のような力がない所以だ。

 国も、そんな状況を見て見ぬふりをしている。それが、日本の実態だ。結局、日本の財界は、旧態依然とした護送船団方式のままなのだ。企業同士で、株を持ち合いアンダーテーブルで手を取り合っている。以前にも何回か書いたが、東電はその中心にいる企業だ。木曜会という上場企業各社の総務が一同に会し口裏を合わせ、足並みを揃えるために、毎週木曜日行われている非公式会食会合だ。東電は、この会の幹事会社だ。トヨタを始め、錚々たる企業が参加している。それらの企業に帰属する社員でさえ、そんな会が催されていることを知らない。ごく限られた、総務の人間たちがトップの勅命を受けて参加している。時として、その席には、関係省庁の担当役人も参加するほどだ。

 こういう、普段から企業にとって有利に働くべく、自分勝手な危機管理が為されているため、株主総会など名目だけで何の意味もない。そのことを、我々国民は理解し、そういうところから改革するよう政治に求めていくことこそが必要なのだ。政局や内輪もめなどしている暇はない。彼らは、着々と生き残りのため水面下で動き出している。
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by seizaikai_club | 2011-06-29 08:58 | 経済

荒木浩元会長閥が東電唯一の救い

荒木浩元会長閥が東電唯一の救い
2011年3月25日

 今発行中のサンデー毎日の囲み記事で書かれていることは、発売以前にこのブログで書かせて頂いたが、副社長Aとは故山本勝副社長のことだ。彼が生きていれば、今回の原発事故はここまで取り返しのつかぬことにならずに済んだはずである。私は、そう思っている。

 東電と弊社の繋がりは、荒木元会長が課長時代、弊社創設者で私の亡父である恩田貢が週刊文春の記者であった頃に遡る。原発問題での取材で接点を持った亡父が、持ち前の人たらし術で、荒木さんの懐に飛び込んだ。それからずっとのお付き合いになる。その後政界出版社の社長を田中角栄から拝命した亡父は、広告を東電からもらうために、東電の原発対策の為に外部部隊として動き出した。簡単に言えばマスコミ対策である。当時の週刊文春編集長の花田氏はじめ、週刊現代の元木編集長、政治評論家の三宅先生など、多くの週刊誌編集長や出版社幹部、そして、森善朗、故中西啓介、中尾栄一、柿沢弘治、鈴木宗雄、渡辺孝三などなど多くの政治家たちを紹介した。

 そのような状況下、当時企画開発室室長という肩書だった私は、弊社側の窓口として、元テレビ朝日幹部の当時の弊社副社長と共に、原発問題対応のマスコミ対策業務の先頭にたって動いた。その時、東電側の窓口は、まだ副社長ではなく取締役総務部長という肩書だった故山本勝副社長であった。若者を可愛がる山本さんに、私も非常に可愛がってもらった。私も大好きな人物の一人であった。非常に豪放磊落で懐の深い人であった。東大閥の総務畑が主流の当時の東電にあって、山本さんは京大卒であり東電内部では異端児であった。言い方は悪いが、東電らしからぬ性質の人であった。

 マスコミ対策でマスコミを封じ込めるためには、まず自分が原発を知らなければということで、私は自ら志願して、柏崎や六ヶ所など、原発施設をくまなく見せてもらい詳しく説明してもらった。もちろん、普通のマスコミが入り得ないところまで、故山本副社長同道で入り説明してもらった。放射能など怖いとは思わなかった。それよりも全てを知りたい気持ちの方が勝っていた。そういう気持ちに私自身がなれたのには、故山本さんの人柄が大きく影響した。彼は、原発の問題点なども包み隠さずハッキリと教えてくれた。そして、彼の一貫した言い分は、何があっても、人命最優先という考え方であった。組織に属しているが、組織以前にまず人命であることは当然、という言葉が私の心を動かした。

 ところが、故山本副社長はサンデー毎日にも書かれているが、身体も大きく頑丈そうに見えたが、病弱な一面を持っていた。私の師匠竹山洋先生が逗留する旅館「和可菜」の直ぐ前にある焼き鳥屋で、よくご馳走になった。ここは、山本副社長の出身地である岐阜だか滋賀(記憶が錯綜している)出身のママが経営しており、山本さんの東電以外の知り合い、同級生などがよく出入りしている店であった。そこで、ポロッと健康のことを吐露されたことがあった。それから間もなく、誰も予想し得なかった訃報が届いた。山本副社長が62歳の若さで急逝されてしまったのだ。葬儀は、上野の有名な寺で行われた。驚くほど多くの弔問客が行列を為したことでも、山本副社長の人柄が見て取れた。しかも、多くの政治家が代理ではなく、本人が弔問に現れた。多分、荒木会長にとっては、一番大きな痛手であったはずだ。荒木さんという方は、非常に清廉潔白な人柄で、山本さんとは非常に肌が合っていたと思う。何故なら、山本さんも清廉潔白で正直な人であったからだ。荒木閥の世話役に80歳を過ぎる、東電の生き字引と言われた田中さんという総務のおじいちゃんがいらっしゃったが、彼も清廉潔白で真っ正直な人柄であった。一本この派閥には、筋が通っていて気持ちがよかった。

