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政財界倶楽部         (恩田将葉見聞録)

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キャピトル東急ホテルがこの時期に閉店した本当の理由

キャピトル東急ホテルがこの時期に閉店した本当の理由
2006年12月4日

 永田町の国会議事堂や議員会館の裏手山王日枝神社隣に位置し、数々の戦後史の舞台となったキャピトル東急ホテルが、先月11月30日をもって約50年の歴史に幕を閉じた。東京オリンピックを機に開店し、本格的なアメリカ式ホテルとして、数ある東京のホテル群のトップに位置し続けた。昨今、乱立しだしたお洒落で近代的な外資系ホテルや、オークラ・ホテル、帝国ホテル、ニューオータニ・ホテルなどの老舗ホテルが、設備なども進化させ続け居住空間を充実させている状況下、必ずしもキャピトル東急ホテルは魅力的な真新しい建物でもなく、立地がとび抜けよいわけでもない。にもかかわらず、多くの著名人に惜しまれつつ閉店を迎えた。果たして、その理由は一体何であったのだろうか?

 キャピトル東急ホテルの隣接地には、嘗て山王ホテルが建っていた。戦後は、米軍に接収され、米軍専用の治外法権が適用されるホテルとなっていた。その建物は、嘗て二・二六事件が勃発したビルでもあった。今は、その山王ホテルも天現寺に移転し近代的な米軍専用ホテルに生まれ変わっている。勿論、今でも大使館と同じく治外法権下にある。

 このように、キャピトル東急ホテルが建っている場所は、歴史的にも非常に意味深い場所であった。開店当初は、やはりアメリカと所縁の深い、というかアメリカのホテル・チェーンであるヒルトン・ホテルであった。新宿副都心に新しいヒルトン・ホテルが建設されたことを機に、東急へ売却されキャピトル東急ホテルと名称を変えた。しかし、そのサービスは、閉店を迎えるまでしっかりと引き継がれた。アメリカ仕込みの充実したサービスと日本人らしい木目細かく繊細なサービスが融合されていたが故に、多くの著名人がリピーターとなっていた。ビートルズが滞在したことで、一躍周知のホテルとなった。その後も、マイケル・ジャクソンをはじめエリック・クラプトン、オードリー・ヘップバーン、ペ・ヨンジュンなど、多くのエンターテーナーが、リピーター客として幾度となくキャピトル東急ホテルを訪れた。

 国会議事堂と議員会館裏手ということもあり、多くの政治家達もキャピトル東急ホテルを利用した。日本の戦後政治になくてはならない裏舞台でもあった。キャピトル東急ホテルを囲んで、パレロワイヤル、十全ビル、TBRビルと、3棟のマンション型オフィース・ビルが建ち並ぶ。これらの3棟のビルには、時の永田町を闊歩する有力政治家たちが、いつの時代も私設事務所を構えている。そして、彼らは、目と鼻の先であるキャピトル東急ホテルを、自分達の応接室のように使ってきた。時には密談、時には密会、時には隠れ家として、キャピトル東急ホテルは、裏昭和史を目の当たりにしてきたホテルでもあった。瀬島龍三などは、キャピトル東急ホテルの一室に事務所を構えていたほどである。

 弊社も先代の時代には、パレロワイヤルに事務所を構え、毎年、キャピトル東急ホテルの、あのビートルズが記者会見をした宴会場で盛大なパーティーを催していた。嘗て、政治家達は、キャピトル東急ホテルを中心に永田町を蠢いていた。古き良き時代ともいえるのかもしれない。

 メイン・ロビーから宴会場ロビーに階段を降りる途中の階に、ホテル直営の有名な中国料理店「星ヶ岡」があった。値段も一流であったが、料理もサービスも一流であった。必ず誰かしら、有名人が客として訪れていた。また、メイン・ロビー横の「おりがみ」も、気楽なカフェ・レストランでありながら、しっかりとした料理を出してくれた。ラーメンからステーキまで幅広く、自家製ケーキをはじめデザートまで手抜きは一つもないサービスであった。サービスも、メイン・ロビーに限らず宴会場ロビーのドア・マンまで徹底していた。常連客の顔を覚えるのは当たり前。弊社先代なども、非常に親しくさせて頂き、色々と無理を聞いてもらっていたようだ。

 昨日の読売新聞朝刊にも囲み記事で掲載されていたが、地下の駐車場から宴会場ロビー階へと繋がる階段横にエレベーターがあり、その前に「村儀理容室」という理髪店があった。各界著名人が散髪しにくることで有名なところだ。料金も、街中の理髪店に比較すると格段に高いのだが、そのサービスも格段である。キャピトル東急ホテル、新宿ヒルトン・ホテル、そして、アメリカ大使館に支店を持つ凄い理髪店だ。以前、新宿のヒルトン・ホテル地下にある支店で散髪した際、各支店長の父親である社長がおり、散髪している間、色々な話を聞かせてくれた。その社長は、散髪をしていると、それぞれの客の性格や特徴がわかると言っていた。そんな興味深い話の中で、こんなことを言っていたことを思い出した。「小泉首相は頑固で、絶対にこちらの言うことを聞いてくれないんですよ。ご自分の思う通りにしないとダメなんですね。あのライオンのタテガミみたいな髪型も、私は最初可笑しいなと思って、違う髪形をお勧めしたのですが、頑としてお聞きになってくださらなかった。お客様がそうおっしゃるのだから、仕方がないと思いながら散髪していたんですよ。でもね、月日が経ってみれば、あの髪型が小泉首相のシンボルになって、不思議と違和感がなくなっていたんですよね。さすがだな、と思いましたよ」何事も極めれば、人の心理や心の内まで見透かすことができるようになるのだな、と私は感心しながらその社長の話を聞いていたことが蘇った。

