カラスの面白い習性(2)
光りモノをこよなく愛す悪戯なカラス達
2008年5月19日
もう10年以上前の話だ。私が、離婚調停のため霞が関にある家庭裁判所に通っていた時のことである。家裁まで、私はいつも日比谷公園の中を通り抜けていた。中央の広場を抜け、日比谷図書館を左手に見ながら霞が関側の公園出口に向かう小道を歩いて、出口近くの池の手前に差し掛かると、必ず1羽のカラスが私掛ける金縁の丸眼鏡を目掛けて攻撃をしかけてきた。最初は、偶然私が通りかかり、カラスが間違えてぶつかってきたものと思っていた。ところが、どうもそういではない。何故なら、毎週同じ場所で、私はカラスに攻撃されたからだ。必ず、カラスは左上の枝から飛来し、私の丸眼鏡右側の縁を狙って急降下してくる。1日たりとも休むことなく、私がそこを通り掛かると、そのカラスは私を襲うのであった。そして、どうも私を襲うカラスは、1羽の同じカラスであるということを私は突き止めた。よくみると、カラスの表情も、1羽1羽違う。特に、嘴にそれぞれ特徴があるように私は感じた。まあ、当然といえば当然だ。人間だって、十人十色、皆違う顔をしているわけだ。犬だって、猫だって、一匹たりともまったく同じ顔をしたものはいない。カラスとて、同じことだ。
読者の皆様の中には、また随分と被害妄想が強いと思われる方もあるかもしれない。私だけではなく、他の人でもそこを通り掛かると、そのカラスは全ての人に襲い掛かっているに違いないと思われても仕方ない。私も、最初はそう思った。そこで、ある日、そこの場所が遠くから見通せる場所に行き、30分程密かに様子を見ることにした。その間、10人程の人々が、その場所を通り抜けた。しかし、そのカラスは、1人もカラスに攻撃された人はいなかった。私は、「何だ、あれはやはり偶然だったのか」と思い同じ小道を歩んで家裁に向かった。ところが、やはり私は攻撃された。この30分間、私以外1人も攻撃されなかったのに、私が通った途端、そのカラスは私を攻撃してきた。やはり、あのカラスは私を狙っているのだ、とその時確信した。
カラスは、光りものが好きだということは知っていた。また、巣作りなどに鉄製のハンガーを使ったりもするということも知っていた。きっと、私を襲うカラスは、私の金縁眼鏡の縁を、巣作りに使いたいのだなと想像した。そんなことを考えると、何だかそこの場所を通るのが億劫になっていた私にも、そこの場所を通ることが楽しくさえ感じられた。いや、そのカラスと対峙することが、楽しくさえ思えるようになっていた。
私を攻撃してくるカラスは、いつも攻撃してくる近辺で、巣作りをしているに違いないと思った私は、ある日、1本隣の広い道を通ることにした。きっと、あの小道を通らなければ、あのカラスも襲ってこないだろうと思ったのだ。ところが、例のカラスは、道を変えても、やはり私を襲ってきた。彼は、巣作りのために私の眼鏡を襲っているのではない。きっと、私の金色に光る眼鏡の縁がどうにも気に入ったか、あるいは私を気に入ったのであろう。私は、その頃既に、大人気なくむきになっていた。
渡米当初、同じようなことを経験したことがあった。ホームステーしていた家のママさんが可愛がっていた黒猫に、どういう訳か私はほれ込まれてしまった。その黒猫に四六時中追っかけ回され、夜になると私のベッドの中に忍び込んできてゴロゴロゴロゴロと求愛された。黒猫ならまだ可愛い。だが、真黒なカラスでは、どうにもこうにも話にならない。攻撃された経験のある方はわかるであろうが、あの大きくドス黒い嘴が目の前に迫ってくると、案外怖い。一瞬、ヒッチコックの映画「鳥」の主人公になった気分だ。あのカラスの嘴に突っつき殺されてしまうのではないか、と冗談のような恐怖感さえ覚えた。ただ、段々と度を重ねるごとに、少しだけそのカラスの気持が何故か伝わってきたような気がした。どうも、彼は私を嫌いで攻撃しているのではないようだ。カラスと話したわけではないので、真意はわからない。だが、彼は私か私の眼鏡に必要以上の興味を示し、あのような行動に出ているように感じた。カラスの気持が伝わるというのも可笑しな話だが、以心伝心というやつかもしれない。そう思うと、何だかその場所を通るのも嫌ではなくなり、悪戯好きなカラスが襲ってくるのも、愛嬌のようにさえ思えるようになった。本当にカラスとは、不思議な生き物だ。