ムカデの巣窟
2007年3月25日
昨日は、学期末の恒例行事、息子の通う学校で、委員による厨房の大掃除があった。以前にも何かの折に書いたと思うが、この学校の男子部では、最低月に1回の割合で、食事当番というのが回ってくる。生徒達は全国から集まり寮もある。学校自体は、東京のはずれに位置している。当然のことながら、地方生の父母は参加できないが、学校近郊、即ち東京を中心に近隣地域に居住する父母によって、子どもたちや先生方の昼食が、毎日作られる。大きな厨房で食事当番の父母が、栄養士の先生の指導のもと料理するのだ。それこそ、石川五右衛門の釜ゆでを彷彿とさせるような大釜がいくつもあり、料理というよりは、カンフー映画でよく目にする修行のような賄い作業である。お茶ひとつ沸かすにしても、市中のラーメン屋の寸胴の何倍もある大きな寸胴と格闘する、というような少々やり応えのある作業内容だ。
余談だが、女子部では、ご飯も薪を使った二つの大釜で炊く。一度、経験させてもらったが、これは非常に勉強になる。思っているよりも、薪の場合短時間で炊きあがる。一瞬の油断が、焦げを作ったり、芯のあるご飯を炊いてしまったりということになりかねない。真剣勝負である。一生懸命、火と格闘しないと美味しいご飯はたけないのである。
二年前、息子が入学した後、初めての食事当番の際は、勝手もわからぬため、まだ寒さも残っていたので、少々防寒を考えた服装で当番に臨んだ。しかし、大きな間違いであった。暑くて暑くて、汗をかきながらの作業。結局、脱水症状のようになり、折角作った昼食を、味わう余裕さえなかった。以来、真冬でも、半袖姿の上に、割烹着を纏うというスタイルが、私の中で定着した。
その厨房を、学期末と学期始めに、委員が総出で大掃除をするのだ。隅から隅まで、これでもかというほどに奇麗に掃除する。案外、力仕事である。しかし、こんな努力が代々受け継がれてきたからこそ、80年という歴史が積み重ねられてきたのであろう。そして、その結果が、国や都の重要文化財として、校舎も含め保存され続けられてきているのであろう。これ以上の宝はない。
そんな大切な厨房の外側、食材を受取り洗う洗い場の壁を洗っていたら、どこからともなく中型のムカデが現れた。私がかける水に驚き慌てて飛び出してきたらしい。ヒヨロヒョロと壁を逃げ惑うムカデ。どことなくぎこちなく、水をかけたら瞬く間に地面に落ちた。後はまるで波乗りをするがごとくに、水に流されていった。大事な厨房に、不届き千万、と憤りを覚えつつ壁掃除を続けた。すると、それどころではない騒ぎへと発展してしまった。
壁際に、嘗て食材置きに利用されていたと思われる古い木製の棚が置かれていた。既に使用されていないことは一目瞭然であった。が、しかし、そこにあるからには掃除をしなければ、と水をかけた。そこからが大変である。さっき波乗りよろしく流されたムカデの仲間とおぼしきムカデの大軍が、あふれ出てきたのだ。これでもか、という勢いで何百匹ものムカデ諸君があふれ出てきた。都会暮らしで、ムカデの姿を拝むこともめっきり少なくなった昨今、さすがの私も正直少々驚かされた。
女子部の寮に、ムカデが出るという話は娘から聞いたことがあった。しかし、男子部の方で、ムカデを見たという話を、私は聞いたことがなかった。帰宅後、息子にも訊いてみたが、息子も厨房近くでムカデを見たことはないといっていた。あんなにも大量のムカデがいるにもかかわらず、一度も目撃されたことがなかったとは、敵もさるもの、なかなかシタタカなムカデどもめ、と思いつつ水で全てのムカデを流し去った。
しかし、ムカデ達、なかなかシタタカで、流しても流しても、また舞い戻ってきてしまう。側溝に流しても、また泳いで戻ってくる。結局、木製の棚を処分し、かわいそうだが側溝に消毒液を流し、成仏してもらう作戦をとった。騒動は、治まった。幸い、戻ってくるムカデもいなくなった。
全ての作業を終わり、一部始終を反省会の場で報告した。だが、後になってよく考えてみると、あのムカデ達も、姿一つ現さず、生徒や我々に危害を加えることもなく、ひっそりとキャンパスの片隅で、生きてきたのかもしれない。たまたま、大掃除で、私が彼らの住処に水をかけたが故に、不本意ながらも私達の前に姿を現す羽目になり、結局退治されてしまった。
確かに、子供たちの日々の生活を考えると、毒を持つムカデを放置することは考えものだ。しかし、ムカデの立場になって考えてみれば、余計な御世話で、人間の勝手だったのかもしれない。一事が万事、自然界は、こんな風に、人間様のご都合主義で乱されているのかもしれない。目先の問題として、対処したことが、実は自然界の大きな長きにわたる流れにおいては、とても大きなことで、そのような人間様のご都合主義による勝手の積み重ねが、地球が病んでいる今のような状態を生みだしてしまったのかもしれない。
一匹のムカデから、何だか壮大な話へと思いが巡ってしまったが、こういう目先の小さなことを大切にしていくことの積み重ねこそが、地球を救うことに繋がるのでは、と実感させられた出来事であった。
「地球を救う」などという言い方自体が、人間の勝手な言い分なのかもしれない。「こんな地球にしたのは、他でもない人間、お前達だぞ」という地球の憤怒の叫びが、地底から轟き聞こえたような気がした。ごめんなさい。