政財界倶楽部         (恩田将葉見聞録)

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チベット問題の経緯(4)「ダライ・ラマVSパンチェン・ラマ、そして、中国の狙い」

チベット問題の経緯(4)「ダライ・ラマVSパンチェン・ラマ、そして、中国の狙い」
2008年5月26日

 チベットが1949年中国人民解放軍に侵攻されて以来、当事者達による多種多様な思惑が渦巻き今日に至っている。その解釈の仕方も、十人十色様々だ。そのような複雑な状況下、チベット問題を理解するにあって、知っておかなければならないことがある。それは、ダライ・ラマとパンチェン・ラマの存在だ。ダライ・ラマに関しては、当代である第14世ダライ・ラマ法王がノーベル平和賞などを受賞したこともあり、世界的な知名度も高い。しかし、パンチェン・ラマに関しては、ダライ・ラマに比較すると一般的知名度は低いのが現状だ。だが、パンチェン・ラマの存在を知らなければ、チベット問題を完全に理解することはできない。何故なら、中国政府によるチベット政策にとって、このパンチェン・ラマがキー・パーソンであるからだ。よって、まずダライ・ラマとパンチェン・ラマに関して理解する必要があるのだ。

 チベットでは、ダライ・ラマ3世の頃よりずっと「ダライ・ラマ制度」が継承されている。その背景には、チベット仏教の中核をなす「輪廻転生制度」がある。チベット仏教の教えでは、全ての生きとし生けるものが輪廻転生する、と考えられている。輪廻転生とは、一時的に肉体は滅びても魂は滅びることなく永遠に継続する、という教えだ。チベット民族は、この教えを忠実に守り続けている。それが、「ダライ・ラマ制度」である。

 「ダライ・ラマ制度」は、世襲制ではない。だからといって、選挙で選ばれるわけでもない。先代の没後、次の生まれ変わりである転生霊童を探す「輪廻転生制度」である。新たに選任されたダライ・ラマは、先代が用いたすべての地位や財産を所有する事ができる。ただ、そのことが、多くの不幸を生んできたことも事実だ。何故ならば、ダライ・ラマ制度下では、どうしても新しいダライ・ラマが成人するまでの20年間が権力の空白期間になってしまう。その間、大寺院や大僧院の管長などが院政をしくことになる。そうすることによって、彼らは権力と富を得ることができる。そのことは、チベットに多くの悲劇を生んできた。9世紀から12世紀にかけて存在した全てのダライ・ラマは、成人する前に暗殺されてしまった。院政をしいている大僧正達の私利私欲の犠牲になったのだ。

 そのような状況下、ダライ・ラマ13世は、綱紀粛正により貴族や僧侶達の不正を一掃した。その13世とチベットを統一した5世のダライ・ラマを、チベットの人々は、「偉大なる」という修飾語をつけて未だに賞賛している。その第13世ダライ・ラマの教えを継承する形で当代である第14世ダライ・ラマ法王は誕生した。その後、1913年からの30年間は、第13世ダライ・ラマの綱紀粛正の甲斐があって、名実ともにチベットは独立国家として諸外国からも認められる存在となった。だが、1949年中国人民解放軍が武力侵攻してきたことで、チベットの平和は一夜にして崩れ去った。そして、紆余曲折の10年間を経て、1959年中国人民解放軍は遂に首都ラサへ武力侵攻してきた。その人民解放軍によるラサ侵攻を契機に、チベット人達の堪忍袋の緒は切れた。3月10日、遂にチベット人によるチベット民族蜂起が起こってしまったのだ。皮肉にも、この蜂起はある意味中国にとっては都合のよいこととなった。武力侵攻するための大義名分ができたのだ。同時に、中国の言いなりにならない第14世ダライ・ラマ法王を排除できる可能性ができたからだ。そのような状況下、中国側のそのような強かな思惑を読み切れなかった多くのチベット人達は、第14世ダライ・ラマ法王をインドへ亡命させる後押しをした。だが、この時、必ずしも全てのチベット人が、ダライ・ラマの亡命を、諸手を挙げて喜んだわけではなかったチベット人の中には、自分達を見捨てて自分だけ命拾いしたという風に第14世ダライ・ラマを非難する者もいた。そのような残留チベット人達のトップに立ったのが、パンチェン・ラマ10世であった。

