沖縄基地問題視点を変えて見れば・・・
2010年5月29日
沖縄の基地問題は、何故沖縄に米軍基地があるかを、ちょとだけ視点を変えてみれば理解しやすくなる。先の大戦で、連合軍が日本本土を攻撃できたのは、沖縄と硫黄島を陥落させることができたからだ。何故なら、爆撃機は、沖縄や硫黄島のように、日本本土に近い島を給油基地として確保しなければ、本土爆撃に飛ばすこともできなかったからだ。
例外的に、真珠湾攻撃の直後、川崎地区をアメリカ軍が爆撃したが、これは、まるで日本の特攻隊のように、片道燃料で、重装備は全てはずして、無理やり空母から飛び立ったもので、とても継続的に戦略として攻撃できるものではなかった。真珠湾を攻撃されたアメリカ軍人の意地で、一度だけ成し遂げられたことである。
本格的に本土爆撃が叶うのは、それから随分後、終戦間際の期間、沖縄と硫黄島を占領してからのことだ。そのことは、多少の違いはあれど、今でも変わらない。このことを、日本人はすっかり忘れている。
アメリカ軍が沖縄に駐留しているのは、アメリカ軍が台湾海峡や朝鮮半島での有事を想定して、給油なしで飛んでいける範囲内に前線基地を置くという意味もあるが、アメリカ軍が沖縄にいることで、他国が日本を攻めることができないようにするという、先の大戦でアメリカ軍が身をもって体験した経験に基づく戦略的意味合いも大きいのだ。それは、アメリカのためもあるが、日本にとっての意味合いの方が遥かに大きい。だが、多くの日本人は、そういう風に視点をもっていくことさえできなく偏向した視点のみに立ってしまい、基地の存在自体を否定している。悲しむべきことだ。
誰も戦争を望んでいる者はいない。前線に送られるかわからない海兵隊員も、死と隣り合わせの危険地帯に望んでいく者など誰い一人いない。だが、パワー・オブ・バランスが崩れてしまえば、抑止力が利かなくなり。それこそ、戦闘を覚悟しなければならないことになるので、アメリカは、軍事戦略を展開しているのだ。しかも、朝鮮半島は、何度も言うが、休戦協定下であるだけで戦時下である。いつ、戦闘が開始されてもおかしくないのだ。
現実的に、ここまで経済発展を遂げた中国が、国際的な批判を受けてまで、アメリカ軍が手薄になったからといって沖縄や日本本土を攻めてくることはないであろう。だが、北朝鮮が攻めてこないという保証はどこにもない。だとすれば、やはり沖縄に米軍が駐留する意味は非常に大きく、必要不可欠なことであるということを、我々日本人は理解しなければならない。