政財界倶楽部         (恩田将葉見聞録)

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復興への足音が聞こえ出した三度目の被災地取材

復興への足音が聞こえ出した三度目の被災地取材
2011年4月15日

 昨日、三度目の被災地取材に赴いた。被災からどういう風に変化していくかを見たく、同間隔で10日ごとに被災地を訪問している。そして、昨日は愚息を同伴した。愚息は、この3月に高等科を卒業し同学内で進学した。だが、地震の影響で、卒業に当たっての予定が大幅に変更された。彼にとって、きっとこの大震災は記憶に残る出来事であったはずと私は思った。人生に於いて、この時期の体験は一生心に残り、その後の人生を左右するようなインパクトを持つ。特に、良いことばかりでなく、このような悲惨な状況を目の当たりにすることにより、人間は心を動かすことができるようになり、大きな学びを得ることになる。そんな期待感を抱きつつ、取材に愚息を同伴することを決めた。幸い仕事仲間が賛同してくれ、快く同伴を許可してくれた。感謝する。

 愚息は、赤ん坊の頃、大きな天災を経験している。彼自身は覚えていないだろうが、18年前鹿児島を襲った水害で、海に流され多くの犠牲者をだした電車の一本前の電車に、籠に愚息を入れて私は元妻と共に乗車していたのだ。一瞬の機転で、下車後側にあったホテルの三階に避難し九死に一生を得た。あと5分遅かったら、多分流されていただろう。ホテルの三階から襲い来る大量の水を眺め、背筋に寒い物を感じた記憶は、今でもハッキリと私の身体に刻み込まれている。申し訳ない。話が逸れてしまった。東日本大震災被災地の話に戻す。

 被災地は、間違いなく一歩一歩歩みを進めている。あんなに悲惨な状況にある地獄のような津波被災地が、復興できるのであろうかと当初は心配した。正直、私自身、シャッターを押すことにも躊躇い、ペンを走らせることもできなかった。涙と嗚咽が、止めようとしても止まらなかった。それほど、酷かった。地震の被災地というよりも、嘗てスリランカの内戦取材で見た、戦場のような光景であった。だが、10日前に訪問した二回目の取材では、震災被災地で復興が進み正直驚かされた。それでも、津波被災地はまだ行方不明者の捜索段階を脱しておらず、復興には程遠いという印象を受けて帰路についた。どんよりと曇った津波被災地は、別世界のように感じた。震災被災地と津波被災地では明暗を分け、天国と地獄のようであった。勿論震災被災地の被災者たちも、悲しみや苦しみを背負っていた。しかし、津波被災地はそういう域ではなかった。正に奈落の底に突き落とされたような感じであった。そんな厳しい状況下でも、人々は落胆の色を払拭しようと必死に前を向いていたことが非常に印象的であった。人間とは何と強い存在なのだ、と驚かされた。

 そして、今回の取材で、その思いをより強く感じた。震災被災地、特に仙台市内などは、ほとんど震災前と同じ状態に戻っていた。勿論、まだまだ不自由も多々あるのだろうが、表面的には平常に戻っていた。一番驚かされたことは、この10日間で、津波被災地も復興へ向かって、前を向き大きな一歩を確実に踏み出していたことだ。もう、行方不明者捜索段階ではない。復興へ向けての動きにかわりつつあった。勿論、まだまだ瓦礫の山はある。だが、不思議なことに、気候が移ろい温かくなったことで、溜まり水が大分引いた。その結果、重機が瓦礫の荒れ野に入れるようになり、瓦礫を撤去できるようになっている。至る所に散在していた被災車が撤去され、多くの瓦礫が運び出されていた。人々も、流されずに残った数少ない家々に何とか戻ろうと汗と泥にまみれながら、必死に希望の光を追いかけていた。彼らの姿には、最初の取材で流した涙とは違う涙が零れた。本当に人間の強さを実感させられた。人間とは、如何なる状況に突き落とされても、必ず這い上がってくる。絶対に負けない強靭な精神と肉体を持っているのだな、と強く実感させられた。このことは、大きな変化の1つだと思った。

