政財界倶楽部         (恩田将葉見聞録)

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造反議員の復党問題に揺れる自民党

造反議員の復党問題に揺れる自民党
2006年10月27日

 昨年、小泉政権下、郵政改革解散による総選挙の際、郵政改革法案反対を表明し票を投じなかった衆参両院の50名の自民党議員の内、27名が造反議員というレッテルを貼られ自民党を追い出された。総選挙では、多くの造反組議員が落選し議席さえ失うということになった。まだ記憶に新しい。あの選挙と造反議員の処分は、小泉構造改革の大きな節目となる出来事であった。

 小泉元総理は、就任直前より、「自民党をぶっ壊す」と声高らかに訴えていた。それは、何も、彼が自民党を憎んでいるわけでも、自画自賛の我儘で言っているのでもなかった。戦後の日本政治は、自民党によるほぼ一党独裁政権と言っても過言ではなかった。独裁というと聞こえが悪いが、圧倒的な議席数を確保し続けた自民党が、実質永田町を、国会議事堂を、そして、与党という座を独占してきた歴史であった。確かに、その間、村山連立内閣や細川内閣の時のように、自民党が野党に下ったということもあった。しかし、そのような際も、直ぐに取って代わって自民党は与党の座に返り咲いた。それは、自民党には、強力な集票システムがあったからだ。故田中角栄によって全国に構築された特定郵便局は、実質地域の自民党支部のような役割を果たしていた。そうやって、特定郵便局以外にも組織票を確保することによって、戦後政治に自民党は君臨し続けた。しかし、そのことによる政治的デメリットも大きかった。

 本来、政治というものは、我が「政財界倶楽部」のスローガンでも謳っているように、国民の身近にあるべきものである。勿論、政治家に惚れ込んで投票する、という有権者も多くいるであろう。しかし、基本は、その時々の政策を見聞し、それぞれの有権者の考えに一番近い政治家や政党に投票する、という形が健全なスタイルであることは衆知の事実である。ところが、集票マシン自民党が君臨した日本の戦後政治では、政策論争は二の次であり、如何に集票するかということが優先された。その気運は、永田町に巣食う政治家に留まらず、国民にまで伝播していた。結果、党派は、政策論争の上に成り立つのではなく、党首や派閥の長に帰属するような、不健全な形態を当たり前のように継承し続けてきてしまった。例え、政策案では賛成できなくとも、自分の所属する派閥の長が右と言えば右を向かなければならず、左と言えば左を向かなければならなかった。派閥の長が、白といえば、黒と言いたくとも白と言わなければならなかった。これでは、派閥の意味を成さない。派閥は、政策を下に成されるものではなく、集票のためにのみなされるようになってしまっていた。

 だからと言って、派閥を否定するものではない。十人十色、人の価値観も思考回路も、皆違う。育ちも、環境も違うところから、永田町、国会に集められた政治家達である。意見を異にしても、まったく不思議ではない。よって、派閥というものが誕生することの方が自然である。ただ、戦後政治の問題は、その派閥を集票のために利用したというところにある。だから、小泉前総理は「自民党をぶっ壊す」と叫んだのだ。彼は、時代を読む洞察力に長けていた。その彼が、このまま派閥政治を続ければ、自民党は潰れると判断したのだ。よって、小泉前総理の「自民党をぶっ壊す」という叫びは、「自民党を愛してる」という叫びであり、「この国日本を愛してる」という雄叫びであったのだ。

 小泉前総理の発想だと、多分、派閥は、政策案件ごとに自然発生する分にはよろしいが、集票目的での徒党としての派閥は必要ない、ということであったのであろう。私は、そのように理解している。その証拠に、小泉前総理は、異例の解散総選挙を電撃的に強行した。

 解散総選挙というのは、総理大臣にとっては伝家の宝刀である。しかし、その伝家の宝刀は、総理の一存では抜けぬように戦後の自民党による派閥政治は、総理大臣に大きな足枷をしていた。実質、総理大臣というのは自民党による傀儡政権の先導役といっても過言ではなかった。それを、腹心である武部氏を官房長官に据えることで、自民党の旧態依然とした悪習を無視して、解散総選挙という伝家の宝刀を抜いたのだ。そして、その総選挙は、集票のための選挙ではなく、郵政改革という政策を国民に問うための選挙として行ったのだ。ある意味、小泉構造改革の集大成と言っても過言ではない選挙であった。また、自民党にとっても、日本国にとっても、そして、日本の政治にとっても、大きな転換点となった選挙であった。そのことは、後世、歴史が証明するであろう。

