IE9ピン留め
INFORMATION
New Album
2006年1月18日発売
『リボン』
[初回盤]
[初回盤]
価格:3,150円(税込)
SNCC-86913
(CD+DVD/2枚組)
この商品を購入する
[通常盤]
[通常盤]
価格:2,800円(税込)
SNCC-86914 
この商品を購入する
LINK
ゆずOFFICIAL SITE
ARTIST DATA
ツアーブログ 総動員DEいきまっしょい!!
excite MUSIC
今有権者である私たち国民は何を為すべきか
今有権者である私たち国民は何を為すべきか
2012年1月8日

 今年は年明けより、解散総選挙の臭いが漂っている。年末には、政党助成金等の関係で、新党が幾つか立ち上げられた。また、小沢一郎をはじめ複数の政治家が、具体的に動きを見せている。大方の焦点は、野田総理が頑なに推し進める消費税率引き上げに関してである。国民の中からも、大いに反対意見が噴出している。確かに、増税する前にまず議員定数削減、公務員削減、そして、初めて増税であろう、という国民の声が声高に聞こえる。民主党のマニフェスト反故という声が頻りだ。だが、私は、有権者である我々国民も、消費税反対ばかりを連呼するのではなく、今の日本の現状を理解して、今我々は何をすべきかを冷静に判断するべき時であると思っている。確かに増税は望まない。だが、今の日本の財政状況では致し方ない。何故なら、収支が合っていないのだから。このままでいけば、日本の財政は破綻する。入る金と出る金があまりにもかけ離れバランスシートが破綻している。全てが悪循環だ。将来、老後に不安を感じる国民は多い。一番大切なところだ。老後に不安を感じながら、どこに幸せなどあるであろうか。それこそが、何より最優先の国家の義務だ。

 過ぎたことをとやかく言っても仕方がない。だが、そもそも理屈は色々あるが、ハッキリ言ってしまえば天引きしておいて、一度でも未払いがあれば年金不払い措置というのは、何とも理不尽だ。ある意味、国による国民に対する詐欺行為といっても過言ではない。確かに理屈では若者の社会保険料で年寄りの年金を賄っているということになるのだが、実際には問答無用で社会保険料を天引きされ積立てているのと同じだ。にもかかわらず、一度でも支払が抜けると全額不払いとなるというような理不尽が起こること自体が、信じられない。安心ではなく不安を国は国民に与えている。理解に苦しむ。それでいて、役人は社会保険料を無駄遣いしていたというのだ。呆れてモノが言えないどころか、怒り心頭だ。この社会保険制度を、白紙から組み立て直し、隈なく全国民が年金を受けられ、老後を安心して迎えられるシステムを構築することこそが、国としての最優先課題であると私は思う。今のままでは、国としての体を成していない。せめて、老後の安心を国民に与えることが、唯一国が国民に対し行える生涯税金を払ってくれた恩返しではないか。そのことがあって、初めて国民も国のために尽くそうという気持ちが起こるのではないか。何もしてくれない国に対して、愛情も何もわかないのは当然だ。それでは、国は成り立たない。

そんな状況下、私たち日本人は今、何を思い、何を為すべきか。そのことの方が遥かに大切だ。モノの道理からすれば、まず議員定数削減、公務員削減、そして増税ということであろう。だが、嫌なこと即ち増税を避けて通り後回しにすれば、本当にこの国は破綻してしまう。前記した三つの無駄を削減することを同時に行わなければ、本当の意味で改革は実現できない。勇気をもって、敢えて我々国民が嫌がること即ち増税まで一気に為さなければ、この国は生まれ変われない。勿論、今までのように無駄を垂れ流すことは、最優先で止めさせるべきだ。だが、同時進行で消費税率引き上げや議員定数削減、公務員改革も推し進めなければならない。その自覚を、政治家も、公務員も、そして、有権者である我々国民も享受しなければこの国は立ち直れない。

 消費税率引き上げというと、問答無用で皆反対する。だが、財源がないのに絵に描いた餅を食らうことはできない。今のままでいけば、7兆円のマイナスが出て帳尻が合わなくなる。何故なら高齢化社会が加速し、若者の数が減るからだ。この現行のシステム自体が破綻しているのだ。兎に角、前記したように、まずは社会保障制度を白紙の状態から作り直し、国民隈なく年金を受けられるシステムを構築しなければだ。老後の安心なくして、改革などあり得ない。今の日本のような状態では、国としての体を成していない。何が何でも、全国民が安心して老後を過ごせる社会を確立することで、初めて全てが新たに始まる。

 消費税率引き上げというと、問答無用で反対する声が大きい。だが冷静に見聞すれば、消費税ほど公平な税制はないことに気付く。確かに、現行の一律税率では、問題点も多々ある。だが、一律ではなく、税率を変動制にすれば、多くの問題点は解決できる。実際に、香港や北欧諸国などでは、変動税率制で非常に上手く消費税が運用されている。例えば、生きるために最低限必要な、食糧や水、ガス、電気などには、消費税は掛けない0%にする。食糧でも、加工品や人の手が掛かったものには、3%の消費税を掛ける。ケーキや高級料理店などで提供される外食類には、5%の消費税を掛ける。他のモノでも、例えばブランド品などの贅沢品、無くても困らない贅沢品には15%とか20%の消費税を掛ける。多額の消費税を払いたくない人は、そういう高額消費税対象商品である贅沢品を買わなければ良いのだ。高額消費税を払っても、そういう贅沢品を買いたい人は、高額消費税を払って購入すればよい。自動車なども、同じことがいえる。そうやって、棲み分けをしていけば、消費税を払いたくない人は、そういう贅沢品を買わなければよいだけで、それでも贅沢品を手にしたい人は、高額消費税を払えばよいだけのことだ。非常に公平である。贅沢品を買いたければ、一生懸命働けばよいのだ。理に適っている。今の日本が、あまりにも公平という意味を履き違えているように思う。猫も杓子も、高校生までもがブランド品を持ち当たり前でいる。ヨーロッパに行けば、ブランド品は誰もが手にできるものではない。また、別に、ブランド品がなくとも、人間は生きていけるのだ。正に贅沢品なのである。欲しければ、他人より働けばよいのだ。稼げばよいだけだ。稼ぎもないのに、ブランド品に手が出せなくなるというだけで、日本は不公平だという理論自体が、私には異常であり大いに問題があると思う。それこそ平和ボケもいいところだ。

 自分の都合ばかりで否ばかり言っていたら、結局は何も始まらない。それぞれの当事者が、それぞれの身を切ってこそ初めて改革は為せる。今こそ、古き良き時代の日本人に立ち返るべきである。自分は嫌だけれど、他人に押し付けるのでは何も始まらない。そうではなく、自分を後回しにして他人のために自己犠牲をも厭わない、そんな美しき日本人に立ち返るべき時がきたように私は思う。昨年の震災後、市井の人々は、「絆」をもって助け合いの精神を回帰した。だが、政治はといえば、未だ混迷を極めている。政治家も、公務員も、己ではなく国民のことを、そして、この国のことを最優先に政治を行ってほしい。そうすれば、全ては好転し運気も昇り龍のごとく上昇するはずだ。その為には、「先憂後楽」を肝に銘じ、超党派で、この国を真に愛する政治家だけを我々国民が選択するべきである。耳障りに良いことばかりを言い、我々国民を誑かす永田町に巣食う魑魅魍魎を、我々国民の手で、いい加減退散させるべきだ。そのことこそが、最優先課題ではないか。そして、その時が、今年訪れるような気配を感じているのは私だけではないはずだ。大きな変革がくる。そんな気がしてならない。今、私たち、国民は、何を思い、何を為すべきか、そのことを熟考して行動を起こすべきなのではないか。そんな風に私は思う。
# by seizaikai_club | 2012-01-11 08:23 | 政治 | Comments(0)
年賀状
年賀状
2012年元旦


新年明けまして おめでとうございます。
        旧年中は大変お世話になりました。

  昨年は、3.11の大震災をはじめ、太陽の50年周期の影響か、天変地異が世界中で頻発し、波乱万丈の一年であった。個人的にも、前半は被災地取材とボランティアに明け暮れ、8月に脳梗塞と脳内出血で倒れてからの後半は、リハビリと再発防止に明け暮れた。日本は、政治も混迷を極め、市井の人々は、多くの痛みを感じなければならない厳しい状況であった。にもかかわらず、政治家はといえば、民意そっちのけで自分勝手に政争を繰り返し、被災地復興や被災者たちの声を後回しにした。政権交代を旗印に2年間民主党政権を黙って見聞したが、もう限界だ。更なる政界再編のみが、この国を救う途。大志を抱き、愛国心を大切にし、民意を等閑にせず、身を粉にしてくれる政治家のみを超党派で結集させるべきである。そのためには、我々市井の人々が声をあげることこそ肝要だ。永田町に長く巣食う垢に塗れた魑魅魍魎にはいい加減三下り半をくれてやること。この国を真から愛する政治家のみが永田町に生き残るべき。そして、それができるのは、我々有権者だけなのだ。新しい年も、宜しくお願い致します。
# by seizaikai_club | 2012-01-07 23:28 | 今日の独り言 | Comments(0)
どうしようもない大きな時代という渦
どうしようもない大きな時代という渦
2011年12月31日

私は
どうしようもない大きな時代という渦の中にいた。
それは、
サンフランシスコ州立大学にトランスファーした1984年から始まった。

  思い起こしてみると、当時自覚はなかったが、大きな時代という渦の中に、自分は身をおいていた。自分が何を為したわけでもないが、その渦の中にいて、ライブで全てを五感を通じて感じられたことは、非常にラッキーであった。そのことは、私のその後の人生、いや人生哲学に大きな影響を与えたことは間違いない。だが、あの頃は、そのことさえ気付いていなかった。灯台下暮らしということだったのかもしれない。当たり前であったが、全然当たり前でなかったのだ。人生に感謝、親に感謝、この時代に生を受けたことに感謝、そして、アメリカにあの時代に居られたこと、カリフォルニア、サンフランシスコにいられたことに深く感謝する。

  1984年、私は、それまで通っていた群立大学を卒業し、州立大学へオーナースチューデントとしてトランスファーした。勉強嫌いの私にとっては驚くべきことであった。メジャーは、ビジネス。州立大学にトランスファーした私は、直ぐにビジネスメジャーからインターナショナル・リレーションズに変更した。何故なら、世界の動きに興味をそそられたからだ。小さな学部であったが、非常に実戦的で、非常にライブ感覚に富んだ学部であった。アメリカで学ぶべきこと、日本では学べないことがそこにあるように私には感じられた。教授たちは、全員CIAの職員であった。勿論常駐ではないが、皆籍があった。学部内に、連絡事務所のようなものもあった。資料類も、全て本物が使えた。半年で賞味期限がくる、CIAが使用している世界中を見詰めることができる衛星写真も、賞味期限切れのものを自由に資料として使うことができた。南カリフォルニア大学とジョン・ホプキンス大学と我が母校のIRは、独立したスクールを形成している非常に充実した学部であった。世界の裏表が、手に取るように理解できた。全てが目新しく、全てが新鮮であった。そして、何より興味深かった。世界中から、留学生がIRに来ていた。勿論私も含めて。特に、パレスチニアンの留学生は多かった。彼等は、命懸けで留学していた。そして、彼らの考え方は非常にハードであった。本来、敵ともいえる立場の人たちを受け入れるところに、アメリカの懐の深さを感じた。やはり、アメリカの教育予算は、軍事予算に次いで大きい意味を感じた。留学生は、ある意味アメリカ資本主義、民主主義の先兵に洗脳され送り返されるのだ。勿論、全員がそうではないであろうが。

  私は、当時教授に言われ、イランを専門にして研究を進めていた。ところが、パレスチニアンの同窓生は、発表授業がある度に、私を質問攻めにし難癖をつけてきた。正直、中東情勢のことは、この学部にくるまで皆無に近い状況で知らなかった。生まれながらに育った彼等からしたら、面白くないのであろうが、だからといっても全てを否定されても困る。解らない他国の人に理解させ、説得するのが授業の目的であると私は理解していた。ところが、彼等は非常に熱くなる。結局、結果からいうと、私の英語力と中東に関しての理解力の低さが原因して、彼等は暴力的な手段で制裁を加えてきた。危険を察知した教授は、私をイランから朝鮮半島問題専門研究に変えさせた。お陰で1セミスター損をした。だが、机上では学べないことを学んだような気がした。その直後、外部教授として教鞭をとっていた「不確実性の時代」で一躍世に名を馳せたガルブレイス教授が、講演中に、同じ彼等パレスチニアン留学生に襲われた。理屈ではない、何かを感じ取った。中東問題の根の深さを肌で感じた瞬間であった。

  当時、私は気付いていなかったが、大学の勉強以外で体感できる時代の潮流の中にいたことを、スティーブ・ジョブズの死で気付かされた。自分たちの中では、当たり前のことであり特別なことではなかった。だが、それはすごいことであったのかもしれない。以前にもここで書いたことがあるが、あまり他言しないでいたのだ。だが、何度かスティーブ・ジョブズ氏とは、知り合いではないが何度も同じ空間で同じ空気を吸い、直接話を聞いたことがある。当時我が母校では、他の州立大学でも同じであったと思うが、学籍者はタダのような値段でアップルコンピューター、即ちMac 具体的に言えばMac PlusとMac SEを手に入れることができた。スティーブ・ジョブズ曰く、「君たちが大学時代にMac ユーザーになれば、卒業した君たちが、それぞれの職場でMacを使うことになる」、その話を聞かされて、何と先見性のある人なのだと感激したものだ。その代り、マック・ユーザーの集いが、毎週末スタンフォード大学のあるパラアルトなどサンフランシスコ周辺都市の大学内で行われ、そこに参加するように働きかけられた。まるで新興宗教団体の集いのような感じであった。新しい情報がお披露目され、問題点などが集まったユーザーと舞台上の技術者の間でやりとりされた。ユーザーの声も、遠慮なく吸い上げられた。必ず最後には、スティーブ・ジョブズが登場し、大騒ぎになり終わるという繰り返しであった。あの頃、全てが始まった。あの頃、今の時代の流れが始まったのだな、その渦の中にいたのだなと最近思う。そのことに、今は感謝している。