 変化という意味では、被災地の管理体制なども含め、雰囲気が大いに変わっていた。10日前の取材の際は、タクシーで乗り付ける見物人までいた。被災住民と心無い野次馬との間に、無言だが重たい空気が充満していた。だが、今回は、空気が晴々していた。それには二つの理由がある。1つは、津波被災地へ繋がる道の全てに警察の検問が置かれ、復興作業に携わるトラック、警察官、消防士、多くの自衛隊と米軍、許可されたボランティア、そして、身分証ならびに取材許可を受けている我々報道関係者以外の人間を津波被災地からシャットアウトしたことだ。そうすることで空気が大幅に変わった。もう1つは、被災者の方々の意識が、絶望から小さいながら希望に向かって動き出したことではないかと私は思った。その心の変化が非常に大きいのではと感じた。その結果、心の余裕が多少なりともできてきたのではないか。例えば、前二回の取材では見ることができなかった、献花が至る所で見られた。花を手向けるということは、小さなことに感じるが非常に大きなことであると私は思う。心の持ち様で、花を綺麗と感じられる余裕が心にできる。ということは、被災者の方々や被災地復興に携わる人々に、花を手向ける心のゆとりができてきたということである。そういう気持ちこそが、絶望感から前向きの心持ちに変わり復興の速度を速めると信じる。本当に人間とは素晴らしい力を持った生き物だ。今更ながら実感させられる。

 それにしても、水の力とは恐ろしい。津波という水の力によって、人も街も押し流され一瞬にして地獄と化した。震災後は、溜まってしまった津波による水溜りにより、瓦礫の処理を困難にし、人々を奈落の底に突き落とし涙まで枯らせてしまった。にもかかわらず、津波被災地の海岸線から眺める海は、嘘のように静かで、穏やかで、心を和ませてくれる。今回はもう、前回依然浮遊していた瓦礫など一つもない。同じ海なのに、今は美しく静かに輝いている。そんな状況下、津波によって全てを流され身内まで亡くしてしまった漁師の1人が、それでも「海は宝だ」と言った言葉が非常に印象的であった。自然は時として途轍もない大きな力で、人間を翻弄する。だが、そんな理不尽な力の犠牲になり翻弄されながらも、めげることなく前を向いて生きる人間の強さと素晴らしさを目の当たりにした三度目の取材であった。感謝。
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by seizaikai_club | 2011-04-15 09:36

自民党幹事長VS政調会長の確執は安倍首相の指導力の弱さを露呈

自民党幹事長VS政調会長の確執は安倍首相の指導力の弱さを露呈
2006年12月15日

 郵政造反議員復党問題に続き、今度は政策に於いて、再び自民党中川幹事長と中川政調会長の確執が表面化している。立場上、幹事長と政調会長は、ぶつかり合う宿命だ。だが、党首の指導力が強ければ、このようなことは起こらない。要職にあるそれぞれの議員が、自己主張ばかりを繰り返していれば、党内も、政権内も、足並みが崩れる。

 政治家とは、野心が強く、「隙あらば・・」と虎視眈々とチャンスを狙って、ライバルが躓くことを待っている海千山千である。執行部内での確執が露呈すれば、他の議員達も好き勝手をしはじめるに決まっている。そうなれば、当然のことながら、安倍政権の求心力は低下する。安倍首相にとっては、非常に頭の痛いことである。

