政財界倶楽部         (恩田将葉見聞録)

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カテゴリ:今日の独り言( 100 )

思うこと・・・

思うこと・・・

フェイスブックはじめ、
色々なブログ・サイトで、
様々なことを思いつくままに書いているが、
一つだけ思うことがある。
色々な考え方があり、
色々な人々が集っているが、
例え生まれ育ちが違っても
国籍が違っても、
肌の色が違っても、
男でも、
女でも、
職業が違っても、
お金持ちでも
貧乏でも、
家族がある人でも
ない人でも、
思想信条が違う人でも、
皆この地球上に生を受けて暮らしている人は、
この地球今日に生きている人は、
皆兄弟姉妹のようなもの。
例え考え方が違えども、
皆仲間である。
議論するのは良いことだが、
そのことによって、
仲違いをしたり、
誹謗中傷したり、
暴力に訴えたり、
テロ行為をしてり、
いじめたり、
差別したりすることは、
決して許されない
良くないことである。
私は、
そのことを信じ生きている。
人は、
皆平等で、
公平に扱われるべき。
そうすれば、
この世は平和になるはず。
なれるはず。
そう信じて
これからも生きていきたい。
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by seizaikai_club | 2012-11-17 17:08 | 今日の独り言

エネルギー問題に関して思うこと

エネルギー問題に関して思うこと
2012年6月2日

 最近思うことがある。3.11以来、巷では原発反対と声を上げる人々が多くなった。勿論、原発が100%正しいとは言わない。だが、無条件にただ反対だけしてよいものだろうか。もっと、他のエネルギーと比較して、同時にその比較の中でそれぞれのエネルギーの可能性と短所をよく精査して、最終的な結論をだすべきであると思うようになった。確かに、原子力発電に対しての短所は多い。だが、火力発電等にだって短所はある。シーオーツーの問題然りだ。オゾンホールは、ある意味人間の力ではどうにもできない自然に起因する問題だ。そういうことも加味して、結論をだすべきではないかと思う。勿論、我々に人間への影響と安全性は最優先である。だが、その上で、太陽系に帰属する地球に生きる我々にとって、もっとも自然で適切なエネルギーを模索するべきである。そうはいっても、需要と供給のバランスもある。感情論で、何もかにも「反対」「反対」というのではなく、冷静に一歩退いて、エネルギー問題を真剣に熟考するべき時来ているのではないか。私はそんな風に思う。
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by seizaikai_club | 2012-06-02 13:48 | 今日の独り言

太陽活動と地球への影響 私が感じること

太陽活動と地球への影響 私が感じること
2012年5月22日

 まず、何故私が太陽活動に強い興味を持つようになったかをお話しなければならない。それは、昨年8月末に私に起こった脳梗塞がキッカケだ。それまで、ここ数年、私はアフリカのドゴン族に強い興味を惹かれていた。ドゴン族は、簡単に言うとシリウス星から人間が地球に降り立ったと信じているアフリカの部族である。彼等は、シリウスを神と崇め、太古の昔から色々な言い伝えを部族に伝承してきた。その彼らの伝承していたシリウスに関する内容は、科学者も驚くようなもので、ここ十数年前にその事実が科学的に天文学者によって証明されたばかりだ。その事実から、彼らが出鱈目を言っていたのではなく、正しく科学的にシリウスという星の在り様を伝承してきたことも証明された。その核を為していた内容は、何故シリウスが定期的に光を強くして輝くかということであった。このことは、長年天文学者の中でも不思議の一つとして取り上げられていた。だが、その謎を太古の昔からドゴン族は岩絵にして伝承していた。不思議としか言いようがない。そんなドゴン族の話を私は、数年前に作家仲間から聞き、実際にアフリカのドゴン族を彼が訪ねた話を聞き、大いに興味をそそられ何冊もの本を買い漁った。それらの本をここ数年読みふけり、ドゴン族や地球の起源、人間の起源に思いを馳せていた。そんな状況下、私は昨年夏に脳梗塞を患った。

