靖国問題の解決策:靖国存続霊璽簿廃止
2006年8月18日
靖国の問題は、戦後61年間、大切な問題でありながら、多くの日本人が等閑にしてきてしまった問題の一つである。ただ、一つだけ明確なことは、靖国の問題は、現世の私達の問題ではなく、靖国に集う英霊達の問題であり、俗世の私達が本来とやかく言う問題ではないということだ。しかし、現実問題、靖国のことが問題になっているので、何とか解決の道を模索しなければならない。
基本は、静かに手を合わせる、それだけで構わないことだ。ところが、後付で現世の人間の思惑がそこに加わり、非常に複雑なことになってしまっている。神官も人間だ。神殿では、神官であっても、神殿を一歩出れば俗世に生きる一人の人間であり、色々な考え方や思想を持っているのかもしれない。しかし、靖国神社が神社本庁に所属さないという形態を見てもわかるように、神社の中でも「公」の色の強い神社である。そうである以上、そこに務める神官も、本来日常に渡ってその自覚をもち生活するべきである。私的感情や思想よりも、靖国の神官としての自覚が、何よりも大切である。
合祀だ、分祀だ、戦犯だ、何だかんだとマスコミをはじめ世間では騒いでいる。非常に俗世的であり、靖国に集う英霊達は悲しく思っているように思える。次元がまったく違うのではないか。
ならば、そのようなことが起こってしまった原因を排除すればよい。それは、一部の人間の思惑で為された「祭神名票」に基づく「霊璽簿」の作成ということではないか。それぞれの宗教団体に、それぞれの定義や方法論がある。それを否定するつもりはない。しかし、靖国が「公」の色の強い神社である以上、また、そこに祭られる御霊のことを最優先するということであれば、妨げになる「霊璽簿」を廃止してもよいのではないか。
例え、霊璽簿がなくとも、神は神、天は全てをお見通しのはずだ。「霊璽簿」なるもの自体が、非常に現世の人間的発想でしかない。私の親しくするある神社では、このような「霊璽簿」はない。その代わり一人一人の御霊が宿る仏教の位牌に相当するような木製の柱を行満堂という所に祀ってある。当然のことながら、本殿には天照大神が祀られている。この神社は新興宗教ではなく、一の宮であり、かなり大きな有名な神社である。
このように、同じ神社神道においても、祀り方も異なる。よって、この祀り方でなければ、有り得ないということはないのではないか。大体、宗教というのは、人の心の持ち様の問題であり、形は二の次であるはずだ。にもかかわらず、融通が利かない形に固執する考え方をすること自体に、大きな問題がある。
昭和天皇のメモのリークは許せぬことである。あのメモの信憑性にも大きな疑問を感じる。が、しかし、多分昭和天皇が仰りたかったことも、そこのところではないかと私は思う。それまで、上手く対処していたものを、特定の神官の個人的な思想に基づき昭和天皇をはじめ多くの関係者を蔑ろにし、早まった処置をしたが故に、昭和天皇は不満を漏らしたのではないか。
大体が、これらの俗世的問題が生じる問題は、霊璽簿にある。霊璽簿がなければ、合祀だ、分祀だということも言えぬ。また、太平洋戦争以前はいざ知らず、本来であれば戦場での戦死者だけでなく、被災者も祀られて当然である。戦場に赴いた人々は、国を思い、家族を思い、愛する人々の名前を叫び、「天皇陛下万歳」と叫びながら、尊い命を落としていった。しかし、日本に残された人々も、戦地に赴いた愛する人々のことを思い、竹槍をかざし、子供達や年寄り達を守りながら、多くの人々が戦火に晒され死んでいった。日本国内に残り、空襲を受けながらも国を守り被災した人々も、戦場での戦死と変わりはない。
であるならば、そのような被爆者や被災者の御霊も一緒に靖国にお祀りしても何の問題もないはずだ。そのためにも、現在の靖国のように霊璽簿を基にした形ではなく、「無名戦没者を祀る靖国」という形にするべきではないか。そうすれば、A級戦犯の合祀がどうのこうの、分祀しろの、何だかんだととやかく言われる筋合いもなくなる。
ただ、いくつかの問題点も残る。それは、英霊達の問題とは言っても、やはり現世に存在する靖国の経済的な問題の解決策、それと鳥居の問題だ。諸外国の拒絶反応の一つに鳥居がある。鳥居が、かなり日本軍国主義の象徴的な存在になってしまっているという事実もある。鳥居に対して拒絶反応を示す外国人は、非常に多い。しかし、靖国から鳥居がなくなれば、何か靖国ではなくなるような気さえしてしまう。それが、日本人だ。非常に難しい問題である。
日本は、日本として、日本人としての主張をもっとするべきだ。中国人も韓国人も、大陸人である。こちらがおとなしくしていれば、いくらでも調子にのって声を上げる。しかし、こちらも声だかに反論をすれば、それなりに解決策も見えてくるはずだ。日本は、もっと自国の主張をすべきである。私は、そう思う。