 こういうことが起こるということは、舞台裏での根回しや調整が上手く為されておらず、充分に機能していない証拠である。ある意味、若い議員達による安倍政権の弱点かもしれない。真っ正直に、直球で勝負することは得意だが、変化球で人心を掌握するということが、あまり上手くないのではないか。こんなことが繰り返されれば、党執行部や閣僚達が、安倍首相を蔑ろにしているのではないかとさえ勘繰りたくなってしまう。だが、こういうことが幹部議員達によって繰り返されれば、どんなに頑張っていても、首相として、党首として、安倍総理の力量に問題があるのでは、と国民は思ってしまう。

 安倍総理の一日を新聞で拝読していれば、どれだけ一生懸命、精力的に、安倍総理が日々頑張っているかは読み取れる。だが、指導者とは、それだけではダメなのだ。人心を鷲掴みにするしたたかさがなければ。時には、格好良くスマートにお行儀が良いよりも、泥臭くしたたかな一面を見せることも必要なのではないか。そこのところが、安倍政権、安倍首相の弱点なのかもしれない。
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by seizaikai_club | 2006-12-15 15:18

小泉首相にとっての郵政民営化の意味 国民にとっての郵政民営化の意味

小泉首相にとっての郵政民営化の意味
国民にとっての郵政民営化の意味
2005年8月28日
http://www.seizaikai.com/seizaikai_club/index.html

 郵政民営化の是非が長きに渡って問われているが、どれだけの国民が郵政民営化の本当の意味を理解しているであろうか。非常に大きな疑問を感じざるを得ない。本来、政策論争で正々堂々と与野党が闘わなければならないにもかかわらず、最大野党である民主党をはじめとする野党各党が、郵政民営化の意味を研究し、国民に説明した上で議論を闘わせず、ワイドショー的政治手法で、足の引っ張り論争しかしなかった罪は非常に大きい。国民は、言葉尻を捕まえて揚げ足をとるような議論は聞きたくない。しかし、野党各党の多くの議員、特に民主党議員と反小泉自民党脱落議員の多くが、揚げ足取り的議論ばかりを繰り返す姿には、もう辟易とした。政策の本質を議論して欲しいものだ。