 そして、小泉前首相によって堰を切った大きな時代の流れの中で、安倍総理は誕生した。戦後生まれの初の総理として。その安倍総理も、思っていたよりもなかなかしたたかで、強運の政治家であった。就任直後に、訪中、訪韓を実現し、示し合わせたように北朝鮮は核実験を強行した。政治家というのは、大変な問題が山積された方が、活動が顕著に国民の目に晒され、その結果、「頑張っているではないか」という国民の共感を得ることができるものである。そのことは、今回の補欠選挙の結果が証明している。また、北朝鮮問題は、安倍総理の一番得意とするというか、力を入れていた問題である。その北朝鮮の問題が、これだけ緊張感を帯び、安全保障という意味でも、これだけの緊張感が北東アジア地区に広がるということは、安倍首相にとっても、来年の参議員選挙を控える自民党にとっても、非常に有利に働くことは間違いない。

 ただ、この復党問題をどのように対処するかで、国民を引き付けることにもなり、逆に離反させることにもなりかねない。

 小泉前首相が血の出る思いで成した構造改革。その構造改革の柱となった選挙に纏わる後遺症的な問題が、この造反議員の復党問題である。本来であれば、問答無用で、復党など有り得ない話であるはずだ。当然のことながら、政策案で意見を同じくすれば、個別にはその政策に基づき復党ということも有り得て当たり前である。だが、政策意見は等閑にして、ただ参議員選挙のために全ての造反議員を復党させる、などということをしてしまえば、間違いなくここまで順調に掴んできた国民の思いを離反させることは間違いない。

 そもそも、このようなドロドロしたことをもう止めようではないか、という発想の下小泉前首相がなしたことではないか。それを、政権が変わったからとあっさりと、全ての造反議員を復党させるなどという発想自体が可笑しい。有権者である国民を馬鹿にした話である。それぞれの造反議員が個別に自民党と政策論を闘わせ、意見の合意をみたら復党の可能性を模索すればよいことである。にもかかわらず、昨日の野田女史などは、「復党問題は、平沼氏に一任しているので」などと、時代の流れに逆行するような、国民を再度馬鹿にしたような発言を抜けぬけと繰り返している。本当に心ある政治家であるならば、偉そうに他の政治家に一任などせずに、それぞれの造反議員が個別に自民党と話をすれば良いのである。いや、そうすべきであり、それしか国民は納得しない。十把一絡げのように、平沼氏を先頭にたて、他の造反議員は後ろで控えて後に続くなど、もってのほかであるし、それでは時代への逆行でしかない。大体、平沼氏以外の造反議員は、政治家でありながら自分の意見も主張もないというのか? 自分一人では、自民党と政策意見調整すらできないというのか? もし、そうであるならば、そんな政治家はいらない。そんなだらしのない、自分自身の主張も持てない政治家を国民は望んでもいないし、日本には必要ない。有権者を馬鹿にするのもいい加減にして頂きたい。

 それでは、そのような状況下、何故、あの主義主張をしっかりと貫き通すことのできる安倍総理が、この造反議員復党問題では、歯切れの悪いことをしているのか? 答えは簡単である。彼の意識としては、小泉構造改革の一環である造反議員に対する復党問題の答えは決まっている。政策が違うのであれば復党を認めないのは当たり前、という考え方なのだ。ただ、安倍総理はじめ党内の執行部は、来年の参議員選挙を視野に入れ、平沼赳夫議員だけは復党させたい、と思っているのだ。そのように思っている党内の議員は多い。何故ならば、現状、民主党はハッキリ言ってしまえばまだまだ力不足である。嘗ては、小沢一郎も総理の器ではと期待された時期もあった。しかし、彼は時代を掴まえ損ねた。もう、時代遅れである。もう、時代が違ってしまった。小泉政権の5年間で、小沢一郎を必要としていた時代は過去のものになってしまったのだ。このような状況下、民主党内を見回してみても、「政権交代」などと目標設定だけは大袈裟にしているが、人事的にいっても、能力的にいっても、政権を交代して総理になれるような逸材が見当たらないというのが現状である。当然のことながら、そんな民主党が、無所属で浪人している平沼赳夫氏をほっておくわけがない。そのことを、安倍総理も、彼の党内の側近達も恐れている。よって、復党問題は、実は、平沼氏に続く全ての造反議員の問題ではないのだ。平沼氏以外の造反議員は、ただのオマケに過ぎない。にもかかわらず、野田女史があのような発言をすれば、自ら自分達はオマケでしかない、と世間に吹聴しているようなもので、まったくもって政治家としての資質を疑いたくなる珍事である。結局は、政治家ではなく、政治屋でしかない、というボロを出したということではないか。

