政財界倶楽部         (恩田将葉見聞録)

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荒木浩元会長閥が東電唯一の救い

荒木浩元会長閥が東電唯一の救い
2011年3月25日

 今発行中のサンデー毎日の囲み記事で書かれていることは、発売以前にこのブログで書かせて頂いたが、副社長Aとは故山本勝副社長のことだ。彼が生きていれば、今回の原発事故はここまで取り返しのつかぬことにならずに済んだはずである。私は、そう思っている。

 東電と弊社の繋がりは、荒木元会長が課長時代、弊社創設者で私の亡父である恩田貢が週刊文春の記者であった頃に遡る。原発問題での取材で接点を持った亡父が、持ち前の人たらし術で、荒木さんの懐に飛び込んだ。それからずっとのお付き合いになる。その後政界出版社の社長を田中角栄から拝命した亡父は、広告を東電からもらうために、東電の原発対策の為に外部部隊として動き出した。簡単に言えばマスコミ対策である。当時の週刊文春編集長の花田氏はじめ、週刊現代の元木編集長、政治評論家の三宅先生など、多くの週刊誌編集長や出版社幹部、そして、森善朗、故中西啓介、中尾栄一、柿沢弘治、鈴木宗雄、渡辺孝三などなど多くの政治家たちを紹介した。

 そのような状況下、当時企画開発室室長という肩書だった私は、弊社側の窓口として、元テレビ朝日幹部の当時の弊社副社長と共に、原発問題対応のマスコミ対策業務の先頭にたって動いた。その時、東電側の窓口は、まだ副社長ではなく取締役総務部長という肩書だった故山本勝副社長であった。若者を可愛がる山本さんに、私も非常に可愛がってもらった。私も大好きな人物の一人であった。非常に豪放磊落で懐の深い人であった。東大閥の総務畑が主流の当時の東電にあって、山本さんは京大卒であり東電内部では異端児であった。言い方は悪いが、東電らしからぬ性質の人であった。

 マスコミ対策でマスコミを封じ込めるためには、まず自分が原発を知らなければということで、私は自ら志願して、柏崎や六ヶ所など、原発施設をくまなく見せてもらい詳しく説明してもらった。もちろん、普通のマスコミが入り得ないところまで、故山本副社長同道で入り説明してもらった。放射能など怖いとは思わなかった。それよりも全てを知りたい気持ちの方が勝っていた。そういう気持ちに私自身がなれたのには、故山本さんの人柄が大きく影響した。彼は、原発の問題点なども包み隠さずハッキリと教えてくれた。そして、彼の一貫した言い分は、何があっても、人命最優先という考え方であった。組織に属しているが、組織以前にまず人命であることは当然、という言葉が私の心を動かした。

 ところが、故山本副社長はサンデー毎日にも書かれているが、身体も大きく頑丈そうに見えたが、病弱な一面を持っていた。私の師匠竹山洋先生が逗留する旅館「和可菜」の直ぐ前にある焼き鳥屋で、よくご馳走になった。ここは、山本副社長の出身地である岐阜だか滋賀(記憶が錯綜している)出身のママが経営しており、山本さんの東電以外の知り合い、同級生などがよく出入りしている店であった。そこで、ポロッと健康のことを吐露されたことがあった。それから間もなく、誰も予想し得なかった訃報が届いた。山本副社長が62歳の若さで急逝されてしまったのだ。葬儀は、上野の有名な寺で行われた。驚くほど多くの弔問客が行列を為したことでも、山本副社長の人柄が見て取れた。しかも、多くの政治家が代理ではなく、本人が弔問に現れた。多分、荒木会長にとっては、一番大きな痛手であったはずだ。荒木さんという方は、非常に清廉潔白な人柄で、山本さんとは非常に肌が合っていたと思う。何故なら、山本さんも清廉潔白で正直な人であったからだ。荒木閥の世話役に80歳を過ぎる、東電の生き字引と言われた田中さんという総務のおじいちゃんがいらっしゃったが、彼も清廉潔白で真っ正直な人柄であった。一本この派閥には、筋が通っていて気持ちがよかった。

 山本副社長が他界した後、弊社創設者である亡父も他界した。東電の総務内でも大きな移動がひっきりなしにあった。そして、役員の移動も目まぐるしく起こった。最後のご奉公は、私が弊社の社長に就任した後、赤坂のジパングというなだ万が経営するレストランの、東急ホテル最上階店舗ではなくホテルニュージャパン跡地にできた外資系保険会社のビル一階に開店された個室専門店舗の方での会食であった。この直前、私が担当して渡辺恒三氏の自伝を発行した関係で、水面下で相談を受けていたことを実行するためのものであった。同席者は、荒木社長と当時の東電側窓口の総務水谷氏、そして、作家の大下英治と私というメンバーであった。当時冷や飯を食わされていた渡辺氏は、福島の原発ならびにダムの問題を抱えていた。そういう状況下、犬猿の仲と言われていた小沢一郎との橋渡しを打診されていたのだ。要は、民主党に合流したいということだ。

 同席した作家の大下英治には、渡辺さんと小沢さんは犬猿の仲、そんな話をするなと私は叱咤された。だが、当の渡辺氏はそれを望んでいた。非常に勘の強い荒木会長は、直ぐに「面白いね。小沢さんのお手並みも拝見したいし」というような言葉を頂いた。その直後、渡辺恒三氏は民主党に合流した。あの夜が、東電との最後の夜であった。総務内での大きな人事異動もあった。荒木さんの派閥ではない人員が入ってきたため、今までのような活動ができなくなったということだ。弊社側も、夕刊新聞「内外タイムス」という重荷を背負ってしまっていたので、自然な形での縁切れとなってしまった。

 前置きが長くなったが、現在の社長閥が、荒木浩元会長の力が及ばないように画策しているらしい。だが、東電が再生しようと本気で思うのであれば、荒木浩元会長の力は必要不可欠。荒木氏ほど、清廉潔白で欲のない人間はいない。正に名将である。彼の采配に頼らずして、現状の東電を立ち直らせることは叶わないと私は強く信じる。東電の唯一の救いであると言っても過言ではない。
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by seizaikai_club | 2011-03-26 00:09 | 経済
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「政治をもっと身近に」をスローガンにして、日本人にもっと「愛国心」を喚起すべく語る。
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政財界倶楽部代表  恩田将葉
 「政治をもっと身近に」をスローガンに、一人でも多くの日本国民が政治に関心を持ち、参加してくれるよう、執筆活動、出版活動等を通じ「愛国心」啓蒙活動をしている。国際化が進む世界の中で、日本の政治も若者の手で変革しなければならない!!

 政財界倶楽部代表恩田将葉は、 アメリカ合衆国カリフォルニア州で約9年間生活。その間、サン・フランシスコ州立大学(San Francisco State University, SFSU)国際関係学部で国際関係学と政治を学び、朝鮮半島問題専攻で卒業。その後、暫くアメリカで現地法人の会社(People Intertrade, Inc.)を経営した後帰国。帰国後は、記者と編集者を経て出版社である株式会社ぴいぷる社と株式会社政財界出版社、そして、夕刊紙「内外タイムス」を発行する株式会社内外タイムス社の社長に就任。活字業界一筋に生きてきた。現在は、経営から一歩引き、国際情勢ならびに政治を中心に、ジャンルを問わず執筆活動を継続中。プロの文士として、随筆、小説、脚本等あらゆる分野で執筆活動を展開し、文章を綴ることを天職としている。そのかたわら、日本に、嘗てのごとく「愛国人」を増やすべく、「政治をもっと身近に」をスローガンに、自ら「政財界倶楽部」を運営している。

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