 まず、小泉首相が何故ここまで郵政民営化に固執するのか、そのことを理解しなければならない。実は、自民党員である小泉首相が郵政民営化を唱えるということは、自ら自らの肉を切り、血を流すことに等しいのである。そのことを、どれだけの国民が知っているであろうか。都市部では案外知られていないが、全国にある特定郵便局というのは、若き日の故田中角栄元首相が、自民党の集票組織として全国に張り巡らせたものなのだ。ある意味、現代的に言えばフランチャイズ方式の郵便局なのである。特定郵便局自体は民間企業と変わりない。局員の給料も各々の特定郵便局の売上から支払われている。局長が経営フランチャイザーであり社長として経営しているようなシステムなのである。しかし、不思議なのは、立場や各種優遇措置は、民間ではなく公務員と同じなのだ。そして、ここで一番注目しなければならない事実は、特定郵便局長は、特定郵便局の局長であると同時に、その地区の自民党支部長的な役割も兼務していることである。即ち選挙の際の集票地区組織代表になっているということだ。
 だからと言って特定郵便局を否定するものではない。言い方は悪いが、国から給料を頂いている100%公務員が働く郵政公社直営の郵便局に比べれば、特定郵便局のほとんどが地域に根差し、地域の人々との絆を持っている。実際に地域の利用者も、特定郵便局には親しみを持っていて、隣組的なノリで繋がっている場合が非常に多い。それだけに、選挙の際には自民党の集票活動に大きな役割を果たしてきた。日本新党による細川政権に与党の座を許し野党に甘んじた自民党が、再び与党に返り咲いた際の一番の功労組織も、特定郵便局で構成される集票組織であった。
 にもかかわらず、首相就任以前から、一貫して郵政民営化を唱える小泉首相は、どのような複雑な思いでいるのか、容易に想像がつく。このような、自民党に恩のある組織を切り捨てようとしているのだ。それは、それなりの覚悟と信念がないはずがない。大体、野党の議員達は、盛んに小泉首相の郵政民営化を避難するが、小泉首相は、今回の選挙のためや、アメリカからの外圧によって郵政民営化を言っているのではない。小泉首相は、首相に就任するよりも随分昔から郵政民営化を一人で声だかに叫んでいた。郵政民営化に関しての本も、出版しているほどにずっと以前から郵政民営化は日本の構造改革に必要不可欠と叫び続けてきた人なのである。
 小泉首相が首相に就任する直前に、新宿の厚生年金会館大ホールで行われた、「首相公選制の会」に参加した時のことであった。中曽根元首相と小泉首相がゲストとして、講演をされた。その時は、まさか小泉氏が首相になるとは思ってもいなかった。しかし、その数日後、突然小泉さんの名前が首相候補に浮上し、瞬く間に首相に就任してしまった。今でも、その「首相公選の会」で小泉さんが語られた言葉が、この人はなかなか面白い政治家かもしれないな、という印象で私の耳に残っている。「私は、自民党をぶっ壊します。そうしなければ、首相公選制も実現しない。それには、まず郵政を民営化しなければならないのです」と熱い言葉で語っていた。しかし、その時の小泉さんの言葉から理解すると、自民党が憎くてぶっ壊すのではなく、自民党のことも、日本の国のことも愛しているからこそ、一度は自民党をぶっ壊すのだ。ぶっ壊して再生しなければ、日本にも、自民党にも、明るい未来はない、というようなことを言っていた。この時の小泉首相の言葉は、非常に説得力があり、今までの既存の政治家からは一度も聞いたことのない、非常に奇抜な政治論であった。
 自民党内の反小泉派の政治家達は、義理人情を切り捨てるような小泉の政治手法は許せん、と言っている。しかし、どんなことでも、一歩先に進む時、進歩する時には、過去の柵に捕われず進まなければ成長できない。例えば、サッカーの中田選手や野球のイチローや松井を見て頂きたい。彼らは、自己の成長、より高い目標を達成するために、敢えて過去の柵や恩のある球団やリーグや恩師を切り捨て、より高いレベルの球団やリーグに移籍していくことによって、自らを大きく成長させている。そして、自らの成長が、日本のサッカーや野球を世界でも一目おかせる存在に押し上げ、サッカーと野球の発展に大きく貢献している。小泉首相が現在推し進めている、郵政民営化をはじめとする構造改革は、中田やイチローや松井がやっていることと同じようなことなのである。確かに、義理人情は等閑にすることになってしまうが、日本の国にとって良い結果を出すことでご恩返しをする、そういう西洋的な発想の元の改革なのである。よって、目先で、今目の前のことだけを見て判断するのではなく、マクロな目で、将来的に長い目で見守るということと、選挙で棄権せずに投票するということが、我々国民に課せられた大きな役目なのである。
 小泉首相は、自分の私利私欲や我欲や意地で、郵政民営化を叫んでいるのではない。身を切るような思いをしながらも、自民党の再生、そして日本という国の構造改革を成し遂げようとしているのである。その足掛かり、最初の一歩が郵政民営化なのである。

 郵政省というのは、もともと郵便事業だけしか視野にない時代に創設された省である。創設当時、まさか郵便以外に放送やらインターネットやら通信事業だなどと、莫大な金銭が動き利権が渦巻くような業種を管理する省に発展するとは、誰も予想していなかった。ところが、時代は変わり、郵便や郵便貯金にとどまることなく、時代の最先端となった放送もインターネットも通信も全て郵政省管轄の事業になった。数ある省庁の中で、これだけ大きな発展を遂げ、莫大な金銭を扱うことになり、無数の利権が渦巻くようになった省庁はないであろう。昔は、郵政省というと、数ある省庁の中でも、公務員希望者から一番人気のない省庁であった。しかし、今では、一番人気の省庁に変貌を遂げた。そのような郵政省に、誰もが馬鹿にしていた時代に、自民党の集票組織を根付かせた故田中角栄元首相という政治家の、「先見の明」には驚かされる。
 特定郵便局という集票組織は、自民党にとってはこの上のない組織である。しかし、日本の将来のことを考えれば、小泉首相が考えるように、郵政省は民営化し、色々な意味で公平な状況にもっていくことが最善なのではないか。企業や組織の力が選挙の集票活動に影響を及ぼすようなことがあっては、国民の意見が選挙で公平に反影されないことは誰の目にも明らかである。そのような不公平なシステムになっているのであれば、そのような関係を精算し民営化することが、郵政事業にとっても、日本の国にとっても、そして、自民党にとっても良いことであるはずだ。