 前置きが随分と長くなってしまった。そろそろ本題に入ろう。さて、何故、そのように多くの人々に惜しまれつつも、キャピトル東急ホテルは閉店という決断を下したのか? 不思議に思っている人々も多いはずだ。テレビなどの報道では、東京のホテル事情が影響しているとか、一般受けするホテルではなく一部の人々に持て囃されてきたホテルなので経営が大変であったとか、永田町が様変わりし昔のように懐の深い政治家が少なくなり政治家の利用頻度が激減したからとか、色々な理由が説明されていた。確かに、どの説明も、一理あるであろう。しかし、一番の理由ではない。報道されていた通り、大規模地域再開発計画があるらしい。それは本当の話だ。それでは、何故、今この時期に、歴史的な意味も非常に深いあの場所が、突然、人の流れからも少々離れているにも関わらず、大規模再開発されなければならないのか? 不思議に思っている人々も多いはずだ。もっともだ。

 この大規模再開発がいつ頃から計画されたかを検証してみれば、その理由は一目瞭然である。ご存知のように、今年、一新された近代的な首相官邸が完成し、退任間近い小泉前首相も、新しい首相官邸へ引っ越したことは、皆様の記憶にも新しいはずである。キャピトル東急ホテル周辺を散策されると、新しい首相官邸が完成する以前と以後では、まったく別世界のように地域全体が様変わりしたことに気付かれるはずだ。道路も整備され、それまで一方通行であった道路も両面通行になり便利になった。地域全体生まれ変わった。ガラス張りで、少々フランスの近代的建造物を連想させるような瀟洒な首相官邸の建物を中心に、近未来都市化することを模索しているかのようにさえみえる。そのような地域環境の変化の中、古い佇まいを残すキャピトル東急ホテルは、正直浮いていた。しかし、そんな理由で、再開発とキャピトル東急ホテルの取り壊しが推し進められたのではない。

 首相官邸側に面したキャピトル東急ホテルの部屋に入ってみると、その理由は誰の目にも明らかだ。客室の窓に設置された障子を開け、窓の外を眺めてみると、真新しいガラス張りの首相官邸が目の前に広がっている。部屋によっては首相官邸を見下ろす位置関係にさえなっている。これが、一番の理由である。新首相官邸の危機管理対策が一番の理由である。危機管理を専門に学んでいる人間でなくとも、新首相官邸の危機管理上のウィークポイントというか鬼門が、官邸と面しているキャピトル東急ホテルの客室であることは、誰の目にも明らかであった。もし、万が一、テロリストが、官邸に面した側の部屋に宿泊し、ロケット砲でも持ち込み、窓から官邸へ向かってそのロケット砲を発射すれば、百発百中で命中し、大きな打撃を与えることができてしまう。キャピトル東急ホテルの官邸に面した部屋からであれば、命中させないことの方が難しい。そのくらい距離的にも近い。このことが、キャピトル東急ホテル取り壊しの一番の理由である。少々、勿体ない気がしてならないが、あそこに新しい首相官邸ができてしまった以上、仕方のないことなのかもしれない。それにしても、西欧諸国では、古き良きものを維持することを最優先にする傾向があるにもかかわらず、どうも日本を含めアジア諸国では、古いものを平気で壊し近代化してしまう傾向があるような気がしてならない。古きものを尊ぶ日本人の心は何処にいってしまったのか。少々淋しい気がしているのは、私だけではないはずだ。
by seizaikai_club | 2006-12-04 15:50 | 政治
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「政治をもっと身近に」をスローガンにして、日本人にもっと「愛国心」を喚起すべく語る。
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政財界倶楽部代表  恩田将葉
 「政治をもっと身近に」をスローガンに、一人でも多くの日本国民が政治に関心を持ち、参加してくれるよう、執筆活動、出版活動等を通じ「愛国心」啓蒙活動をしている。国際化が進む世界の中で、日本の政治も若者の手で変革しなければならない!!

 政財界倶楽部代表恩田将葉は、 アメリカ合衆国カリフォルニア州で約9年間生活。その間、サン・フランシスコ州立大学(San Francisco State University, SFSU)国際関係学部で国際関係学と政治を学び、朝鮮半島問題専攻で卒業。その後、暫くアメリカで現地法人の会社(People Intertrade, Inc.)を経営した後帰国。帰国後は、記者と編集者を経て出版社である株式会社ぴいぷる社と株式会社政財界出版社、そして、夕刊紙「内外タイムス」を発行する株式会社内外タイムス社の社長に就任。活字業界一筋に生きてきた。現在は、経営から一歩引き、国際情勢ならびに政治を中心に、ジャンルを問わず執筆活動を継続中。プロの文士として、随筆、小説、脚本等あらゆる分野で執筆活動を展開し、文章を綴ることを天職としている。そのかたわら、日本に、嘗てのごとく「愛国人」を増やすべく、「政治をもっと身近に」をスローガンに、自ら「政財界倶楽部」を運営している。

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