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政財界倶楽部         (恩田将葉見聞録)

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男性教師の不足を是正できない日本の教育現場

男性教師の不足を是正できない日本の教育現場
「男は男らしく、女は女らしく」という道徳教育が行えない日本の教育環境
2006年8月21日

 現在、日本の教育現場が抱えている大きな問題の一つに、男性教師と女性教師の比率がある。昔は、教師というと圧倒的に男性教師が多かった。しかし、いつの日からか、男性教師よりも女性教師の方が多くなってしまった。だからと言って、女性教師が良くないと言っているのではない。男性教師の比率が少なくなったということは、生徒達が男性の担任に当たる機会が少なくなったということだ。何だか、そのことがそんなに大きな問題なのか、とお思いの読者も多いであろう。だが、実は非常に大きな問題なのである。

 ある公立小学校の校長先生と話したことがある。その先生は、道徳の先生であった。大体、道徳の授業が昔に比べると少なくなったことにも大きな問題はある。だが、その先生が、校長先生として非常に頭を悩ませていたことは、どの生徒にも女性教師の担任も男性教師の担任も6年間の在校中に経験させてあげたい、ということであった。ところが、圧倒的に女性教師の方が多く、男性教師が少ないため、男性教師の担任を経験したことのない生徒が非常に増えてしまったというのだ。東京都の公立小学校の場合、公立小学校の経営は区が担当するが、教師は東京都の職員ということになっている。そこで、校長先生は一人でも多くの男性教師を採用しようと都庁へ赴き奔走したという。しかし、そこには大きな壁があるという。

 その壁とは、どのような壁かというと、まず男女雇用均等法が設立された結果、男性とか、女性とか、という選り好みをして採用することができなくなってしまったということだ。それと、教師に成る男性が著しく少なくなってしまったということもある。また、若い男性教師は、教師に成ってみはしたが、同僚教師との人間関係、保護者との人間関係、生徒達との人間関係等に悩み苦しみ、早い段階で教師自体を辞めてしまうケースが非常に多いということであった。何とも情けない話である。

 それでは、何故、女性教師だけではなく男性教師と接することが、子供達にとって必要なのか? 答えは簡単である。これは、ある意味道徳教育の延長線上の話である。昔から、特に薩摩の国などでは、「男は男らしく、女は女らしく」ということがよく言われた。何だか、この言葉尻だけをとると、男女差別だと言われてしまいそうだ。だが、実際には、そういうことではない。男にも、女にも、どうしようもない運命的な資質がある。それは、女が男より繊細で優れているとか、男が女より力持ちだとか、そういう決め付けではない。それは、こういうことだ。

 どんなに、繊細で女性よりも女性らしい男がいたとしても、男である以上子供を産むことはできない。また、逆に、どんなに男っぽく男性顔負けの力自慢の女性がいたとしても、その女性が男に子供を産ませることはできない。何故なら、子供を産むということは、運命的に男性と女性にその役割分担が為されているものであるからだ。どんなに男女平等だといっても、このことだけは人間の力ではどうにもならない運命なのだ。しかし、この定めがあるからこそ、この世の中は男と女が支えあって成り立っている。そのことを、子供達に教えることも、義務教育の大切な役割の一つなのだ。

 勿論、家庭での教育で、父、母を通して学ぶはずだ。だが、父母とはまた違った意味での、男と女ということを子供達は学校で学ばなければならない。男は女を労わり、女は男を思い遣る。そして、子孫繁栄というDNAを埋め込まれてこの世に生を受けた我々人間は、それぞれ異性を求め合う。そのことは、いけないことでも、不純なことでもない。人間としてごく自然なことなのだ。それには、父母以外の大人の男性や女性に指導を受けるということも、子供達にとっては大きな意味をもってくる。何も、男の教師でなければ、女の教師でなければ、と差別しているのではない。どう頑張っても、女性教師は男性教師にはなれないし、男性教師は女性教師にはなれない。