 それでは、国民にとっての郵政民営化の意味とは何であろうか。もちろん、上記したような事柄も、国民にとって大きな意味がある。しかし、それだけではない。郵便事業ということだけをとってみても、民営化した方が良いことは一目瞭然である。ただ、全ての面で、民営化が良いという訳ではないのかもしれない。例えば、郵便貯金に関しては、今までは公社であったので、国民が安心してお金を預けておくことができた。しかし、民営化されれば、預けられたお金は株主が自由に運用することも可能になる。ということは、例えば、外資系の企業が株主になってしまえば、日本の国民が汗水流して貯金したお金が、海外に流れてしまうという可能性だってあり得るということだ。
 しかし、郵便貯金以外の部分で言えば、民営化をした方が国民にとってもプラスになる部分が多いように思う。実際問題、ドイツ、イギリス、イタリアを始め、多くの諸外国では、1980年代より民営化や自由化が為され、それなりの好結果を得ている。郵政族の荒井議員などは、アメリカだって公社のままだと盛んに言われているが、確かにアメリカは公社のままである。が、しかし、早い段階から自由化され、アメリカ国民は選択肢を得ている。その結果は、一目瞭然で、アメリカで生活したことのある人ならばわかるが、明らかに郵便よりも民間の宅配便の方が優位にたっている。皆様もよく耳にされるフェデックス(FedEx)やUPSは、民間宅配業者である。

 カナダにしても、確かに公社のままではあるが、自由化され国民にとっての選択肢が増えた。しかし、カナダの場合は、アメリカに競べると郵便の信頼度もまだまだある。ただ、スーパーマーケットでも切手を買うことができるようになったり、今まで点在していた郵便局の数が減り、その分セブンイレブンのようなコンビニエンス・ストアーの店鋪内に郵便ブースができたりと、色々な無駄が削減されつつ便利さが増幅されるような方策がとられ、非常に良い結果がでている。
 他にも、ドイツやオランダのように郵政省は民営化され、世界でも指折りの大企業として成功を収めている。どこの国の場合でも、郵政事業が民営化や自由化されても、ユニバーサル・サービスができなくなったとか、解決できない各種問題が生じたという話はない。それどころか、無駄が省かれ、それまで赤字経営で多額の税金が投入されていたが、自由化、民営化後は、そのような赤字が解消され、大きな利益を上げている例ばかりである。