 二ヵ所の脳内出血と一か所の脳梗塞で倒れた私は、右半身に不自由を覚え、全ての数字と平仮名を失った。勿論、話すこともできなかった。必死に口から発していたのは二人の子供たちの名前と英数字で暗唱するアメリカ時代の認識番号であったと担当医に回復後告げられた。この時不思議なことを多々体験した。まず、言葉は発せられないが、私の頭の中では、言葉を発し、思考もしっかりとあった。だが、それが言葉という形で口から発することができなかった。頭の中では思考し、言葉を思うのだが、口から言葉を発することは、言葉自体が思い出せず発せられなかった。矛盾した話だが、それでも頭の中では言葉を発していた。そんな状態の間、私は不思議な空間に置かれているような気分であった。当然本も読めない。だが、言葉を回復させようと考えた息子が、当時読んでいた本能寺に関しての書籍を何冊か病床に持ってきてくれた。一人になった時、必死に読もうと試みた。だが、当然読むことはできない。しかし、それでも本も見つめていると、紙面に不思議な思考の世界が広がった。言葉ではとても表せない不思議な世界だ。後にも先に経験したことのない不思議な世界だ。まるで不思議の国を彷徨っているアリスにでもなった気分であった。文字が、まるで星のようにそれぞれ違った光で輝いていた。まるで、宇宙の中を彷徨っているような不思議な感覚であった。倒れた翌々日には、自力でリハビリを始めたが、リハビリを進めるのに比例して、その不思議な世界は遠のいていった。話は違うが、言葉を失った植物人間化した人々も、多分口では表現できないが頭の中では全て解っているのであろうとその時私は感じた。話を戻す、だがこの時何故か、理由はわからないが太陽を強く意識するようになった。宇宙の中で、太陽系に帰属する地球を、そしてその地球に帰属する存在として自分を言葉では表せないが、強く意識するようになった。それは理屈ではなく、神様か仏様かのような感覚で、何故か太陽が私に語りかけてくるような感覚に近い印象であった。以来、私は、それまであまり深く興味を持ったこともなかった、太陽に深い関心を抱くようになった。その時強く感じたことは、所詮人間は地球に生を受け、その地球は太陽系に生を受け、その太陽系は太陽を中心に全てが動いているのだということであった。仏教でいえば、仏教自体が宇宙であり、太陽が大日如来で表されるようなことに類似しているのかもしれない。こんなことを言うと、何だかどこかの振興宗教と勘違いされそうだが、これは事実である。こんな体験をした私は、何だか今まで52年の人生で自分が為してきたことが、ちっぽけでつまらないことのようにさえ感じてしまった。やれ政治がなんだ、社会がなんだ、と屁理屈をいっても、この大宇宙にくらべれば、人間の存在などちっぽけなものであるように感じるようになってしまったのだ。それでも一つだけ、解ったことは、人間にとって子孫を残すこと、そして、その延長線上での育児、これが人間の生きる意味であるということだ。

 この不思議な体験を通じ、もう一つ不思議なことを感覚的に私は捉えていた。捉えたというか、何故かそう強く感じ思うようになった。それは、地球の全てが太陽の影響を受けており、その地球に住まう我々人間も大きな影響を太陽より受けているということだ。そして、その太陽の影響が、今色々な形で地球に変化を与えようとしているというようなことを感じたのだ。そして、退院後、調べていくと、今太陽は11年周期の真っ只中にあり、しかも55年周期の真っ只中にあるということであった。また、本来太陽は11年周期で活動しているにもかかわらず、その周期に大きなズレが生じているということ。そして、そのズレにともない、地球上では色々な天変地異が起こっていること。気象変化が起こっていること。その全てが太陽の影響であるということ、これらのことを何故か理屈ではなく体で感じるようになった。

 本来今11年周期のピークは一昨年であったらしい。ところが、NASAは何度かの修正の末、最終的には2013年5月にピークが訪れると予測している。これは、11年周期ではなく、13年周期に変わったような事態だ。だが、歴史を繙いてみると、13年周期の時期が、過去にも太陽にはあったことがわかった。その13年周期が起こった過去の歴史からすると、13年周期の直後、太陽活動が70年程度の極小期に入り、地球は寒冷期になっていたことがわかった。それは1645年から1715年の70年間に起こったマウンダー極小期に酷似している。この時期、地球は寒冷期に入り、歴史を繙くとロンドンのテームズ川が凍り、世界中で寒冷で雨の多い時期を送っていたことがわかる。

 このまま、今11年周期が13年周期に移行すると、その後にはマウンダー極小期に酷似した寒冷期が地球を襲うのではないかと根拠はないが私は感じている。これらのことが、気象や地球の自然活動にとどまらず、人間の経済活動にも大きな影響を及ぼすことも、歴史を繙くと理解できる。私は、経済学者でもなく、天文学者でもない。だが、太陽活動に何等かの変化が起こっていることを、身体で何故か感じてならない。幸い、今日の金環日食をみていると、大きな黒点を三つ確認することができた。そのことが何を意味するかは、私にはわからない。だが、私たち人間は、太陽系に帰属する地球に生を受けている以上、もっと太陽に関心を持ち、生きていく必要があるように思う。そうすれば、解決できない原発の問題やシーオーツーの問題、オゾンホールの問題など、色々な問題を解く鍵もみつかるのではないかと、そんな風に最近思うようになった。
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by seizaikai_club | 2012-05-22 02:09 | 今日の独り言