  彼は、普通の人であった。だが、何とも言えない情熱が漲っていた。常に、何かと対峙しているような熱い尖ったモノを感じた。アップル教といっても良いほど、私たちは皆熱狂していた。Macなしで、大学生活はあり得ない感じであった。図書館には、ずらりとMacがならび、それまでのタイプライターと取って代わっていた。最初の大学に入学した頃1981年には、まだコンピューターサイエンスのクラスで、コボロなどのコンピューター言語の授業やプログラミングが中心で、決して手頃なものではなかった。その以前に、まずはタイプライティングのクラスを取り、大学生活に備えたものであった。手書きはアメリカの大学ではありえない。タイピングをできないと、卒業どころか大学生活も送れなかった。お陰で、器用な日本人の私は、白人女性たちと同様に、タイピング速度と正確さで表彰された。今から考えると、あの時のタイピングの経験が、全ての原点になっているのかもしれない。

  あれから30年近くの月日が流れ去り、時代もどんどん驚くべき速さで移ろいでいる。アップルコンピューターも紆余曲折があり、落ちたり上がったりした。ライバルのウィンドーズが飛ぶ鳥を落とす勢いで、世界を席巻した。だが、リベンジ・マッチは、違った形で棲み分けをして、スティーブ・ジョブズにも軍配を上げた。ただ、この30年間、1984年に始まり、常に身近にアップル・コンピューターと共にありながら、時代を感じ続けてきたことに感謝する。今では、机の上には、化石化したMacが片隅に追いやられており、ウィンドウズのノートパソコンが、主役を演じている。だが、一度たりともMacが側から離れたことはない。子供たちへの生まれて最初のプレゼントも、二台のMacであった。息子に水色、娘に橙色。そして、新しい年、娘は高校を卒業し、長年好きで身に付けてきたPCを使いこなしデザインを学ぶ学校へと進学することになった。また、Macに、今度は娘が囲まれる運命になった。こうやって時代は、引き継がれていくのだなと実感している。時間は流れている。誰の上にも平等に。その流れは、昔に比べれば明らかに速い。まるで、ロケットで宇宙にいくような速さで、超特急で未来へ向かって疾走している。何処へ向かうのか、それは誰にもわからない。ただ一つだけわかることは、パイオニアは既に伝説になり歴史になったということだ。それでも、彼らの意志を伝え、歩みを止めることなく新たなる一歩を進め続けることだ。決して立ち止まることなく。既成概念に囚われず、新たなる改革を繰り返すことだ。
# by seizaikai_club | 2011-12-31 19:18 | 今日の独り言 | Comments(0)
北朝鮮の今後の有様
北朝鮮の今後有り様
2011年12月20日

昨日、北朝鮮の特別放送により、17日午前8時半に故金正日総書記が心筋梗塞により急逝したとの発表があった。世界中に緊張が走り、色々な憶測が駆け巡った。個人的にいくつかのことを思う。一つは、本当に17日視察中の汽車の中で発作を起こしたのであろうか、大きな疑問をまず感じた。普通に考えて、17日に急逝して、たった2日間で28日の国民葬儀を段取りできるであろうか。非常に不自然である。彼の死に当たっては、準備がいる。どういう形で、発表するか、その後の対応をどうするか、対処しなければならない。にもかかわらず、17日に亡くなり28日に葬儀というのは常識的にいってあり得ないと私は思う。それでは、どういうことかといえば、逆算すれば亡くなったのは17日ではなくそれより以前であったということだ。因果関係はわからないが、ここ少し前に各メディアが興味を示していた北朝鮮アナウンサー女性が姿を消していたことが、故金正日総書記の急逝を暗示していたのではないかと想像できる。多分、彼女が姿を消していた期間に、今後の体制を整えたり、葬儀の時期を計ったり、諸々のことが準備されていたに違いない。死の謎は、この記事では敢えて触れないが、その可能性も色々想像できる。汽車の中は密室、諜報活動に於いては一番暗殺等が為し易い密室であるのは常識だ。だが、そこまで想像することは、もう少し時間を経てからにする。

故金正日総書記の死の謎よりも、興味深いいことは、今後の北朝鮮の行方だ。このことについて、私なりの視点で読み解くこととする。ハッキリ言って、キーポイントはやはり中国だ。中国というのはどれだけ運が強いのか、と今回思った。昨日は、この機に乗じて脱北者が押し寄せることを中国政府は懸念していた。だが、七転び八起き危機を好機にかえてしまう、災い転じて福となす中国らしい方向性を想像することができる。

まず、中国、韓国、日本、そして、アメリカ近隣関係国の利害が、北朝鮮の今後に大きな影響を及ぼす。日本とアメリカは、北朝鮮の存在意味自体どのような形で存在するかに思いを巡らせてはいない。アメリカは、できるだけお金と人を使わずに朝鮮半島の安定が得られればそれでいい。日本も、アメリカと同じようなスタンスだ。一つだけ違うのは、拉致問題解決という点だけである。ところが、中国と韓国は、少々日本とアメリカとはスタンスが違う。韓国では、統一を旗印に表向き南北統一を希求しているけれども、実際には統一が実現すれば経済的に北朝鮮の経済が韓国経済まで道連れにしてしまう可能性が非常に高い。それは、韓国政府にとっても、アメリカにとっても望まないことだ。一方中国政府も、北朝鮮と韓国が朝鮮半島を統一することを望んでいない。理由は、別にあるが、中国政府としては、敵国であるアメリカと同盟関係にある韓国と国境線を接することになってしまう。中国は望まないことだ。中国としては、北朝鮮を死に体状態で緩衝地帯として存続させたいのだ。ところが、故金正日総書記を操るのは案外大変であった。痛みや、経済的な負担も大きかった。ところが、故金正日総書記が亡くなった今、中国として否定的であった世襲問題などの問題も含め、共産主義国として、色々な意味で面目を保つことができる。

今回、故金正日総書記の死という岐路にたち、間髪を入れずに中国が北朝鮮に対し大きく舵を取り出したことは、大いに理解できる。そのメリットを上げてみると非常に多い。1)世襲を形として否定できる。2)傀儡政権を期待できる。3)日本海側の北朝鮮の港を自由に使えるようになる。4)アメリカとその同盟国と直接接触しないための緩衝地帯としての意味。5)中国国内で大きな少数民族である朝鮮族に脱北者が加わる巨大化する独立運動の可能性を抑え阻止できる。6)北朝鮮軍を支配し極東アジア地区のパワーバランスに影響を与えることができる。7)北朝鮮を傀儡政権にしてしまえば、経済的に逼迫するアメリカにとってもプラス面が大きい。8)中国にとっては、アメリカに対し恩を売ることができる。9)中国にとっては、朝鮮半島まで含め、拡大政策の地理的可能性が広がる。このように、数え上げると中国にとってのメリットが非常に大きいことが理解できる。それだけではない。何より、疲弊しきっている北朝鮮国民にとっても、飢えから逃れる一番の近道であるといえる。こうやってみてみると、この形が、どの関係国や当事者たちにとっても、利害が合致し一番望まれる形であることがみて取れる。あとは、改革のスピードである。北朝鮮は最低1年は喪にふすであろうが、中国は足踏みすることなく、迅速に対応するのではないかと私は思っている。多分、北朝鮮軍部の中で、中国とパイプがあり緊密な連携をとれる人材が、その道筋をつけ、徐々に金正恩三代目の包囲網を強くし、飾りものにしていくのではないかと想像できる。多分、唯一、武力による動きが出る可能性は、その時である。勿論、中国側ではなく、金正恩側からである。だが、結果的にいえば、中国に制圧され、粛清する大義名分にされてしまうであろう。中国は、そこまで計算しているかもしれない。そんな風に、私は考える。
# by seizaikai_club | 2011-12-20 09:47 | 朝鮮半島情勢 | Comments(0)
橋下新大阪市長の強さ
橋下新大阪市長の強さ
2011年12月17日

  橋下新大阪新市長の強さは、軟弱で軽そうなノリとは反比例して、芯が強く、軸足がぶれず、何と言っても非常にケンカ上手でケンカが強い、強かな洞察力と判断力と勇気兼ね備えていることであると思う。これは、政治家としての資質以前に、彼の本職である弁護士としての資質が高いことを、彼自身が府知事時代に為し証明している。

  私は、自身の法廷闘争に於いて、ある時から弁護士を使わずに自力で闘うようになった。当時雇っていた弁護士の闘い方に大きな疑問を感じたからだ。どんなに頭が切れ、知識が豊富で、机上の勉強ができて優秀だからといって、それが弁護士としての資質や強みであるとは、私は思わない。というか、自分を弁護するにあたって、闘う闘志や強かさを感じられない弁護士と、命懸けで闘うことに大いなる疑問を感じる。ある証人喚問で、あまりにも教科書通りで、情熱の感じない喚問を私の弁護士が行うのを見聞して、正直大いに落胆した。思わず、自ら喚問をしようとして、裁判長から止められたことがある。そんな経験から、自ら弁護士を使わずに、自分の責任で闘うことの方が、失敗しても納得できるし、勝も負けるも自分の責任で行えるので良いと感じたからだ。情熱を感じない、職業的に、義務的に業務を行うような弁護士に、自らの身を預けることに、恐怖と憤りを覚えたからにほかならない。以来、私は自力で法廷闘争をするようになった。

  それはそうだ、自分で自分を弁護すれば、一生懸命釈迦力で闘いに臨む。だが弁護士は、結局のところ他人事だ。商売なのだ。それと、ケンカの経験もないような弁護士が、頭だけで法廷に望むことに大きな疑問を感じてしまった。法廷闘争とは、私はケンカだと思っている。やるかやられるか、究極そういうことだ。強かに生き残らなければならないのだ。ケンカもしたことのない弁護士に、自分の命を預けられるわけがない。ある意味、自分は生き残り、相手を自分の思うような出口に導き逃げ道をなくすことが、法廷闘争であると思っている。鼠を迷路に追い込む要領で。喧嘩と同じだ。だが、これができる弁護士は滅多にいない。これが、弁護士を使わず自力闘争するようになった一番大きな理由だ。

  ケンカは、強かに勝つのではなく生き残らなければならない。サバイバルゲームだ。軍隊と同じだ。相手を倒すことが目的ではなく、自分が生き残ることが目的だ。結果、相手を倒し自分が生き残るということだ。攻める時もあれば、退く時も逃げる時もある。よく相手の出方を凝視して、瞬時に迷うことなく次の手を繰り出さなければ、気付けばのされてしまうことになる。勇気と速さ、そしてタイミングが非常に大切になる。このケンカの極意こそが、法廷で強い弁護士の条件であると私は信じている。ケンカの実戦経験のある弁護士、これこそが最強の弁護士だ。だが、私の少ない経験では、そんな実戦経験豊富な、机上論を優先せず、五感を駆使して闘ってくれる頼もし弁護士にお目に掛かったことがない。故に、これまで私は弁護士を使わずに闘ってきた。もしかすると、橋下新大阪市長は、そんな勇気と決断と判断力と何より深い情熱をもってことに当たる私が探していたような稀有な弁護士かもしれない。そんな風に、彼のこの3年半の府知事としての様子、そして今回のダブル選挙、大阪都構想実現を掛けて闘う彼の姿を見聞し感じた。

  この弁護士としての橋本氏の強さこそが、本来政治家にとっても何よりの資質であると私は思っている。弁護士以上に強かで狡賢く生き残らなければ、自分の信念をもった法案を押し通すことさえできないのが政治の世界だ。そんな政治の世界で、生き残る秘訣は、上記したような弁護士としての資質に共通する条件であると思っている。そういう意味で、橋本氏は非常に面白く興味深い政治家として、私は見守っている。もしかすると、来るべき大きな政界再編のキッカケに、彼や維新の会がなるかもしれない、原動力となるかもしれないと大きな期待を持って見守っている。橋下氏のような勇気があり行動力があり、既成概念に囚われない政治家こそが、大きな改革を為し、国を動かす。正に維新を為す逸材であると私は思っている。今後の活躍に期待したい。
# by seizaikai_club | 2011-12-17 09:35 | 政治 | Comments(0)
渡辺恒夫告発の清武巨人軍専務取締役の勇気を賞賛
渡辺恒夫告発の清武巨人軍専務取締役の勇気を賞賛
2011年11月11日

以前から何度となく、このブログでは渡辺恒夫の不愉快な理不尽を何度となく指摘していたが、遂に内部告発ということで内乱んが起こったかと思っている。

嘗て、内外タイムスという新聞社の社長をしていた頃、ご存知の通り新聞協会の一員として接点があった。だが、渡辺恒夫に対しては、理不尽で失礼な記憶ばかりで、思い起こすだけでも頭に血が昇るものばかりだ。今回の清武氏による告発内容、そのままの理不尽がまかり通っていた。一体何様だということが多々あった。また、彼を増長させている取り巻きが彼を理不尽に育ててあげているという印象が非常に強かった。

以前からにも話したが、エレベーターでの出来事。私のがエレベーターに乗っていたら、渡辺恒夫と取り巻きがそのエレベーターに乗ってきた。理不尽にも、先に乗っていた私に対して、エレベーターを降りろというのだ。私は、降りる必要が理解できない旨を側近に吐露し、そのままエレベーターに乗り続けた。渡辺恒夫はその側近を叱咤していた。それは、読売主催で行われたパーティーでの出来事であった。私しは招待されていた客の立場にあった。勿論、年長者である渡辺恒夫に礼を尽くしても構わない。だが、ああいう理不尽なことをされると、礼を尽くしても構わないと思っても、そんな気持ちは消え失せてしまう。一事が万事、理不尽なのだ。新聞協会に於いてもそうだ。政治に対しての彼の言動も、まるで何様か? 天皇陛下より偉いのかというような言動だ。確かに、新聞業界の天皇なのかもしれないが、理不尽にも程がある。野球に関しては門外漢。

清武氏の勇気を賞賛する。多分、我慢んの限界いを超えたのであろう。誰かが止めなければ、巨人軍の名誉を傷つける、読売新聞グループの名誉を傷つけると思っているの判断であろう。世論調査まで彼の鶴の一声で、書き換えられるという噂さえ聞こえてくる。これでは、読売新聞の信頼度も地に落ちる。彼のワンマン、我儘はもう度を超えている。別に、渡辺恒夫が創業者でもなければ、読売新聞のオーナーでもない。唯の一政治部記者出身ではないか。いつから、彼はオーナー頭らになったのだ。政治評論家の三宅久之氏と同期の政治部記者出身だ。いつから、あんなに偉くなってしまったのか。多いなる疑問が感じていた。とうか、もうあまりにも影響が大きすぎる。というか、私的思想を強制し、マスコミに籍をおいていることで、メディアを私物化し政治まで動かしている。もう、度を越しており、これ以上放置しておける限度を超えている。それが、今回の清武氏による下剋上クーデターということであろう。これを良い機に、ご自分で身を清め現役を引退されるべきではないか。私のは、そう強く思う。
# by seizaikai_club | 2011-11-11 18:09 | マスコミ | Comments(0)
TPPにみる明と暗
TPPにみる明と暗
2011年11月9日

