選挙制度改革の必要性
2007年4月26日
今回の統一地方選挙で思ったことがある。それは、選挙制度の改革だ。何事にも完璧ということはないのであろう。現行の選挙制度も、過去紆余曲折があり辿り着いたということも記憶を呼び覚ませば理解できる。しかし、時代は流れ、変貌を遂げている。嘗ての政治と、今の政治では少々様相が違う。政治とは本来民衆の身近にあってしかるべきもの。しかし、現実はそうではなかった。それが、過去、昭和の日本政治であった。国民中心ではなく、政治家や財界人や一部特権階級的な人種が主導権を握っていたというのが本当であろう。だが、日本政治も、小泉前首相登場以降一変した。国民に主権が本当の意味で戻りつつある。
現行の選挙制度は、旧態依然とした政治家主導の時代に構築された制度である。当然のことながら違和感が出て当たり前だ。そもそも、あれだけの候補者が名乗りをあげても、正直あの限られた期間の中で誰が良いかと選択することは至難の業である。候補者は皆、必死に街頭で演説を繰り返し、宣伝カーで街中を走り回っている。だが、手を振られ目が合っただけで投票はできない。やはりそれぞれの候補者の人となりを知り、政治に対する情熱やらなにやらを感じ取れなければ、いい加減には投票できない。無所属が主流の今、嘗てのように候補者というよりも政党へ対して投票するということにも違和感を感じる昨今、あまりにも候補者に関しての情報を知る術が少なすぎる。
それは、立ち止まり長時間の街頭演説も聞きたい。しかし、全員の候補者の街頭演説を聞いていたら日が暮れてしまう。そうかといって、実際に街頭演説を聞け、触れ合うことのできた候補者だけから選んでしまうのも、何か不公平な気がする。実は、それ以外の候補者の中に素晴らしい人材がいたかもしれない、などと後悔が残りそうな気さえする。にもかかわらず、折角それぞれの候補者が作成したマニフェストを有権者の自宅へ配布したり郵送したりすることは、現行の公職選挙法では禁じられている。一々有権者が、各候補者の事務所に赴いたりして入手しなければならない。事務所がどこに所在するかも定かではない。何十人といる候補者の事務所全てを訪問することも難しい。これは如何なものか? 非常に大きな疑問を感じる。
候補者の顔が好いから選んだ、感じが良いから選んだ、という時代ではない。しっかりと各候補者の政策案を理解し、それぞれの候補者の人となり、政治に対する情熱、そして、有権者へ対しての忠誠心と国へ対する愛国心を確認した上で選択したいし、するべきである。有権者の意識も、昔とは違い、そのような方向へと向かっている。政治へ対する興味は間違いなく上がっている。それだけ、政治家へ対する目も厳しいものになりつつある。こういう状況下、旧態依然とした政党政治型選挙制度を温存する意味はない。本来であれば、今年は選挙年である。それは以前からわかっていたはずだ。今年の選挙前に、選挙制度の改正をしておくべきであった。それが、本来政治家の為すべきことであったはずだ。何事につけ、自分達の思惑と我欲で判断し動こうとするから、このように全てが後手に回るのだ。兎に角、一日も早く選挙制度改革を実現するべきであり、選挙制度改革を実現することが、有権者である国民より選ばれて政治家になった諸氏によって、唯一有権者である国民に示せる忠誠心の証であると強く思う。