 山本副社長が他界した後、弊社創設者である亡父も他界した。東電の総務内でも大きな移動がひっきりなしにあった。そして、役員の移動も目まぐるしく起こった。最後のご奉公は、私が弊社の社長に就任した後、赤坂のジパングというなだ万が経営するレストランの、東急ホテル最上階店舗ではなくホテルニュージャパン跡地にできた外資系保険会社のビル一階に開店された個室専門店舗の方での会食であった。この直前、私が担当して渡辺恒三氏の自伝を発行した関係で、水面下で相談を受けていたことを実行するためのものであった。同席者は、荒木社長と当時の東電側窓口の総務水谷氏、そして、作家の大下英治と私というメンバーであった。当時冷や飯を食わされていた渡辺氏は、福島の原発ならびにダムの問題を抱えていた。そういう状況下、犬猿の仲と言われていた小沢一郎との橋渡しを打診されていたのだ。要は、民主党に合流したいということだ。

 同席した作家の大下英治には、渡辺さんと小沢さんは犬猿の仲、そんな話をするなと私は叱咤された。だが、当の渡辺氏はそれを望んでいた。非常に勘の強い荒木会長は、直ぐに「面白いね。小沢さんのお手並みも拝見したいし」というような言葉を頂いた。その直後、渡辺恒三氏は民主党に合流した。あの夜が、東電との最後の夜であった。総務内での大きな人事異動もあった。荒木さんの派閥ではない人員が入ってきたため、今までのような活動ができなくなったということだ。弊社側も、夕刊新聞「内外タイムス」という重荷を背負ってしまっていたので、自然な形での縁切れとなってしまった。

 前置きが長くなったが、現在の社長閥が、荒木浩元会長の力が及ばないように画策しているらしい。だが、東電が再生しようと本気で思うのであれば、荒木浩元会長の力は必要不可欠。荒木氏ほど、清廉潔白で欲のない人間はいない。正に名将である。彼の采配に頼らずして、現状の東電を立ち直らせることは叶わないと私は強く信じる。東電の唯一の救いであると言っても過言ではない。
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by seizaikai_club | 2011-03-26 00:09 | 経済

予期されていた震災によるみずほ銀行のシステム障害

予期されていた震災によるみずほ銀行のシステム障害
2011年3月18日

 一昨日から、みずほ銀行で大規模なシステム障害がでている。私が親しくさせて頂いていた故山本勝東京電力副社長は、震災等で首都の電力供給に問題がでた際、このような銀行等のマザーコンピューターに大きな支障が生じることを懸念していた。停電は、言い方が悪いが、ローソクなどで対応して頂けば済むが、20分以上停電が続けば、マザーコンピューターがダウンする。そうするとそのマザーコンピューターを正常な状態に復帰するには、2週間以上掛かる。このことを、故山本副社長は非常に心配していたのだが、そのことが現実化した。

 なぜ、みずほ銀行だけなのかということは、私の推測だが、多分みずほ銀行のマザーコンピューターが設置されている場所が、計画停電になったのであろう。これも私的推測だが、みずほ銀行は震災を考慮して、心臓部であるマザーコンピューターを23区内ではなく、震災でも影響がでないように首都郊外か他県に設置したのであろう。ところが、東京電力は首都機能を守るために、可能な限り23区内首都機能が集中する地区を外して、郊外を中心に計画停電を行ってしまった。このことが、裏目にでてみずほ銀行はシステム障害に陥ることになってしまったということであろう。

 嘗て、故山本東電副社長は、計画停電等の可能性も言及していた。「万が一首都が被災した場合や原発地区が被災した場合、政府機関、インフラならびに銀行等、国民生活に直結するマザーコンピューターが設置されている地区が停電地区に入らないよう、東電の方で配慮することが必要である」と言っていた。正に、その予測が的中してしまったということだ。ただ、ここで悲しいことは、そんな故山本副社長の思いが、東京電力の中で継承されていないということだ。何故、山本副社長は、あんなに早く他界してしまったのであろう、と思ってしまうのは私だけではないはずだ。
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by seizaikai_club | 2011-03-18 10:53 | 経済

