いつもと違う朝鮮半島を巡る動き
2010年5月30日
ここのところのヒラリー国務長官の動きや李 明博韓国大統領、そして、中国の温家宝首席の言動を見ていると、いつもの朝鮮半島を巡る動きとは少々違うような気がしてならない。ヒラリーは女性ということもあり、今までアメリカ合衆国が金正日に煮え湯を飲まされてきた同じ轍を踏まないことを決意し、ことに臨んでいるような気がしてならない。それだけではない、歴史的なタイミングが来ているでは、極東地区に大きな変革があるのではと非常に大きな懸念を抱く。
今まで中国が北朝鮮を厄介と思いながらも支援してきたのは、北朝鮮が崩壊してしまえば、朝鮮半島が統一されアメリカの同盟国韓国によって朝鮮半島が支配されるようになる。そうなれば、国境線越しに中国はアメリカと対峙することになる。それは中国が望まないことだ。
また、北朝鮮崩壊により、北朝鮮より多量の朝鮮民族が中国側に流れ込むことも、中国にとってはありがたくないことだ。それは、経済的にいっても、政治的にいってもだ。何故なら、中国に存在する少数民族の中では、モンゴル族などに次朝鮮族は三番名に大きい民族だ。ここに難民が加われば、一挙に一大勢力になってしまう。それは中国が一番懸念することだ。
だが、中国にとって、ここ数年の経済発展は目覚ましいものがあり、国際社会でもその存在感は認められてきた。昔のように、無謀なことはできなくなってきた。先進国の仲間入りをするには、国際的にも行儀よくしなければならない時期にきたということだ。そのことは、中国自身が一番よくわかっている。そのような状況下、国際情勢の変化を見誤ったのが金正日であるような気がする。今まで通り、中国は北朝鮮を見捨てはしないと思っていた。ところが、蓋を開けてみると、中国は今までと違っていた。それで、少々地団太を踏んでいるというのが、今の北朝鮮の状況ではないか。ただ、こういう思想的後進独裁国は、自暴自棄になった時が一番怖い。何をするかわからない。
このまま全面戦争になることはないと思うが、いつもとは違うということだけは確かだ。どういうことかというと、これから暫く気を許せない、北朝鮮による軍事行動やあらゆるテロ攻撃を想定して危機管理をした方がよいということだ。具体的にいうと、アメリカ、韓国、中国で、水面下の合意がなったのではないかという気がしてならない。その合意とは、万が一北朝鮮が崩壊した場合、これはアメリカと韓国による軍事攻撃も含めてのことだ、アメリカや韓国は北朝鮮を占領するようなことはせず中国に委ねる。その代わり、北朝鮮を中国帰属の経済特区のような形で、分断されている朝鮮民族が自由に行き来をできるようにしてくれるよう条件を持ち込んだのではないか。この考え方は、李明博大統領の考え方にも合致する。中国の懸念も払拭できる。アメリカの負担も大幅に軽減できる。三者の利害が合致することになる。その延長線上で、日本の協力も必要不可欠となり、鳩山総理は済州島へいったり、温家宝首相が日本を訪れたり、ヒラリーが行脚を続けたりということが起こっているのではないかと私は思う。
だとすれば、極東情勢に大きな変化が起こる可能性が非常に高くなってきた。このような状況下、沖縄基地の問題で右往左往している場合ではない。日本も乗り遅れぬよう、主張するところは主張をして、立場を明確に確立しなければならない。首相の追う責任は非常に大きい。将来の日本をはじめ、極東情勢に大きく関係してくることになる。
また、北朝鮮側からすれば、アメリカ軍を牽制する手っ取り早い戦略は、言わずと知れた日本攻撃である。何も、軍事進攻ということだけではない、日本全国でのテロ攻撃だ。日本ほど容易にテロ活動が実行に移せる国はない。それぐらい、日本は危機管理後進国だ。いつでも後手に回る日本。そんな日本の特徴を、北朝鮮は熟知している。諜報活動も、特殊部隊によるテロ活動も自由自在にしたい放題といっても過言ではない。その上、今日本の首相は、最もこういうことに疎い鳩山総理だ。赤子の手を捻るよりも、北朝鮮にとっては容易いことだ。そのことを、アメリカも何より懸念している。済州島まで出向き、どこまで鳩山総理がその危機感を理解して帰国するか、少々不安んを覚える。
いずれにしても、ここ暫くは、北朝鮮によってどのようなことが行われても不思議ではない。そのために、備えを万全に危機管理を充実させることが、日本政府としてやらなければならない最優先課題であるように思う。何度も何度もいっているが、首都圏の電力要領の半分以上を支える柏崎原発へのテロを想定した危機管理、新幹線や航空機をはじめ、主要幹線へのテロを想定した危機管理、人が多く集まるような場所でのテロに対し警戒を強めた方がよいように私は思う。何もなければそれでよし、万が一何かがあってもよいように対処することは、何もなくても無駄ということはない。それが危機管理であると私は強く信ずる。