 上記したように、特定郵便局は地域に根差し、比較的良いサービスを国民に提供しているような気がする。何故ならば、特定郵便局は公共機関の立場でありながら、その経営形態は民営に等しく、商売として成り立っているが故に、お客様へ対してのサービスが徹底されているからである。ところが、郵政省直営である本局に行ってみると、その様子はかなり特定郵便局とは違う。本局に行って、かなり歯痒い思いをしたり、嫌な思いをしたり、という経験を持つ国民は多いはずだ。
 例えば、窓口で長い行列ができていて、横には別の局員がいるにもかかわらず、自分の担当ではないということで見て見ぬふりをされたり、取って付けたような返答しか返ってこなかったりとか、非常に面倒臭い様子で対応されたりとか、長時間待たされたりとか、盥回しにされたりとか、大切な郵便物が破損したにもかかわらず責任転嫁されたり、と各種トラブルや嫌な思いを経験された読者も多いと思う。その度ごとに、本当に郵便局の本局で働いている人々は、働く気があるのだろうか、と大きな疑問を感じるのは私だけではないはずだ。
 野党の議員達は、郵政民営化に関し、国民の立場にたったような口ぶりでユニバーサル・サービスがどうのこうのとか、リストラがどうのこうのとか、「民」と言っているが自民党が言う「民」とは民間大企業だけだとか、色々言っている。が、しかし、一つとして説得力のある意見がない。それは何故かと言うと、彼ら彼女らが、実際に日々郵便局に通って、郵便貯金を自らの手で為したり、郵便を出したり、ということをされていないからに他ならない。されていたとしても、一般の国民とは違い、顔の知れている政治家の先生であれば、悪い対応をしてくるわけがない。それと、特定郵便局に関しては、確かに公社の傘下であり、立場は公務員であるが、実際には民営と変わらない状況で現在も運営されている訳である。よって、母体は変わってもその利便性は存続するに違いない。大体、現状でも、特定郵便局員が、公務員である必要がどこにあるのかが理解できない。
 どうも、非常に身近にある特定郵便局が、自分達の今後の身の振り方を考え戦々恐々としているが故に、そこから発せられる声が聞こえてくるので、何か郵政民営化とは非常に悪いことのように聞こえてきてしまう。が、しかし、実際には、特定郵便局に絡む小さな利権構造や郵政省自体が絡む大きな利権構造を、郵政民営化によって一掃することは、国民にとって無駄なことではない。

 問題は、いくら安価で確実に郵便が届くシステムができていても、その為に莫大な赤字が出て、その赤字の穴埋めに莫大な税金が使われていることである。それならば、民営化し、自由競争の中で、価格もサービスも競い合い、赤字の出ない形で最善のサービスを提供できるような方法を模索するべきである。それには、郵政事業の自由化と民営化しかない。そのことは、日本以外の諸外国もまったく同じ問題を抱え解決したという前例があるので、一つも躊躇う必要がある改革ではないのだ。それよりも、一日でも早く実行すべき法案なのである。読者の皆様も、郵便局でのご自分の経験を思い起こし、ご一考あれ!
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by seizaikai_club | 2005-08-28 20:38

「平和憲法」と「皇室ご公務」の意味

「平和憲法」と「皇室ご公務」の意味
天皇皇后両陛下のサイパン慰霊訪問は、平和のみを希求する日本人の心
2005年6月29日
http://www.seizaikai.com/seizaikai_club/index.html


 異例の天皇皇后両陛下によるサインパン慰霊訪問は、無事多くの人々に理解され受け入れられ終わった。今回の天皇皇后両陛下のサイパン慰霊訪問の意味は非常に大きい。戦争を知らない私の世代でさえ、あの慰霊訪問の両陛下のご様子を拝見していて、思わず胸を詰まらせてしまった。と同時に、男ながらに涙を零してしまった。それは、あのサイパンという小さな島で、尊い命を散らしていった多くの人々の悲惨な体験を想像して出る涙と、両陛下がその責任を抱きつつ頭を深々と下げていらっしゃる無垢なお姿への感動の涙であった。あの両陛下のお姿を拝見して、天皇皇后両陛下は、天皇皇后両陛下である以前に、人として素晴らしい尊敬に値する方々であるということを私は強く感じた。今回の両陛下によるサイパン慰霊訪問は、非常に意味深いものであった。