光回線争奪戦で妨害電波を使ってまでの営業活動

光回線争奪戦で妨害電波を使ってまでの営業活動
2010年11月1日

最近、
光回線の争奪戦が激化してきた。
都内は早くからNTTとライバル各社が鎬を削っていたが、
ここにきて郊外や地方への光回線普及が、
回線契約争奪戦に火を付けた。
ただ、
利用者には何の罪もなく、
迷惑なことこの上ない。
我が家でも、
既にNTTの光回線に加入していたが、
1ヶ月ほど前に、
可愛らしい女性が営業で、
我が家のインターホンを鳴らした。
要件を訊いてみると、
NTTのライバル会社が、
光回線をこの地区でもサービス開始したので、
是非とも加入してほしいという話であった。
しかし、
仕事で使っているので、
付け替え等でトラブルが発生したり、
使用できない空白期間ができることを望まないので、
丁寧にお断りした。
ところが、
途端に可愛い顔をしたお嬢様とは思えぬほど、
態度が一変し手の裏を返された。
それだけなら仕方がない。
営業のいろはも未だ知らない
ケツの青いお嬢様営業かと諦める。
ところが、
それではおさまらなかったので腹が立つ。
それまで、
非常に調子よく使用していた、
インターネット回線が、
繋がりにくくなったのだ。
まったく繋がらないというのではなく、
使用していて暫くすると切れてしまうのだ。
色々と試みたが、
症状は改善されない。
ルータの電源を落として入れなおすと繋がるが、
また直ぐに落ちてしまう。
仕事にも支障がでるので、
色々なところに相談してみた。
しかし、
埒があかない。
仕方なく、
たまたま回線会社に以前勤めていた人間に相談したところ、
「もしかすると、妨害電波か回線に妨害をかけられたかも」
という答えが返ってきた。
どういうことか訊ねてみると、
営業争奪戦が激化すると、
回線の奪い合いになり、
現在使用している回線に妨害を掛け、
使いにくくて困っているという状況に陥らせ、
そのタイミングで、
再び営業をかけ奪い取るという手段は、
常套手段だというのだ。
酷い話だ。
罪のない利用者が
不便な思いをしなければならず、
結局お金を払うのは、
利用者ということになる。
何とも企業とは浅ましいものである。
こんなことをしているから、
日本経済は再生などできずに、
国民を苦しめることになるのだ。
国も、
大企業には甘い。
見て見ぬふりを決め込む。
日本というのは、
本当に住みにくい国になったものだ。
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by seizaikai_club | 2010-11-01 07:48 | 経済

日本では誤解されている消費税

日本では誤解されている消費税
2010年6月13日

 管政権になり、消費税の問題が再燃しだした。色々な報道や世論調査を見ていると、どうも日本では消費税の良さが日本人には理解されていない感じがし、少々残念に思っている。

 これは私の個人的な意見だが、私は消費税という税制は、色々な税制の中で最も公平な税金であると思っている。何故なら、自分の判断で、消費税を払うも払わないも決められるからだ。消費税を沢山払いたくないと思えば、物を買わなければよいのだ。これは極端な話だが。だが、多分こんなことを言うと、物を買わなければよい、などと無責任なことをいうなという声が聞こえてきそうだ。確かに、現行の消費税制では、不十分であり、払わなければ良いなどという理論は成り立たない。

 消費税が、他の税制に比較して公平であることは、消費税収を見てみれば一目瞭然だ。経済情勢に左右されることなく、安定した税収を保っていることが、何よりの説得力であるように思う。ただ、現状の消費税制は、税率も含め大幅に改正する必要があるように思う。一挙にとなると、多分国民の反発も大きいので、段階的に改革していったらよいのではと思う。

 まず、基本的に、税率を上げる前に、生きていくに最低限必要な生活必需品に対しての消費税を撤廃することだ。その上で、一律ではなく生活への必要度に応じて税率を決めるべきである。

 それでは、生活必需品とは何か? まず、生きていくに必要な食糧、水、電気、ガス等だ。ここに、香港のように、通信費すなわち電話料金などを含めるかどうかは、その民族によって価値観が違うので、日本人の価値観で議論をし決めていけばよい。ただ、万が一の災害などで命の危険にさらされたことを想定すれば、通信費として電話代も生活必需品に入れて判断するべきかもしれない。また、食糧に関しては、単純に食糧全般ということではなく、生きていくに必要な食糧ということだ。何でもかんでもではない。ケーキだのお菓子などの贅沢品的食糧に関しては、この範疇ではない。

 結局のところ重要なポイントは、それぞれの商品の持つ贅沢度で判断するということだ。例えば、ブランド品などは、無くても生きていくには困らないもので、見栄やプライドを満たすための贅沢品であるから、大きな税率を課したらよい。自動車なども、日本はインフラが充実しているので、贅沢品という扱いで構わない。だが、インフラが充実していない地区では、特例もしくは還付などの処置を考えればよい。その判断は、登記住所で判断すればよい。服なども、ブランド品と普通の日常のものとでは差を作ればよい。レストランでの食事も、食堂、ファミレス、高級レストランでは、当然格差を作ってよいだろう。

 多分、この細分化に関しての作業は、確立するまでは大きな労力がいるだろうが、長い目で日本の経済をみれば、大きな意味を持ってくることは間違いない。何故なら、実際にこのような消費税制で、国の財政を安定させている国は沢山ある。前出の香港しかり、デンマークなどの北欧諸国しかり、カナダしかりだ。どの国も、非常に充実した社会保障制度を確立できている。デンマークなどは、大学卒業までの教育費は国が全面負担し、60歳の定年後から死ぬまでの国民の生活費全般も国が全面負担している。安心して、人間らしく生きられる国となっている。

 ただ、同時にしなければならないことは、消費税率の整備をしつつ、所得税、相続税、固定資産税などの税率は下げなければならない。これらの税率をそのままにして、消費税まで上げてしまえば、それこそ国民を絞め殺すことになりかねないからだ。