泳ぐように生きてみりゃ

泳ぐように生きてみりゃ
2012年3月18日

気付いてみれば、
いつ頃からか、
泳ぐように生きていた
思い起こせば、
昔はやたら手足ばたつかせ、
波に逆らい、
流れに逆らい、
溺れてばかりの日々だった
気付いてみれば、
いつの間にやら、
波乗りよろしく、
寄せ来る波に身を任せ、
泳ぐように生きていた
気付けば何とも気が楽だ
慌てず焦らず手足を無駄に動かさず、
波と流れに身を任せ
自由気儘に
波乗りよろしく生きていた
無理に波に乗らずとも
波を追いかけ齷齪(あくせく)せずとも
大波来るのを待てばいい
沈まぬように身を任せ、
波乗りよろしく前進あるのみ
泳ぎを止めれば
波から落ちて海の底
押し返されれば海の塵
難しきことなどなにもない
我欲思惑嫉妬を捨てて
ただ寄せ来る波に身を任せ
流れにのるだけ
沈まぬように
休まず泳いで生きるだけ
一生懸命泳いで生きるだけ
それが人生
楽しい人生
どうせ一度の人生だから、
楽しく明るく生きましょう
泳ぐように、
波乗りするように、
自由気儘に生きましょう
気付けば水平線に夕日が沈む
大きな赤い夕焼け空に、
一度の人生託してみよう
青空、雨空、曇り空、
夕立、夕焼け、雨上がり
虹が掛かれば言うことなし
ハワイの浜が懐かしい
泳ぐ自分はちっぽけな
大海原と大空の
ちっぽけすぎる存在だ
それでも流れに身を任せ、
泳いでいれば
今に幸せやってくる
今に大波訪れる
伝説夢みて泳いでりゃ
恐れも悩みも何処へやら
波間に浮かぶ我が身かな
泳ぐように生きてみりゃ、
案外楽しい人生だ
案外素敵な人生だ
波乗り人生絶好調
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by seizaikai_club | 2012-03-18 00:55 | 今日の独り言

子供たちの目線で見た3.11東日本大震災

子供たちの目線で見た3.11東日本大震災
2012年3月11日

 各テレビ局で、震災1年目の番組をやっている。それぞれ、考えさせられことがある。1年経って、客観的にあの日のことを冷静に振り返ることができた。それぞれの人々に、それぞれのドラマがあの日起こった。別れ、悲しみ、出会い、喜び、絆が生まれ数々のドラマが震災によって生まれた。そんな中でも、フジテレビが放送した番組が心に響いた。それは、被災した子供たちの目線による内容であった。いやドラマであった。涙が零れた。涙が止まらなかった。子供たちは、強かった。大人たちよりも強いかもしれない。思い知らされた。一言で言えば、政治家も、役人も、全ての大人たちは、どんな綺麗ごとではなく、どんなご都合主義でもなく、どんな屁理屈でもなく、子供たちの目線で震災を見て、子供たちの声に耳を傾けるべきである。子供たちは、大人たちの勝手に翻弄され、自分達ではどうにもできないけれども、彼らの目でちゃんと見て、彼らの耳でちゃんと聞き、彼らの心でちゃんと感じているのだ。この国の未来を支えてくれる彼らの目や、声や、心の声に耳を傾けずして、本当の意味での復興などあり得ない。家族を失い、心を痛めながらも、彼等は笑顔を絶やさず、一歩一歩前進している。歩みを進めている。大人は、自分達ばかりが悲しみを背負っていると思わず、子供たちの心の痛みに、思いを寄せなければならない。そのことを強く気付かされた。

 政治家は、子供たちの目線に目を向け、彼らの声に耳を傾けるべきである。彼等には、拒むこともできない。与えられた運命を黙って進まなければならないのだ。そのことを、我々大人、全ての大人は理解するべきである。さもなければ、あまりにもこの震災は悲惨なドラマしか残さない。だが、子供たちは、決して後ろ向きではない。悲しい運命を背負うことになっても、前向きに、前を向いて、一歩一歩歩みを進めている。そのこと自体、素晴らしいことでありドラマだ。これ以上のドラマはないと思えるほどのドラマだ。彼らの心は、泣いているかもしれない。でも彼等はいつも笑顔を絶やさず生きている。強い心で生きている。もの凄く強く生きている。そのことを我々大人は忘れてはならない。私は、そのことを強く思い感じた。
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by seizaikai_club | 2012-03-11 17:39 | 今日の独り言

セミナー参加

セミナー参加
2012年2月15日

 脳梗塞後、初のセミナー参加だ。というか、こちらが受ける立場でセミナーに参加したのは久しぶりかもしれない。20人弱の少数で行われたセミナーだ。某航空会社の元CA達による、セミナーであった。正直な感想を言えば、二部構成になっており、一部は国際化が進む状況下での交渉術、というような内容であった。二部目は、業績アップに必要なプレゼンテーションという内容であった。