 天皇皇后両陛下をはじめ、皇室の方々のご公務の意味は非常に大きい。今回のサイパン慰霊訪問でもわかるように、政治的に行われる外交関係においては、互いの国が理解し合うことや、相手国の言い分を理解すること、そして、相手国に日本の国の思いや主張を理解してもらうことは、至難の業である。しかし、不言実行で、天皇皇后両陛下が、慰霊にサイパンを訪れると、慰霊訪問前に取りざたされていた数々の問題が、嘘のように消えうせてしまった。それは、天皇皇后両陛下の一挙手一投足が、現地の人々や他国の人々全てへ対して平等であり、慈悲深く、決して高いところからではなく、同じ高さからの目線で接せられるからである。人々は、嘗て軍国主義時代に植えつけられていた、間違った皇室のイメージの下、天皇皇后両陛下のご訪問に色々な思いを抱いていたに違いない。しかし、実際に天皇皇后両陛下がご訪問され、その本当のお姿に接して見たところ、想像していた姿とはまったく正反対で、その想像のお姿と現実のお姿のギャップがあまりに大きかった。それ故に、その分天皇皇后両陛下の深く優しいお気持に皆が感銘を受け、心の扉を開き、優しく受け入れる心になったのであろう。このことは、非常に意味の深いことである。相手に理解してもらおうと思えば、まずは自分の心を開き相手を導き入れ、次いで相手に心を開いてもらわなければはじまらない。正に、山岡鉄舟の「施無畏」の極意である。そういう意味でも、天皇皇后両陛下のご公務というものは、非常に意味深く日本の国のために不可欠な力ではないであろうか。
 どんなに力のある政治家であろうが、どんなに素晴らしい文化人であろうが、天皇皇后両陛下が日本の国のために身を粉にしてお努めされている平和希求のご公務は、誰も真似をすることはできないであろう。その証拠に、両陛下がサイパンをご訪問するギリギリまで、反対を唱えていた在サイパン韓国人会の人々も、両陛下が突然韓国人戦没者慰霊碑に立ち寄られ、しかも、段の下からご慰霊された姿を目の当たりにし、涙を流していたではないか。偽りや思惑のない無垢な姿を目の当たりにすれば、どんな人間でも感銘を受け、心を動かされるのである。
 言葉で綴るのは簡単である。しかし、実際に行動で示すことは非常に難しいことである。そして、相手がある以上、そのような行動を実現するには危険もともない、困難も幾多とある。そのような厳しい状況であっても、怯むことなく「すべてのものを受け入れる」というお言葉の通り行動される天皇皇后両陛下の勇気に感服する。と同時に、日本国民全体の平和を希求する心を一身に背負われている、という両陛下のお優しいお気持を感じざるを得ない。

