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政財界倶楽部         (恩田将葉見聞録)

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人の心を癒す建築家フランク・ロイド・ライトの生き方

人の心を癒す建築家フランク・ロイド・ライトの生き方
2006年12月11日

 思い掛けず、素敵なドキュメンタリー映像を観ることができた。それは、旧帝国ホテルなどを設計・建築したことで日本に於いても周知の建築家、フランク・ロイド・ライトに関してのドキュメンタリーであった。建築ということに生涯を捧げた巨匠フランク・ロイド・ライトの不器用だが信念を貫き通した生き方を映し出すことにより、建築という域を超越し、人としての在り方を探求し続け、建築という方法で体現した彼の生き様の物語であった。強く心を動かされた。

 フランク・ロイド・ライト(Frank Lloyd Wright:1867年6月8日生-1959年4月9日没)は、アメリカを代表する建築家であった。近代建築の四大巨匠の一人として、ル・コルビュジェ、ミース・ファン・デル・ローエ、ヴァルター・グロビウスと並び称された。ほとんどの作品がアメリカ大陸に現存し、日本にも幾つかの貴重な作品を残している。その代表的な建築物が、現在でも愛知県の明治村に移設され残されている旧帝国ホテルや、東京都豊島区池袋に現存する自由学園明日館、兵庫県芦屋市に現存するヨドコウ迎賓館、旧甲子園ホテルで現武庫川学院甲子園会館(ライトの愛弟子遠藤新/作)などである。

 「貧富の別なく人間は豊かな住生活が保障されるべきである」という信念を実践し、人々の生活の拠点を作り続けたフランク・ロイド・ライトは、住宅建築を最も得意とし好んだ。また、「デザインとは、自然の要素を純粋に幾何学的な表現手段によって抽象することである」という彼の言葉からもわかるように、一貫して自然と建築の共存を提唱し、有機的建築を数多く残した。その代表作が、天然の滝の真上に建築したペンシルバニア州のカウフマン邸(落水荘)である。現在でも、このカウフマン邸は、近代建築の最高峰と言われている。

 だが、そんなフランク・ロイド・ライトも、多くのスキャンダルや、信念を曲げず協調性に欠ける言動から、一時は世間から見放された時期もあった。その苦難の時期も、独自の広大な敷地からなる工房にて、妻と弟子達との共同生活を営み続けた。彼の思想により、単に建築ということを学ぶのではなく、生きることの基本全て、即ち自労自治ということを実践することによって、弟子達を育てていたということがこのドキュメンタリー映像では、彼の孫や弟子達によって語られていた。世間から彼の工房は、頑固者の独裁者によるサンクチュアリー(聖域)とまで揶揄されながらも、決して彼は信念を曲げることはなかった。決して商売上手とは言えず、時としてその強情さは、人々の手を焼いたという。大抵の場合、その主導権を、施工主から奪い取り、彼が全ての主導権を握っていたともいう。だが、それだけの自信が、彼にはあった。建築予算や工費が嵩むことは当たり前。しかし、誰に媚びることもなかったという。

 このようなエピソードを見聞した時、私は一人のアメリカン・ドリーマーを思い出した。ライトとは、まったく違うタイプの人間であるが、何か共通点があるような気がした。それは、ラスベガスの産みの親と言われているバグジー(Bugsy)ことベンジャミン・シーゲル(Benjamin Siegel:1905~1947)のことであった。彼は、ニューヨークのユダヤ系マフィアであった。その彼が、西海岸制圧のためロサンジェルスにやってきた。そして、当時、まだ小さな田舎町であったラスベガスに大きな夢を抱き、一大カジノ・リゾート建設に乗り出した。当初、ニューヨークのマフィア組織から100万ドルの投資を引き出した。しかし、構想はドンドン広がり、結局600万ドルものお金を追加で引き出すことになってしまった。しかし、彼には自信があった。根拠のない自信であった。しかし、その根拠のない自信は、彼の上に天から舞い降りた、彼にとっては確信を得た自信であった。しかし、彼は、その夢半ばにして暗殺された。ところが、彼の死後ほどなくして、彼の夢は現実のものとなった。そして、今では、世界一のカジノ・リゾートにラスベガスは成長した。

 実は、このライトの映像作品の中で、当時の弟子達によって、カウフマン邸(落水荘)設計に関してのエピソードが披露されていた。弟子共々、その滝のある土地に、三ヶ月もライト達は生活していたという。ところが設計どころか、建築に関わることは何一つなしていなかったという。そんな状況下、三ヶ月目のある日、建築依頼主であるカウフマンから突然電話があり、今から三時間後にそちらに到着するので、設計図を見せて欲しいと言われたという。当然のことながら、何も手をつけず、この三ヶ月間は遊びほうけていたので、弟子達は焦ったという。ところが、ライトは、まったく焦る様子もなく、お待ちしていますので、と伝えるように弟子に言ったという。その直後、ライトは、設計用の机に向い、まるで何かがとり憑いているかのごとくに筆を走らせだしたという。それは、まさに天と繋がっているかのようでさえあったと弟子達は証言していた。そして、依頼主であるカウフマンが到着した時には、完璧な図面が出来上がっていたという。それどころか、その図面には、正確な寸借まで記載されており、この三ヶ月間で、ライトが遊んでいるようでありながら、滝をはじめ周囲の自然を全て熟知していたことに、弟子達は驚嘆したとも語っていた。しかし、多くの建築家は、その図面を見て、こんな幻想のような図面が現実にできるわけがない、また出来たとしても、直ぐに崩壊してしまうに違いない、と罵倒したという。だが、細部にまで計算されつくされたその図面に基づき、滝の上に建てられたその家は、今でも現存し、世界中の建築物の最高峰と称されている。まったく生き方も、タイプも違うライトとバグジーであるが、何故か私はこの二人のことがダブって見えてしまった。