 まず、6時半開場であったが、少々早く会場に着いてしまったので、会場の共有スペースで待っていた。6時15分に、最初の関係者がやってきた。約5分前になって、残りのスタッフが到着。すると受付デスクで、配布物を折り出した。この時点で、既に5人ほどの客が待っていた。少々お粗末だな、という第一印象。配布物は、セットにして折って持ってきてしかるべき。受付テーブルでは、参加者リストをチェックするのみ。人脈を広げるための好機にもかかわらず。だが、参加者の名刺を貰うでなく、連絡先等を記載するではなく、リストチェックのみ。名刺交換は必須ではと思う。

 また余談だが、ああいうセミナー開催の場で、親しい仲であれ、主催者が個人的な男女関係を悟られるべきではない。当たり前のことであるが、本人たちは気付かず、参加者に時として不快感を与えることもある。確かに、海外ではそういうこともフランクだ。だが、やはりビジネスの場では、ビジネス・ライクであるべきかなと思った。

 第一部が開演。国際化が進む中での交渉実ということで、色々な国の人々へ対しての交渉術の注意点等が説明された。参考になる話も多々あった。だが、どうも少々早口で忙しなかった。時間の所為もあったのであろう。それと、沢山のことを伝えてくれようとして、少々盛りだくさんになり過ぎていた感がある。起承転結がなく、あまり上手く構成されていなかった印象であった。少しでも多くの情報を、とスピーカーは観客のことを考えてのことであろうが、少々食い散らかすような状態に陥ってしまっていたように感じた。また、高い目線から話をされているようで、少々違和感があったかなとも思った。

 次にセカンド・スピーカー。なかなかスピーチも、慣れたもので上手かった。説得力もあった。アイコンタクトも、また内容も上手く無駄なく構成されていた。説得力もあった。要は、どんな営業でも、どんなモノを売るのにも、まずは自分を売り込まなければ、相手に自分に興味を持たせなければ、モノを売ることはできない、というような話であった。共感するところが非常に多かった。特に、鍋蓋販売の話は、実話らしく説得力があった。例え必要でないモノでも、自分に興味をもってもらえ、自分を売り込むことに成功すれば、買ってもらうことができる。これは、ある意味極意だ。

 最初に、自分の特徴と価値を一言で言ったら、という質問が参加者に投げかけられた。見た目で捉えた人、内面のポジティブな部分を挙げた人、そして、ネガティブな部分を挙げた人ということで、内面のポジティブな部分を表面に出すことが良いということであった。私は自分の特徴は、自由奔放。自分の価値は、型にはまらないこと、と迷うことなく言える。だが、日本のサラリーマン社会では、自由奔放や型にはまらないことというのは、必ずしもポジティブな印象とは受け取られない。なので、ネガティブな印象ということで捉えてしまった。だが、一刀両断、切り捨てられてしまった。確かに、ネガティブな印象を相手に伝えるべきではない。だが、自由奔放や型にはまらないということは、日本社会ではネガティブなことだが、国際社会ではポジティブなことと理解している。そして、これからの日本では、特に経営者としては、そのことが非常に大切なことであると自負している。まあ、ここで言い分けを言っても仕方がないが、時間もなかったし、脳梗塞後言葉を発するのに、以前とは違い少々労力を要するので、何も言わずに我慢した。結果、少々フラストレーションが残った。自分らしくない、と非常に反省した。手を挙げて、ベラベラやるのが自分流。まだ、喋ると多少障害がでるのではと躊躇してしまうことを反省した。言葉が詰まっても良いではないか。自分流で行こう、そう思った夜であった。

 結論から言えば、一部目も二部目も参考にはなった。二部目のスピーカーの内容は、息子や娘に受けさせても良いかなと思った。一部目は、交渉術で一番大切なことを忘れているように、私は思った。例え、生まれ育ちが違っても。私はそう信じて、色々な交渉事に当たっているのだが。交渉術のテクニックということに特化して捉えれば、参考になった。ただ、セミナーとしては、少々お粗末であったような気がした。今後に期待したい。これにめげずに、今後も活動して頂きたい。ありがとうございました。

 最後に、二部目のスピーカーの経歴を見てみると、CAを辞めて広告営業を経験したことを通じて、多くのことを学び体得したのだな、ということが非常に説得力あり心に響いてきた。彼女の自信は、空自信ではなく、地に足の着いた素敵な形で彼女という人間を形成しているように感じた。素敵なスピーチであった。感謝。
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by seizaikai_club | 2012-02-16 12:24 | 今日の独り言