 TPPの問題が、政界やマスコミ界を賑わせている。ここに述べることは、私がこの問題報道から受ける個人的な印象だ。正直に申し上げる。どうも、一方的に政府の情報非公開的な報道に偏っているような気がしてならない。確かに、一般庶民からすれば、何が何やら、一体全体TPPって何のこと?っていう感じだ。だからといって、一方的に政府が情報を非公開してゴリ押ししているような印象の報道ばかりが耳障りに聞こえてくる。

 反対派は、ただ遮二無二、TPPは日本の市場を崩壊するようなことばかりを主張する。確かにデメリットはあるであろう。だが、デメリットばかりではなく、メリットもあるはずだ。どんなことでもメリットとデメリットがあるはずだ。冷静に、その辺のことを検証すべきである。

 お隣の国韓国では、確かに農家からは反対の声も聞こえている。だが、全体的にいうと、日本のそれと比較すると反対規模は大きくない。農家にも、賛成派が多くいるという。彼等と日本人の違いは、彼等は個別の業界の損得ではなく、国全体としてのメリットとデメリットを判断基準にしているところが、日本と大きな違いだ。勿論、韓国の真似をしろというのではない。だが、このことは、今の韓国人と日本人の意識基準の違いを端的に表しているように感じた。

 日本では、既得権益死守ばかりで、全てデメリットばかりという印象が非常に強い。要は、競争力を排除することの方が、全体的な利益よりも優先させている印象が強い。結局は、TPP反対=既得権益死守という構造だ。そんな風にしか思えない。本来自由競争であるべきだ。寧ろ、TPPは、中小企業などにチャンスを開く可能性が高いように私は感じている。

 既得権益という意味では、日本医師会のTPP反対意見などはその最たるものだ。TPPを推し進めれば、医療現場が崩壊するとばかりに反対運動を行っているが、果たしてそうであろうかと大きな疑問を感じる。私には、医師を守るためにPTT反対を訴えているようにしか聞こえない。本来、患者の立場に立てば、果たしてPTTにデメリットばかりだろうか。日本の保険制度が崩壊するということを懸念していることばかりが報道される。だが、私はそう思わない。もっと前向きに捉えれば、デメリットよりもメリットの方が大きいように思う。

 総合的に言えば、具体的に何が良いか悪いかの問題よりも、何でもかんでも「ダメ」「無駄」と守りにの体制ばかりに立つ今の日本人の姿勢、ここに一番大きな問題がある。私は、そう思っている。あまりにも平和過ぎて、守りに入り、可能性を試すということが今の日本には足りない。こんなことをしていれば、結局日本は遅れを取ることになりかねない。「ダメ」といったら、何もできない。そこの精神論的なことが、今の日本には何より大切。「ダメ」を乗り越え可能にする向上心が、今の日本には、一番必要なことのように私は思う。環太平洋地域の国々にとって、ユーロのような過ちは犯したくない。それが私の正直な思いだ。だが、だとしても、今の日本には「ダメ」ばかりになり守るに入ることには大いなる憂いを感じる。
# by seizaikai_club | 2011-11-09 09:32 | 政治 | Comments(0)
鎖国時代の踏絵のようなTPP
鎖国時代の踏絵のようなTPP
2011年11月6日

 今政治でもマスコミでも、TPP参加か否かの問題が、大きな議論となっている。これはある意味、頂点を極めてしまい、豊かさを謳歌し、守りに入ってしまった日本の現状の姿勢を露わにし、常に守りではなく攻撃的に、国の未来を憂いながら前を向いて歩みを進められるか否かを決する大きな試練だと考える。この問題の対応で、世界は今の日本人の可能性を見極めていると言えば大袈裟だが、そんな意味もあることを忘れないことが肝要であると私は思う。

 これはある意味で、日本政府にとって試練だ。何でも、簡単に乗り越える飽食の時代は終わりだ。これからは、国際社会における競争の時代である。特にアジアに於ける経済格差が狭まりつつあり、安穏としていると、気付けば追い越され後の祭りとなりかねない。アジアの頂点は言わずと知れた日本だ。しかし、頂点を極めた国の末路は火を見るより明らかだ。そんな厳しい状況下、日本が今しなければならないのは、守りではなく負けない政治、追い越されない国を保つための外交、即ち恐れることなく歩を進められる強い政治をしなければならない。

 どうしても、全てを勝ち得てしまった人間は、守りにはいってしまう。それは、満たされているからだ。その特徴は「ダメ」という言葉の連発だ。あれもダメ、これもダメ、ダメダメ尽くしになる。今から延びようとしている人間は、まったく反対だ。ダメを可能にしようという精神論が、そういう上を見ている人々だ。国でも同じだ。下を向いてしまえば、「ダメ」という言葉しか出てこない。育児でも国でも同じだ。ダメダメ尽くしでは、大きな人間は育てられない。国でもまったく同じだ。ダメダメ尽くしでは、小さな人間しか育てることはできない。今の日本は、私の目から見たらそういう風にしか見えない。何もかにも、「ダメ」「ダメ」「それは無理」「それはできない」「アメリカに騙される」「中国が悪い」「韓国が悪い」と、責任転嫁ばかりして、人の所為にばかりする。これでは、それこそダメだ。全ては自己責任。国でも同じだ。頭から「ダメ」といってしまえば、全てが駄目になり気付けば追い越されビリケツになってしまっているのが落ちだ。今日本がしなければならないことは、驕りを捨て、初心に帰ることだ。全てを白紙にし、新しい国造りを考えることだ。新しい時代にあった、新しい国のシステムをだ。そして、変革しつつある国際社会の流れに乗り遅れないように、最善を尽くし存在感をしめしていくことだ。「郷に入ったら郷にしたがう」、このことを忘れては取り残される。大きなウネリを、どう乗り切るかが今この国の政治家に課せられている運命だ。そのことを肝に銘じて政治を行ってほしい。そのことは、政治家だけでなく、国民全体レベルで意識改革してほしい。必ずチャンスはある。動乱の時こそ、伸びるチャンスがあるのだ。そして、そのチャンスを得るのは、延びようとしている前向きな人々だけだ。危機をチャンスに変えることこそが、政治家の資質の一番大切なことだ。チャンスを掴み取ってきた松下幸之助翁の影響を受けている野田総理には期待したい。
# by seizaikai_club | 2011-11-06 09:37 | 国際情勢 | Comments(0)
慣れないスローライフ
慣れないスローライフ
2011年10月24日

 脳梗塞を患って以来、柄にもなくスローライフを実践している。ご存知のように、血圧が上がることを極力抑えなければならない。生まれて初めて血圧降下剤を服用している。今までは、血圧が高いのでと言われても、この薬飲みだせば死ぬまで服用しなければならないと、食事療法などでごまかしていた。二年前の膵炎による多臓器不全の際には、自然に血圧が下がり喜んでいた。ところが、忘れていたころに、今回の発病。気付けばやはり昔のように、上が200前後、下が110以上という驚異的な血圧を記録していた。死にたくなけりゃ、と医者に脅かされ遂に血圧降下剤を服用するようになった。調子は悪くない。だが、気候の変化や気圧に血圧は左右されるようで、季節の変わり目の今は、何だか知らないが不安定だ。

 そもそもせっかちな性質の私にとっては、このスローライフというヤツがえらく厄介だ。脳に傷があるとかで、再発防止と癲癇発作予防のため、運動も極力控えるようにと言われ、全ての運動を我慢している。食欲だけは以前同様旺盛で、散歩も出来ない状態なので脳以外の身体が悲鳴をあげている。人間の身体というのは、こういう風にしてバランスを崩していくのだなと実感している。どこかを庇い過ぎれば、どこかに支障がでる。結局はバランスが重要なのだ。死期は運命だ。死ぬ時は死ぬ、そんなことを思いながら、少しだけ行動範囲を広げている。筋肉がつるようになってしまったので、ほんの少しだけバーベルを上げてみようかなと思っている昨今である。

 車の運転も、渋滞などで血圧が上がると危険なのでと止められた。だが、歩くのダメ、車もダメ、何もダメ、かにもダメと言えば、言うのは簡単だが生活がなりたたなくなる。子供たち二人を抱えた我が身には、無理という相談だ。結局、隠れて車を運転し、仕事も少しずつ始めている。よっぽど貯金でもあるのなら別だが、人間働かずに生きてはいけない。お医者様は、私の身体を大切に思ってくれてのアドバイスをしてくれているのであろうが、そこが何ともジレンマだ。

 せっかちな私は、そもそももともとは競歩のように速足であった。短期でせっかちで、脳の為にはまったくよろしくない。私は、外見は実年齢より随分と若く元気であると自負してきた。だが、蓋を開けてみると、脳の中身、脳年齢は実年齢よりも随分と老化しているとのことだ。担当医に開口一番忠告された。「このままいけば還暦は迎えられない。脳に負担を掛け過ぎ。無理をし過ぎだ。長生きしたければ、スローライフを心掛けるように。次に起これば障害は重く、命もないだろう」そう宣告されてしまった。少々、自分でも驚いた。まさか、誰よりも若いと思っていたので、言葉が出なかった。まあ、思い起こしてみれば、二人の子供を抱えて、仕事や家事全般や、あまりにも忙しく生きてき過ぎた。だが、苦でもなかった。苦でもないと言えば嘘になる。だが、可愛い子供たちのことを考えれば、屁でもなかった。

 偉そうに、人生の第一ステージ、第二ステージを終え、子供たちの巣立ちの時が目前に迫り、人生最後のステージ、第三ステージに突入だなどと言っていた矢先の出来事だ。正直、自分自身が度肝を抜かれた。「嘘、何で?」という正直な心の声だ。これから第三の人生と思っていた矢先のことだ。人生とは、本当に一寸先は闇だ。何が起こるかわからない。二年前の大病で、神様は喝を入れてくれたのだと思っていたが、まだ教訓が必要であったようだ。だが、それでも生かしてくれた。死を迎えることもなく、障害を負うこともなく、多少言葉を失っただけで、十分リハビリで立ち直るチャンスを与えてくれた。これは、奇跡だ。感謝しなければ。まだ、死ななくていいというお告げだろう。ただ、今までとは違い、ゆっくりと地に足を付けてということなのだろう。

 最近よく思う。あまり後先考えても、死ぬときは死ぬ。それなら今この時を一生懸命生きようと。だが、身体が付いてこない。実際には付いてこないのではなく、身体をいたわらないといけない。困ったことだ。中身の精神は活き活きしているのに、身体は中古のおんぼろ状態になりつつある。参ったものだ。それでも、与えられた自分の環境の中で、精一杯頑張るしか方法はない。無理せず、騙し騙し健康に留意しながら一歩を進めなければならない。まだまだくたばるわけにはいかないからな。思えば、結局のところ、私の人生、子供たちによって意味を与えられたようなものだ。そんなことを思う、今日この頃だ。その子供たちも、巣立ちの時に向かって秒読みが始まった。スローライフといいながら、まだ秒読みだなんていっている。ダメだな俺は。(笑)
# by seizaikai_club | 2011-10-24 12:57 | 今日の独り言 | Comments(0)
脳梗塞顛末記 続々編
脳梗塞顛末記 続々編
2011年10月23日

 どうしても、直近の物事を忘れてしまう傾向は、脳梗塞後にある症状の一つかもしれない。以前だと、書くことが頭の中で構成することができていたのだが、以前同様構成するのだが、それを直ぐ忘れてしまう傾向がある。それが、ある意味、私の仕事にとっては、障害となっているかもしれない。気になっているところは、日々つける日記だ。日記の記載が、少々大変になった。その日に何があったかを忘れがちだ。

 他にも、脳梗塞以前と以後では、いくつかの違いが出ている。例えば、聴力だ。ここ数年、いや継続的な頭痛を抱えだしてから、耳が非常に遠くなっていた。テレビをつけていると、家族から非難轟轟であった。ボリュームをこれでもかというほど大きくしていた。祖母でさえ、音が大きすぎと文句を言っていたほどだ。耳が非常に聞こえ難かった。それが、脳梗塞後、普通に戻った。不思議だ。ボリューム25程度で聞いていたのが、今では普通に12から15程度で聞いている。以前だと考えられなかった、ボリューム2~5程度でも聞くことができる。不思議この上ない。

 担当医に言われ思い起こしてみると、1年以上まえから兆候がでていたはずだという。確かに、思い返してみると兆候があった。まず、兎に角継続的に左後頭部の変が非常に重く酷い頭痛が続いていた。ほとんどロキソニンを欠かすことなく常用していた。それと、3時間以上眠れなかった。寝たくとも寝れない。お蔭で、時間は有効に使えたが、熟睡ができなかった。鈍痛に頭を押し潰されそうになっていた。寝返りもうてず、ある方向に寝返りすると眩暈もしていた。車をバックで駐車すると、必ず同じ方向に車が曲がった。洗い物をしていて、コップ等を落とすことが、ここ2~3ヶ月は非常に多かった。肩こりも酷く、どうやっても解消することができなかった。上気したような症状が、今から考えると兆候であったのだろう。間違いなく、異変が起こっていたのだ。ただ、自分では、それを異変とは気付かずにいる。そんなものだ。

 だが不思議なのは、何か予感を感じていたのかもしれない。7月14日に息子がボランティアでネパールに旅立ったのだが、その前夜、息子と娘を目の前にして、万が一のことがあったらと彼らに色々な話しをして聞かせた。お蔭で、彼らは心の準備ができており、実際息子は、言われていた通りに、入院直後から迷うことなく色々と動いてくれた。これは、非常にありがたかった。多分、本能的に、自分の身体に異変が起きていることを感じ取っていたのかもしれない。不思議な話しだ。また思い出したことがあれば、書き留めることとする。

 話は変わるが、私の場合数字が全滅でひらがなもほとんど失った。だが、幸い数字とひらがなだったので、比較的早くリハビリができた。当初は、本のページを開いたら、非常に不思議な情景が見えていた。あれは面白い経験だ。不思議の国のアリス状態だ。見える言葉と見えない言葉が躍っていた。1ページ読むのに、1時間以上掛かった。グルグルとページが回っていた。私の場合は、漢字は多く残っていたので全滅した数字も漢数字に置き換えリハビリした。不思議なのは、多分記憶されている場所がそれぞれ違うのだろう、アメリカのSocial Security Numberは、不思議なことに潜在的に記憶されていたのか、うわ言のように英語で言っていた。同じ数字だが、残っていた。不思議だ。人間の身体とは、不思議なものだ。今やっていることは、以前のようにスムーズに読書できるよう、全て読書は音読にしている。これは、かなり言語障害のリハビリに大きな効果があるようだ。このお蔭で、ほぼ初対面の人には、障害を気付かれることはない。周囲の人たちにも、まったくわからないと言われる。数字に関しては、紙に書けば直ぐに計算もできるようになったのだが、暗算は全滅であった。病院では、一日何回も暗算をやってもらった。私自身では、ipadを有効利用して早いペースで数字のリハビリも為すことができた。
# by seizaikai_club | 2011-10-23 12:59 | 今日の独り言 | Comments(0)
脳梗塞顛末記 続編
脳梗塞顛末記 続編
2011年10月23日