 本来、教師という職業は、立派な素晴らしい仕事だ。国の未来を背負う子供達を育てるのであるから。それが、何時の日からか、昔のように教師が誇り高くいられなくなってしまった。子供達が教師の言うことを聞かなくなったのは、教師を尊敬していないからだ。私達の時代は、教師は無条件に敬うべき存在であった。そういう存在であるから、教えられたことも身に付いたのだ。大体、子供達だけではなく、親も、地域も、大人達皆が、教師を敬っていた。だから、子供達も自然に、教師を敬い、教師の教えを聞いていたように思う。それが、昨今は、教室でも、子供達は教師の言うことを聞かないという。それは、周りの大人達が、教師を敬っていないからに他ならない。親が、教師の文句を家で言ったり、教師を見下すようなことを子供達の前で言ったりしてしまえば、子供達が教師を敬わなくなり、言うことも聞かなくなるのは至極当然のことである。子供達にとって、一番身近な大人は親なのであるから。時代は変わろうとも、子供達は、親の後姿を見て育ち、大人達の後姿を見て育つのである。ある意味、子供達の言動は、鏡に大人達が自分達の姿を映しているようなものである。しかし、そのことに気付いていない親が非常に多い。

 あるイギリスの教育学者が、こんなことを言っていた。戦後の日本の教育現場は、世界でも類を見ない特殊な環境にある。何故ならば、教育としての折檻までもが、暴力と取られてしまう。言ってもわからない、聞かない子供に、身をもって知らしめる。勿論、憎しみではなく、愛情に根ざしてのことだ。そのことさえもが、否定され、暴力として見なされてしまえば、親は教師を見下すようになり、子供達が増長してしまうのは当たり前。教育が、荒廃してしまうことは目に見えている。だが、日本の戦後教育は、正にこの例を実践してしまった悪例である。ということを、この教育学者はテレビで言っていた。

 だからと言って、親が全て悪く、教師が全て正しいと言っているのではない。勿論、十把一絡げに言うことはできない。教師の中にも、安易な考えでサラリーマン的な感覚で教師になった者も多くいるという。そのような不届きな教師には、お引取り願えばよいのだ。だが、中には教育に一方ならぬ情熱を抱き、一生懸命教師をしていらっしゃる方々もいる。ところが、目先のことばかりで判断し、言葉尻をつかまえて文句ばかり言い、教師や学校を雁字搦めにして機能しなくしているような親達も沢山いる。そういう親に限って、彼らは決して大人として子供達の良い手本にはなっていない場合が多い。

 教師だけではない。母親が、父親を罵倒したり、父親の悪口を子供達の目の前で言ったりしてしまえば、子供達は父親を尊敬しなくなる。また、生活の中で、母親が父親をぞんざいに扱えば、当然のことながら、子供達も母親に右へ倣え、で同じような意識を父親に抱いてしまう。その延長線上に、教師をも馬鹿にするという姿勢が生まれる。

 また、家庭が、夫婦が、円満であることも、子供達には多大なる影響を与える。夫婦が、絶えずいがみ合っていれば、子供達は不安になる。子供でなくとも、男女がいがみ合っている姿を見たいなどと思う人間はどこにもいない。子供達にとっては、最後まで頼れる大人は、両親しかいないのである。その両親がいがみ合っていれば、万が一の時自分達は大丈夫なのだろうか、と不安になって当然だ。大人にとっては些細なことでも、子供達にとっては、この世の果てに感じてしまうということもあるのだ。

 次に挙げる、身体的な成熟度の変化こそが、決定的な問題の一つである。昔に比べると、子供達の身体的な成長が早い。特に、女生徒達の成長の速さは、目を見張るものがある。私達の時代には、反抗期というと中学生や高校生の時期に起こるとされていた。ところが、現状、多くの女児の場合、小学生高学年で反抗期を迎えているという現実がある。確かに、小学校5~6年というと、中にはもう大人の女性ではないかというような体つきの女生徒も多々いる。見た目は大人である。しかし、頭の中や、心の中は、やはりまだ小学生レベルなのだ。このギャップが怖いのだ。身体の成熟度と精神の成熟度のギャップ、これが昔以上に複雑な形で反抗期を醸し出している。しかも、小学校に於いてである。