年賀状

年賀状
2012年元旦


新年明けまして おめでとうございます。
        旧年中は大変お世話になりました。

  昨年は、3.11の大震災をはじめ、太陽の50年周期の影響か、天変地異が世界中で頻発し、波乱万丈の一年であった。個人的にも、前半は被災地取材とボランティアに明け暮れ、8月に脳梗塞と脳内出血で倒れてからの後半は、リハビリと再発防止に明け暮れた。日本は、政治も混迷を極め、市井の人々は、多くの痛みを感じなければならない厳しい状況であった。にもかかわらず、政治家はといえば、民意そっちのけで自分勝手に政争を繰り返し、被災地復興や被災者たちの声を後回しにした。政権交代を旗印に2年間民主党政権を黙って見聞したが、もう限界だ。更なる政界再編のみが、この国を救う途。大志を抱き、愛国心を大切にし、民意を等閑にせず、身を粉にしてくれる政治家のみを超党派で結集させるべきである。そのためには、我々市井の人々が声をあげることこそ肝要だ。永田町に長く巣食う垢に塗れた魑魅魍魎にはいい加減三下り半をくれてやること。この国を真から愛する政治家のみが永田町に生き残るべき。そして、それができるのは、我々有権者だけなのだ。新しい年も、宜しくお願い致します。
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by seizaikai_club | 2012-01-07 23:28 | 今日の独り言

どうしようもない大きな時代という渦

どうしようもない大きな時代という渦
2011年12月31日

私は
どうしようもない大きな時代という渦の中にいた。
それは、
サンフランシスコ州立大学にトランスファーした1984年から始まった。

  思い起こしてみると、当時自覚はなかったが、大きな時代という渦の中に、自分は身をおいていた。自分が何を為したわけでもないが、その渦の中にいて、ライブで全てを五感を通じて感じられたことは、非常にラッキーであった。そのことは、私のその後の人生、いや人生哲学に大きな影響を与えたことは間違いない。だが、あの頃は、そのことさえ気付いていなかった。灯台下暮らしということだったのかもしれない。当たり前であったが、全然当たり前でなかったのだ。人生に感謝、親に感謝、この時代に生を受けたことに感謝、そして、アメリカにあの時代に居られたこと、カリフォルニア、サンフランシスコにいられたことに深く感謝する。

  1984年、私は、それまで通っていた群立大学を卒業し、州立大学へオーナースチューデントとしてトランスファーした。勉強嫌いの私にとっては驚くべきことであった。メジャーは、ビジネス。州立大学にトランスファーした私は、直ぐにビジネスメジャーからインターナショナル・リレーションズに変更した。何故なら、世界の動きに興味をそそられたからだ。小さな学部であったが、非常に実戦的で、非常にライブ感覚に富んだ学部であった。アメリカで学ぶべきこと、日本では学べないことがそこにあるように私には感じられた。教授たちは、全員CIAの職員であった。勿論常駐ではないが、皆籍があった。学部内に、連絡事務所のようなものもあった。資料類も、全て本物が使えた。半年で賞味期限がくる、CIAが使用している世界中を見詰めることができる衛星写真も、賞味期限切れのものを自由に資料として使うことができた。南カリフォルニア大学とジョン・ホプキンス大学と我が母校のIRは、独立したスクールを形成している非常に充実した学部であった。世界の裏表が、手に取るように理解できた。全てが目新しく、全てが新鮮であった。そして、何より興味深かった。世界中から、留学生がIRに来ていた。勿論私も含めて。特に、パレスチニアンの留学生は多かった。彼等は、命懸けで留学していた。そして、彼らの考え方は非常にハードであった。本来、敵ともいえる立場の人たちを受け入れるところに、アメリカの懐の深さを感じた。やはり、アメリカの教育予算は、軍事予算に次いで大きい意味を感じた。留学生は、ある意味アメリカ資本主義、民主主義の先兵に洗脳され送り返されるのだ。勿論、全員がそうではないであろうが。

  私は、当時教授に言われ、イランを専門にして研究を進めていた。ところが、パレスチニアンの同窓生は、発表授業がある度に、私を質問攻めにし難癖をつけてきた。正直、中東情勢のことは、この学部にくるまで皆無に近い状況で知らなかった。生まれながらに育った彼等からしたら、面白くないのであろうが、だからといっても全てを否定されても困る。解らない他国の人に理解させ、説得するのが授業の目的であると私は理解していた。ところが、彼等は非常に熱くなる。結局、結果からいうと、私の英語力と中東に関しての理解力の低さが原因して、彼等は暴力的な手段で制裁を加えてきた。危険を察知した教授は、私をイランから朝鮮半島問題専門研究に変えさせた。お陰で1セミスター損をした。だが、机上では学べないことを学んだような気がした。その直後、外部教授として教鞭をとっていた「不確実性の時代」で一躍世に名を馳せたガルブレイス教授が、講演中に、同じ彼等パレスチニアン留学生に襲われた。理屈ではない、何かを感じ取った。中東問題の根の深さを肌で感じた瞬間であった。