 第二弾では、徐々にわかってきたことを記しておくこととする。部分的に、倒れた当日のことが記憶から消えていたが、当日会っていた人々と再会することで、当日の様子が解ってきた。自分の中でハッキリ覚えているのは、自宅を出発する直前、娘と泊りにきてくれていたお友達へ、「いってきます」と声を掛け出掛けたことだけだ。

 その後、都内で打ち合わせをした。二つ目の打ち合わせまでは記憶があるのだが、言葉がでなくなった瞬間までは覚えている。だが、その後の記憶はない。ただ、少しだけ病院に向かう車の運転中の記憶が残っている。それは、困ったことの記憶だ。

 まるでプッチっという音を立てて、まるで頭の中が切れたかのように、突然言葉がまったくでなくなった。頭の中では考えているのだが言葉がでない。後で周囲の人々に聞いたところ、言葉がでなくなっただけではなく、まったく表情がなくなったという。同時に、打ち合わせの最中であったが、冗談かと思うような不思議な動きをしたということだ。彼ら曰く、座っていた椅子の上から飛び上がるような、尋常ではない動きをしたらしい。その直後から、まったく動かなくなったそうだ。心配した、周囲の人々は、カウチで休むように促したそうだ。そうこうしている内に、勿論私自身の記憶はないのだが、小一時間すると突然飛び起き、皆が止める間もなくバックパックを肩にかけ、制止する間もなく飛び出していった。それからは、迷走の時間だ。いや迷走ではない。今から思い起こしてみると、過去に打ち合わせ中、二度脳梗塞を起こした相手を救急車で病院にまで同伴した経験があったが、二人とも病院がどこも満室で盥回しになっている間に手遅れになった。勿論、亡くなりはしなかったが、大きな後遺症が残った。その記憶が、普段から私の中に潜在的に残っていたのであろう。何としても、これは自力で以前に命を救われた防衛医大まで向かわなければと思ったようだ。

 本当なら、自殺行為とも思われる自力での運転で、病院まで向かった。正直に言えば、多分脳内出血量が少しずつ増えてきたのであろう。当初動いていた右半身に痺れがではじめ、段々と動かなくなってきた。それだけでなく、思考能力が著しく低下していた。普段当たり前で運転していた自分の車の操作が上手くできない。ハザードさえ止められない。ナビも操作できない。ただ、これはもう無意識というか潜在的記憶として、病院までの道程は覚えていたのであろう。アクセルを踏んで、赤信号で止まる。それだけで、病院まで辿り着いた。一生懸命言葉を出そうと一人格闘した。だが、言葉はでなかった。段々に右半身だけでなく、左半身にも痺れを感じてきた。そんな矢先、病院の救急救命センターよう入口前に車を乗り捨て、受付に向かった。まったく言葉がでなかった。後から聞けば、一目瞭然で様子がおかしく、受付の警備の人は直ぐにお医者を呼んでくれた。医者の姿を目の当たりしたら、安心したのか私は崩れ落ちた。同時に、「脳内出血か脳梗塞だ」という声がどこか遠い記憶の中で響いた。段々に、自分の周りで木霊している声が、遠くなってバリアに覆われたようになった。朦朧とした意識の中、ストレッチャーに乗せられCTやMRなどで多分検査されていたのであろう。その頃には、もうほぼ意識が薄れる寸前であった。その後、ハッキリと意識が戻ったのは、病院の廊下をストレッチャーにのせられあちらへこちらへと進んでいた時だ。気付けば、既に窓の外は真っ暗で静かな病室に到着した。

 目を覚まし意識が戻ってくると、看護婦さんたちがストレッチャーからベッドへ乗せ換えてくれていた。私は、必死に名前と住所などを言葉にしようとしていた。だが、言葉はまったくでない。辛うじて子供たちの名前だけ。自分の名前も苗字も言えない。生年月日も思い出せない。住所の数字も電話番号もでない。子供たち二人の名前だけを、何度も何度も口遊んでいた、と後に看護婦さんから言われた。

 その頃になると、酷い頭痛と眩暈、吐き気 が恐ろしい勢いで襲ってきていた。自分の身体がどうにもできず、もんどりうっていたようだ。単純な介護ベッドの操作さえできない。頭を上げたいのだが、自力でそんな簡単なこともできない。頭の違和感で、身体をクネクネとくねらせ、もだえまくっていた。気付くと、胴と手足が拘束きで完全に拘束されていた。一瞬、「精神科に入れられてしまったのか」と脳裏を霞めた。どこに自分がおり、自分が誰かも言えないのだ。それは精神科にいれられてもおかしくない。そんなことを思った。だが直ぐに、その不安は打ち消された。看護婦さんが、「ここは脳神経外科ですよ。名前や住所、わかりますか?」という声が響いてきた。「動いたらいけないので、身体拘束させてもらっていますよ」と優しい声が聞こえてきた。だが、どうにも頭に違和感があり、じっとしていられない。暫くすると、そんな私を察したかのように、点滴の中に多分寝る薬を投与してくれたのだろう。静かに眠りの世界に落ちて行った。
# by seizaikai_club | 2011-10-23 07:56 | 今日の独り言 | Comments(0)
相変わらず外交下手の日本
相変わらず外交下手の日本
2011年10月23日

 日本は、昔から外交下手だ。ハッタリがきかない。言葉が悪いがバカ正直だ。強かに、良い結果を得るために立ち回るということができない。真っ直ぐに直球を投げる。だが、国際社会では、以心伝心とか、良い人と思われるだけでは、何も得ることはできない。結果しかみられない。

 例えば、PTT関税自由貿易の問題。アメリカが主導権を持って環太平洋地域で関税自由貿易化を図っている。国内外で異論が多々生じている。確かに問題点は多い。だが、既に、多くの国がこの流れで動き出している。韓国などは、問題点を感じながらも、条件を提示して賛同する意向を示し、アメリカに恩を売る形で合意した。勿論、韓国国内にも根強い反対派もいる。だが、李明博大統領は、さすがにビジネス・マンだ。交渉事にあたって、交渉しなければならなければならない運命にあるのならば、無理やりやらされるという形にならず、逆に主導権を取り交換条件を提示して、アメリカに恩を売る形での合意をした。結果、韓国国内に対しては、影響を出来る限り少なくし、遣らされるのではなく、自ら遣るという姿勢で臨んだ。これこそが、リーダーだ。

 日本はといえば、能書きばかりいって、結局圧力をかけられ、嫌々やらされるという方向に向かいつつある。どうせ、やらなければ国益に反する国際関係があるのならば、御託を並べず主導権をとるべく、韓国のように条件をつけながら恩を売る交渉術が必要。どうにも、日本はこの辺の外交交渉術が、非常に幼稚だ。いつまでたっても、成熟しない。というか、国際社会では、いつまでたっても幼稚極まりない。国民性もあるのだろうが、良い結果を引き出すためには、多少のハッタリも必要だ。良い子になる必要はない。一つの原因は、総理大臣や内閣がコロコロ変わるという、日本の特徴がある。韓国の強みは、アメリカの大統領同様4年の任期の間は、多少の問題があっても完遂する。裏を返せば、それだけ腹の括り方も、責任感も他国のリーダーに比較して日本の首相は低い。この問題から、まず改革しなければ、何も変わらないのかもしれない。日本人全体が、こういう基本的なことを、よく考え直す時が既に来ているように私は思う。
# by seizaikai_club | 2011-10-23 06:54 | 政治 | Comments(0)
大阪都構想と市長選に思うこと
大阪都構想と市長選に思うこと
2011年10月21日

 大阪市民でない第三者として思うことを、正直に記すこととする。そのことをご了承ください。当事者でないので、無責任な内容にならないように心掛けます。

 まず最初に、正直に言えば、昔から大阪府と大阪市という体制自体、第三者からすれば非常に解りにくい。何十年も大阪に出入りしていても、未だに完全には理解できていない。全ての根源は、そこにあるのではと第三者として無責任に思ってしまう。そういうことからすると、橋下知事の大阪都構想というのは、ある意味我々部外者にとっては非常に解り易い。

 例えば、テレビ番組などでも取り上げられていたが、道路の清掃一つをとっても、府道と市道で交わる交差点では市と府が縄張り争いのような事をしていると報道されていた。正直に、不思議に思った。施設等も、私立と府立の二種類があり、他県からの訪問者からしたら、非常に解りにくいし無駄にしか感じられない。多分、そんな不合理を、橋下知事は改革しようとしているのだろう。当事者の大阪市民や府民からしたらば、今まで継続されていた体制を、わざわざ改革して、危険を犯したくないという守りに入っているのだろう。だが、思う。改革というのは、誰かが勇気をもって、人々を導いていかなければ、いつまでたってもできないものだと。今、大阪は、そんなチャンスを得ているのではないか、そんなことを無責任に思う。

 本来関西圏というのは、京都、大阪、神戸という大きな都市が並列していて、大きな力を持っている地域であるはず。それなのに、その良さを活かさず、どうも不合理なことを続けているように、昔から感じていた。関東圏は、関西とは違い東京が首都として大きな位置をしめている。だが、万が一天災などが起これば、一蓮托生一気に潰れてしまう。そうやって考えると、関西圏は非常に良い形ができるのではないかと思う。折角のそんな天運を、わざわざ分裂するような形で逃してしまうことは非常に残念だ。上手く、良い結果がでればと思う。今後の進展を見守りたい。
# by seizaikai_club | 2011-10-21 22:56 | 政治 | Comments(0)
故スティーブ・ジョブズの想い出
故スティーブ・ジョブズの想い出
2011年10月10日

 先日アップル・コンピューターの創設者スティーブ・ジョブズ氏が急逝した。近年体調が悪いことは、その姿を見れば誰の目にも明らかであった。予想はしていたが、かなり衝撃的な出来事だ。

 年齢的にも近く、私がサンフランシスコ・ベイエリアに居た頃は、アップル・コンピューターも黎明期であり、接近遭遇の機会が度々あった。当時、カリフォルニア州立大学の生徒たちに、アップル・コンピューターは、モニター的なサービスでタダ同然の価格で、Macを提供していた。私も、大学の購買でMac PlusとMac SEを購入し使っていた。その発想も、スティーブ・ジョブらしい発想からのことであった。州立大学の学生に格安のサービス価格で提供することによって、彼等が将来卒業し社会に出た際、勤め先で彼等が必ずアップル・コンピューターを使用するであろうということで、このサービスが展開されていた。また、このサービスは、拡販目的にとどまらず、このサービスにて購入した学生は会員登録され、毎月何回か行われる、日本風に言うマックファンクラブのような大きな大会に参加する権利を得ることができた。1000人規模でのこのような大会には、毎回利用者の意見を集約するだけでなく、必ずスティーブ・ジョブズが参加していた。まだ、あの当時のPCは容量が小さく、外付けのハードディスクなどを利用する必要があり、その為の情報交換なども会員同士で行うことができた。だが、私たちにとって、何より彼の講演を毎回耳にすることが出来ることが嬉しかった。懐かしい想い出だ。

 私の母校SFSUは、サンフランシスコの街の南端にあった。そのままパラアルトというスタンフォード大学のある街へは車で30分程で赴けた。色々な場所で、大会は開催されたが、私の場合は大抵、スティーブ・ジョブズの母校、スタンフォード大学があるパラアルトでの大会に参加していた。ここに集う学生たちは、皆PCに非常に強い興味を示しており、いや、アップル・コンピューターに示しており、あの頃の仲間の数人は、今でもアップル・コンピューターに勤めている。

 Mac自体の魅力もさることながら、彼の話の面白さはずば抜けていた。もともと、アメリカの大学では、タイプライターは必需品であったため、タイプライターからPCに移行するということは案外容易なことであった。私たち学生も、大学に入るとまずタイプライターのスキルを高めるクラスを取ったりしていた。宿題も、論文も、全ての課題がタイプライターなしではなりたたなかった。そんな状況下、大学の学生にターゲットを当てた彼の発想は非常に面白かった。というか、彼自体の中に、学生と同じ発想があったからであろう。発想が非常に柔軟で、既成概念に全く囚われない彼の発想、イコールアメリカ人の発想と、当時私は非常に感動したものだ。

 あれから30年近くの月日が流れ去り、その間彼自身アップルとの関係でも紆余曲折あり、まだ56歳という若さで急逝してしまった。残念だ。世界でも、非常に柔軟な発想であるアメリカ人の中でも、彼らの世代のアメリカ人は、特に柔軟なアメリカ人世代であるように私は思っている。1970年代に、ベトナム戦争という苦難の時に育ちながら、反戦運動に身を投じ反骨精神を身に付けた。そんな彼等の世代は、非常に柔軟な発想のできる人々だ。あの世代のアメリカ人たちは、今起こっている新しい時代を切り開いたパイオニアたちだ。スティーブ・ジョブズしかり、ビル・ゲイツしかり、この地球上に産業革命に続き、技術革命を起こした人々だ。ご冥福をお祈りする。
# by seizaikai_club | 2011-10-10 11:27 | アメリカ関係 | Comments(0)
脳梗塞顛末記
脳梗塞顛末記
2011年10月1日

 約一か月前。八月下旬に、私は脳梗塞と脳内出血に倒れた。昼過ぎ仕事の打ち合わせを予定通りこなし、3時前に次のアポに移った。それまで何の異常もなかったのだが、3時過ぎ突然異変が訪れた。時間は3時10分過ぎ、突然言葉でなくなった。話そうとしても、まったく言葉が出てこない。だが、酷い頭痛があるわけでもなく、ただ言葉が出てこない。同席していた仕事の関係者が後に曰く、あの時、不思議な動きを私はしていたそうだ。何が起こったのかと思ったという。同時に、言葉が全く出てこなくなり、表情がなくなった。それだけでなく、こちらからの質問へもまったく答えなくなってしまた。その様子は、異常な感じであり、少々怖くなったという。間違いなく、何か身体的に異変ができたとわかったので、暫くカウチに静かにさせようとしたとのことだ。実際、小一時間カウチで寝ていた。