 昔は、小学校で反抗期の生徒というのは、ほとんど皆無に近かった。よって、小学校の教師達も、反抗期に対処するという心構えがなくとも教師の職務を全うできた。ところが、最近は、女生徒達の身体的成熟度が早まり、その反面精神的成熟度は以前と変わらず、心と頭が反比例した行動を取る子供達が多くなった。その結果、学級崩壊やら、生徒達とのコミュニケーションが取れなくなるという事体に陥る教師達が増え、自信を喪失し、教師自体を辞めていく教師さえ急増しているという。問題は、案外根が深く複雑である。教師の範疇だけでは、どうにもならない段階にまできている。何故なら、身体的な問題や、精神的な問題は、やはり専門のカウンセラーが必要だからだ。専門的な見識に基づいて子供達を指導しなければ、それこそ子供達を脇道に逸らせてしまうことにもなりかねない。特に、上記したような問題は、小学生高学年の段階では、女生徒を中心に出る。しかし、この頃は、女子の方が男子よりも発育が早いのは、昔からのことである。この頃の男子は、女子に引き摺られて、まるで親子関係のような男女の力関係であるようにさえ思える。この一番大切な時期に、そのような男女の力関係が形成され、そのことを経験するので、昨今、大人になっても女性が強いという風潮が蔓延しているのかもしれない。女性が悪いと言っているのではない。男性が、弱いということを言っているのだ。ある意味、最近の男性は、小学校高学年時期に経験した男女の力関係が肌に染み込みトラウマになっているのかもしれない。何故ならば、多くの場合、担任の教師自体も女性であり、女生徒と女性教師の間での女同士の確執を、幼い男子生徒達が目の当たりにしてしまっているからではないか。

 話が少々脇道に逸れたが、教育ということも昔のように単純ではない。非常に複雑化し、多様化している。社会自体が非常に複雑化し、多様化している現状、子供達にとっては、誘惑も、迷いも、心配事も、昔より格段に多くなっている。同性でなければ相談できないこともあるだろう。また、逆に、異性でなければ相談できないこともあるかもしれない。同性教師でなければ気付かぬことも、また、異性教師でなければ気付かぬことも多々はるはずだ。世の中は、表向き平和になった。しかし、内面的には、非常に複雑化し、思い悩むことも多くなった。このような時代だからこそ、本来、男性教師も、女性教師も、教育現場に同じ比率でいてくれることが、子供達にとっての幸せではなかろうか。世の中の男性諸君に、もっともっと頑張って頂きたい。
by seizaikai_club | 2006-08-22 15:40 | 教育
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「政治をもっと身近に」をスローガンにして、日本人にもっと「愛国心」を喚起すべく語る。
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政財界倶楽部代表  恩田将葉
 「政治をもっと身近に」をスローガンに、一人でも多くの日本国民が政治に関心を持ち、参加してくれるよう、執筆活動、出版活動等を通じ「愛国心」啓蒙活動をしている。国際化が進む世界の中で、日本の政治も若者の手で変革しなければならない!!

 政財界倶楽部代表恩田将葉は、 アメリカ合衆国カリフォルニア州で約9年間生活。その間、サン・フランシスコ州立大学(San Francisco State University, SFSU)国際関係学部で国際関係学と政治を学び、朝鮮半島問題専攻で卒業。その後、暫くアメリカで現地法人の会社(People Intertrade, Inc.)を経営した後帰国。帰国後は、記者と編集者を経て出版社である株式会社ぴいぷる社と株式会社政財界出版社、そして、夕刊紙「内外タイムス」を発行する株式会社内外タイムス社の社長に就任。活字業界一筋に生きてきた。現在は、経営から一歩引き、国際情勢ならびに政治を中心に、ジャンルを問わず執筆活動を継続中。プロの文士として、随筆、小説、脚本等あらゆる分野で執筆活動を展開し、文章を綴ることを天職としている。そのかたわら、日本に、嘗てのごとく「愛国人」を増やすべく、「政治をもっと身近に」をスローガンに、自ら「政財界倶楽部」を運営している。

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