 パンチェン・ラマとは、ダライ・ラマがチベット仏教ゲルク派のトップであるのに対し、ゲルク派のナンバー2という存在である。ただ、ダライ・ラマが宗教にとどまらず政治に対しても権力的地位があるのとは違い、パンチェン・ラマはあくまで宗教的な部分でのナンバー2である。したがって、政治的には何の権限も持たない。ただ、パンチェン・ラマには、次期ダライ・ラマの生まれ変わり転生霊童を認定する権限がある。逆に、ダライ・ラマにはパンチェン・ラマの生まれ変わり転生霊童を認定する権限がある。このことは、チベット問題を理解する上での大きなポイントとなる。

 輪廻転生とはいっても、ダライ・ラマもパンチェン・ラマも人間である。この世にあれば、煩悩に翻弄されることもある。中国人民解放軍が侵攻してきたことを契機に、それぞれの煩悩が交差したともいえる。第14世ダライ・ラマは、理由はどうあれチベットを後にしてインドに亡命してしまった。逆に、第10世パンチェン・ラマは、多くのチベット人達と共にチベットに留まった。このことが、ダライ・ラマとパンチェン・ラマの運命を大きく分け隔てた。このようなダライ・ラマとパンチェン・ラマの立場の違いを、中国政府は上手に利用しようとした。第10世パンチェン・ラマに対しては、政治的地位をチラつかせた。民を捨てて国を後にしたダライ・ラマに代わって、パンチェン・ラマを中国の思い通りになる指導者に仕立て上げようと画策したのだ。ところが、最終的にはその作戦は失敗した。中国政府に都合よく踊らされていることに気付いた第10世パンチェン・ラマは、1962年6月、中国政府による過酷なチベット政策や措置の歴史的証人となる70000語以上の請願書を提出した。ところが、この言動が、中国政府の神経を逆なでしてしまった。その結果、同年10月には、チベット工作委員会で、第10世パンチェン・ラマは自己批判を強いられた。その様子は、国営放送を通じ一般民衆の前に晒された。しかし、彼は頑なに自己批判を拒否し続けた。当然のことながら、第10世パンチェン・ラマの身柄は拘束され、自宅軟禁されてしまった。その後、第10世パンチェン・ラマは、投獄され、9年8ヶ月間にも及ぶ隔離監禁生活を強いられた。しかし、第10世パンチェン・ラマは、下獄後も反中の態度を改めず、チベット民族の権利を守るべく闘い続けた。だが、1989年1月28日、遂に力尽き果て、タシルンポ僧院で逝去した。第10世パンチェン・ラマの反骨精神は、最期の時まで衰えることはなかったという。急逝数日前に彼は、「中国支配下のチベットの『発展』など、チベット人が被った多大な破壊や苦難に比べると、物の数ではない」という言葉を残した。皮肉なことに、この年の6月天安門事件が起こり、10月には第14世ダライ・ラマ法王が、ノーベル平和賞を受賞した。だが、中国に残っているチベット民族の中には、第10世パンチェン・ラマを根強く支持する人々が今でも残っている。確かに第14世ダライ・ラマ法王が亡命直後、第10世パンチェン・ラマは、権力の魅力に目が眩んだ時期があったのかもしれない。しかし、中国政府の陰謀に気付き目を覚ました。それからは、中国国内に留まり、一貫してチベット民族の権利を守ろうとし続けた。その姿勢は、評価に値する。

 というのも、確かに、パンチェン・ラマには、政治力が与えられていなかったが、ダライ・ラマが亡命してしまった後、チベットに留まり民族の尊厳を、身体を張って守り続けた言動は、チベット民族にとっては非常に現実的であった。本来政治的権力も与えられていたにも関わらず、全てを放棄しチベット民族をも置き去りにして亡命してしまった第14世ダライ・ラマ法王に対し、不満や不信感を抱いたチベット人がいてもおかしくない。寧ろ、自然だ。いくら、亡命した先のインドで亡命政府を設立して活動しても、そのことはチベットに残ったチベット人達に直接的には反映されない。亡命後、ダライ・ラマは手の届かない天井人というイメージがより強くなり、カリスマ性ばかりの印象がより強くなった。特に、第10世パンチェン・ラマが逝去した直後にノーベル平和賞を受賞して以後は、特にそのような色合いが強まったように思われる。どちらかというと、現実味のない理想という迷路の中を彷徨っているようにさえ思えてしまう。多分、そのことは、誰よりも第14世ダライ・ラマ法王が自覚しているのであろう。だから、「独立」「分離」ではない、中道的なアプローチを続けているに違いない。