 ところが突然すっくと立ち上がり、言葉もなく部屋を出て車に乗り込んで去ってしまった。車の運転ができるのかと非常に心配であったという。3時過ぎからの記憶は、私自身はほとんど残っていない。ただ、自力で運転をしながら、防衛医大まで必死に向かった。そのことはよく覚えている。もう既に思考能力が低下し、自分の車でありながらハザードやウィンカー、ナビまで操作ができなくなっていた。後から考えると、操作方法等が、記憶からまったく消えてしまったということだ。頭の中では、言葉をしゃべっている。ところが、声として出ない。運転しながら、一生懸命話そうとしていた。同時に、時間と共に右半身がどんどん痺れおかしくなってきた。病院に着くころには、左手も痺れていた。

 そんな状況下でも、兎に角二年前に入院した防衛医大に向かわなければと、そればかりを思っていた。何故ならば、2年前の経験で、自分の中で最も信頼できる病院であったからだ。しかし、自分がいた場所は都内、約50キロ程度をかなり危険な状態で運転してきた。今考えると恐ろしいことだ。それでも、自分の中では、救急車で運ばれれば、知らない病院に入れられてしまう。それならば、防衛医大に入りたいと、思ったのであろう。

 よくも警察に止められることもなく、無事1時間たらずで防衛医大まで辿り着いたものだ。既に時間は、午後6時10分過ぎ。救命救急センター前に、迷惑な駐車の仕方で車を乗り捨てた。エンジンを止め、鍵を掛け、これはもう無意識であったに違いない。そのまま救命救急センター入り口の受付にヨタヨタと辿り着いた。誰の目にも、異常が理解できたのであろう。直ぐに、ERの先生方が現れた。私は崩れ落ちた。先生の「多分脳内出血」という声が聞こえた。意識が薄れた。気付けばストレッチに乗っていた。周囲の音や声は聞こえていた。慌ただしく、周りが動いていた。聞き覚えのあるCTの音がした。まるで、他人事のように、自分を中心に、バリアの中にいるようであった。自分のことでありながら、客観的に全てが見えていたような気がする。

 暫くすると、名前や生年月日、住所など訊かれた。ところが、言葉がでない。必死に、言葉にしようとするのだが、言葉にならない。必死に、子供たちの名前だけ繰り返してたそうだ。特に、数字が全く出てこない。住所の数字、生年月日の数字、数字が頭の中からどこかに消え去ってしまったようだ。またしばらくして気付くと、ストレッチに乗せられ、長く暗い廊下を進んでいた。エレベーターをいくつか乗り継ぎ、気付けば病室に辿り着いた。動けないようにベッドに拘束具で、両腕と腰を拘束された。頭が激しく痛み、横に寝ていることが辛かった。吐きそうである。頭を一杯に上げてもらい、アイスノンをいくつか頭の下に敷いた。どれだけ時間が経ったのであろうか。窓際のベッドで、窓の外が漆黒の闇に包まれていた。自分の頭の中のようで、暗闇の迷路を彷徨っているような気持ちであった。

 翌日の朝目を覚ますと、右半身が依然痺れていた。だが、手も足も動く。必死に動かしてみようと試みた。左手の痺れはすっかり取れていた。窓の外に網が貼ってあり、その網にセミが何匹も留まっていた。ところが、「セミ」という言葉がでなかった。いや、声自体がでない。それでも、前夜よりもましになっていた。自分の名前が言える。生年月日は言えないし、住所の番地等も言えなかったが、住所なども言えるようになった。30分掛かって、「セミ」という単語を探し出した。平仮名が、バラバラに飛び回っていた。身動きできない中、暫く眠りに落ちると、息子の姿が目の前にあった。胸を撫で下ろした。見回してみると、妹や母、それと友達が集まってくれていた。救命救急センター前に駐車した車を、友達に任せ自宅に持ち帰ってもらった。もしかすると、この二日目の記憶は実際には三日目であったのかもしれない。この辺の記憶は、私の中にはない。

 三日目には、担当医も驚くほどに、右半身不随は元に戻り、言葉も戻りだした。「100-7=」からずっと引き算を繰り返された。だが、暗算がまったくできない。元来数字には弱い私にとって、引き算は苦戦した。だが、平仮名は直ぐに再学習した。担当医にも、前向きでリハビリ意識が非常に高いと褒められた。だが、一度死んでしまった細胞は戻らない旨を知らされた。再学習、リハビルしか方法はないと宣告された。だが、落ち込むことはなかった。兎に角、どんどん再学習(リハビリ)するしかない。時間は十分にあった。兎に角、必死で再学習した。みるみる言葉も戻りだした。

 息子が持ってきてくれた「本能寺の変 四十七年目の真実」という本を読んでみた。読める。だが、1ページを読むのに1時間掛かった。まるで、左側と右側で、まったく別の世界が広がっているようだ。左側で認識できる単語は、今まで通り目に入る。だが、右側で認識できる単語は、例えひらがなでも未知の世界のようだ。グルグルと目が回るように、行がグルグルと回っていた。

 そうこうしていると、担当医から病状の説明があった。三か所の脳梗塞と脳内出血を起こした。一番大きな脳内出血は、脳の「角回」という認知を司る部分で起こっているとのことであった。驚かされたのは、今回以外に、若い頃に交通事故で患ったであろう古い梗塞を含め、全部で六ヶ所の梗塞か所が確認できるとのことであった。今まで、障害が出ていなかったことが不思議だという。確かに、担当医に言われてみると、兆候があったのかもしれない。ただ、自分で気付いていなかっただけだ。1年以上前より、酷い後頭部の頭痛に苦しんでいた。ロキソニンを常用していた。また、3時間以上眠れなかった。「あの」「その」というようなことが多かった。物忘れが多かったし、ここ数カ月は、洗い物で兎に角よく食器を落として割っていた。バックの際に、ハンドルを非常に重たく感じていた。どれも、兆候であったのであろう。

 不思議なことがある。それは、ぐっすり眠れるようになった。溶けるように眠ることができるようになった。これは、非常に大きい。まるで何年振りかに本当の眠りにつけるようになったような気持ちだ。リハビリによる再学習を続けながら、右腿の付け根より、カテーテルを脳まで入れ治療を行った。そうこうしている内に、退院を迎えた。そして、昨日1ヵ月検診まで辿り着いた。

 死んでしまった脳細胞は元に戻らないそうだ。そこにあった記憶も元には戻らない。再学習、リハビリしかない。昨日の検診では、脳に傷があるので癲癇発作が起こる確率もあるとのこと。半年間は、運動を控え運転なども控えた方がよいとのこと。そうはいっても、生活をしていかなければならない。まあ、これが自分の運命なのであろう。身体は実年齢より元気だが、脳年齢は実年齢より酷く老化しており、何時死んでもおかしくないとのこと。無理して生きてきたツケが回ってきたのかもしれない。だが、それでも家族を守り、生きていかなければならない。これが、人間の運命というものだ。甘えるのではなく、生きていかなければならない。二年前の入院、そして、今回の入院。天にもちびかれて、生かされていることを実感させられた出来事であった。
# by seizaikai_club | 2011-10-01 13:58 | 今日の独り言 | Comments(0)
民主党代表選という茶番
民主党代表選という茶番
2011年8月28日

代表選候補者が全員揃ったところで見て見ると、最も総理らしくない顔をしているのは海江田さんだ。消去法でいけば、一番最初に消える候補者だ。にもかかわらず、数の原理で彼を推しているという民主党に国民からの信頼を得ることはできない。この姿勢を国民が不安に思っていること、結局民主党はまったく理解していない。

こんなに多くの候補者を今の状況下で出すこと自体、どこに挙党一致、挙党態勢だ。言っていることと、やっていることがまったくチグハグだ。国民に、そんあ民主党のどこを信じろというのだ。茶番もいいところ。あまりにも幼稚過ぎる。彼らに国を司るなど無理。私利私欲、党利党略よりも、今こそ挙党一致で本来前進するべき時。
# by seizaikai_club | 2011-08-28 09:36 | 政治 | Comments(0)
日本政治の悲劇
日本政治の悲劇
2011年8月27日

日本政治の悲劇は、未曾有の災害にあい危機対応しなければならないこの時期に、この政治の混乱、選択肢がないことだ。本来、民意を考慮すれば解散総選挙という選択肢しかないはずである。しかし、被災地や被災者、そして、復興を最優先にと考えれば、解散総選挙をしている暇はない。にもかかわらず、政権政党がこの醜態。この状況下で、反省し、改革があるのではなく、結局は党内投票による代表選で国のリーダーを決めることになる。これは、日本の政治史上大きな汚点であり、多分、これほど希望のない永田町は後にも先にも今をおいてないであろう。もう希望などまったくない。あるのは絶望だけだ。復興だけでなく、経済もここまで落ち込み、外交、領土問題も問題山積だ。一体、どうやって同じ民主党議員たちに、立て直すことができるのであろうか。少なくとも、挙党一致はあり得ないようにしか見えない。
# by seizaikai_club | 2011-08-27 08:49 | 政治 | Comments(0)
自民党派閥政治と変わらぬ鳩山の挙党態勢という茶番
自民党派閥政治と変わらぬ鳩山の挙党態勢という茶番
2011年8月27日

まったく希望のない代表選挙。意味があるのか。鳩山がいう挙党態勢、自民党時代と何ら変わらないではないか。投票するそれぞれの議員がそれぞれの思いで判断する。それでなければ、自民党派閥政治と何ら変わりない。絶望しかない。
# by seizaikai_club | 2011-08-27 08:33 | 政治 | Comments(0)
島田伸介が自殺することを懸念する。
情報を吉本に流したのは、
警察退官後に吉本総務に入社した複数の警察関係者を通じ、
警察が流したとのこと。
先には事件捜査が存在とのこと。

島田伸介が自殺することを懸念する。
# by seizaikai_club | 2011-08-26 01:38 | 今日の独り言 | Comments(0)
最近感じた素敵と驚き
最近感じた素敵と驚き
2011年8月7日

最近感じた素敵。
complexのコンサート。
吉川と布袋、
素敵に年取ったな。
メチャクチャ格好良かったぜ。
マジいかしてた。

棘を折らず、
妥協もせず、
媚びることもなく、
それぞれの個性が、
いい意味でコラボしていた。
絶妙な距離間を保ちながら、
お互いの個性が、
舞台の上で全開。
交わるのではなく、
素敵な距離間で爆発し合っていた。
最高に格好良いパフォーマンスであり、
音楽であった。

それぞれが成長した。
ただ尖ってぶつかり合うのではなく、
かといって妥協し合うのでもなく、
交わるのでもなく、
お互いの存在を無視するのでもなく、
尊重しながらも、
それぞれの個性を舞台の上で
爆発させていた。

もしかすると、
結婚し、
子供を得た布袋の包容力の深さと、
色々な経験をして得た吉川の思い遣りの深さが、
ぶつかり合うのではなく
相乗効果という化学変化を起こしたのかもしれない。
今まで見た日本のミュージシャンのパフォーマンスとしては、
最高であったかもしれない。
本当に素敵だった。
正直、
身体の芯から痺れた。

布袋のギターテクと見せるギター、
最高だった。


もう一つの驚きは、
森善朗元総理のご子息の死。
亡父は森元総理と非常に仲が良かった。
亡くなったご子息にも、
一度だけ私も会ったことがあった。

何が驚いたかというと、
私が二年前に患った病とまったく同じ病で亡くなったことだ。
私が救急車で運ばれた時の状態と、
故森さんが救急車で運ばれた時の状態は、
まったく同じ。
私も、
最初に運ばれた病院で、
膵臓が発端で多臓器不全を起こしており、
五分五分の非常に危険な状態と言われた。
だが、
彼と私の運命を分かったことは、
私は防衛医大病院へ直ぐに転院させられ、
直ぐに内視鏡手術を受け一命を取り留めたが、
残念ながら彼が運ばれた石川県の病院には、
その技術をもった医者がいなかったことだ。
人の命とは儚い。
一寸先は闇だ。
私が患った時は49歳。
病院で50歳の誕生日を迎えた。
彼は47歳。
何が一寸先に起きるか、
誰もわからない。
ご冥福をお祈りする。
合掌。
# by seizaikai_club | 2011-08-08 00:39 | 今日の独り言 | Comments(0)
原発推進、脱原発、反原発の裏の一面
原発推進、脱原発、反原発の裏の一面
2011年7月19日

最初に、私は反原発論者でも、脱原発論者でも、はたまた原発推進論者でもでもないことをお申し上げておく。ただ、日本の電力事情の現状を考えれば、一足飛びに反原発や脱原発ではないであろうと思っている。もっと冷静に、現実的に状況を把握し、菅総理を含め政治家たちは言動すべてきと思っている。別に、菅の応援だでもなければ、管の足を引っ張る一派でもない。そのことをまずはご理解頂きたい。

その上で、原発の賛否両論に関しては、非常に狡い言い方かもしれないが、賛成でもあり、反対でもある。確かに、原発は、一旦事故になれば、これ以上危険極まりないものはないであろう。だが、その反面、太陽を中心とした太陽系に生を受けた我々人間にとって、ある意味、原子力は人工太陽のようなもので合理的この上ない。そして、どちらにしても、地球上で我々日本人のみが、原子力に対して世界に向けてモノを言える権利を有していることを忘れてはならない。何故なら、日本は世界中で唯一の被爆国であるからだ。厳密にいえば、非公式ではなるが、アメリカ合衆国も実験と言う形で被爆体験をしているが、これはまったく意味が違っているので、ここでは唯一の被爆国日本として捉えることとする。

余談になるが、アメリカは、自ら開発し日本に原爆を投下した罪の重さを密かに背負ってここまできた。故に、広島や長崎に原爆を投下した後、多くの被爆者を受け入れた。そのことは、渡米してみれば一目瞭然で分かることだ。カリフォルニア州などに、どれだけ多くの広島出身の被爆した日系人が住んでいることか。渡米後、最初の頃は、その意味が理解いできなかったが、ある出来事とがあり、そのことに気付かされた。そのことは、また別の機会に述べることとする。

我々日本人は、上述のように、世界中で唯一の被爆国に住み、被爆体験を持つ国民である。その意味で、世界中で唯一原子力に関してモノを言える権利を有している。それだけに、その責任の重さを、政治家諸氏はよく理解して頂きたい。菅総理が何を思って言動されているか、その心情はよく理解できる。だが、その方法が、あまりにも幼稚すぎた。一国のリーダーとは思えぬ幼稚さで、まったくリーダシップを感じられないお粗末な有様だ。そのことが、この大事な時に、政治を大きく停滞させていることは間違いない。