 このようにすれば、消費税を払いたくない人は、贅沢品を買わなければよいし、贅沢品がほしい人は、高い消費税を払ってでも買えばよいのということになる。多分、こういうことをいうと、ブランド・メーカーなどに対して不公平だ。買い控えが起こるなどの意見がでるであろう。だが、贅沢品を買いたい人は、消費税を払ってでも買いたいはずである。そして、贅沢品を買える人は、消費税率が上がっても買えるだけの所得があるはずだ。本来、諸外国では、ブランド品は誰でも彼でも持つものではなく、金銭的余裕のある人たちが、贅沢品として買っているものだ。それが、日本では、猫も杓子もブランド品となったこと自体、異常であるというか平和ボケというべきことなので、ある意味これで健全な状態に戻るということだ。こんなことをいうと差別発言といわれかねないが、一生懸命沢山働いた人が、高いブランド品を買えるのは当たり前だが、一生懸命働きもしないで、高いブランド品に翻弄されることは、決して正常ではないし国民の経済的思考能力を狂わせることである。ブランド品が欲しければ、一生懸命働いて得たお金を、自分の判断で消費すればよいのだ。ブランド・メーカーも、本来のマーケティングに戻るわけだから、さほど問題はないはずだ。今までが、彼らが積み上げた客層とは違うマーケットの登場により、彼らの存続方法さえ変えてしまったわけであるから。初心回帰ということだ。私は、そう思っている。
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by seizaikai_club | 2010-06-13 10:24 | 経済

7-11の独禁法違反問題と廃棄処分品問題は30年前から

7-11の独禁法違反問題と廃棄処分品問題は30年前から
2009年6月23日

 昨日から今朝にかけて、セブンイレブンの廃棄処分品の見切り販売に関して、公正取引委員会より独禁法違反の裁定が下された問題が、各メディアのトップ記事として扱われた。コンビニエンスストアーのパイオニアであるセブンイレブンで、賞味期限切れ商品の見切り販売に関し、本部側がフランチャイジー側に対し、独禁法に違反するような、価格操作とも思われるような言動を繰り返し強制していたということだ。簡単にいうと、賞味期限切れ直前の商品を、半額セールなどで売り残しなく売り尽くそうとした店舗に対し、本部側がそれを阻止するような強い言動で脅威を与えたというものだ。ご存知のように、コンビニは便利で安全がモットーだ。同業他社より安くということよりも便利さと安全性に重きを置くことで、信用と利便性を広く消費者に根付かせ現在のような広がりをみせた。だが、各店舗のオーナー達とすれば、多額の廃棄処分品がでるということは、その分、大きな処分費用を負担しなければならず重荷となっていた。何故なら、本部側は、処分品になろうが売れようが、一旦本部から納入した商品に関しては、大きなフランチャイズ・マージンを適用しているからだ。売れても売れなくても、本部から商品が各店舗へ動けば、本部の利益は増えるという仕組みなのだ。

 この仕組みは、取次店を通した書籍販売とまったく同じ方式だ。出版業界と新聞業界は、再販制という制度の元、唯一独禁法に抵触しながら、目こぼしされている業界といわれてきた。そして、この再販制という問題に対しては大きな反対運動が常にある。だが、大手新聞社が主導権を取り、過去に何度も再販制撤廃を阻止してきたという経緯がある。その理由として、全国一律の定価で新聞を津々浦々まで販促するためとしている。だが、実際には、インターネットの普及により、必ずしも大都市圏の印刷所で全てを刷らなくとも、各地へデータを送信して、地元の印刷所で印刷すれば、再販制にこだわらなくとも全国津々浦々まで一律の定価で販促することは技術的には可能になっている。それでも、再販制を維持しようするのには理由がある。それこそが、今回のセブンイレブンの問題と同じなのだ。書籍や新聞は、取次制度のもと委託販売が原則となっている。取次は出版社から本を預かり、書店へ対して委託販売する。書店で売れない本は返本される。返本された本は、一定期間を経て出版社へと戻される。この本の流れが、セブンイレブンの商品の流れと酷似している。取次店は絶対に損をしない。何故なら、本が売れようが売れまいが、本が出版社から取次店、そして、書店へ、または、書店から取次店、そして、出版社へと動けば、動く度に定められた比率の手数料を一冊ごとに課しているからだ。取次店は、本が売れようが売れまいが、本が動けば利益が増えるように仕組まれているのだ。セブンイレブンの場合も、このシステムとまったく同じである。何故なら、セブンイレブンをここまで大きく育てた、現代表取締役兼最高経営責任者である鈴木敏文は、イトウヨーカ堂に入社し、セブンイレブン・ジャパンの前身であるヨーク・セブンを設立する前は、日本最大の取次店トーハンに勤めていたからだ。鈴木が、出版業界の取次制度を模してセブンイレブンのビジネス・モデルとして確立してから、セブンイレブンは急激な成長を見せたという経緯がある。そのことを裏付けるような事実がある。当時、1970年代終盤、セブンイレブンが全国に500店舗を展開した頃より、急激に成長し1980年には1000店舗を越えた。この急激な成長期が、今のセブンイレブンの土台を築き上げた時代だ。それまで、7時から11時までの営業だったものを、本部直営店である松戸店同様、全ての店舗で24時間営業を目指し、同時に雑誌や書籍を販売するという画期的な戦略を展開したのだ。これは、書籍取次店トーハン出身の鈴木だからできたことである。当時、何を隠そう、高卒の私は、セブンイレブンに籍をおき、渡米直前まで最年少店長を向島店という店舗で務めていた。若さを買われ、直営松戸店で2週間ほどの研修を受け、その直後、向島店でフランチャイズ店舗としては、最初の24時間営業を経験した。余談だが、7時から11時の時よりも、24時間営業になってからの方が、無駄な時間がなくなり仕事的には楽であった。ただ、また違った問題も発生はしたのだが。その1つに、今回問題になっている廃棄処分品に纏わるものがあった。