  当時、私は気付いていなかったが、大学の勉強以外で体感できる時代の潮流の中にいたことを、スティーブ・ジョブズの死で気付かされた。自分たちの中では、当たり前のことであり特別なことではなかった。だが、それはすごいことであったのかもしれない。以前にもここで書いたことがあるが、あまり他言しないでいたのだ。だが、何度かスティーブ・ジョブズ氏とは、知り合いではないが何度も同じ空間で同じ空気を吸い、直接話を聞いたことがある。当時我が母校では、他の州立大学でも同じであったと思うが、学籍者はタダのような値段でアップルコンピューター、即ちMac 具体的に言えばMac PlusとMac SEを手に入れることができた。スティーブ・ジョブズ曰く、「君たちが大学時代にMac ユーザーになれば、卒業した君たちが、それぞれの職場でMacを使うことになる」、その話を聞かされて、何と先見性のある人なのだと感激したものだ。その代り、マック・ユーザーの集いが、毎週末スタンフォード大学のあるパラアルトなどサンフランシスコ周辺都市の大学内で行われ、そこに参加するように働きかけられた。まるで新興宗教団体の集いのような感じであった。新しい情報がお披露目され、問題点などが集まったユーザーと舞台上の技術者の間でやりとりされた。ユーザーの声も、遠慮なく吸い上げられた。必ず最後には、スティーブ・ジョブズが登場し、大騒ぎになり終わるという繰り返しであった。あの頃、全てが始まった。あの頃、今の時代の流れが始まったのだな、その渦の中にいたのだなと最近思う。そのことに、今は感謝している。

  彼は、普通の人であった。だが、何とも言えない情熱が漲っていた。常に、何かと対峙しているような熱い尖ったモノを感じた。アップル教といっても良いほど、私たちは皆熱狂していた。Macなしで、大学生活はあり得ない感じであった。図書館には、ずらりとMacがならび、それまでのタイプライターと取って代わっていた。最初の大学に入学した頃1981年には、まだコンピューターサイエンスのクラスで、コボロなどのコンピューター言語の授業やプログラミングが中心で、決して手頃なものではなかった。その以前に、まずはタイプライティングのクラスを取り、大学生活に備えたものであった。手書きはアメリカの大学ではありえない。タイピングをできないと、卒業どころか大学生活も送れなかった。お陰で、器用な日本人の私は、白人女性たちと同様に、タイピング速度と正確さで表彰された。今から考えると、あの時のタイピングの経験が、全ての原点になっているのかもしれない。

  あれから30年近くの月日が流れ去り、時代もどんどん驚くべき速さで移ろいでいる。アップルコンピューターも紆余曲折があり、落ちたり上がったりした。ライバルのウィンドーズが飛ぶ鳥を落とす勢いで、世界を席巻した。だが、リベンジ・マッチは、違った形で棲み分けをして、スティーブ・ジョブズにも軍配を上げた。ただ、この30年間、1984年に始まり、常に身近にアップル・コンピューターと共にありながら、時代を感じ続けてきたことに感謝する。今では、机の上には、化石化したMacが片隅に追いやられており、ウィンドウズのノートパソコンが、主役を演じている。だが、一度たりともMacが側から離れたことはない。子供たちへの生まれて最初のプレゼントも、二台のMacであった。息子に水色、娘に橙色。そして、新しい年、娘は高校を卒業し、長年好きで身に付けてきたPCを使いこなしデザインを学ぶ学校へと進学することになった。また、Macに、今度は娘が囲まれる運命になった。こうやって時代は、引き継がれていくのだなと実感している。時間は流れている。誰の上にも平等に。その流れは、昔に比べれば明らかに速い。まるで、ロケットで宇宙にいくような速さで、超特急で未来へ向かって疾走している。何処へ向かうのか、それは誰にもわからない。ただ一つだけわかることは、パイオニアは既に伝説になり歴史になったということだ。それでも、彼らの意志を伝え、歩みを止めることなく新たなる一歩を進め続けることだ。決して立ち止まることなく。既成概念に囚われず、新たなる改革を繰り返すことだ。
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by seizaikai_club | 2011-12-31 19:18 | 今日の独り言

慣れないスローライフ

慣れないスローライフ
2011年10月24日

 脳梗塞を患って以来、柄にもなくスローライフを実践している。ご存知のように、血圧が上がることを極力抑えなければならない。生まれて初めて血圧降下剤を服用している。今までは、血圧が高いのでと言われても、この薬飲みだせば死ぬまで服用しなければならないと、食事療法などでごまかしていた。二年前の膵炎による多臓器不全の際には、自然に血圧が下がり喜んでいた。ところが、忘れていたころに、今回の発病。気付けばやはり昔のように、上が200前後、下が110以上という驚異的な血圧を記録していた。死にたくなけりゃ、と医者に脅かされ遂に血圧降下剤を服用するようになった。調子は悪くない。だが、気候の変化や気圧に血圧は左右されるようで、季節の変わり目の今は、何だか知らないが不安定だ。