だが、見誤らないで頂きたい。本当に菅だけが悪いのであろうか? 元を正せば、確かに菅のリーダシップの無さによるのだが、そこまで追い込んだのは、与野党を含めた永田町の魑魅魍魎たちではないか。即ち、足を引っ張り政争茶番を繰り返す政治家たちによるのではないか。本当の悪党は、誰なのかを国民は見極めて欲しい。その方法は簡単だ、誰がこれらの一連の言動や政争によって、利を得ているかを見極めればよいのだ。

これだけは、確実に言える。東電は、原発有事を想定して、日頃より水面下で政界や財界、霞ヶ関に鼻薬を嗅がせ、調略活動を危機感りとして繰り広げていた。ほとんどとはいわないが、非常に多くの与野党を問わず政治家たちは、東電の鼻薬を嗅んでいる。公明党議員の一連でさえ、密かに袖の下で遣り取りをした者さえいるという。東電の調略術は半端ではなかった。そのような状況下、菅だけは、野党時代も含め、東電側からのアプローチを頑なに拒絶していたということだ。そのことは、与党になり、政権の長となってからも変わりなかった。故に、3.11東日本大震災に際して、この国の総理であるにも関わらず、彼に情報が速やかに届かなかったのだ。初動に起こった人為的な問題の大きな原因はここのところにある。そのことを、我々国民は理解しなければならない。菅の揚げ足取りをとるばかりではなく、何故こうなったかの真実を見極める必要がある。この事故や震災を利用して、政権転覆を企てる輩らが存在することを理解すべきである。

だからといって、この政権がずっと続けば良いと言っているのではない。私は、まだ大きな政界再編が必要だと思っている人間である。だが、状況下は、震災で変わった。今は、その時ではない。そして、今は如何なる理由があろうとも、解散総選挙をするべき時でもない。今は、総理としてリーダーシップがあろうがなかろうが、周囲で菅を支え、超党派で復興と経済立て直しに向かって、一心不乱に「和」を持って頑張る時である。こんな時に、足の引っ張りわいをしている政治家は、与野党を問わず全員退場だ。政治家失格だ。国民の痛みを理解できない政治家など、政治屋でしかなく必要ない。

そして、最後にもう一つ我々が理解しておかなければならないことは、原発とは、政治家にとって打ち出の小槌であり、金の玉手箱であるということだ。原発を推進しても、反対しても、政治家は莫大な利益を得ることができる。多くの利権が渦巻く、政治家にとっては宝箱なのだ。原発を誘致すれば、そこには多くの利権が生まれ、多くの補助金が国より払われ、東電はからは水面下で莫大な金が政治家に流れる。原発は、政治家にとって、赤子の飴玉のように美味しいことこの上ないものなのだ。そうやって、多くの政治家たちが肥えてきた。そこのところを、見誤らないで頂きたい。唯一、拒絶し続けたのは菅という人間だ。

東電は、反対を唱える政治家ほど、接触くしたがった。有事に備えて、気脈を通じておきたいからだ。自民党の河野太郎氏などは、当選以来一貫して反原発の立場を明確にしている。だが、だからこそ、東電の故山本勝副社長は、河野太郎に会いたがった。弊社が東電に紹介した元読売新聞社記者で渡辺恒夫と同期の現政治評論家である三宅久之氏が河野太郎氏と親しかったので、山本さんは三宅さんに河野太郎氏と会う機会を作ってくれるよう懇願した。そのこと自体いが悪いことではない。当時、私は、そういう山本副社長の一挙手一投足から様々なことを学ばせて頂いた。そのことは、今色々ろと役にたっている。だが、今の東電は、あの頃の東電とはまったく違う。そういう諸々のことが、全て裏目にでてしまっている。それは、現在の東電トップの人柄によるところも大であるように思う。

結論的に言えば、我々国民は、メディアの無責任な報道や政治家の思惑だらけの言動に惑わされることなく、自らの心眼によって、何が正しく、何が間違っているのかを見極め、声を上げていかなければならないということだ。被災者の皆さんだけでなく、全ての国民が、私利私欲ではなく、この国の未来、その未来を背負う子供たちのためにも、心眼をもって見極め前に進まなければ、政治の混迷を止めることはできない。私はは、そう思っている。
# by seizaikai_club | 2011-07-19 12:19 | 政治 | Comments(0)
尖閣諸島問題が俄かに緊張感を帯びる
尖閣諸島問題が俄かに緊張感を帯びる
20011年7月4日

今日の産経新聞に、「日本よ」という文章を石原慎太郎都知事が寄稿している。是非ご一読頂きたい。政治結社日本青年社より、小泉総理時代魚釣島灯台の権利が日本政府に移譲された際、移譲委員会メンバーの1人として多少お手伝いをさせて頂き、いくつかの尖閣諸島に関しての文章を当時月刊誌に掲載させて頂いたことがある。この問題に対しては、私自身思い入れがある。

石原氏も寄稿文のなかで記しているが、尖閣の歴史、現在に至る経緯は非常に複雑だ。だが、1つだけ明確なことがある。それは、この島は間違いなく日本の領土であるということだ。そのことは、読者の皆様がご自分で古文書を見聞されれば、疑う余地は全くないことを理解頂けるはずだ。特に、中国や台湾に残っている古文書には、彼ら自身が尖閣諸島を日本の領土と記している。中国や台湾が、尖閣諸島の領有権を主張しだしたのは、1970年代の国連による海底資源調査の結果を受けてのことである。その目的は、海底資源、この一点であることも明白だ。

にも関わらず、日本政府は、尖閣諸島の問題に関して何故か弱腰だ。一民間政治結社が、日本政府に代わり、台湾や中国よりの武装漁船群と対峙し、銃撃までされながら命懸けで魚釣島を死守した。そして、以来、彼らは魚釣島に自費で灯台を設置し、27年間もの長きに渡り日本政府が放置して守ろうとしなかった日本の領土を守ってきた。ところが、その日本青年社が、右翼団体ということのみを殊更に取り上げ見向きもせず、日本の領土を放棄しようとしていた。やっと、小泉総理時代、小泉政権が正式に、灯台の移譲を丁重に青年社に打診し、日本青年社側からの条件はただ1つ、「日本の領土尖閣諸島を、政府が責任を持って死守し、27年間自費で守り抜いた自分たちの行為を無駄にしない」ということであった。この約束のもと、灯台は速やかに日本政府に移譲され現在に至っている。その27年間に投じられた自費は莫大であるが、それらを請求することはせず、日本青年社はその権利を政府に移譲した。

ところが、政権が変わり、その隙に乗じて、中国や台湾は、またぞろ嘗てのように尖閣諸島を狙い理不尽な行為を繰り返しだした。にも関わらず、民主党政権下では、仙谷のような日本の政治家とは思えない輩が、領土を守るべく日々命懸けで働いている自衛隊を、「暴力装置」などと揶揄し、我々国民を驚かせた。領土問題は、国益の第一義である。そこを等閑りにしようとする政治家にも政権にも、この国を司る資格はない。

石原氏の寄稿文の中で、現在の魚釣島所有者が、中国より数十億で魚釣島の売却を打診されているとの噂を聞いた旨が書かれている。この噂は、私も耳にした。嘘だとしても、こういう噂が出ること自体、由々しき問題だ。地権者は、過去の経緯より、信用ならない日本政府には売却しない旨を一貫して言っている。だが、だからと言って、中国政府に売却すると私は思わない。ただ、1つだけ言えることは、時代が流れ、それぞれの立場や状況が変わり、
今、地権者は魚釣島を条件によっては売っても良いという気持ちになっているのではないか。もし、そうであるのならば、嫌われた日本政府ではなく、南西諸島内の島に帰属する町であるとか、鹿児島県などが、地方自治体として買い取るという形は有り得る可能性ではないか。私はそう思う。

買い取って、そこに自衛隊を誘致したり、資源開発をしたりすることは可能だ。また、アメリカは、返還前より、この辺りの海底資源を日本と共同開発したい旨を、当時の佐藤栄作政権に打診していたのだから、アメリカを巻き込み開発すれば、取り分は50%になるが、それ以上の防衛面でのメリットを得ることができる。アメリカ人が関わっての開発となれば、100%アメリカ軍の直接防衛範囲内に含まれることになる。そうなれば、今のように、台湾や中国は、尖閣諸島に関して主張できなくなる。何故なら、どんなに中国の軍事力が増強されたとはいっても、まだアメリカとのレベルの差は歴然で、手出しをすれば、自ら墓穴を掘ることになる。そのことを一番知っているのは、中国や台湾、彼ら自身だ。尖閣諸島に関して、日本の選択肢はまだ複数残されている。ただ、選択肢があっても、それを活用するか否かは、政治家に掛かっている。この問題、等閑りにすることなく、与野党超党派で前向きに取り組んで頂きたい。それが、我々国民の望むところだ。
# by seizaikai_club | 2011-07-04 11:27 | 領土問題 | Comments(0)
電力消費量は鰻登り
電力消費量は鰻登り
2011年6月30日

猛暑到来。温度の上昇に比例して、
電力消費量は鰻登り。
このままで、
今年の夏、
我々日本人は乗り切れるのか否か。
大きな疑問を感じる。
以下は河野太郎代議士の「ごまめの歯ぎしり」より


ここ数日の東電管内の供給力とその日の最大消費電力量は以下のと
おり。

日付供給力最大電力量 A B
6月12日4,080  3,192  78% 58%
6月13日4,450  3,499  79% 64%
6月14日4,410  3,488  79% 63%
6月15日4,300  3,403  79% 62%
6月16日4,370  3,487  80% 63%
6月17日4,310  3,473  81% 63%
6月18日4,120  3,221  78% 59%
6月19日4,090  3,158  77% 57%
6月20日4,580  3,627  79% 66%
6月21日4,700  3,809  81% 69%
6月22日4,730  4,122  87% 75%
6月23日4,780  4,221  88% 77%
6月24日4,790  4,352  91% 79%
6月25日4,370  3,614  83% 66%
6月26日4,360  3,249  75% 59%
6月27日4,880  3,597  74% 65%
6月28日4,880  4,326  89% 79%
6月29日4,900  4,570  93% 83%
(万kw)
A=当日の供給量に対する割合
B=最大供給可能量(5500万kw)に対する割合

6月29日の猛暑の中、東電管内では供給力に対して最大電力量が
93%になったとの報道があったが、これはあくまでその日の供給
可能量に対する割合であって、これから夏に向けて東電の供給可能
電力量は増えていく。猛暑の6月29日でも最大供給可能量と比べ
れば、83%と余力がある。

例えば6月25日、26日には品川と袖ヶ浦の発電所が点検のため
に停止したので24日に比べると供給力が落ちている。

今後、7月2日には鹿島60万kwの修理が終了。
7月上旬には川崎50万kwの送電線修理終了、横須賀35万kw
の再稼働が始まる。
7月中旬には、常磐30万kwの再稼働、鹿島17.5万kwの再
稼働、広野320万kwの再稼働もある。

6月30日には供給力は5010万kwと5000万kwの大台に
乗っている。

夏に向けて5500万kwの供給力が確保されるので、6月29日
の電力消費量ならば17%の余力がある。
# by seizaikai_club | 2011-06-30 22:57 | 核関連 | Comments(0)
東京電力をはじめとする電力各社の株主総会
東京電力をはじめとする電力各社の株主総会
2011年6月29日

 昨日東京電力の株主総会が行われ、メディア各社はその様子を報道している。とりわけ注目を集めているのは、この総会内での脱原発動議が大差で否決されたことに対する問題だ。その経緯が明確でなく、説明不足で、強行採決ともとれる、というような参加した株主の不満の声をを交えて報道している。
 
 確かに、株主総会には多くの謎がある。謎ではないのだが、一般株主からしたら、腑に落ちない点が多いのだろう。東電側の主張では、参加せず委任状を提出している株主数が、大きなパーセンテージを占めているので、その数字からはじき出した脱原発賛成票は8%程度になってしまうということだ。嘘ではないだろう。だが、問題は、この委任状票にある。

 東電は、昔から原発問題で散々苦労してきた。その歴史の中で、彼らは如何に株主総会を乗り切るかという彼らなりの危機管理術を構築しているのだ。そのマニュアルに沿って、全てがなされている。それは、株主総会の時のみでなく、普段から積み重ねられていることを知らなければならない。

 例えば、東電はじめ電力各社では、退職した社員や家族や親戚名義で、株を保持させ、総会での議決で東電側に有利に働くようなシステムを構築している。だが、それは東電だけではない。日本の場合、多くの上場企業が同じような手法で、株主総会を乗り切っている。資本主義社会とは名ばかりで、日本では資本家である株主に欧米の株主のような力がない所以だ。

 国も、そんな状況を見て見ぬふりをしている。それが、日本の実態だ。結局、日本の財界は、旧態依然とした護送船団方式のままなのだ。企業同士で、株を持ち合いアンダーテーブルで手を取り合っている。以前にも何回か書いたが、東電はその中心にいる企業だ。木曜会という上場企業各社の総務が一同に会し口裏を合わせ、足並みを揃えるために、毎週木曜日行われている非公式会食会合だ。東電は、この会の幹事会社だ。トヨタを始め、錚々たる企業が参加している。それらの企業に帰属する社員でさえ、そんな会が催されていることを知らない。ごく限られた、総務の人間たちがトップの勅命を受けて参加している。時として、その席には、関係省庁の担当役人も参加するほどだ。

 こういう、普段から企業にとって有利に働くべく、自分勝手な危機管理が為されているため、株主総会など名目だけで何の意味もない。そのことを、我々国民は理解し、そういうところから改革するよう政治に求めていくことこそが必要なのだ。政局や内輪もめなどしている暇はない。彼らは、着々と生き残りのため水面下で動き出している。
# by seizaikai_club | 2011-06-29 08:58 | 経済 | Comments(0)
震災後の政治の様相を見聞して思うこと
震災後の政治の様相を見聞して思うこと
2011年6月28日

 3.11東日本大震災から既に3カ月以上の月日が流れ去った。この間、政治の様相を見聞して思うことが多々ある。まず、政争を繰り返す永田町の在り様には、呆れ果て言葉を失う。まったく、民意など無視して勝手な茶番を繰り返している。民主党も民主党、足を引っ張る自民党も自民党、どっちも問題外。菅も菅だし、菅降ろしに翻弄される野党はじめ民主党の反対勢力も反対勢力だ。国民は、「政治とは何ぞや」と疑問と不信を募らせるばかりだ。

