リビア空爆開始
2011年3月20日
リビア空爆がイギリスとフランスの戦闘機によって始まった。暴動が起きて以来、軍事介入に関し賛否両論あった。だが、休戦協定を結びながらその直後カダフィ側が空爆をしたり、油田を爆破したりと石油関連施設の爆破が進む中、それまでアメリカの覇権を許したくない中国とロシアが反対していたが、日本の原発事故に伴い世論がエネルギー問題で原発推進を見直す方向に動き出したため、俄かに中国とロシアも賛成に回ったため、今までもたついていたリビア空爆が始まったのだ。
アメリカは国内事情もあり、積極的な姿勢を控えていたが、NATO軍に派遣されているアメリカ軍に対しオバマ大統領が攻撃許可命令をくだした。武力行使は出来る限り避けたいのだが、カダフィは、イラクのフセインなどとは違い、非常に残虐な悪魔のような人間であり、多くの自国民を今まで殺傷してきた。また、1986年には、アメリカ軍による制空権問題でカダフィ公邸をピンポイント攻撃した際、反撃に転じアメリカ空軍戦闘機二機が撃ち落とされ、二人の搭乗員空軍兵士が生き残った。だが、テレビを通じ公開拷問処刑という人間とは思えない所業をなした悪魔である。その放送は全米で流された。私の母校サンフランシスコ州立大学は、空軍プログラム下の大学であったため、同窓生がその撃ち落とされた戦闘機のミサイル技師として搭乗していた。その拷問放送が放映されてから、一週間キャンドル・サービスと共にハンガーストライキを学園キャンパスで行われた。その際、彼の母親もストライキに加わり、私たち生徒たちや教授たちも、キャンパス大芝生に座り込みキャンドルをともし一週間座り続けた。彼の母親は、強かった。「皆さん、泣かないで。私の息子は、この愛するアメリカと世界の平和のために頑張っている」とメッセージを私たちストライキ参加者に告げ、悲しむ私たち若者を逆に励ましていた。しかし、そんな思いも空しく、またアメリカ軍の救出作戦も空しい結果になってしまった。直ぐに当時の我が校とは馴染み深かったレーガン大統領から直接メッセージが届き、ストライキは解除された。
こんな経験もあり、私は個人的にもカダフィだけは許せない指導者の一人であると、あれ以来ずっと思っていた。だが、ここで理解しなければいけないことは、カダフィは典型的なアラブ地域の部族主義に基づく弱肉強食主義に根差した部族長だということだ。よって、彼がリビアをクーデターで奪い取った方法も、部族主義的な方法であった。現在あるアラブ諸国の国境線は、大英帝国時代のイギリスが、石油利権に根差して、彼ら部族民の意志を無視して勝手に引いた国境線であるため、このようなエンドレスな確執が起こっているということを忘れてはならない。映画「アラビアのローレンス」を観ると良く理解できるが、アラブの人たちにとって部族は家族と同じぐらい大切なことなのだ。それを無視した白人社会に対しての反感が非常に大きい。そのことは、理解しておく必要がある。もともと石油は、彼らにとっては大切なものではなかった。何故なら、彼らはラクダと共に暮らしていた。石油が大事になったのは、白人社会による物質文明と共にもたらされて以降のことだ。石油を必要としていたのは、当時白人たちであったのだ。
高をくくっていたカダフィとしては、日本で大震災が起こり原発事故が起こったことで、世界の世論が予想外にガソリン側に動いた。その結果、今日の攻撃が始まってしまった。皮肉なことだ。余談だが、現在日本で救援活動をしているのは、アメリカ海軍第七艦隊を中心にした部隊。リビア攻撃に関わるのはアメリカ海軍第六艦隊を中心にした四軍ということになる。