 そのような状況下、第14世ダライ・ラマ法王は、1995年に、ゲドゥン・チューキ・ニマ少年を転生霊童として第11世パンチェン・ラマに公認した。何故なら、先にも述べたように、ダライ・ラマには、次のパンチェン・ラマとなる転生霊童を探し出し任命する権限と役目がある。また、パンチェン・ラマには、次のダライ・ラマを任命する権限と役目がある。このことが、非常に大きな意味をもっている。そしてこのような状況下、任命された転生霊童は、タシルンポ寺で養育され、適切な宗教教育を受ける慣習となっている。

 第14世ダライ・ラマ法王が、ゲドゥン・チューキ・ニマ少年を転生霊童として第11世パンチェン・ラマに公認した直後の1995年5月14日、彼と両親は、中国の警察によって拘束拉致されてしまった。未だに彼らの行方は定かでない。その後、中国政府は、第14世ダライ・ラマ法王が任命した第11世パンチェン・ラマを認めず、独自に第11世パンチェン・ラマを認定した。よって、現在、事実上、2人の第11世パンチェン・ラマが存在することになっている。第14世ダライ・ラマが認定したゲドゥン・チューキ・ニマは、実質行方知れずだが。このことは、非常に大きな意味を持つ。そして、ここに中国の陰謀の秘密が隠されている。

 第14世ダライ・ラマ法王は、元気だがもう老齢である。万が一、彼の身に何かあれば、次のダライ・ラマとなる転生霊童を認定するのは、第11世パンチェン・ラマとなる。ということは、中国政府の言いなりになる第11世パンチェン・ラマを誕生させておけば、その先に、第15世ダライ・ラマを中国政府の言いなりになる転生霊童で認定することも可能になる。そうなれば、中国の思い通りに事が運ぶ。その中国の言いなりになる第15世ダライ・ラマに「中国主権」を認めさせれば、名実ともにチベットは中国のものになる。国際社会からもとやかく言われる理由もなくなる。これが、中国政府が描いている邪なシナリオだ。このことを肌で感じるチベット人達は、「第14世ダライ・ラマ法王が遷化すれば、カオス(混沌)が訪れる」と密かに恐れ戦いている。中国の狙いは、そこにあるのだ。
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by seizaikai_club | 2008-05-26 14:00 | 国際情勢
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政財界倶楽部代表  恩田将葉
 「政治をもっと身近に」をスローガンに、一人でも多くの日本国民が政治に関心を持ち、参加してくれるよう、執筆活動、出版活動等を通じ「愛国心」啓蒙活動をしている。国際化が進む世界の中で、日本の政治も若者の手で変革しなければならない!!

 政財界倶楽部代表恩田将葉は、 アメリカ合衆国カリフォルニア州で約9年間生活。その間、サン・フランシスコ州立大学(San Francisco State University, SFSU)国際関係学部で国際関係学と政治を学び、朝鮮半島問題専攻で卒業。その後、暫くアメリカで現地法人の会社(People Intertrade, Inc.)を経営した後帰国。帰国後は、記者と編集者を経て出版社である株式会社ぴいぷる社と株式会社政財界出版社、そして、夕刊紙「内外タイムス」を発行する株式会社内外タイムス社の社長に就任。活字業界一筋に生きてきた。現在は、経営から一歩引き、国際情勢ならびに政治を中心に、ジャンルを問わず執筆活動を継続中。プロの文士として、随筆、小説、脚本等あらゆる分野で執筆活動を展開し、文章を綴ることを天職としている。そのかたわら、日本に、嘗てのごとく「愛国人」を増やすべく、「政治をもっと身近に」をスローガンに、自ら「政財界倶楽部」を運営している。

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