 あのような両陛下のお姿を目の当たりにした多くの外国人達も、きっと心を開き、日本ならびに日本人に対して、もっと理解してみようという気になったに違いない。そのことは、難しい現在の国際情勢において、日本の立場をどれだけより良いものへと導いていることか。
 大体、日本が再び軍国主義を復活させるなどという発想自体が、実際にはナンセンスである。にもかかわらず、多くの外国人達はそう思い込んでしまい、日本に脅威を感じているという。しかし、そのような脅威は、幻想であって、現実ではない。軍国主義が復活することなど有り得ないということは、日本人にとっては当たり前のことである。だが、他国の人々がそんな幻想の脅威を抱いているのであれば、その幻想の脅威を払拭し、現実の日本を見てもらう努力をしなければならない。その一番大きな力が、今回の天皇皇后両陛下によるサイパン慰霊訪問のような、皇室による平和希求のご公務であろう。だが、我々民間人ならびに政治家の先生方も、もっと他国へ対して本当の日本、現実の日本を知ってもらうための努力をしなければならないのではないか。
 このようなことを言うと、多くの政治家の先生方は、これだけ努力しているのに、あとどのようなことをしたら気が済むというのか、と言われる。確かに、日本が軍国主義を復活させるということはないとわかっていながら、他国が外交交渉カードとしてそのようなことを盾にしているということも実際にはある。しかし、同時に、多くの外国人、とりわけアジアの近隣諸国の人々の中には、日本の「平和憲法」さえ知らない人々が多くいることも事実である。これは、ある意味、過去の日本政府ならびに政治家の先生方の怠慢としか言いようがない。
 日本の「憲法」すなわち俗に言われる「平和憲法」は、世界に例をみない「憲法」である。世界的には、さまざまな戦争廃絶の努力がなされ、フランス、イタリア、ドイツ、韓国など多くの国々の「憲法」でも、戦争放棄の規定が設けられている。しかし、これらは全て、侵略戦争の制限や放棄にとどまっている。そのような他国の「憲法」に比較すると、「個人の尊厳」を基本原理とする「日本国憲法」では、戦争への深い反省の下、二度と戦争を起こさないよう、平和主義を基本原理とし、9条1項において「戦争の放棄」を唱っている。このことは、世界的にも稀に見る平和を希求する「憲法」として、国際的にも高い評価を受けている。
 にもかかわらず、多くの外国人はそのような日本の「平和憲法」自体を知らないというのが現実である。日本国憲法9条では、形式・実質を問わず一切の戦争行為を放棄し、戦争の誘引たる武力による威嚇をも放棄しているのである。このような日本の「平和憲法」を知っていれば、「小泉首相による靖国参拝は、軍国主義の復活だ」などと理不尽なこじつけ自体が起こるはずもないことは、一目瞭然である。
 確かに、外交交渉カードとして、他国は「靖国参拝問題」を無理矢理引き合いにだしているのであるかもしれない。しかし、過去の日本政府ならびに政治家の先生方、勿論現役の政治家の先生方もが、もっとこの日本の「平和憲法」を内外問わずアピールすれば、他国がこのように「靖国参拝問題」などを外交交渉カードに使うこともできないはずである。日本人でさえ、自国の「憲法」を理解していない人間が非常に多い現在、他国にアピールしないで、どのように外国人に「日本国憲法」は戦争放棄を謳った「平和憲法」なのだと知らしめることができるであろうか。「憲法」で戦争放棄を謳っているにもかかわらず、何故靖国を参拝しただけで軍国主義復活へと結びついてしまうのか、そのことの方が不自然でありこじつけとしか思えない。そして、隣国の中国や韓国で、この日本の「平和憲法」のことがあまりに知られていないこと自体、今までの日本政府ならびに日本の政治家達の怠慢であり、大きな問題ではないのか。
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by seizaikai_club | 2005-06-29 21:13

「政治をもっと身近に」をスローガンにして、日本人にもっと「愛国心」を喚起すべく語る。
by seizaikai_club
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政財界倶楽部代表  恩田将葉
 「政治をもっと身近に」をスローガンに、一人でも多くの日本国民が政治に関心を持ち、参加してくれるよう、執筆活動、出版活動等を通じ「愛国心」啓蒙活動をしている。国際化が進む世界の中で、日本の政治も若者の手で変革しなければならない!!

 政財界倶楽部代表恩田将葉は、 アメリカ合衆国カリフォルニア州で約9年間生活。その間、サン・フランシスコ州立大学(San Francisco State University, SFSU)国際関係学部で国際関係学と政治を学び、朝鮮半島問題専攻で卒業。その後、暫くアメリカで現地法人の会社(People Intertrade, Inc.)を経営した後帰国。帰国後は、記者と編集者を経て出版社である株式会社ぴいぷる社と株式会社政財界出版社、そして、夕刊紙「内外タイムス」を発行する株式会社内外タイムス社の社長に就任。活字業界一筋に生きてきた。現在は、経営から一歩引き、国際情勢ならびに政治を中心に、ジャンルを問わず執筆活動を継続中。プロの文士として、随筆、小説、脚本等あらゆる分野で執筆活動を展開し、文章を綴ることを天職としている。そのかたわら、日本に、嘗てのごとく「愛国人」を増やすべく、「政治をもっと身近に」をスローガンに、自ら「政財界倶楽部」を運営している。

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