 そもそもせっかちな性質の私にとっては、このスローライフというヤツがえらく厄介だ。脳に傷があるとかで、再発防止と癲癇発作予防のため、運動も極力控えるようにと言われ、全ての運動を我慢している。食欲だけは以前同様旺盛で、散歩も出来ない状態なので脳以外の身体が悲鳴をあげている。人間の身体というのは、こういう風にしてバランスを崩していくのだなと実感している。どこかを庇い過ぎれば、どこかに支障がでる。結局はバランスが重要なのだ。死期は運命だ。死ぬ時は死ぬ、そんなことを思いながら、少しだけ行動範囲を広げている。筋肉がつるようになってしまったので、ほんの少しだけバーベルを上げてみようかなと思っている昨今である。

 車の運転も、渋滞などで血圧が上がると危険なのでと止められた。だが、歩くのダメ、車もダメ、何もダメ、かにもダメと言えば、言うのは簡単だが生活がなりたたなくなる。子供たち二人を抱えた我が身には、無理という相談だ。結局、隠れて車を運転し、仕事も少しずつ始めている。よっぽど貯金でもあるのなら別だが、人間働かずに生きてはいけない。お医者様は、私の身体を大切に思ってくれてのアドバイスをしてくれているのであろうが、そこが何ともジレンマだ。

 せっかちな私は、そもそももともとは競歩のように速足であった。短期でせっかちで、脳の為にはまったくよろしくない。私は、外見は実年齢より随分と若く元気であると自負してきた。だが、蓋を開けてみると、脳の中身、脳年齢は実年齢よりも随分と老化しているとのことだ。担当医に開口一番忠告された。「このままいけば還暦は迎えられない。脳に負担を掛け過ぎ。無理をし過ぎだ。長生きしたければ、スローライフを心掛けるように。次に起これば障害は重く、命もないだろう」そう宣告されてしまった。少々、自分でも驚いた。まさか、誰よりも若いと思っていたので、言葉が出なかった。まあ、思い起こしてみれば、二人の子供を抱えて、仕事や家事全般や、あまりにも忙しく生きてき過ぎた。だが、苦でもなかった。苦でもないと言えば嘘になる。だが、可愛い子供たちのことを考えれば、屁でもなかった。

 偉そうに、人生の第一ステージ、第二ステージを終え、子供たちの巣立ちの時が目前に迫り、人生最後のステージ、第三ステージに突入だなどと言っていた矢先の出来事だ。正直、自分自身が度肝を抜かれた。「嘘、何で?」という正直な心の声だ。これから第三の人生と思っていた矢先のことだ。人生とは、本当に一寸先は闇だ。何が起こるかわからない。二年前の大病で、神様は喝を入れてくれたのだと思っていたが、まだ教訓が必要であったようだ。だが、それでも生かしてくれた。死を迎えることもなく、障害を負うこともなく、多少言葉を失っただけで、十分リハビリで立ち直るチャンスを与えてくれた。これは、奇跡だ。感謝しなければ。まだ、死ななくていいというお告げだろう。ただ、今までとは違い、ゆっくりと地に足を付けてということなのだろう。

 最近よく思う。あまり後先考えても、死ぬときは死ぬ。それなら今この時を一生懸命生きようと。だが、身体が付いてこない。実際には付いてこないのではなく、身体をいたわらないといけない。困ったことだ。中身の精神は活き活きしているのに、身体は中古のおんぼろ状態になりつつある。参ったものだ。それでも、与えられた自分の環境の中で、精一杯頑張るしか方法はない。無理せず、騙し騙し健康に留意しながら一歩を進めなければならない。まだまだくたばるわけにはいかないからな。思えば、結局のところ、私の人生、子供たちによって意味を与えられたようなものだ。そんなことを思う、今日この頃だ。その子供たちも、巣立ちの時に向かって秒読みが始まった。スローライフといいながら、まだ秒読みだなんていっている。ダメだな俺は。(笑)
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by seizaikai_club | 2011-10-24 12:57 | 今日の独り言

脳梗塞顛末記 続々編

脳梗塞顛末記 続々編
2011年10月23日

 どうしても、直近の物事を忘れてしまう傾向は、脳梗塞後にある症状の一つかもしれない。以前だと、書くことが頭の中で構成することができていたのだが、以前同様構成するのだが、それを直ぐ忘れてしまう傾向がある。それが、ある意味、私の仕事にとっては、障害となっているかもしれない。気になっているところは、日々つける日記だ。日記の記載が、少々大変になった。その日に何があったかを忘れがちだ。