 そんな政治家たちの茶番に付き合わされて、その皺寄せを受けているのは被災者たちをはじめとする私たち国民だ。本来政治家とは、国民の代議員であり、民意を無視して暴走することなど許されない立場。今の政治家諸氏は、政治とは何か、政治家とはどうあるべきかを全く理解しておらず、理解しようと努力する姿も窺えない。

 ただ、今回の震災後の政治の様相を見ていると、一つだけわかってきたことがある。中央集権的な政治体制は、もう過去のものであるということだ。道州制導入には、今まで疑問を持っていた。何故なら、日本はアメリカとは違い、国土が狭いからだ。上手くシステムが運用できるのか、私は個人的に疑問を感じていた。だが、今回の震災後の政府の対応を見ていると、今こそ日本も、道州制を採用し、中央集権的な政治ではなく地方分権型に変革すべき時が来ていると強く感じる。

 危機に当たって、臨機応変に、合理的に、効果的に対応できない制度は、迷うことなく変革するべきだ。戦後政治に於いては、強くて指導力のある政治家が、国を引っ張っていくような中央集権的政治も許された。そのことは、日本だけではなく、どんな国に於いても、発展途上では、極端に言えば独裁政権もアリということだ。何故なら、一人の強い指導者のリーダーシップにより、良い意味での改革が合理的になされ、臨機応変に、迅速に国を発展させるためには、そういう特権的な政治もありであると私は思っている。実際、我が国から近いところでは、韓国などが良い例だ。だが、ある程度成熟した日本のような国家では、もう、そのような中央集権的な政治は、過去のものであることを今回の震災が示し、警鐘を鳴らしてくれたように思う。

 アメリカの州知事は、一国の首相のような立場で、采配を振るい、地元に根差した決断を臨機応変にくだしていく。まあ、アメリカの場合はそもそも合衆国なので、その辺のシステムが既に確立されているからであろうが、これからの日本では、そういうこともアリではないかと思うようになった。

 遅々として進まぬ復興対策や被災者の救済処置、義援金の配分や原発問題など、地元地方自治体の組長が、地元のニーズを反映した英断を迅速に行っていけば、ここまで混乱を招かなかったであろう。結局のところ、菅首相を頭に政府が全ての権限を囲い込もうとしていることが、裏目に出ていることは間違いない。このことは、菅総理のリーダーシップの無さを明にしている。リーダーは、各担当部署に任せる勇気をも持ち合わせなければならない。菅総理は、決して私利私欲を持ったり、国民を騙したりするような人ではないように思う。だが、リーダーシップはまったくない。そのことは明確だ。何故なら、菅総理には、企業など組織で采配を振るった経験がないからだ。

 企業でも、政治でも、そのほかの組織でも同じだが、リーダーというのは、偉そうにして、上から目線で脅威を持って制圧的な政治をしようとすれば、必ず反発を生む。私は常々、リーダーというものは、組織の調整役、世話役でなくてはならないと思っている。高飛車ではなく、皆と同じ目線で気配りをし、問題点を聞き入れガス抜きをし、それぞれの組織の中の人々が持つ問題点を消化しなければ人は付いてこない。ましてや、密室での政治などは問題外だ。そういうことは、ただ摩擦を生み広げるだけだ。組織のトップは、用務員であり、外交官であり、調整役でありながら、迅速に、適格な英断をくだせる人間でなくてはならない。勿論、普段は穏やかであっても、いざというときには信念を貫き闘うことのできる勇気も必須条件だ。そして、既成概念に囚われず、改革を恐れない臨機応変さも必要不可欠な条件である。立ち止まって、守りに徹しようとするような人は、リーダーにはなってはいけない人間だ。守るということは、おかれている環境や状況に臨機応変に対応し、変化することだと私は思っている。

 こうやってみていくと、菅総理がリーダーとしての適性を全て兼ね備えているか否かは一目瞭然だ。そのことが、今の政治に少なからず影響を与えていることも間違いない。だが、全ての条件に当てはまっていない失格者ではない。菅総理でなければできないこともあるように思う。だが、今の政治の状況を見ていると、欠落していることの方が目立ってしまっている。

 自民党時代は、根回し政治が為されていた。根回しということには、賛否両論ある。だが、組織を運営していくには、根回し、話し合い、強調し合うことも、必要不可欠な条件である。何故なら、人の世は、独りでは成り立たないからだ。人と人の助け合いで成り立っている。そのことを忘れれば、組織内には対立や摩擦が生じる。そこのところの気配りが、菅総理には欠落している。言い方は悪いが、非常に幼稚だ。幼稚という言葉は正しくないかもしれないが、子供っぽい。もっと大人の対応をしていれば、党内に反発も起こらないであろうし、野党と危機に当たって、時限的に手を携えることもできたはずである。だが皮肉なことだが、そんな菅総理の幼稚さが、彼の政治手法であり、彼のスタイルで今まできたのだ。しかし、それは野党の闘志としてはよかった。だが、政権の長としては大いに問題ありということだ。

 菅総理は、小泉元総理の手法を意識しているのかもしれない。だが、ハッキリ言わせて頂ければ全く違う。小泉さんには、彼なりの美学があり、彼なりの筋があり、信念があった。そして、如何なることがあろうとも、彼の芯がブレルことはなかった。彼の立ち位置は、微動だにせず明確であった。小泉純一郎という大木は、深く根を張っていた。そこのところが、菅総理と小泉元総理では全く違うところだ。多くの人々は、そんな小泉氏を批判したが、私は今でも国のリーダーとして称賛している。

 ここまで政治が混迷を極めると、その皺寄せは国民に及び、国益を損ねることにもなりかねない。自らの進退を明確にし、信念を貫き残りの時間を充実させることも、総理にとっての英断であるように思う。まずは、自らを省みて今何をするべきか、そして、菅総理にしかできないことは何かを理解し、潔い態度と、行動をとることが、国民や野党を説得することになるように思う。全てを投げ出して、直ぐ退陣などといっているのではない。菅さんにしかできないことを、迅速に遣り遂げ、その後潔く進退を明確にすることも大切なことではないか。国民の心に響かないことは、どんなにご自分で正しいと信じていても、政治家として為すべきことではない。国民を納得させ、前に進むことも大切なことだと私は政治の大切な役割の一つだと思う。
# by seizaikai_club | 2011-06-28 08:35 | 政治 | Comments(0)
アンジェラ・アキというシンガーソングライター
アンジェラ・アキというシンガーソングライター
2011年6月25日

皆さんご存知のように、アンジェラ・アキというシンガーソングライターがいる。非常に素敵な女性だ。彼女は、シンガーソングライターという枠では括りきれない存在だ。1人の女性、1人の人間として、非常に大きな存在である。そして、そんな彼女を歌の世界へと導いたのは、アメリカであった。アメリカには、人の感受性を磨き輝かせる不思議な力がある。私は、そう思っている。

国立近代美術館で9月5日まで行われる印象派絵画展の宣伝で、テレビ番組が放送されていた。アンジェラ・アキが番組のホステス(進行役)を務め、番組を進行し絵画展を宣伝していた。

その番組の中で、彼女がシンガーソングライターになった経緯、日本でのメジャーデビューに至る経緯を語っていた。あれだけの歌唱力があり、あれだけ人の心を揺さぶる歌声と詩を紡ぐ彼女でさえ、10年間の下積みがあったという。ハーフであるということで、理不尽な差別を受け挫けそうになったこともあるという。それでも、挫けずに夢を叶えた彼女は言う。「明確な目標設定することで、夢をは必ず叶う」と。そして、「夢は叶えるためにある」とも言っていた。

初めて彼女の歌声を耳にしたのは、何年前であっただろうか。もう思い出せない。まだ、彼女がメジャーデビューする前であった。車の中で、手に入れた彼女のインディーズ・レーベル時代のCDを初めて掛けた時、非常に大きな衝撃を受けた。そのことは、今でもハッキリと記憶に残っている。涙が止まらず、車を運転することができなくなった。道端に路上駐車して、溢れる涙を止めることができずに、曲を何度も聞いたことを覚えている。彼女の歌声は、詩と共に心を揺すぶった。そのことは、今でもまったく変わらない。

私は思う。彼女は、ただのシンガーソングライターではない。もっともっと、大きな意味ある何かを持ってこの世に降り立ち、歌と詩という手段を通じて、心を詠う稀有な存在であると。誰も真似できない、天使のような存在だと。

そんな彼女が、昨年「ANSWER」というアルバムを発表した。その中の「卒業〜十五の君へ〜」という曲が、話題を呼んだ。同年代の若者たちが共感を覚えたのだろう。キッカケは、NHK全国学校音楽コンクールであった。そのアルバムに同包されたDVDの「手紙」ドキュメンタリー・バージョンに映し出されていた映像は、私の子供たちが通う学校のキャンパスの四季であった。非常に嬉しく思った。何故なら、私は父子家庭で、子供たちと肩を寄せ合って18年間生きてきた。常に心掛けてきたことは、「心で感じ、愛を忘れない」ということである。そして、子供たちが通う学校は、そのことを大切にし、押し付けではなく子供たちに沢山の選択肢を与えてくれる素敵な学校だ。

片親での18年間は、紆余曲折色々なことがあった。だが、辛かったことや、苦労など負の感情全てが、アンジェラ・アキの歌声のバックで流れる子供たちが通う学校のキャンパスの四季の映像を見ることで、跡形もなく流された。まるで、アンジェラ・アキから「頑張りました」という花丸を貰ったような嬉しい気分であった。彼女の歌声と詩は、何度聞いても涙が止まらなくなる。何故なら、彼女には愛が溢れていて、綺麗な心を持っているからであろう。だから、皆の心が、彼女の歌声を通じ共振するのだと、私は思っている。本当に素敵な女性である。これからも、ずっと素敵な詩を素敵な歌声で皆に伝え、世界中の人々の心を共振させて欲しい。ありがとう。感謝。
# by seizaikai_club | 2011-06-25 12:35 | 教育 | Comments(0)
出会いと別れ、そして、人間には愛
出会いと別れ、そして、人間には愛
2011年6月21日

思い起こしてみると、たった51年の人生だが、多くの出会いと別れがあった。どの出会いも、どの別れも、深く印象に残り、私の人生の彩となっている。中でも、最も大きな出会いは、両親との出会いであろう。そして、最も悲しむべき別離は、亡父との死別である。生前は、ぶつかり合うことも多かった。だが、亡くなってみると、その大きさに気付かされ、日に日に亡父への思いは募る。そうしながら、私自身、「男とは」ということを学んできたような気がする。

次に大きな出会いと別れは、アメリカ時代の日系二世Kiyoshi Mizuno(水野清)との出会いと死別だ。渡米して直ぐ、私たちは出会った。私が通った最初の大学の留学生担当者が、偶然ベシー・ホリタという日系二世であった。皆から怖がられている女性であった。両親のお陰で礼儀作法を厳格に育てられた私は、礼儀正くしくベシーにも接していた。そのお陰で、皆が怖がるベシーさんは、私のことを非常に気に入ってくれ、色々面倒うを見てくれた。キヨシを紹介してくれたのもこのベシーであった。彼女の口癖は、「日本からの留学生は、日本人の礼儀正しい良いところを忘れている」ということであった。確かに、納得できる言葉である。アメリカに憧れ、渡米している日本人留学生の多くが、ある意味勘違いしているところがあった。日本人でありながら、アメリカ人振っているとでも言うのか。そんなところが、ベシーさんたち日系二世の鼻についていたのかもしれない。だが、彼らは、そんな日本からの来た日本人のことも助けてくれた。日本人同士が足の引っ張りあいばかりしていたが、日系人たちは、そんな了見の狭いことは決してしない。どんな状況かでも、日本人を助けてくれた。ある意味、日系人の方々は、渡米された当時のままで時間が止まり、日本人が本来持っていたが忘却してしまっている仁義忠孝礼の精神を、大切に守り継承している。

キヨシのことは、「ビック・ブラザー」と呼んで、兄弟のようにしていた。彼は、加州住友バンクの最後はバイス・プレジデントまでになった。歳は、私の母と同い年だった。だが、気が合って兄弟のようにしていた。何故なら、彼は彼の死の二年前に亡くなられたお母様を守り、ずっと独身を続けていたからだ。元々はシアトルの出身で、兄弟はシアトルのボーイング社で飛行機のエンジニアをしていた。他の兄弟姉妹は、ロスにいたようだ。そんな訳で、歳は離れていたが、彼は未だ青春の真っ只中で、私と気が合ったというわけだ。しかし、思い返してみると、彼はそういう風に振る舞い、私に気を遣わせないようにして、私の面倒を見てくれていたのだなと今は思っている。

彼は、日系人二世。彼の親は、名古屋からシアトルに移民したそうだ。そんな訳で、名古屋に今でもお母様のご兄弟姉妹がおり、2~3年に一度、お母様を伴って里帰りされていた。勿論、彼は戦争中マンザナ・キャンプ(日系人収容所)にいた。そして、親兄弟を守るために、忠誠書にサインをし、志願して軍隊に入った。終戦と同時に、通訳として日本に赴任していたと言っていた。キャンプのことや、戦争中のことに関しては、口が重かったのだが、私にはポロポロと色々話してくれた。貧しく、辛く、ひもじい時を過ごしていたようで、一緒にメキシカン料理を食べに行くと、いつもその頃のことを話してくれた。白いご飯なんか食べられず、藁のようなタマリが主食だったという話から、キャンプでの話をよくしてくれた。

彼らの中には、日系人の信頼をアメリカ社会の中でも確立しなければという意識が強かったようで、その気持ちが日系人442部隊を最強で最も信頼できる部隊にまで押し上げたようだ。そんな彼らの強い思いと、背水の陣で、「Go for broke」を合言葉に、ヨーロッパ戦線で窮地に陥ったテキサス連隊救出作戦を成功させ、アメリカ社会での信用を勝ち取った。勝ち取ったとは言っても、全てのアメリカ人が彼ら日系人を認めていた訳ではなく、差別は続いていた。だが、彼らは、差別を差別として口にだすことはなく、兎に角、直向きに、一生懸命汗水を流し、信用を一つ一つ積み上げていた。本当に頭の下がる思いで一杯だ。私の人生の中で、亡父とMr. Mizunoは、最も尊敬に値する存在である。このことは、永遠に変わらないだろう。キヨシは、私に、特別なことをするのではなく、一生懸命、地に足を付け、一歩一歩歩みを進めることの大切さを身をもって教えてくれた。感謝しても、しきれない思いで一杯だ。そんなキヨシは、私の家族と一緒にクリスマスを過ごした直後、自宅でひっそりと息を引き取っていた。正月明けから、人工透析が始まることになっていた。ところが、間に合わなかったのだ。生牡蠣を勧めたのが、悪かったのではと今でも後悔している。