 当時より、賞味期限ということに関しては非常に厳格であった。また、賞味期限落ちをした商品へ対しての対応も厳格であった。当時あった問題は二つ。それは、賞味期限落ちした商品を廃棄品として店舗の外に置いておくと、路上生活者がそれらの廃棄品の弁当や惣菜をあさること。これは、当時だと、ごみ処理業者が持って行くまでは、例え店舗外に置いてあっても、店の所有物ということで、窃盗扱いで警察へ通報ということが義務づけられていた。実際、そのような事案に何度も遭遇した。廃棄された弁当などを店の横や前で散らかされるのは、衛生上も、また店の印象としてもよろしくないので頭を悩ませる問題であった。二つ目の問題は、店員による廃棄品の窃盗である。これを窃盗と呼ぶことには、非常に大きな違和感があった。要は、賞味期限切れ直前になると、店員がそれを自分達が食すために確保してしまうということだ。最初は、賞味期限が切れてからの商品を食しているのだが、段々と慣れてくると賞味期限切れ直前に手を付けたり、自分達用に確保してしまうというようなことまで起こってしまう。ということで、勿体ないと思っても、絶対に賞味期限切れの廃棄品には手を出しても出させてもいけない、という半強制的な言動は各店舗を巡回するフィールド・マネージャーを筆頭に、本部から訪れる各種マネージャー達から耳にタコができるほどいわれていた。勿論、全てのマネージャーが、威圧的で上から目線ではない。十人十色、マネージャーにもそれぞれ人柄がある。優しい思いやりのあるマネージャーもいる。だが、敏腕マネージャーといわれる連中は、皆上から目線で威圧的であったことは間違いない。大体、私がセブンイレブンを辞めて渡米を決意した理由の一つが、フィールド・マネージャーとの確執であった。会長の鈴木と縁者かどうかわからないが、同姓の城東地区エリア・マネージャーだった人間が、我が店舗を巡回した際、私と言い争いになり、その直前に私や店員で綺麗に前だしをして揃えた商品を手で崩しながら店舗を一巡したのである。勿論、綺麗に揃えて並べられた商品は崩れたり床に落ちたりした。その理由が、商品陳列や前だしに関して不備があったというのであれば、まだ少しは納得できる。だが、その時の議論は、商品陳列の問題ではなく、廃棄品に関しての対応の問題での議論であった。商品を崩して歩いたのは、嫌がらせであり、非常に陰険な対応であると私は感じた。当時既に武道をやっていた私は、大分年上の彼を怒鳴り付け、店舗の外へと投げ飛ばした。若さもあったが、一生懸命商品を陳列した店員の心を踏みにじられた気がしたので、私に迷いはなかった。

 ただ、合理的にマニュアル化されたシステムを厳格に守ってきたからこそ、今のセブンイレブンがあるとも私は思っている。情に流され商売をしていたら、普通の商店と変わりなくなってしまう。だが、セブンイレブンとは、利便性までをも商品として売る、サービス販売業なのだと理解する。だとすると、マニュアルに忠実にビジネス展開することは、このビジネス・モデルにとっては、非常に大切なことなのかもしれない。

 オーナー研修というものが、当時より松戸の研修センターで行われていた。そこを卒業しないとオーナーにはなれない。卒業と同時に、マニュアルが卒業証書のように渡される。そして、その研修センターで叩き込まれることは、マニュアルを死守することである。それが、このビジネス成功の鍵であるということだ。当時、疑問は生じなかった。納得できた。だが、実際に、日々商売を営みだすと、マニュアルには載っていない色々な問題が生じる。それは、店長の才覚で乗り越えなければならない。何故なら、店舗数は何万軒あっても、一店舗一店舗が立地や条件等で別モノだからだ。それが商売というものだ。臨機応変に対応しなければ、利益は上げられず自分の首を絞めることになる。だが、本部は、マニュアルを死守することで、書籍販売の取次店同様、絶対に赤字にはならない構造なのだ。それが、セブンイレブンというビジネス・モデルなのだ。代理店に商品を押し売りするネットワークビジネスの代理店制度と何ら変わりないシステムである。ただ違いは、厳格にマニュアル化され、合法化されているというだけである。
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by seizaikai_club | 2009-06-23 13:20 | 経済

まだまだアメリカの動向を注視する必要がある世界市場

まだまだアメリカの動向を注視する必要がある世界市場
2007年3月1日

 昨日の朝は、株式市場の大暴落一色であった。しかし、不思議なことに、嘗て経験したような緊張感を感じなかったのは、私だけではなかったはずだ。中国市場の影響を受けての暴落連鎖だという。急成長途上にある中国の市場が、いよいよ世界に影響を出しだした証だ。裏を返せば、中国人達へ資本主義の甘い汁を吸わせることに、アメリカが成功したともいえる。

 アメリカにとって一番大切な経済政策の一つに、アメリカ$を基軸通貨として死守し、拡大するということがある。それには、中国市場は見逃せない大切な市場なのだ。今は、アメリカが、中国にカンフル剤として資本主義の甘い汁、即ち贅沢と選択肢を、あらゆる場面で打ち込んでいる。一度甘い汁の味を覚えた人間は、絶対に後戻りはできない。一昨日までの株式市場の高騰は、その証であった。そして、その焦りを表したのが、昨日の中国に始まる大暴落であった。