 他にも、脳梗塞以前と以後では、いくつかの違いが出ている。例えば、聴力だ。ここ数年、いや継続的な頭痛を抱えだしてから、耳が非常に遠くなっていた。テレビをつけていると、家族から非難轟轟であった。ボリュームをこれでもかというほど大きくしていた。祖母でさえ、音が大きすぎと文句を言っていたほどだ。耳が非常に聞こえ難かった。それが、脳梗塞後、普通に戻った。不思議だ。ボリューム25程度で聞いていたのが、今では普通に12から15程度で聞いている。以前だと考えられなかった、ボリューム2~5程度でも聞くことができる。不思議この上ない。

 担当医に言われ思い起こしてみると、1年以上まえから兆候がでていたはずだという。確かに、思い返してみると兆候があった。まず、兎に角継続的に左後頭部の変が非常に重く酷い頭痛が続いていた。ほとんどロキソニンを欠かすことなく常用していた。それと、3時間以上眠れなかった。寝たくとも寝れない。お蔭で、時間は有効に使えたが、熟睡ができなかった。鈍痛に頭を押し潰されそうになっていた。寝返りもうてず、ある方向に寝返りすると眩暈もしていた。車をバックで駐車すると、必ず同じ方向に車が曲がった。洗い物をしていて、コップ等を落とすことが、ここ2~3ヶ月は非常に多かった。肩こりも酷く、どうやっても解消することができなかった。上気したような症状が、今から考えると兆候であったのだろう。間違いなく、異変が起こっていたのだ。ただ、自分では、それを異変とは気付かずにいる。そんなものだ。

 だが不思議なのは、何か予感を感じていたのかもしれない。7月14日に息子がボランティアでネパールに旅立ったのだが、その前夜、息子と娘を目の前にして、万が一のことがあったらと彼らに色々な話しをして聞かせた。お蔭で、彼らは心の準備ができており、実際息子は、言われていた通りに、入院直後から迷うことなく色々と動いてくれた。これは、非常にありがたかった。多分、本能的に、自分の身体に異変が起きていることを感じ取っていたのかもしれない。不思議な話しだ。また思い出したことがあれば、書き留めることとする。

 話は変わるが、私の場合数字が全滅でひらがなもほとんど失った。だが、幸い数字とひらがなだったので、比較的早くリハビリができた。当初は、本のページを開いたら、非常に不思議な情景が見えていた。あれは面白い経験だ。不思議の国のアリス状態だ。見える言葉と見えない言葉が躍っていた。1ページ読むのに、1時間以上掛かった。グルグルとページが回っていた。私の場合は、漢字は多く残っていたので全滅した数字も漢数字に置き換えリハビリした。不思議なのは、多分記憶されている場所がそれぞれ違うのだろう、アメリカのSocial Security Numberは、不思議なことに潜在的に記憶されていたのか、うわ言のように英語で言っていた。同じ数字だが、残っていた。不思議だ。人間の身体とは、不思議なものだ。今やっていることは、以前のようにスムーズに読書できるよう、全て読書は音読にしている。これは、かなり言語障害のリハビリに大きな効果があるようだ。このお蔭で、ほぼ初対面の人には、障害を気付かれることはない。周囲の人たちにも、まったくわからないと言われる。数字に関しては、紙に書けば直ぐに計算もできるようになったのだが、暗算は全滅であった。病院では、一日何回も暗算をやってもらった。私自身では、ipadを有効利用して早いペースで数字のリハビリも為すことができた。
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by seizaikai_club | 2011-10-23 12:59 | 今日の独り言

「政治をもっと身近に」をスローガンにして、日本人にもっと「愛国心」を喚起すべく語る。
by seizaikai_club
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政財界倶楽部代表  恩田将葉
 「政治をもっと身近に」をスローガンに、一人でも多くの日本国民が政治に関心を持ち、参加してくれるよう、執筆活動、出版活動等を通じ「愛国心」啓蒙活動をしている。国際化が進む世界の中で、日本の政治も若者の手で変革しなければならない!!

 政財界倶楽部代表恩田将葉は、 アメリカ合衆国カリフォルニア州で約9年間生活。その間、サン・フランシスコ州立大学(San Francisco State University, SFSU)国際関係学部で国際関係学と政治を学び、朝鮮半島問題専攻で卒業。その後、暫くアメリカで現地法人の会社(People Intertrade, Inc.)を経営した後帰国。帰国後は、記者と編集者を経て出版社である株式会社ぴいぷる社と株式会社政財界出版社、そして、夕刊紙「内外タイムス」を発行する株式会社内外タイムス社の社長に就任。活字業界一筋に生きてきた。現在は、経営から一歩引き、国際情勢ならびに政治を中心に、ジャンルを問わず執筆活動を継続中。プロの文士として、随筆、小説、脚本等あらゆる分野で執筆活動を展開し、文章を綴ることを天職としている。そのかたわら、日本に、嘗てのごとく「愛国人」を増やすべく、「政治をもっと身近に」をスローガンに、自ら「政財界倶楽部」を運営している。

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