 上記したカウフマン邸からもわかるように、ライトの建築物は意表をついていた。誰もが、信じがたい作品であった。しかし、彼には、根拠のない自信があった。だが、その根拠のない自信は、彼の中で確固たる自信へと変化するのであった。それは、綿密なる計算によって、確固たる自信へと変化するのであった。だが、その綿密なる計算が、神がかり的であったのだ。何故なら、それは理屈では有り得ないような形態であっても、彼の頭の中で計算されたものは、理屈にあてはまってしまうからであった。ある時など、柱の構造形体が特殊で、耐久性と建築基準に問題があるという役人に対し、ライトは激怒した。木っ端役人達にプライドを傷付けられ激怒したライトは、柱の一本に耐久基準の十倍もある堆積物を載せ、役人の目の前でその安全性を実証して見せたという。それほど、彼はプライドが高かった。しかし、そのプライドは、実力と自信に裏づけされた確かなものであった。また、こんなエピソードもある。

 帝国ホテルを建築し、池袋の自由学園明日館を完成させアメリカへ帰国したライトのもとへ、二年後ある知らせが届いた。それは、関東地方に大地震が発生した、という知らせであった。関東大震災である。その一報を伝えた弟子は、ライトが落胆すると思っていた。ところが、ニコニコしながらライトはこう言ったという。「大丈夫。関東には、二棟だけ倒壊しない建物が残るはずだ。それは、帝国ホテルとMr. & Mrs.羽仁の自由学園明日館だよ」そのいずれも、ライトが設計し建築した建物であった。まだ、建築して二年しかたっていなかった。その言葉を聞いた弟子達は驚いたという。しかし、数日後に、更に驚かされたという。それは、日本から連絡があり、どちらの建物もまったくの無傷で矍鑠とした勇姿を保っている、ということを知ったからだという。この時のライトの自信には、多くの人間が驚嘆したという。自然と協調する建築を極めたライトだからこそ、天災を相手にしても、彼の自信は揺らぐことがなかったのであろう。

 このドキュメンタリー作品の最後に、孫の一人が、涙ながらに語っていた。あれだけのカリスマ的存在であった祖父フランク・ロイド・ライトだが、彼の屍は生前の気骨高い祖父とは比べ物にならぬほど小さく、ただの抜け殻でしかなかった。祖父の矍鑠とした立居振舞は、彼の精神によって醸し出されていたカリスマ性であったことを知った、とその孫は感慨深げに回想していた。「あなたが本当に信じることは、いつでも実際に起きる。それを信じる心がそうさせるのである」と、ライトは言っていたという。この言葉こそ、彼の信念の柱であり、彼を建築界のカリスマとして生き抜かせたのであろう。

 フランク・ロイド・ライトが残したどの建物も、自然に調和している。いや、根付いているといった方が正確かもしれない。外観を眺めていても、建物の中から窓越しに外の自然を眺めていても、心が洗われ癒やされる。本当に不思議である。本物の建築物である証ではないか。私は、そう思う。
by seizaikai_club | 2006-12-13 06:48 | 今日の独り言
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「政治をもっと身近に」をスローガンにして、日本人にもっと「愛国心」を喚起すべく語る。
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政財界倶楽部代表  恩田将葉
 「政治をもっと身近に」をスローガンに、一人でも多くの日本国民が政治に関心を持ち、参加してくれるよう、執筆活動、出版活動等を通じ「愛国心」啓蒙活動をしている。国際化が進む世界の中で、日本の政治も若者の手で変革しなければならない!!

 政財界倶楽部代表恩田将葉は、 アメリカ合衆国カリフォルニア州で約9年間生活。その間、サン・フランシスコ州立大学(San Francisco State University, SFSU)国際関係学部で国際関係学と政治を学び、朝鮮半島問題専攻で卒業。その後、暫くアメリカで現地法人の会社(People Intertrade, Inc.)を経営した後帰国。帰国後は、記者と編集者を経て出版社である株式会社ぴいぷる社と株式会社政財界出版社、そして、夕刊紙「内外タイムス」を発行する株式会社内外タイムス社の社長に就任。活字業界一筋に生きてきた。現在は、経営から一歩引き、国際情勢ならびに政治を中心に、ジャンルを問わず執筆活動を継続中。プロの文士として、随筆、小説、脚本等あらゆる分野で執筆活動を展開し、文章を綴ることを天職としている。そのかたわら、日本に、嘗てのごとく「愛国人」を増やすべく、「政治をもっと身近に」をスローガンに、自ら「政財界倶楽部」を運営している。

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