 今年、このような暴落があることは、ある程度予測されていた。それが、いつになるかはわからなかった。だが、間違いなく、このような暴落が、北京オリンピックまでに何度か起こることを、投資家は誰も予想していたはずだ。そのような状況下、昨日の暴落は起こった。しかし、これは、本番ではない。まだ、イントロダクションである。今後、このようなことが数回起こるであろう。そして、一度、大きな暴落が起こるはずだ。そのことは、歴史を振り返ればわかることだ。一つの国が急成長する段階での、登竜門とでも言えるのではないか。ただ、その規模が大きい。中国の規模は、歴史上類を見ない大きな規模だ。よって、一度、バブルが弾けた後が、中国にとっては本番であろう。その時こそ、中国を中心にして世界の経済が回りだすことであろう。中国がクシャミをすれば、きっと世界中がクシャミをすることになるのであろう。

 だが、これだけは、見誤ってはならない。中国中心になりつつはあるが、その中国の市場を巧みに操っているのは、アメリカの経済戦略であるということをだ。アメリカのドルを基軸通貨とした戦略は、我々他国人から想像できないほど、アメリカ人にとっては重要な経済政策なのである。そして、それは、アメリカが世界の中心にいられる唯一の武器なのである。よって、アメリカは、あの手この手で、中国を肥らせ、そして、ドルという自分達の手中で転がそうとするのだ。少なくとも、中国でバブルが弾け、本当の意味で中国が自立するまで、暫くの間はこの構図が続くに違いない。

 最後に、今回の暴落は前哨戦であって、市場に小さな影響は出ても、大きな影響を与え続けることはないであろう。しかし、間違いなく第二の波、第三の波が、近い将来押し寄せてくることを忘れてはならない。
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by seizaikai_club | 2007-03-02 10:53 | 経済

不二家の問題隠蔽は得意先による圧力と得意先確保のための苦肉の策か!?

不二家の問題隠蔽は得意先による圧力と得意先確保のための苦肉の策か!?
2006年1月16日

 新聞、テレビをはじめ、各種メディアで、不二家の衛生管理問題が大きく取沙汰されている。消費者の健康に直結する問題であるので、当然のことである。賞味期限切れ食材を利用していたこと、衛生管理の不徹底など、食品メーカーとしては許されざることだ。しかし、100年の歴史を誇る老舗が、何故、このような結果になることを承知で、あのようなずさんな経営をしなければならなかったのであろうか。誰も、窮地に立たされること承知で、あのような痴態をなすはずがない。同族による経営体質である等、色々なことが取沙汰されている。しかし、それは、少々色眼鏡で見すぎているのでは、という感じがする。簡単に言ってしまえば、時代の流れ、消費者の価値観や判断基準の変化によるマーケットの変化に対応しきれなかったということだ。そのような厳しい状況下、経営的に窮地にたたされていたため、ここまで形振り構わずの経営を強いられ、追い詰められたということではないか。このことは、不二家だけの問題ではなく、多くの老舗食品メーカー企業が抱える問題である。

 彼らは誰よりも、衛生管理を徹底することによって消費者の信用が得られることを知っている。商人である以上、お客様が神様であることを知っているはずだ。にもかかわらず、あのような痴態をなしたには、それなりの理由があったはずだ。それは、やはり経営難ということであろう。経営者が、追い詰められていた典型的な例ではなかろうか。

 経営者は、日々判断、決断を迫られる。平時であれば、良識的な判断を下せる。しかし、経営難になれば、決断にあたっての選択肢は非常に厳しいものになる。それは、不二家に限ったことではない。時として、どちらかに目を瞑り、どちらかを生かさなければという判断を迫られることにもなる。多分、かなり最終的な段階まで追い詰められていたのであろう。まず、社員か消費者か、という選択を迫られたはずだ。そこで、不二家の経営者は、消費者ではなく社員を選択した。それは、従業員があってはじめて会社が成り立つ。また逆に、会社が存続してはじめて従業員やその家族の生活も保障される。そのためには、立ち直るまで目を瞑らなければ、という間違った判断のもと、賞味期限切れの食材を使ったり、極限の衛生管理体制に目を瞑ることになったり、ということで無駄を最小限にし、コスト削減を図ったのであろう。そのことは、賞味期限切れ商品を従業員に押し付け販売していたということにも表れている。経営者側も、苦渋の選択をしているのだから、従業員も痛みを共有し、建て直しに協力して欲しいという経営陣の意識が働いたに違いない。そして、最終段階で、不二家の経営者は、従業員か得意先か、という選択を迫られた。それが、二ヶ月前に問題が発覚した時のことであろう。そして、不二家の経営者は、従業員ではなく生き残りをかけ、背水の陣で得意先を選んだ。例え、経営者が辞任することに追い込まれても、老舗の名前を存続させたいという意思が働いたのであろう。その証拠に、皆様の中にも気付かれた方がいらしたのではないか。クリスマス前からと、正月前から、大手コンビ二などで、不二家商品の詰め合わせセットが信じられない特価で大量に販売されていた。中身は、ミルキーをはじめ各種不二家商品がランダムに詰められていた。問題が発覚し得意先に報告と謝罪をしたところ、在庫を抱えた得意先から在庫処理に関しての圧力がかかったのであろう。返品を受けるか、もしくは問題を公表することを先送りし、その間に在庫商品を売りつくしてしまうという選択肢を。返品ということになれば、間違いなく経営的破綻の確率が高くなる。そこで、万が一の場合、「不二家」の看板の売却も視野に入れ、苦肉の策として得意先を確保するという決断をしたのであろう。しかし、この経営者による二回の判断が、あきらかに間違いであった。本来、最初の判断の際、勇気ある判断をするべきであった。それは、経営多角化から撤退縮小し、有望商品だけに絞り込む、という判断である。だが、この判断は、経営者にとって、非常に難しく苦渋の判断である。特に、従業員を家族のような感覚でとらえる日本の企業や経営者にとっては。こんな経緯で、老舗不二家は転がり落ちてしまったのであろう。しかし、不二家の事件は、他人事ではない。明日は我が身とならないとも限らない。景気は回復の兆しと政府は言うが、現実は違う。中小企業をはじめ多くの弱小企業は、これほど苦しんでいる時代はないのではないか。ブランド力を背景に、豊富な資金力と人材で席巻するコングロマリットに、不二家のような老舗メーカー企業や多くの歴史ある弱小企業は、押し潰されているというのが現実だ。