次に大きな別れは、やはり妻との離婚であろう。子供たちのことを考えると、この罪の重さからは、一緒に死ぬまで逃れることはできないと思っている。勿論、子供たちは素直に育ってくれており、そのことで私を責めるようなことはない。だが、私の中では、この罪は非常に大きいと思っている。子供たちへ対しても、別れた妻に対しても、理由はどうあれ、男の私が全てを受け止めるべきであったと、今は深く反省いしている。結局は、男として私自身が青かったということだ。

順序は付けられないが、三番目に今回別離した、10年付き合った韓国人ガールフレンドとの別れが上がる。今回の震災や儒教の問題などが複雑に絡まり、私の思いだけではどうにもならない。しかも、今は日本にいない。遠いオーストラリアでは、どうにもしようがない。昔なら、オーストラリアだろうがどこだろうが、飛んでいったであろうが、今そこまでの力も気力もない。結局は、双方の愛が足りなかったのであろう。まあ、このことは、まだ湯気がでている状態なので、この場で語ることは控える。

次は、母方の叔母との死別だ。この叔母は、キヨシと同じく祖母を最期まで結婚せず守ってくれた叔母だ。だが、何があったかは知らないが、母たち姉妹はこの叔母が亡くなるまで縁を切っていた。最期は餓死のような状態で亡くなったらしい。心が痛む。何もできなかった私の罪は、これまた一生拭えないであろう。子供の頃、一番仲良くしていた叔母だけに、心が非常に痛む。例え何があろうとも、血を分けた姉妹ではないか。私には理解できない。亡父は、密かにこの叔母の面倒をみていたようだ。だが、亡父が亡くなり、叔母は兵糧攻めにあったような状態で旅立った。本当に申し訳ない。

まだまだ多くの出会いと別れがある。だが、若くして癌に倒れた、アメリカ時代の友人、日系三世のボブとの死別が次に入るであろう。ある日突然、私よりも若いボブから「もうこれが最後になると思う」と電話が入った。若かったので大腸癌から全身への転移も早く、どうしようもない状態だと彼は打ち明けた。まだ、子供が小さかった。だが、彼は言った。「手術を何回かしたが、もう楽になりたい。次の手術は拒絶する。だから、これが最期のお別れだ」と。彼は、ロックンローラーであった。葬式でも、大好きなローリングストンーンズが流されていた。随分と働きかけたが、彼と一番仲が良かった友2人は、葬式に来なかった。無理矢理にでも連れてくるべきであった。悔いが残る。

いくつかの出会いと別れを、ここに記載したが、結局のところ、「人間には愛」これしかないという結論に、私なりに至った。まだまだ、多くの出会いと別れが、今後も私の人生で続くのであろう。だが、これが人間の宿命なのかもしれない。そんな風に思う、今日この頃である。
# by seizaikai_club | 2011-06-21 15:37 | 今日の独り言 | Comments(0)
今政治がしなければならないこと
今政治がしなければならないこと
2011年6月19日

 震災から3ヶ月。だが、未だ被災地の不自由な環境下、苦しんでいる被災者がほとんどだ。家を失い、全ての財産を失い、身内を失い、悲しみ、苦しみ、そして、絶望感にさいなまれつつ、希望の光さえ見えない中、日々を必死に生きている。

 にもかかわらず、政治は空回りをし、政局ばかりの茶番劇を繰り返している。口ではお上手を言うが、何一つ形になってはおらず、被災者の救済さえ遅々として進まない。阪神大震災の際は、村山総理大臣がリーダーシップを発揮した。迷うことなく多くの時限立法をなし、臨機応変に復興へと歩みを進めた。ところが、今回の震災では、遅々として何も進まない。確かにわずかに動いているが、どの動きにも政治家や党の思惑や我欲が潜んでおり、素直に受け止めることができない。

 そのことは、福島原発に関しても同じだ。未曽有の原発事故であるにも関わらず、この期に及んで東電は天災を主張し、初動対処のまずさによる人災を否定する。結果、多くの人々は家を失い、路頭に迷っている。未来に何も希望を持つことさえできない。そのことは、個人だけでなく地元企業にとっても同じだ。あれだけ利益を貪ってきた東電が、企業に対する賠償金の上限額を200数十万円にするという。呆れてモノも言えない。このような状態になり、資金繰りが滞っている企業が、200数十万でどうなるかは誰の目にも明らかだ。東電自らは、電気料金を値上げして、自分たちの過ちを消費者である我々国民に転嫁するという。だが、地元企業は、そんな調子のよいことはできないのだ。悔し涙に明け暮れながら、倒産の道を選ぶしかない。経営者は、断腸の思いで決断を下さなければならないのだ。そのことを、東電幹部は、よく理解するべきである。

 東電には、東大出のエリート社員が大勢いる。日本のトップ企業と言われていた。だが、今回の対応を見ていると、東電がトップ企業でないことは一目瞭然だ。何故なら、消費者である我々国民を守らず、自分たちの生き残りばかりを優先しているからだ。その上、電気料金まで値上げして、自分たちの過ちを国民に補填するという。問題外というか最低である。

 このような状況下、政治家が今最優先でしなければならないことは、政局の茶番を繰り広げることではなく、被災者や被災地、そして、全ての国民を放射能の危険から守ることだ。このことは、与党民主党も、自民党をはじめとする野党も、どっちがどっちということではなく、肝に銘じて最優先で当たって頂きたい。一部の政治家が、菅が身を退かないならば、解散総選挙と叫んでいる。だが、今選挙何ぞしている時ではない。それこそ、被災者のこと、被災地のこと、国民のことを一つも考えていない証拠である。今しなければならないことは、大連立でもない。与党も野党もなく、兎に角復興や被災者救済のために、個別の案件で速やかに手を組み進めることだ。そして、東電に関しては、河野太郎氏の提案を幹とした改革を進めるべきである。但し、民間企業としての東電は一旦解散させるべきであると私は思う。何故なら、電気事業法自体に問題がある以上、一旦全てを白紙にして、電気事業法を改正し、東電も再編するべきである。

 東電を始め九電力は、国営にして発電のみに徹する。そうすることで、全ての電力を国が管理し、電力各社の組織を極力縮小化する。同時に、電気業界を自由化し、電力販売は自由競争で複数の民間会社が存在できるようにする。そこには、太陽光発電や風力発電の会社なども含め自由に競争させる。

 そうすることにより、電気料金を他国レベルまで引き下げられる。菅や孫正義が提案していた全戸にソーラパネルを設置してという案は、個人個人に設置させるのではなく、国が設置をし、設置場所賃貸料を各家庭に支払う。それらのソーラパネルから上がった電力も、国営となった電力会社が管理し民間電力販売会社に卸す。民間電力会社は、独自に太陽光発電や風力発電、地熱発電などを持ち発電することも可能にする。兎に角自由化して競争させる。また、問題となっている西と東の電圧を統一し、国営電力会社が管理する。そうすることで、天災が起こった際に全国で融通し合うことができるだけでなく、将来的には韓国などと海底電線により電力売買や天災の際に融通しあうことも可能になる。

 まだまだ、語れば色々あるが、兎に角、電気は国益に関わる最重要課題の一つとして、国が直接管理する体制にするべきである。そして、販売にあたっては自由化するべきだ。

 その第一歩を東電に踏ませることができるのは、菅であるように思う。何故なら、菅のみが東電の鼻薬を一度も嗅いでいないからだ。一日も早く、電気事業に関し新しい道をつけて、菅は総理の座を退けば良い。現状、誰が総理になっても、大して変りはない。今は、もう、誰がなったからといって、大きな違いが出る時期ではなく、兎に角実行に移す時期である。これらのことを理解して、全ての政治家は私利私欲を捨て、国民のために命懸けで頑張るべきであると私は思う。
# by seizaikai_club | 2011-06-19 23:35 | 政治 | Comments(0)
台湾付近海域が緊張状態
台湾付近海域が緊張状態
2011年6月10日

 これは、まだ日本政府にも届いていない極秘情報だが、現在、台湾南東海域が非常に緊張した状況になっている。勿論、中国海軍によるもの。7日前に、台湾政府からアメリカ政府へ対し、正式に要請が出ており、CIAとペンタゴンの隠密合同作戦として、既に嘉手納基地を中心に作戦が展開されている。嘉手納基地には、F22ラプタ ステルス戦闘機が配備され、グアム基地には、B2スピリート戦略爆撃機2機が既に配備された。台湾南東海域には、戦略原潜が1隻、日本海には攻撃型原潜が非公式に2隻配備された。それぞれの原潜には、オバマ大統領命令で核弾頭を装備したICBMトマホーク巡航ミサイルが各10基装備されている。この作戦の目的は、中国軍への牽制であり、核ミサイルが発射されることはないであろう。中国のスパイ衛星に、核弾頭搭載トマホークを装備した原潜が、配備されたことを見せるためということだ。スパイ衛星からは、核弾頭搭載艦か否かが識別できるので。既に、最新型戦闘機も含め複数の偵察機も台湾上空を昼夜を問わず飛んでいる。状況としては、非常に緊張した状況のようだ。これは、アメリカ側からではなく、中国側から出た動きに対しての作戦である。

 日本政府に伝えていない理由は、ホワイトハウスが、仙谷と枝野を要注意人物と見ているからだ。日本政府に情報を流すと、中国に情報が筒抜けだと見ているようである。政府はまだ知らないが、米軍から自衛隊幹部には非公式に伝えられているはず。
# by seizaikai_club | 2011-06-10 02:44 | アメリカ関係 | Comments(0)
菅総理不信任案の是非
菅総理不信任案の是非
2011年6月1日

 永田町では菅総理の不信任案が明日出される様子。前代未聞の為体だ。菅総理の手腕には、大いに問題がある。だが、この時期に、震災復興を最優先しなければならない状況にある今、それを差し置いて不信任案を出す永田町の懲りない面々の神経を疑う。この自分勝手で無神経な政治屋諸氏の姿勢と資質に、大いに疑問と憤りを覚える。今は、疑問や問題があっても、被災者と被災地復興を最優先に超党派で一丸となり切り抜けなければならぬ時。にもかかわらず、あろうことか、民主党員が民主党の首相に対しての不信任案に賛同するとは呆れ果てて開いた口が塞がらない。例え最低の総理でも、それを皆で補佐して、この国難を乗り越えることが被災者や国民を守るということになると思えないのか。

 国民を差し置いて、被災者を差し置いて、永田町ではまったくもって自分勝手な政争茶番が繰り返されている。もともと、民主党は右から左まで思想信条ではなく政権奪取目的で集まった烏合の衆 。その本性が、こんなに大事な時期に露呈したということであろう。だが、野党自民党も、政権を奪取されて以来の反省もあまりなく、代り映えのしない様子。そんな有様を見聞し、私自身更なる政界再編を望んではいたが、何もこの時期ではなくともいいではないか。国民を置き去りにした政治は、国を衰退させるだけ。結局資質もない人間が浮かれて政治屋になった結果であろう。

 このまま不信任案を強行するのであれば、せめて民主党内より不信任案に賛成した議員は、民主党からは離れるべきである。これでは、民主主義を冒涜しているとしか言えない。本来、辞職して国民に審判を問うべきである。だが、この時期に選挙などというバカげたこと自体、被災者や国民を置き去りにした政治とは言えない所業だ。一体、この国はどうなるのであろうか。懲りない永田町の面々には、全員退場して頂きたいというのが本音だ。もう我慢も限界、堪忍袋の緒も切れる。
# by seizaikai_club | 2011-06-01 23:02 | 政治 | Comments(0)
< 前のページ 次のページ >

「政治をもっと身近に」をスローガンにして、日本人にもっと「愛国心」を喚起すべく語る。
by seizaikai_club
政財界倶楽部代表  恩田将葉
 「政治をもっと身近に」をスローガンに、一人でも多くの日本国民が政治に関心を持ち、参加してくれるよう、執筆活動、出版活動等を通じ「愛国心」啓蒙活動をしている。国際化が進む世界の中で、日本の政治も若者の手で変革しなければならない!!

 政財界倶楽部代表恩田将葉は、 アメリカ合衆国カリフォルニア州で約9年間生活。その間、サン・フランシスコ州立大学(San Francisco State University, SFSU)国際関係学部で国際関係学と政治を学び、朝鮮半島問題専攻で卒業。その後、暫くアメリカで現地法人の会社(People Intertrade, Inc.)を経営した後帰国。帰国後は、記者と編集者を経て出版社である株式会社ぴいぷる社と株式会社政財界出版社、そして、夕刊紙「内外タイムス」を発行する株式会社内外タイムス社の社長に就任。活字業界一筋に生きてきた。現在は、経営から一歩引き、国際情勢ならびに政治を中心に、ジャンルを問わず執筆活動を継続中。プロの文士として、随筆、小説、脚本等あらゆる分野で執筆活動を展開し、文章を綴ることを天職としている。そのかたわら、日本に、嘗てのごとく「愛国人」を増やすべく、「政治をもっと身近に」をスローガンに、自ら「政財界倶楽部」を運営している。

検索
カテゴリ
タグ
以前の記事
最新のコメント
お詫び:取材の段階でも、..
by seizaikai_club at 11:50
なぜ被害を受けていない西..
by 通りすがり at 19:55
“何も専門的なことはわか..
by 恐ろしい at 20:38
なければつかわないよ。
by なにいってるの。 at 15:47
たまたま記事をみましたの..
by そら at 07:12
このことは、私を可愛がっ..
by seizaikai_club at 08:35
上記はデマです LPG..
by ご注意 at 17:33
女性スキャンダルと報じら..
by 杉並区民 at 14:36
ええ、108回しっかり..
by 除夜の鐘を奥まで at 03:45
今日も工 ロい女のおな..
by 見てるだけなのに?!(笑) at 00:38
3日目でソッコー8万い..
by オメガワロスww at 22:49
第62回 朝日杯フューチ..
by 朝日杯フューチュリティステークス at 13:01
ホントにシャワーみたい..
by すっげ! at 12:37
3発でまだ足りないって..
by んなアホな!? at 20:27
触る前からとろっとろで..
by たまんねぇ~♪ at 11:09
自宅警備してるだけのニ..
by 最先端ニートを行く!! at 13:19
あ、あ、んなディープに..
by 部屋中に響いたかもな!!!! at 21:00
なんでこの時期みんなあ..
by クリスマスがチャンスだ(笑) at 18:25
車の為に金溜めるとはい..
by 即金稼ぐにはコレが1番だな(笑) at 13:56
女の方から中に出して..
by ホントにですか?汗 at 17:36
おすすめキーワード(PR)
ファン
XML | ATOM

skin by excite