駐留米軍は日本にとって人質
2010年12月15日
昨日、テレビの報道ニュース番組で、ジョセフ・ナイしへの単独インタビューが放送されていた。ジョセフ・ナイ教授といえば、リベラル派の国際政治学者で、カーター政権で国務次官補、クリントン政権では国家情報会議議長、国防次官補を歴任し、昨年は日本大使候補の一人として名前が囁かれた人物だ。アーミテージ氏と共に知日派として知られるアジア政策の専門家だ。
インタビューの中で、彼は「駐留米軍は、日本にとって人質のようなものだ」という表現をしていたが、私もこの考え方には同感であり、日本人もこの捉え方で駐留米軍を認識する必要があると常日頃思っている。
どういうことかというと、日米安保条約は日米間にあるが、韓国の指揮権とは違い、実際に有事の際アメリカ軍は、日本政府からの正式要請がない限り、仮想敵国を攻撃することも、いかなる軍事行動をとることもできない。だが、米軍が日本国内に駐留していることで、日本の領土が攻撃された際、米軍も攻撃されたという解釈が成り立ち、即時対応することが可能になるという意味である。言い方は悪いが、人柱として駐留米軍を立てることで、仮想敵国が容易には日本を攻撃することができない強い抑止力になっているという意味だ。
この説明は非常に端的で的を得ている。中国にしても、北朝鮮にしても、自滅したくはない。米軍が日本に駐留している以上、下手に手を出せば米軍によって反撃されることを想定しないわけにはいかない。反撃されれば、軍備レベル上格段に上をいくアメリカ軍に敵うわけがないことは、彼ら自身が一番よくわかっている。よって、安易に日本を攻撃することを抑止しているということだ。
その証拠に、基地移転問題で、日米間の関係がギクシャクしたら忽ち、中国は尖閣諸島でことを起こすし、ロシアは大統領が北方領土を訪問するし、韓国のヨンピョン島は北朝鮮に砲撃されてしまうと、次から次へと領土に纏わる問題が起こった。中国にしても、北朝鮮にしても、ロシアにしても、皆アメリカと日本の関係をちょっかいを出すことで様子見しているのだ。何故なら、彼らは菅政権は、有事にあたっても、容易にアメリカに日米安保条約に寄るところの支援要請を出さないとみたからだ。
このインタビューでナイ氏は、基地の県外移設は可能だというような発言をしていた。だが、彼はアーミテージのように軍人出身ではないので軍事戦略上の専門家ではない。よって、アーミテージやパウエルのような軍人出身の政治家からしたら、沖縄駐留海兵隊の意味は大きく、県外移設が論外であるということは言及されている。だが、基本的には、自立した独立国日本の国民が決めることであり、日本国民が駐留米軍は必要ないという判断をすれば、駐留米軍は日本を撤退するとの発言をする。だが、同時に、駐留米軍が日本を撤退したと同時に、例え日米安保条約が継続されていたとしても、即時、日本が仮想敵国より武力攻撃対象となることが間違いないことを示唆している。そうなってからでは、後悔後に立たずであると彼らは付け加えることを忘れない。
だが、事実だ。私も戦争反対だ。誰も、戦争を好む人などいないはずだ。戦争反対だからこそ、米軍が駐留することには賛成なのだ。米軍は、殺し合いの為に設立されているのではなく、サバイバルのため、戦わずして仮想敵国よりの攻撃を抑止するために存在するのだ。
そもそも、駐留米軍を否定して、日本が独自に防衛をしようと思えば、GNPの1%という防衛費では、到底この国を守りきれない。経済的負担は、想像以上に膨大なものになる。そこまで考える必要がある。また、アメリカは、そこまで予算を割いて駐留しているということも、真摯に受け止める必要がある。もちろん、アメリカ自身の国益にも適うから駐留するのであろう。だが、日本を防衛するという意味もアメリカ自身にとって大きいのだ。ある意味運命共同体のようなものだ。準州ではない。
だとすれば、もっとアメリカを巻き込んだ戦略を強かにたてることも、日本の生き残りの道であるように思う。例えば、尖閣諸島問題でも、海底資源開発をアメリカと共同開発すればよいのだ。佐藤栄作がアメリカからの共同開発提案を蹴ったという経緯があるが、結局何の開発もせず、中国に掠め取られようとしている。ならば、フィフティーフィフティーでアメリカと共同開発した方が得だ。掘り出した資源は半分になってしまうが、付加価値が大きい。当然のことながら、尖閣諸島の防衛の意味が高まる。何故なら、共同開発ということで、アメリカ人も尖閣諸島で働くことになるからだ。自国民の安全を確保することは、アメリカ軍にとって最優先課題だ。そうなれば、中国も台湾も、泥棒猫のようなことはできなくなる。されど、日本を攻撃することも、尖閣を領有権を主張することもできなくなる。最初から、そういう戦略でいけばよかったのだ。ノーベル賞に目が眩んだ佐藤栄作の判断ミスである。しかし、今からでも遅くないのではないか。アメリカを利用するべきである。