 ここで、1つだけ言えることは、企業というのは非常に冷酷で無慈悲なものであるということだ。コンビ二や大手スーパーほど賞味期限を遵守する販売店はない。にもかかわらず、そのような販売店でさえ、やはり消費者より利益を優先し損失を回避するという体質であるということだ。確かに、彼らの店頭に並んでいる不二家の商品が、賞味期限切れであったわけではない。それらの賞味期限切れでない商品を製造する際に使われた食材が賞味期限切れであったのだ。彼らは、何も消費者へ対して不義理をしていない。それが、彼らの言い分であり、自分勝手な理論であろう。結局のところ、消費者はいつも置き去りである。皺寄せを被るのも、いつも消費者である。企業にとって、利益追求は最優先課題とはいっても、何とも悲しむべき現実だ。
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by seizaikai_club | 2007-01-16 09:30 | 経済

財政難の今こそ消費税率を上げるべき

財政難の今こそ消費税率を上げるべき
2006年7月27日

 消費税率を上げる、ということが国民にとって良くないことのように、共産党や多くのメディアは声を荒げる。しかし、本当にそうであろうか? 増税ということは、これだけ格差が大きくなってきた社会環境下、我々国民に大きな負担になることは間違いない。しかし、他のどの税金を上げるよりも、消費税を上げることの方が、実はより公平な税制を期待できることには、あまりメディアも言及しない。そこのところには、非常に大きな疑問を感じる。多分、政治家は支持率確保のため、そして、メディアは視聴率確保のためということなのだろう。

 確かに、誰も、増税は望まぬことである。だが、高齢化が進む日本の将来を考えると、増税なくしてこの財政難を乗り切ることは難しい。それでは、小泉政権の推し進めるような、高齢者が増加するので高齢者への負担も増やす、という税制や社会保障制度は正しいのだろうか? このような小泉政権によるやり方には、非常に大きな疑問を感じる。社会保障制度というのは、高齢者が増加してしまったので負担も増加するというのではまったく意味をなさない。それまで長年、家族や国のために働いてきたのである。健康保険をはじめ、各種社会保障制度によって高齢者が守られる社会でなければおかしい。

 だが、そうは言っても、少子化が進み、高齢者が増加して、十分な予算が確保できず、社会保障制度が働かないというのでは困ってしまう。ただ遮二無二、社会保障制度を充実させなければと声を大きくしても、その元となる財政を立て直し、十分な予算を確保できなければ、結局は綺麗事の理想論、机上の空論になってしまう。それでは、どのようにして予算を確保するか。やはり、増税しかない。

 ただ、日本の場合、消費税以外の税金に関しては、行き着くところまでいってしまっている。これ以上の増税は、正直国民にとっては非常に厳しいこととなる。そうなれば、いくら世界第二位の経済大国といっても、まったく夢も希望も持てない将来性のない国が、日本ということになってしまう。それでは、まったく意味がない。

 だが、消費税ならば、そんなこともなく財政を立て直すことも可能になるはずだ。諸外国では、消費税率は日本に比べ格段に高い。何故、日本では、消費税を上げるというと大騒ぎになり、消費税を上げるというと政治家も選挙で落選してしまうことになるのか? 不思議でならない。だから、多くの政治家も、消費税を上げる、ということを言いたがらないし、したがらない。このことが、日本の財政を長年に渡って、非常に逼迫した方向へと導いてきたと言っても過言ではない。そういう意味では、今回谷垣財務大臣が総裁選立候補に当たって提言している消費税率10%ということは、非常に勇気のある姿勢であり、国の財政立て直しを真剣に考えているということが伝わってくる。