 それでは、何故、平沼赳夫氏のみが、そんなにも持て囃されるのか? この答えも簡単である。平沼氏は、離党する前はポスト小泉の最有力候補であった。彼は、亀井派で、亀井静香の弟分のように振る舞い、肩で風を切って永田町を闊歩していた。何故なら、案外平沼氏というのは信念の人なのである。それでいて、柔軟性もあり、政治家としての資質は、そんなに低くない人なのだ。そんな柔軟性が、小泉訪朝後の拉致問題では、意見を二転三転させ、風見鶏などといって揶揄されることにもなったのだが。別に、彼が風見鶏だからではなく、ある意味、年甲斐もなく素直な人、ということなのだ。いや、気性と言った方が、正しいかもしれない。

 もともと、彼は、青嵐会の一員であった故中川一郎の秘書であった。当時、第一秘書に、鈴木宗男がいた。青嵐会といえば、石原慎太郎や中川一郎、浜田幸一や中尾栄一など、一本気で気性が激しく、愛国心の人一倍強い政治家達によって成された会であった。当時、永田町でも、青嵐会は恐れられた。正道をまっしぐらに突っ走る、現代の獅子のようとさえ言われたほどであった。しかし、どういうわけか、故中川一郎氏だけは、非業の死を遂げてしまった。青嵐会の血判状に名を連ねる政治家は、誰をとっても大器で豪傑であった。にもかかわらず、故中川一郎氏が非業の死を遂げたことは、永田町に大きな波紋を広げた。現在の政調会長中川昭一氏は、その故中川一郎氏の実子である。平沼氏は、その故中川一郎氏の秘書を経て政治家になった。政界入りしてからは、故中川氏の人脈を通じ、着々と平沼氏自身の人脈を広げ、離党するまでは、自民党内でもそれなりの位置にあった。

 もし、平沼氏が復党せずに、民主党に合流すれば、彼が総理対抗馬として浮上することは間違いない。上記したような政治力だけでなく、彼の血筋も、安倍総理と対抗するだけの経歴なのである。養父は、元内閣総理大臣故平沼騏一郎男爵。義父は、第15代徳川慶喜将軍の直系孫である故徳川慶光公爵。貴族院議員であった。平沼赳夫氏自身、自民党時代に、既に4度の大臣経験がある。年齢的にいっても、昭和14年(1939年)8月3日生まれの67歳。政治家として、一番脂が乗り切っている時期である。安倍総理はじめ、自民党執行部が、平沼氏が民主党に流れるのを恐れるのは当たり前のことである。

 これが、今回の造反議員復党問題の真相だ。平沼氏が民主党に流れ、民主党が政権を奪取した際の総理候補というのも、流れとしては良いのではないか。しかし、万が一、そうなった場合、現状、民主党内に、その平沼氏を支えられる閣僚候補がどれだけいるのであろうか? 非常に大きな疑問である。どちらにしても、選挙のための思惑で、政治を動かすことを卒業した小泉政権を踏襲するのであれば、今回の復党問題は、公正に、そして、偏向なく、政策論に於いての主義主張を重視した判断をして頂きたいものだ。この判断を誤れば、ここまでついてきた国民の気持が離れかねない。安倍政権発足以来、山積する外交の難問題よりも、この造反議員復党問題で、案外重要な岐路に、安倍首相は立たされているのかもしれない。
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by seizaikai_club | 2006-10-27 13:27 | 政治
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「政治をもっと身近に」をスローガンにして、日本人にもっと「愛国心」を喚起すべく語る。
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政財界倶楽部代表  恩田将葉
 「政治をもっと身近に」をスローガンに、一人でも多くの日本国民が政治に関心を持ち、参加してくれるよう、執筆活動、出版活動等を通じ「愛国心」啓蒙活動をしている。国際化が進む世界の中で、日本の政治も若者の手で変革しなければならない!!

 政財界倶楽部代表恩田将葉は、 アメリカ合衆国カリフォルニア州で約9年間生活。その間、サン・フランシスコ州立大学(San Francisco State University, SFSU)国際関係学部で国際関係学と政治を学び、朝鮮半島問題専攻で卒業。その後、暫くアメリカで現地法人の会社(People Intertrade, Inc.)を経営した後帰国。帰国後は、記者と編集者を経て出版社である株式会社ぴいぷる社と株式会社政財界出版社、そして、夕刊紙「内外タイムス」を発行する株式会社内外タイムス社の社長に就任。活字業界一筋に生きてきた。現在は、経営から一歩引き、国際情勢ならびに政治を中心に、ジャンルを問わず執筆活動を継続中。プロの文士として、随筆、小説、脚本等あらゆる分野で執筆活動を展開し、文章を綴ることを天職としている。そのかたわら、日本に、嘗てのごとく「愛国人」を増やすべく、「政治をもっと身近に」をスローガンに、自ら「政財界倶楽部」を運営している。

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