「百瀬博教を偲ぶ会~永遠の不良ノート~」
2008年2月20日
故百瀬博教先生を偲ぶ会が、昨日午後12時より2時まで、青山葬儀所でしめやかに行われた。派手すぎず、百瀬先生らしい渋くて格好の良い葬儀であった。中央祭壇には、花に囲まれ斜に構えた在りし日の百瀬先生のモノクローム写真が飾られていた。その両側には、大きな液晶テレビジョンが花の中に設置され、思い出深い百瀬先生の映像が流され続けていた。幼少期から晩年までの色々な写真は、非常に興味深いものばかりであった。故石原裕次郎や石原慎太郎をはじめ、故力道山、長島茂男、アントニオ猪木ほか各界著名人達との思い出のショットが次から次へと放映されていた。格好よく、ちょっとオチャメで、どこか寂しげな一面も覗かせる百瀬先生は、永遠のガキ大将だったのかもしれない。そんな風にあらためて思った。
百瀬先生からは、色々なことを学ばせて頂いた。言葉にも、形にもならない、貴重なモノばかりだ。特別、言動で教えられたわけではない。ご一緒させて頂く度に、百瀬先生の立ち居振る舞いの全てから、「男とは」「男として」「男なら」ということを伝授して頂いたように思う。今思い起こすと、懐かしい思い出ばかりだ。祭壇で斜に構えたお洒落な百瀬先生の遺影を見つめていたら、そんな懐かしい思い出が、まるでコマ送りの活劇のように蘇ってきた。一輪のアイボリーの菊を遺影前に手向けた私は、手を合わせ「色々ご伝授頂き、ありがとうございました。感謝しております。ずっとずっと先生のことは忘れません。さようなら」と声を掛けさせて頂いた。私の胸は熱くなり、涙が込み上げ零れそうになった。その刹那、私は百瀬先生の気配を感じた。「男なら、涙を溢したら格好わるいぞ」と叱咤激励されたような気がした。私は、涙を零すことを堪えた。そんな思いを背負いながら深く一礼し、最後のお別れをした私は、発起人の方々が居並ぶ方へと歩を進めた。
歳の所為か、昨今葬儀に参列することが多くなった。嬉しくないことである。変に心を乱さぬような癖がついたのか、皆黒い喪服を着装されているからか、斎場が薄暗いからか、その理由はわからない。だが、葬儀の際、親しい間柄の方と擦れ違っても気付かぬことが多い。歳はとりたくないものだ。
百瀬先生が親しくされていた方々が、マガジンハウスの木滑氏を先頭に、イラストレーターの安西水丸さん、花田編集長、アルファキュービックの柴田会長、バーニングの周防社長、田辺エージェンシーの田辺社長、イーストの富永社長、エイベックスの松浦社長、周防監督など発起人として会葬者を送り出すため居並んでおられた。頭を下げながら進んだ私は、顔見知りの方々にも気付かず外へと導かれた。後で連れに、誰と誰がいた、と言われるまで気付かない痴態を演じてしまった。百瀬先生がご存命ならば、お叱りを受けるところであった。お詫び申し上げる。
もうこれ以上、無駄な言葉はいらない。本当に素敵な人が逝ってしまった。兎に角、心底よりご冥福をお祈り致します。ありがとうございました。合掌