 消費税率アップが、何故こんなにも日本では反対されるのか、その理由は簡単である。日本は、企業大国であるからだ。何でも企業の思惑通りに動いてしまうのが、日本という国なのである。そのような体質は、小泉政権の5年間で増長されてしまった。自由化ということと、企業優遇ということは紙一重で表裏一体なことであり、公平性を保つことが非常に難しいことなのである。何も企業のみを優遇しようと思い、小泉政権がこのような自由化政策小泉改革を推し進めたのではないはずだ。しかし、結果として、そのようなことになってしまった。一番消費税を望まないのは、国民よりも誰よりも企業である。何故ならば、消費税率が上がれば、当然売り上げに大きな打撃があることは目に見えているからだ。しかし、実際に贅沢品に消費税をより多く掛けたとしても、一時売り上げは下がるであろうが、ちょっとすれば逆に定価自体を上げて一商品当たりの利益率を上げて、採算を合わせていくということは十分に可能なはずである。何故ならば、金持ちは消費税が上がろうが、定価が上がろうが欲しいものを手に入れるはずだからだ。

 メディアは、スポンサーである企業に対しての配慮で、消費税率アップに反対することは理解できる。しかし、反企業的な共産党が、何故消費税率アップは不公平増税だと騒ぐのか? これには、非常に大きな疑問を感じる。消費税率を上げることが、国民にとっては一番公平な増税であるのに。消費税というのは、モノに課せられている税金である。ということは、消費税率を一律にしなければ、これ以上公平な税率はないはずだ。

 例えば、国民が生きていくために最低限必要なモノである食料品や水や電気やガス、これらには最低限の税率もしくは税金を掛けないようにする。しかし、反対に、車や高価な装飾品などには、それこそ30%とか35%という大きな税率を掛ければよい。経済的に余裕のある国民は、高い消費税を払っても欲しいものを手に入れ、消費税を払う形で国に貢献すればよい。その代わり、相続税などを現状のように世界一高い水準に上げず、頑張れば頑張っただけ希望の光を見ることができるように良識的な線まで下げればよいのだ。消費税を沢山払いたくない人は、そういう贅沢品を買わなければよいのだ。これ以上、公平な税制はない。何も、誰も中流の人々までが、今の日本のように、シャネルを持ち、ビトンを持ち、猫も杓子も車を持ち乗り回す必要などないのだ。道交法が厳しくなり、駐車しにくくなったのだ、これだけ公共交通機関が発達している日本である。それらを利用すれば、良いだけのことだ。休日には、レンタカーを使えばよい。困った声を上げるのは、日本財界をリードするトヨタをはじめとする自動車業界など贅沢品を製造する企業だけではないか。

 実は、このような税制になっている国は非常に多い。社会保障制度が充実している北欧諸国、そして、アジアでは香港がこのような税制であり、その効果は間違いなく出ている。車は、庶民には高嶺の花になっている。しかし、最低限の生活は保障されている。そして、年取ってからの生活も保障されている。どう考えても、小泉政権が推し進めた、高齢者へも負担を増加するということでの各種控除の廃止や健康保険のカバー率の引き下げは、高齢化という時代の流れには逆行した政策である。高齢者が増えたから、負担を増やすというのではなく。高齢者が増えたからこそ、社会保障制度を今まで以上に充実させるというのが本当の政治であるはずだ。

 ただ、それには元となる財政の立て直しが必須条件である。そう考えると、増税は免れない。それならば、一律に全てを増税するのではなく、上記したような消費税制を取り入れ、所得税や相続税などの税金は据え置くか、負担を逆に軽減する方が、国民も夢を持てる。国民が夢を持てれば、頑張ることもできる。国民が頑張れれば、日本の経済も再起し、財政も上向きになるはずである。何でもかんでも増税反対ではなく、良く考慮して、日本の将来を見据えた税制改革を、国民一人一人も真剣に考える時がきているのだ。今、真剣に、税制改革を推し進めなければ、日本に将来はないことは間違いのない事実である。
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by seizaikai_club | 2006-07-27 18:37 | 経済

「政治をもっと身近に」をスローガンにして、日本人にもっと「愛国心」を喚起すべく語る。
by seizaikai_club
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政財界倶楽部代表  恩田将葉
 「政治をもっと身近に」をスローガンに、一人でも多くの日本国民が政治に関心を持ち、参加してくれるよう、執筆活動、出版活動等を通じ「愛国心」啓蒙活動をしている。国際化が進む世界の中で、日本の政治も若者の手で変革しなければならない!!

 政財界倶楽部代表恩田将葉は、 アメリカ合衆国カリフォルニア州で約9年間生活。その間、サン・フランシスコ州立大学(San Francisco State University, SFSU)国際関係学部で国際関係学と政治を学び、朝鮮半島問題専攻で卒業。その後、暫くアメリカで現地法人の会社(People Intertrade, Inc.)を経営した後帰国。帰国後は、記者と編集者を経て出版社である株式会社ぴいぷる社と株式会社政財界出版社、そして、夕刊紙「内外タイムス」を発行する株式会社内外タイムス社の社長に就任。活字業界一筋に生きてきた。現在は、経営から一歩引き、国際情勢ならびに政治を中心に、ジャンルを問わず執筆活動を継続中。プロの文士として、随筆、小説、脚本等あらゆる分野で執筆活動を展開し、文章を綴ることを天職としている。そのかたわら、日本に、嘗てのごとく「愛国人」を増やすべく、「政治をもっと身近に」をスローガンに、自ら「政財界倶楽部」を運営している。

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